大沢省三先生の言った「分子生物学を極めるなら生物科に行くより数学物理化学系にせよ」というのは還元論的科学でいくなら正しかったのかもしれない。また、「今の生物教育は駄目だ」と言ったのも当時の機運からの発言であったかと思われる。今思えば、当時から大きい大学の生物学科(東大では、動物学科と植物学科)でも、旧来の生物学だけでなく、分子的に扱う教育が進み始めており、分子とは名乗らなくても生物現象を分子生物学的に解析する研究教育(今の主流)が着実に進んでいたのである。日常そういう会話が重ねられていたであろうそういう研究室で鍛えられればそれなりに深まって良い研究者となったはずである。事実僕と同年くらいで有名になった(良い仕事をした、している)人たちが大勢いる。前述のようにのんびり?大学生だった僕はそんなことは判らず、セントラルドグマ程度で満足してしまった。これはやっかんでいるのでも農工大の教育を不満に思っているのだもまったくない。要するに僕はそういう選択をしたのだ。で、農芸化学的な実用学も嫌いではなかったが、やはり理学的な研究者がいいかなと、大学院はそういうとこに行きたいと日高さんに相談した。日高研は既に内部に進学予定者が沢山いた。日高さんは、彼の東大の先輩である大西英爾さんがはじめた名古屋大大学院をすすめた。では受けようと思ったが、生物学的な講義は前記のように半期の12回ほどしか聞いたことがない。よっしゃと思い神保町で「動物学」「植物学」を買ってきて受験勉強しようとしたがこれがまったく面白くなく(大沢さんの言うとおりだ)、2,3ページで断念して、ぶっつけ本番で受験に行った。専門は4,5題出て3問選択だったか・・。まったく知らない項目の出題だったが、一つだけ酵素関係の説問があったので、出題意図もすり替えて酵素研究の手順はこうあるべきだと必死で書いた。英語はそこそこ出来たのだろう。面接試験の時、元気の良さそうな植物の先生が「この人(僕のこと)総点は悪いけど面白い解答しているから入れてみましょうよ」。と言ってくれた。その後、植物学の天皇?と言われた古谷雅樹さんだった。そのせいか合格した。おなじ研究室志望の競争相手はいなかったのだけれど・・エヘヘ・・・。以上は昔の良い時代だ、とか言うつもりで書いているのではない。誰でもいくつも通る岐路の事を振り返っているだけだ。なお、僕が名古屋を出て、十年ほどたって、大西先生の次の次の教授として大沢省三先生が赴任された(分野をはなれた僕は最近それを知った)。 一応おしまい。
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