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「人間としての成長」  抜粋

2009-02-22 03:12:37 | 宗教と政治
人間としての成長


2008年1月20日(日) 於:新潟支部 大川隆法総裁先生御法話 
「人間としての成長」

今日は「人間としての成長」という題名で、心の話を中心にしてみようかなと
考えております。昔に帰り、初期の頃に立ち戻っての話になるかと思います。
最近、「心の調和」についてあまり話していないので、またちょっと
話そうかと思います。

「知識をたくさん持つこと」が即ち悟りであって、向上につながってるとは
いうことではありません。もっと単純なことが当たり前にできているかどうか?
これを確認しないと難しいことをいっぱい暗記して覚えていることでもって
悟っているわけではないのです。

簡単な言葉で言える内容を日々実践できているかが大事です。悟りの根本に
立ち戻ってみると心の調和に戻ってきます。「自分の心の内を見つめる」と
いうことは単純なのだが以外に考えていないものだ。
「君の心のうちをみせなきゃいけない」と
いわれてもポカーンとしてしまう人が相当多いハズです。
それはどうであって、どう実践するのかが分からない。心の内を、
「見つめる」・「実践する作業」これは難しいです。勉強が進んで、
医学系の学問が進むと人間機械論になってしまい、人間を機械みたいに
分析していってしまいます。脳や神経のどこかが問題で、全て回路の
問題として心の問題までもどんどん置き換えてしまいます。ある意味での
唯物論です。しかし脳はなくても心はあり、脳は使うための道具なのです。
例えば、脳はソロバンのようなものです。仮にソロバンはなくても、
暗算はできます。
その暗算ができるところが心なのです。人間はそろばん・パソコンでは
ありません。使っている支配者があなた自身で、それを「魂」と呼んでいます。
魂を作っている部分のところを心と呼んでいます。戦争などでケガ により
片足片腕がなくなった人でも、あるように思えて掻くような仕草をしたり…
あるような感じがするのは霊体として存在しているからだといわれています。
人間の考え方を支配している、
喜んだり悲しんだり苦しんだり起こったり… 色々な感情を起こす中心部分を
「心」といいます。それが頭のほうにあるか胸のほうにあるか?西洋の人々は
理性的な考え方をする人が多く、頭のほうにあるような感じがいている。
これが東洋になると胸のあたりにある感じに思う人が多くなってきます。
座禅・ヨーガになると丹田といわれるお腹のあたりに心がある感じがして
きます。
頭のあたりにあるように感じている人は知識中心の方です。
胸の辺り→普通の方はそういう人が多く感性豊かで芸術的な日本人の場合は
胸のあたりに感じている人が
多いです。女性の場合はほとんどが胸のあたりと感じている。
修行がすすんでくると、
これが腰のほうにきて、いわゆる宗教的に「焼き」が入った状態になって
きます。(「俺は正しいことやってるのに何だよ!」とだんだん傷つかなく
なってくる)ようになります。

心というものは中に入っているものと鍛え方によってちがってくるものです。
心の調和が非常に大事です。人生には、喜怒哀楽が全部あります。四季のようなもので、あなた方の人生経験を豊かにするために次々と出くわすようになって
いるものです。ただただ楽しい・苦しい・悲しいということが連続する
人生はないでしょう。
親が死んでも、そのときは悲しいだろうけれども、やがてだんだん薄れていく
ものです。喧嘩してその時はものすごく心が波立っていても、徐々に穏やかに
なってきます。
そのように、喜怒哀楽には必ず遭遇するようになっています。それは人によって
それに遭遇する頻度は違うでしょう。1週間に2度も3度もという人もいれば、
1ヶ月に1度、1年に1度の人もいるかもしれません。10年に1度くらいの人は、
ちょっとボケを疑ったほうが良いかもしれませんが…

喜怒哀楽があったら、あなたはまだ生きているということです。
生きてるから喜怒哀楽があるのです。食べ物の味に色々な味があるのと一緒です。
人生の味付けのためにいろいろな喜怒哀楽や事件があります。
それに対してあなたはどのように思い、行動するかなのです。感じ方は
人それぞれで、一人ひとり違います。
考え方次第です。
それをどのように感じ、学ぶか?その過程でどうしたら穏やか心を持ち続け
られるか?工夫して努力して欲しいと思います。最初は大変な上がり下がりが
あるでしょうけれども、次第に人生の平均台率みたいなのを見るように、
だんだん感じが分かってくると、そんなに動揺しなくなってきます。
平均打率を知ることによって少しづつ成長して、苦難・困難からすぐに
立ち直れるようになるそういう気持ちが大事です。

幸福の科学の会員の方だと親が死んでも泣かない方は割りにいると思いますので、
若干顰蹙を買っているかもしれません。私も父が帰天したときには
泣かなかったので、それについて母に少し言われました。
そういう点で普通の葬式のイメージとは違っていました。
儒教の孔子のように3年は喪に服すと世間の評判上がるということもありましたが、
それは今の時代には合わず、今は今なりにもう少し早く立ち直る訓練が
必 要です。転生輪廻から見たこの三次元世界は、仏から見ると小川の水で
回っている水車の水に入った一部分のように見えます。魂の兄弟というのは
水車小屋の水車に例えられます。水に浸かっているほんの一部、

この部分が現象界であり、

そのほんの一部がエネルギーを受け止め、全体に伝えています。
浸かっている部分が一部分だからといって、小川の流れを受けるための
その部分だけを作っても、水車としては機能できません。
水に浸かっていない部分もあることにより水車が順々に流れを受け、回って穀物を
挽いています。ちょうど人生もこれと似たようになっていて、大きな水車(魂の兄弟)が
一体となって人生修行・霊性の向上を実現しています。

人間には色々なことを思う自由が与えられていますが、これをどう使うかによって
悟りというものを与えられています。これは自動車の例でいえば、ピカピカ新車を
与えられたとして、それに乗って死ぬのも自由ですが、しかし上手に慎重に
運転しなければなりません。皆さんに与えられている自由も同じで、喜怒哀楽は
自由に出せますが、天国にあるものは明るい心、常春のようなところです。しかし、
地獄にあるものは寒かったり苦しい灼熱地獄です。地獄霊が来た場合は
寒くなってくるか、または火焔地獄に落ちたような霊がくるとものすごく熱く感じます。
その熱さはポカポカという感じでなく、ジリジリと焼けるような熱さです。
その熱さは何からくるものであるか?というとそれは人を責めて責めて攻撃したそ
れが来ているのです。心を穏やかに保つことは大事です。他人を裁かないように

することは、他人に対する愛であると共に、自分への愛でもあるのです。
他人を裁く内容・尺度によってあなた自身も裁かれます。正月に火消しの人たちが
はしごの上でやる、サーカスの話などでも、自分はそれができなくても見て上手いか
下手かはすぐに分かります。そして、自分のことは棚に上げて、人のことは裁きます。
しかし、その人の立場にたって考えなさい。もし自分がその人の立場だったら
どうであるか?
よく考えて言葉を発してください。そうすると違って見えてくることが
多くあります。いいことをしたつもりでいても実際は他人をいじめ、苦しめていることが
多いのです。ですから、「心して許す」という気持ちが大事です。今までの人生の中でも、
他人を明確に許したことがあるという人でも2~3回あればいいほうです。

これはそう簡単にはできるものではありません。普通は墓場の向こうまで
恨み続ける、そこに地獄があります。それによって、いつまでたっても待機場所はなくなりません。
皆さんはこの世にいるうちはどうか「許し」を与えてください。お互いに人を恨んだり
責めたり憎んだり裁いたりはほどほどにしましょう。そうすれば地獄から出られます。
許してやれば天国に昇れます。地獄に行っている人は大勢の人に憎まれています。
許してもらいたかったら相手を許してください。人を許すタイプの人を攻撃し
続けることは難しいものです。それが人間としての成長につながるものと思います。

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