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マリの朗読と作詞作曲

古典や小説などの朗読と自作曲を紹介するブログです。
写真やイラストはフリー素材を拝借しています。

バレエを習っていた頃

2022年03月16日 | 私の昔

 

私は写真に撮られるのが苦手である。

大人になってから

自然な表情の写真がほとんどない。

だから、子供時代は

ごく自然に写っているのが

不思議でならない。

 

そんな私の

4歳~6歳ころのバレエの写真。

これが笑っちゃう写真で、

膝から下が、いや足の付け根から下が、

どうしたらあんな風に

ふつう曲がらない方向に湾曲するのか

わからない。

(今ではとても無理。)

バレエスタジオに

カメラマンが来て撮ってくれた。

先頭で胸を張ってるのが私。

おそらく

カメラマンや先生から言われた通りに

一生懸命ポーズをとったのだろう。

      

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次は発表会の舞台写真。

お母さんウサギを囲んでいる

子ウサギとちびっこい小鳥たち。

曲の終わりの決めポーズ、かな。

 

 

 

 

私の役柄は小鳥の一羽。

お母さんウサギが出かけて

小鳥たちが

子ウサギの子守をしているところに

こわい狼が来る。

慌てて木の葉で子ウサギの乳母車を隠し

とぼけて狼を追い払う、というお話。

 

舞台終了後に

一人づつ撮った写真もある。

衣装の羽根が首に触れて

くすぐったかったことを

よくおぼえている。

 

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反り指だね・・・。

 

 

 

 

             

 

 

朗読が追いつかず、

古写真でお茶を濁す・・・。

 

 

朗読は、

まず作品選択が結構大変。

長かったり、よく知られてない作品は

聞く人にあまり好まれないだろうし、

文学的価値と一般受けは

必ずしも一致しないし、

著作権の続いている作品を

勝手にアップすることはできないし、

朗読は読み込まないといけないし・・・

で、

今日の記事はこうなりました。

あしからず。

/

 


アツモリのこと(エッセイ)

2022年01月04日 | 私の昔

  

 

若い人に

「アツモリってなあに」と尋ねれば、

「《あつまれどうぶつの森》でしょ」と

ゲームの名前を答えるに違いない。

が、実は別の意味もある。

一つは平敦盛( たいらのあつもり)であり、

 (「平家物語・敦盛最期」は → こちら 

もう一つは、これから書くアツモリである。

 

 

私が子供のころ、

こんな会話が両親の間で交わされた。

まず、会社から帰った父が言った。

「そういえばこのあいだ

蕎麦屋でシゲモリをくれと言ったら、

わけわからん顔をされた。

こいつ蕎麦屋のくせに

シゲモリを知らんのかと思ったら、

もしかしてアツモリですか、と言われて

自分の間違いに気がついた。

いやぁ参った参った。」

それを聞いた母は

「平家でモリが付けば

どれも大して変わりないと

思ってるんでしょ、まったく。

重盛(シゲモリ)と敦盛(アツモリ)、

漢字で覚えてないから

おかしなことになるのよ」

と一刀両断。

父の人名の記憶は割と大ざっぱなので

平家の盛のつく名前を

ごっちゃにしても不思議はない。

父が蕎麦屋で言いたかったのは、

重盛でも敦盛でもなく熱盛(アツモリ)

つまり温かいツユにつけて食べる

盛そばのことだった。

 

 

 

平家ゆかりの地である神戸育ちの父は、

平家物語には馴染みがあったのだろう。

後にわたしは学校の授業で

平家一門のことを初めて知り、

ああこれのことかと合点がいった。

 

ついでにアツモリをもう一歩進めて、

「厚盛アツモリと書けば大盛のこと?

(だって厚く盛れば量も多いわけだし)

それなら重盛だって大盛の意味になるよね」

などと盛そばについての深い考察を

授業中、一人静かに行っていた。

だから今でもアツモリと聞けば

亡き父を思いだすのである。

 

 


井上ひさし氏の講演(エッセイ)

2021年10月31日 | 私の昔

 

井上ひさし氏の講演(エッセイ)

 

1972年の第67回直木賞受賞作は 

井上ひさし氏の「手鎖心中」であった。

すでに氏は、放送作家として

「ひょっこりひょうたん島」の脚本で知られ

戯曲作家としても活動を始めていた。

(その後の華々しい文筆活動については

ここでは省く。)

 

その年、

氏の母校である上智大学では、

直木賞受賞 井上ひさし氏 来る!

というイベントが

文化祭の目玉の一つになった。

会場である広い階段教室には、

講演予定時刻のずっと前から

学生たちが詰めかけていた。

何冊か著作を読んでいたわたしも、

期待に胸ふくらませて席に座っていた。

だいぶ遅れて教室に入ってきた井上氏は、

集まった学生たちを見て、一瞬たじろいだ。

ウへッという声が

聞こえてきそうな表情だった。

後でわかったのだが、

氏は、聴衆はごくごく少人数だろうと

思っていたとのこと。

学生が大教室を埋め尽くしているとは

考えてもみなかったようだ。

 

 

 

大学事務局の男性が司会者となって

講演会はスタートした。

彼はマイクを手にすると、晴れがましく

井上氏の履歴を紹介し始めた。

「本日は、『手ぐされ心中』で

直木賞をおとりになった井上ひさし氏を

お迎えして~云々、云々・・・

氏は学生時代に~云々、云々・・・

直木賞受賞作の『手ぐされ心中』は、

江戸時代の戯作者の~云々、云々・・・

云々・・・・・・・・・

では、井上ひさし氏のご登壇です。

どうぞ!」

拍手に迎えられて演台に立った井上氏は、

名前を名乗った後、すぐにこう言った。

「いま司会の方のお話に

手ぐされ』と、ありましたが・・・

ボクの本のタイトルは

手ぐされ心中』ではなく

『手ぐさり心中』です。」

何度も『手ぐされ』と言っていた司会者は

赤面し恐縮し、文字通り身を縮めた。

それには構わず、氏は続けた。

「いやあ、そこに座ってお話を伺いながら、

手鎖でなく手ぐされにすればよかったと

ずーっと思ってたんですよ。

手ぐされ、いいなあ・・・

題を決める前に気づいていれば・・・」

別に司会者の失言を

フォローしたわけではなかった。

その証拠に、

目線をちょっと下に向け、

その先の何もない空間を見つめながら

心底、惜しかったなあ、

という顔をしていた。

 

そのあとの氏の講演内容は、

正直言ってなにも覚えていない。

楽しく聞いたはずだけれど、

講演の前後のあれやこれやの方が

ずっとインパクトが大きかったのだ。

 

     

    

 

氏のトークが終わると、

恩師への本の贈呈式になった。

贈呈本は直木賞受賞作ではなく、

自身の学生時代を抱腹絶倒に描いた

「モッキンポット師の後始末」であった。

井上氏はフランス語学科卒である。

本の内容はフィクション交じりにせよ、

問題行動で恩師の先生方を悩ませていたのは

事実のようだ。 

司会者は、特別席に座っていた

神父服の年配の男性を紹介すると、言った。

「では、恩師である×××先生へ、

井上氏から著書の贈呈であります!」

フランス人である×××先生は

もともと愛想の良い人物ではないが、 

そのときは、さらに渋い顔をしていた。

一方、

本を渡す井上氏は明らかに腰が引けていて

おっかなびっくりなのがおかしかった。

二十代はじめの学生にとって、

直木賞受賞作家など雲の上の人である。

なぜもっと堂々としていないのだろうと

当時は不思議に思った。

が、第三者が本で読むから面白いのであって、

当事者の先生は大変だったろうし、

氏もそのあたりはわかっていたはず

と、今なら納得がいく。

   

 

贈呈が無事に終わると、

新たに本が演台の上にどさりと置かれた。

積み重ねられたのは7,8冊か。

「これ、僕のサイン本です。

ほしい人は、えーと、

けんかするなりなんなりして

持ってってください。」

それだけ言うと、

井上氏は主催者側の人たちと共に

そそくさと退出していった。

   

広い階段教室内は瞬時に固まった。

誰も声を発さない。

皆どうしていいのかわからなかった。

リーダーシップのあるお世話焼きがいれば、

「ジャンケンで決めましょう」などと

音頭を取ったのかもしれないが、

会場には200人近くがいたので、

実際問題としてそれもむずかしい。

みんなですくむというか、

にらみ合うというか、 

しばし膠着状態・・・・・・。

そのうちに、

後方に座っていた一人の男子学生が

立ち上がった。

全員の好奇の視線を浴びながら

通路の階段を下りて演台の前に来ると、

本を一冊手に取り、

わきに抱えてさっさと教室を出て行った。

「あ!」「え”ー!」「ずるーい!」などと

つぶやきの大合唱が起こった。

だが、誰も動かない。

衆人環視の中で本に手を出すには

相当の勇気が要る。

ズルいとか図々しいとか身勝手だとか、

悪く思われることは必定。

心臓の強さ比べ、みたいなものである。

暫くすると、また一人の男子学生が

本を取って教室を出て行った。

そしてまた一人。

考えてみれば、

非難されても白い目で見られても、

会場を出てしまえば関係ないわけで・・・、

最後は数名が連なって演台に近づき、

本は一冊残らずきれいに持ち去られた。

本が全部消えると、

呪縛が解けたかのように空気が緩んだ。

とり残された敗者たちは、

のろのろと座席から立ち上がり、

出口へ向かっておとなしく通路の階段を

下り始めた。

無論、わたしもその中の一人だった。

こうして、

井上ひさし氏の凱旋講演は、

講演の内容よりも

前後の出来事の方が強烈な思い出として

記憶に残っているのである。

 

 


メダカを拾った話(エッセイ)

2021年10月03日 | 私の昔

かつて都内の住宅街の道端で 

メダカを一匹拾ったことがある。

確か小学3年か4年の夏、

今から60年も昔のことだ。

 

 

集中豪雨がやっと通り過ぎ、

一人で帰る昼下がりの放課後、

自宅近くの坂道をてくてくと下っていた。

道の両脇のドブは

いつもなら乾ききっているのに、

そのときは明け方までの豪雨を集めて

深くて速い澄んだ流れになっていた。

わたしはもう嬉しくてたまらず、

ワクワクしながら歩いていた。

と、流れの中になにかオレンジ色の

 

・・・あ、メダカ!    

    え、メダカ ??!!

 

立ち止まってよく見ると、

かすかにヒレを動かし、

頭を川上に向けてじっと留まっている。

やっぱりメダカ!

 

状況がわかるや、

反射的に家に飛んで帰った。

ランドセルを背負ったまま、 

池のそばに転がっていたヒシャクを

ひっつかんでドブにとって返した。

メダカはまだ同じ場所にいる。

ヒシャクを流れにそっと沈めると、

すっと中に入ってきた。

それを両手で大切に持ち、

わたしはそろそろと家に帰った。

メダカを見た母は、感心するよりも

「よくまあ見つけたわねぇ 」と

驚き呆れかえっていた。

(いやいやいや、子供の目は鋭いのだよ)

かくしてそのメダカは

我が家の池(実は使わなくなった古火鉢)に

棲むこととなった。

 

 

それにしてもなぜ

メダカはドブの中にいたのか。

そのドブは、近くで川や池に

つながっているわけでもない。

結局、道沿いの家の池があふれて

流れ込んだのだろうということになったが、

真相は不明のまま。

 

メダカを池に放ってみると、

思っていた以上に小さかった。

先住金魚の大口に吸い込まれそうだし、

餌の粒は大きすぎて口先でつつくだけ。

しかし身の危険を感じたのだろう、

すぐに餌を飲み込める大きさになり、

金魚に食べられることもなく

元気にすくすく育っていった。

わたしはしょっちゅう池をのぞき込んでは

拾ったメダカを眺めていた。

 

翌年の雨の降る朝、

起き出して窓の外を見ると

古火鉢の池は縁まで水が溢れていた。

 慌てて庭に出て池の中を探したけれど、

メダカはいない。

池の周囲の草をかき分けてみても、

なんの痕跡もない。

こんなことなら

池の水を減らしておくんだったと、

深く後悔した。

 

雨はそれからも降り続き、

数日経ってからようやく止んだ。      

池には前と変わらず

三匹の先住金魚が泳いでいるだけで、

ふたたびメダカを見ることはなかった。

親に頼んでメダカを買ってもらうなど

考えもしなかった。

わたしが池をのぞき込むのは稀になった。

思えば、あのちっぽけな生き物は     

雨と共にやって来て雨と共に去って行ったのだ。

不思議な縁だけが残った。

 

 

 


おまつり(エッセイ)

2021年09月15日 | 私の昔

「おまつり」は、昭和30年代初頭、

私が小学校低学年の頃の出来事。

当時の祭礼の開催日は、曜日に関係なく

「毎年〇月△日」と決まっていた。

 

 

  おまつり       マリ

「はちまんさまにいこう! 」の一声で、

5,6人の小学生は

バラバラッと駆け出した。

行く先は荻窪八幡宮。

昨日と一昨日が年に一度のお祭りで、

それは大した賑わいだった。

お神輿に綿アメ、射的、焼きイカ、

余興の腹話術、漫才、奇術、

どこを向いても人、人、人・・・。

 

息をはずませて八幡様に着いてみれば 

木立の下はしんと静まっており、

境内にはわたしたちしかいなかった 。

「・・・やってないね、おまつり」  

誰かが、こそっと言ったので 、

みんなちょっと恥ずかしそうに小さく笑った。

それでも、すぐに気を取りなおした。

鬼ごっこ、かくれんぼ、

大木の根っこの上から地面に落ちたら

人喰い鮫のエサになる!

きゃあきゃあと声を上げて

追いかけては捕まえ、

捕まっては追いかけて、

大木の周りを走り回っていた。

だから、

その子がいつやって来たのか知らない。

 

気がつくと見慣れない男の子がひとり、

やや離れたところに立っていた。

わたしたちと同じくらいの年頃で、

ぶかついた古着に黒いズックの運動靴。

チラチラとこちらを伺いながら、

手に持っていた小さな丸いものを

何回か投げ上げては受け止めると、

また居心地悪そうに立っていた。

が突然、意を決したように

こちらの方にずんずんと向かってくる。

わたしたちは緊張した。

男の子はもっと緊張していた、

と思う。

そばまで来ると、

手の中の大きな50円玉をにらんだまま、

早口でぶっきらぼうに、こう言った。

「おまつり、いつはじまるの? 」

このあたりの子ではないと、

すぐにわかった。

「 おまつりはきのうまでだよ」

それを聞いた男の子は

顔を少し歪ませたが、

何も言わずに向きを変えて

すたすたと境内を出て行った。

 

 わたしたちも誰も何も言わなかった。

そして遊びの続きに戻ったのだけれど、

なぜか面白さが今ひとつ・・・。

やがて1人抜け2人抜けして、

その日は全員が

早々と家に帰っていった。