後手の政治から「先回りの政治」へ
2012年01月01日(日)
木下まこと 氏、ブログ転載
新年にあたって、改めて政治家とは何かを考えてみます。
わかりやすくたとえるならば、政治家は行政のアクセル
でありブレーキであり、ハンドルでもあるいわば、運転手
の役割であると言えるかもしれません。行政運営をする
官僚は車の整備士にあたるでしょう。さらに、車自体の
性能が行政システムであるとしたら、その車の乗客を
国民にたとえることができます。
実は国民の多くは車の乗り心地自体それほど悪くは
思っていませんが、運転手への不満が大きいのです。
それはなぜか。約束通りの場所へ運んでくれないから。
道を間違っているのに、言い訳をして逃れようとするから。
そもそもどこへ向かって走っているのかが明らかでないから・・
様々な不安や不満の声があります。しかも、最近は車の性能
自体にも疑問が生じてきました。年金問題です。
この年金制度、つまりお上に自分の財産を預けてそれが大きく
なって戻ってくるという仕組みですが、これが国民に受け
入れられる時点で、この国の行政システムの信頼の高さを
ある意味で物語っています。もちろんそれは、日本の歴史
からなる国民性に依拠する部分も大きいとは思います。
自己責任と個人主義の国である米国では、個人の財産を強制的
に国に預け入れて、それが戻ってくるというシステム自体に
否定的であり懐疑的な意見を持つ方が大多数です。
いずれにせよ、戦後の復興期、経済成長期を経て現在に
至る中で、この国の行政システムにほころびが生じ始めて
いる事実は否めません。また、車の性能改善が時代の流れに
追いついていないという側面もあります。
さて、全体的な目として行政システムへの信頼の高さに
ついて触れもしましたが、もう少し視野の枠組みを絞って
みると、異なる声が数多く聞こえてきます。特に事業を
されている経営者の方々からは、煩雑な行政手続きや
多すぎる規制と許認可システムに多くの不満が寄せられます。
グローバル経済と世界経済の自由化の潮流に、国内のシステム
改善が追いついていないのです。つまり、この国の仕組みは
年式の非常に古い中古車となってしまっており、この
古い枠組みを継続したままでこれ以上の成長の旅は困難である
という結論があるのです。それがいわゆる行き詰まり感であり、
閉塞感として認識されているわけです。
形式上は政権交代がなされましたが、現実には古い手法と
場当たり的な対応で、穴だらけの車をなんとか走らせ続けよう
としているのが現状です。しかし、時代は新設計型のフルモデル
チェンジを求めています。それは多くの方々が心のどこかで
共感されることと考えます。にもかかわらず、こうした状態が
続くのは古い車に固執する政治家や官僚の思惑が少なからず
影響しているからです。
彼らは古い車を扱ってきたなかで生まれた固定観念に支配
されています。たとえばその一つが増税です。財源不足=増税
というある種の固定観念が存在します。しかし常に、なぜ
足りなくなるのか、という視点が欠落しています。
財源不足の根本原因の一つに、単年度会計制度が挙げられます。
これは各省庁が毎年の予算を全て使い切る考え方に直結します。
しかし、政府の歳入は当然、景気に左右されるものです。
お金がある時もないときも使い切ってしまおうという考え方
では、景気が悪化すればたちまち財源不足になります。
実に不思議なルールです。
幸福実現党は立党当初より、バラマキの後には必ず大増税
が待っているということを警鐘し続けてきましたが、
今まさにそうした局面を迎えようとしています。ばら撒いて、
予算が足りなくなって増税です。しかも、バラマキは一瞬
ですが、増税は一生です。このシナリオは明白でした。
しかし、単年度予算の枠組みでものを考える古い政治家の方々は、
来年のことは来年考えるという思考パターンです。
誰にでも予見できる未来の不幸を敢えて放置しておきながら
「やむを得ず」増税などということを平気で語ります。
これは、政策の後手後手モデルの典型です。年度を越えた
未来を見ない政治は、必ず後手の対応にまわります。
さらに、後手後手政策の増税によって景気はより落ち込むので、
税収の悪化がさらに進み、今後はさらなる加速度的な増税が
危惧されます。この流れは、何としても止めなければなりません。
まず、不幸の源泉となっている根本の予算制度を見直す
必要があります。冒頭から車のたとえをしていますが、それに
ならえば税金はガソリンです。ガソリンをわざと使い切るため
の無駄な回り道をせず、行先を明確に示して最短距離で国民生活
を豊かにする政治の確立が必要となります。
そのための第一歩として、一般会計歳出項目に内部留保枠を
設けることを可能とする法整備を行う必要があります。
特別会計や特別会計から派生的に天下り法人に溜め込まれた
剰余金なども、この一般会計項目に一元化し、「埋蔵金」
を含めた額を見える化します。
さらに、各省庁レベルでの内部留保を認めます。各部局単位で
無駄な予算を削減する力が働きます。
併せて、内部留保の決裁権の一定割合を担当省庁に預けることで、
新規事業への取り組み強化を促します。なお、新規の取り組みに
ついては別途評価を行い、その評価を次年度での内部留保決済枠
の変動に反映させることで、国民からより評価される事業が推進
される仕組みをつくります。
さらに、一部複数年度予算制度を併用して、国家の指針を示します。
これから数年先、数十年先、この国が目指す指針を示すことで、
民間経済を刺激します。これが後手後手の政治から、道筋を示し
「先回りする政治」の第一歩となると私は考えます。
この国の閉塞感を打破するには、国の根本的な枠組みから
一つ一つ見直す抜本的改革が不可欠です。本年を既成概念や
古い体質から脱皮し、新たな国づくりをスタートする年と
すべく皆様とともに頑張ってまいります。
http://ameblo.jp/kinoshita-makoto/entry-11123672002.html
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それぞれの言語には、固有の特色がある。
日本語には、時制がない。それで、未来時制もない。
日本人には未来のことが鮮明には考えられない。構文がないので常に未来の内容は混乱している。
結論も決断も下すことができない。
決断を慎重にするためではなくて、不鮮明で結論が得られないためである。
自分から考えることもできず、他人から伝えられることもない。
未来の内容そのものが、社会に存在しない為である。
未来の内容が脳裏に展開できないので、不安になる。
政治家も一般国民も理想社会の予測が立たない。
政治指導者の指導もない。
金の切れ目が、縁の切れ目としか信じられない。
人は信じられない。金を信じるしかない。
1500兆円の個人金融資産も社会資産となることなく宝の持ち腐れになっている。
金はあっても保育所には入れてもらえないようなものである。
英語の時制は、現実と非現実の内容を分けて考える作業に役立っている。
この作業は、英米の高等教育の課程で行なわれている。
現在時制の内容は現実であり、未来時制の内容は非現実である。
非現実の内容がなければ、人は無哲学・能天気になる。
神の意思に導かれることもなく、政治指導者の構想に導かれることもない。
大人になっても12歳の子供の精神状態にとどまる。
目先・手先にまつわる事柄ばかりを考えて生活することになる。
襲い来る放射性物質に関して、「ただちに健康に影響はない」とだけ説明するのは、ナウな感じのする至言てある。
構想がなければ、備えあれば憂いなしとはゆかない。危機管理は、難しい。
一旦、問題が起これば、無為無策で閉塞感を味わう。
そのうち、何とかなるだろう。と見守る。
何とかならないことを見届けると、諦観に入る。
自決では、生きる力は得られない。
ああ、この世はむなしい。と漏らす。
こうした繰り返しが日本人の一生である。
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