【震災を歩く】きょう5カ月
人々の心に目覚めた祈り
(産経新聞) 8月11日(木) 08:00:00
http://bizex.goo.ne.jp/news/nation/nation/snk20110811081/
海岸沿いの国道を1人の僧侶が行脚(あんぎゃ)していた。
宮城県気仙沼市で、遭遇した光景だ。
土台だけを残して流された家々の前で足を止め、
手を合わす。そしてまた歩き始める。海からの強い
照り返しを受け、黒衣白袈裟(けさ)が汗で重そうだった。
「祈ることこそ宗教者がすべきことではないか」。
そう思い至り、はるばる広島市からやってきたという。
同市太光寺(天台宗系)の東和空副住職(46)。
岩手県陸前高田市から仙台市まで、海岸に沿って
約180キロを5日間かけての行脚中だった。
よそ者が行脚することへの反発も予想したという。
だが、被災地は温かく受け入れた。
読経する後方で、被災者らが一緒に手を合わせている。
身内を失った被災者が「ありがたい」と声をかける。
東さんは「追い越した/車が止まり/我を待つ/
黒服の人/経を求めて」と表現した。
「宗教心というか、道徳心というか、秩序というか。
被災地に満ちている不思議で厳粛な空気を感ぜずには
いられない」
付近で流された自宅の片づけに来ていた女性(72)は、
目にした行脚姿に「満足に葬式もなく人生を終えた人が
いっぱいいる。
供養して歩いてくれるのは、本当にありがたいことです」。
東さんだけではない。宗派を超えた多くの僧侶らが
3月11日以降、被災地に入り、行脚、祈り、弔いをしてきた。
4月5日の社会面(東京発行分)に、まだ小雪が舞う
がれきの中を祈りをささげながら行脚する僧侶の写真が
掲載された。翌日、読者から「胸を打たれた」「感動した」
といった声が何件も寄せられた。
「葬式仏教」と揶揄(やゆ)されるように、ここ数年の
日本人の宗教に対する信頼は極めて低い。
宗教に反発を覚える人も多い。
そんな現実を覆す反響だった。
「行脚」「葬式」「四十九日法要」「百カ日法要」「火葬」
「土葬」「位牌(いはい)、仏壇、墓地の喪失」「祈り」
「鎮魂」「追悼」…。
この5カ月間、被災地には多くの宗教的な光景があり、
全国へと伝えられた。
多くのものが一気に奪われた3月11日。それまで意識
することがなかった「祈り」「鎮魂」といった宗教的感情が、
少なくない人々の心で覚醒した印象がある。
◆◇◆
■「心の支え」模索する宗教者
宮城県気仙沼市大峠山。山の中腹にある平地に、
木製の墓標が並ぶ。盛られた土の下に、犠牲になった
約120の遺体が眠る。火葬場が稼働していなかった
ために、土葬となった。
私が訪ねた日、墓標の前で手を合わせる熟年夫婦
の姿があった。静寂が20分近くも続いただろうか。
妻の父が埋葬されており、週末ごとに嫁ぎ先の
仙台市から供養に通っているという。
「火葬してあげられなかったことを悔いている。
生前も疎遠にしていたし、死んでからも親不孝を
していると思うと苦しい…」。執拗(しつよう)に
自分自身を責める妻の目は赤かった。
さらに話を聞こうとすると、夫が「整理がついてないんです。
勘弁してください」とやんわり制した。
◇
被災地では多くの人が、まだ悲しみや絶望のふちにいる。
何か力になれるものはあるのか−。
宮城県塩釜市にある浄土宗雲上寺。
東海林良昌副住職(40)は、「被災地で宗教的なもの、
言い換えれば、何かすがることができる大きな存在が
求められている」と感じている。
東海林さんは、地域の寺の僧侶らと、火葬場での
読経ボランティアをしてきた。葬儀どころではない
状況の中で、肉親を荼毘(だび)に付さざるを得ない
遺族に、「よろしければお経を…」と声をかける。
ほとんどの人が「ありがとう。ぜひ」「よかった」と、
手を合わせる。
「僧侶を呼ばない『直葬』が話題になるなど、
寺と世間の距離に危機感を持っていたのですが」と
東海林さん。
1000年に1回という規模の大惨事。末法思想が
広がった平安末期、戦国、幕末、戦後といった世の中に
不安が満ちた時代に、宗教が人々の心のよりどころと
なってきたことに思いを重ねる。
「幸せや救いを求めて涙を流している人がいる。
少しでもお役に立てれば」。東海林さんは最近、地域の
僧侶らと仮設住宅を訪ねる活動をしている。
◇
東北で最も多くの寺を持つ曹洞宗。仏壇も墓も流されて
しまった人たちから、「心の支えに、手を合わせる場所が
欲しい」という声が各寺に寄せられた。
曹洞宗宗務庁では「心のよりどころにしてもらえれば」
と、避難所にも置け、持ち運びが簡単なカード型仏壇
などを作製。すでに、当初の見込みを大きく超える
7万枚を被災地に送った。被災者のところへ行き、
僧侶が心の悩みや苦しみを聞く「行茶(ぎょうちゃ)」
「傾聴」といった取り組みにも力を入れている。
他の宗派にも、心のよりどころや救済を求める声は
多く届いている。業者には、墓や位牌(いはい)、仏壇
の修理の注文が殺到している。「どうしたら被災者に
寄り添えることができるのか」。超宗派で、10年、20年
といった活動期間を覚悟した模索が始まっている。
曹洞宗の災害対策を担当する坂野浩道さん(64)は
「最近、『無縁社会』『葬儀不要論』といったものが
持てはやされてきた。もともと東北には寺と檀家(だんか)
に密接な関係があったとはいえ、被災地には家族や
祖先とのつながりや、供養や祈りの大切さを再認識させる
ような光景があった」と身を引き締める。
政治や行政は、仮設住宅建設や義援金配分はできても、
悲しむ被災者の心に寄り添うことはできない。精神的な
よりどころにもなれない。
被災地でみた祈りと鎮魂を求める人々と、それに
応えようとする宗教者らの姿。精神面での被災の
大きさと、その救済の一つの姿が具現化しているような
気がする。(赤堀正卓)
http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2011/04/03/8monk/
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
お坊さんの姿に、2ちゃんねるでも、
かっこいい!!の声が多かったです
こころの支えが今一番、日本中は、必要なとき。。
導きの手は待たれている・・
伝える人間が、迷っていては正しく人を導けないという。・・
自分も、日々、精進だ。。
b(`・ω・´)d
。