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2009.3.15 徳島支部精舎

2009-03-17 09:56:07 | 宗教と政治

> 2009.3.15(日)
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> 徳島支部精舎巡錫説法
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> 『異次元パワーに目覚めよ』より、(抜粋)
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> 地元徳島支部の皆さん、それから四国本部の皆さん、おはようございます。
> 徳島は、鳴門の正心館で子連れでちょっと挨拶したことはあるが、説法はしてない。
> なぜしていないか。全国的に認められてからでなければ、故郷では凱旋はできないという気持ちがちょっとあったので、全国・世界へと知られて戻ってくるという感じ。
> 今日は長女も連れて来た。サクセスナンバー1のおかげで、本年大学入試10連勝して、終わったので郷里の母に報告を兼ねて連れて帰ってきている。
> 当地四国は全国のトップを切って信者倍増できて本当に嬉しい。全国比から見ると2倍くらいの速度で達成。ようやく聖地という言葉が力を持ちつつあるのかなと思う。そして私が預言的に述べている、今後世界の代表的な宗教となって、2000年3000年或いはそれ以上幸福の科学が世界に広がっていく。そしたら、この徳島の地、四国の地が世界の聖地にならなくてはならないという尊い使命を帯びている。地元で盛り上がりが起きないようでは、全世界に発信するには足りない。

> 四国ではお大師さん、弘法大師空海というのが篤い信仰と尊敬を集めている。空海はとても偉い人で、当会の支援霊団の一人で、今も要所要所でお手伝い下さっている。それでも仏教全宗派の中での真言宗の中の日本真言宗、密教の中の日本真言宗の開祖で、密教としてはインド・中国を含めて第八祖ということ。仏教全体から言えば一宗派の中興の祖兼日本での開祖という立場。それに比べると私の方が、すべての宗教を越えての世界宗教の開祖。もう一段力が入って来ざるを得ないということで、地元でも弘法大師空海さん以上の篤い信仰心と尊敬の声を聞けるようにならなければ、まだまだ本来の使命を果たしているとは言えないと思う。

> 宗教をおこす場合、その開祖というのは、生まれ育った環境の中で受けた影響というものが、教えや行動の中に深く染み込んでくる。世界宗教幸福の科学と言えども、教えや行動や感性の中に深く四国的なるものが、どこかに深く入っていると思う。さて、『異次元パワーに目覚めよ』という題なんですが、聖地四国徳島を選んで生まれたことには、何らかの意味が当然あるはず。その理由の一つは、お大師さん信仰。弘法大師信仰の話をしたが、八十八ヵ所巡りをやれる霊地で、非常に宗教心が深く降りているということと、弘法大師空海の宗教というのは、霊界とか霊的なるものを否定したら成り立たない宗教であった。日本の仏教諸宗派の中でも最も霊的な宗教の一つ、この真言密教というのは。空海は霊界世界を熟知して法力とか霊能力を十分に駆使した方であったと思われる。経典を読んだだけの人ではない。実際に霊的なる存在や霊能力の存在、霊界世界の存在を十分に知り尽くした方。その人の作った宗教が四国を中心に広がっているわけで、この影響は大きいのではないか。

同時代
> には最澄という方もいた。この方も天台宗を開いて、日本の宗教の教学面では先駆けだった方
> ではあり、偉い方だとは思う。最澄と空海を比べると、最澄と奈良仏教は敵対関係にあり、非常に激しく闘っていた。空海は最澄より七歳も若く、同じ新宗教をやっていた。空海は、唐から留学して帰って来た新宗教の開祖だが、新宗教の開祖が奈良の東大寺という奈良の中心的なお寺のべっとう(長官・館長)を任じられている。伝統的な宗教の、国家が認めている大宗教の中心の由緒ある役職を空海が、長官を兼ねていた。この中に、ある意味で私に似たものがあるという感じがする。私の考え方は排斥的な考え方ではない。幸福の科学自体は非常に新しくて力があって、どんどん独自の教義を説いているが、古い宗教とも排斥的・排他的な関係にはならないでいる。何故か。

私自身が物事の長所を大事にする性格を持っている。悪い方を見ると全部排斥・排除する。釈迦の本質にあるものは凄い慈悲の心が深い。慈悲の心が深いのが仏教の中心的なところ。その考え方から見れば、念仏系の仏教も釈尊の本心に立ち返って見たら、決して間違っているとは言えない。愛の心、慈悲の
> 心には合致している。方法論的にはかなり極端に結論に飛んでいるところはあるが。禅宗だっ
> て、京都の禅寺回ってみたら、禅宗は無神論で霊的なものをほとんど認めないが、ただ座ることが大事だと作法だけを教えているように見える。釈迦の修行スタイルを禅宗は真似ていることは間違いなくて、外見だけを見れば釈迦仏教に一番似ているのは禅宗である。異次元世界と交流する瞑想的手法を釈尊重視したことは事実。異次元世界と交流するには、瞑想状態に入らない限りは無理。俗世を離れて一人孤独な時間を持って精神統一する。この作法を経ないで三次元を越えた世界と同通するのは無理。

現在の禅宗には不十分な面が相当あるが、だから邪教だとかいうふうには私は捉えない。こういう考え方持っているので、私自身いろんなものを受け入れる。おそらく空海もそういうタイプの一人であったと思う。いろんな教学を学び尽くして、整理し体系化して、序列優劣はあると、優劣の一番上に真言宗を置いて体系を作ったのが空海であった。旧仏教とも仲良くやりながら、新しい教えを広げることができた。私もそういう面があるので、これが四国的なるものなのかどうかは、分から
> ない。
> どうでしょうか。包容力はあるが、空海さんを見れば、非常に理性的な方。あの世の霊人で会った中では、最も理性的な人の一人。霊力があるにも拘わらず、理性的なところのある方で非常に理性的で物事の大小・筋道をピシッと考える人。細かいことや時間の無駄なことは、パシッと切って退けて、一番大事なことに打ち込むタイプの方。不思議に理性的な部分と霊的な部分が一体化していた。考え方としては、当時大日如来という信仰を立て、大日如来というのは、真理が実体化した姿というふうに捉えた。この世は諸行無常であるという暗い響き、この世のものはすべて滅びていって何一つとどまることがない、そんな仏教だけではもう生き残れないと考えて、仏教の中に生命の原理を強く打ち出した。インドでは仏教自体がかなりすたれ、ヒンズー教の隆盛が起こっていた。ヒンズー教自体は、生命感に溢れた宗教。だから、密教というのは、ヒンズー教の台頭に押されながら、仏教が変化しながら生き延びていくための、最後の仏教だったと思われる。非常に生命力に溢れた思想を持って
> いる。

瞑想中に大日如来と自分とが一体となるという風な思想を持っている。これは空海自身
> の実体験からも来た。高知県土佐の洞窟で瞑想していた時に、明星明け方、明るい星が急に大きくなってガーッと近づいてきて、口の中にバーンと入り込む実体験・霊体験しているが、そのあたりからもう始まっていると思う。その霊的な高次元の光と自分とが一体となる体験を彼は数多くしたと思う。そういう実体験をした人が説いている教えというのは、当時は相当な救済力があったものと思われる。

当時、政治の顧問みたいになって、政界にもアドバイスを与えながら、政界に取り付いた黒い霧を追い払う政治の敵役を相当していた。ですから、私も宗教家として生きながら、日本の黒い霧を吹き払いながら、明るい未来を創り、世界の闇を吹き払って、世界をまた明るいものに変えていきたい。だから、光とは何かというものを実際に見、実体験した人でなければ、ある意味で逆の意味で闇とは何かということも分からない。光を知らない人が闇を知ることもない。最初から闇の中で生きている人にとっては、光そのものが分からない。光を知った人は闇もまた分かる。光を知ることによっ
> て闇というものが、はっきりとくっきりと浮かび上がってくる。そういう性質を持っている。

> 1981年に最初の偉大なる悟りを開いて、もう28年の歳月が過ぎ去った。この間数多く、日本国内及び外国産の悪霊・悪魔・サタン等とも数多くの葛藤・対決を繰り返した。彼らは光が広がる時に必ず現れて来て、邪魔をする。日蓮が書なんかで言っている通り、「正法が説かれる時に、魔が競い立つ」ですから、あなた方が伝道押し進めていく際にも、妨害物或いは障害物として立ち上がってくる。今まで何でもなかったような人が、妨害をしたり攻撃をしたり悪口を言ったりする体験されると思う。・・・・・・・
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