商品やそのほかのコンテンツは以下のアドレスへ
http://crown-v.com
http://crown-v.com/i
おかげでさまで 当店は
〝325-9096〟という電話番号とともに
今年の2月をもって 無事 10周年を迎えることになる。
みなさまの長年のご愛顧に感謝しております。
この10年間を振り返ると、
店舗の増床や改装などの外的変化をはじめ、
多くのいろんな楽しい人達との出会いがあり、
そして 悲しい別れもあった。
経営に関していえば やる事なす事
すべてうまくいき 天狗になった時期もあった。
打つ手のすべてが裏目に出てしまい、
卑屈になって ヤケ酒を浴びている私なんかに
優しく手を差し伸べてくれる奇特なお方もいらっしゃった。
本当にありがとうございます。
いろんな出来事の起こった この10年間だったのだが
ひとことで言えば〝当店の歴史〟は
≪春日倉庫〝352-9096〟≫への
〝間違い電話〟との戦いだった といっても過言ではない。
なにしろ この10年間ずっと絶えることなく
一ヶ月に一度以上の頻度で
『 モシモシ!』
『 春日倉庫さんですか?』
『 高木課長さん いらっしゃいますか?』 という電話が、
今もなお、継続して掛かり続けているのである。
そして 今日もまた・・・
『 リンリンリンリン! 』
『 ハイッ!クラウンビ※▲%』 と言い終わらぬうちに
その横柄な男は
『 高木さん居る?』
と 大声で私に畳み掛けるのだった。
男の声の感じから推測するに 年齢は
50歳台後半から60歳代半ばくらい、
パワフルで脂ぎった 中小企業の社長
といった感じだろうか。
普段ならば 親切丁寧に
『 春日倉庫の番号は≪325≫ではなく≪352≫ですよ!』
と お教えするするところなのだが、
男の乱暴な口調に少し〝ムッ〟きた私は その腹いせに
『 あっ!どーも 高木ですが!』 と言ってみた。
すると男は
『 あー、高木さん、ミカド物産の山口ですけど、
急で悪いんだけどね、今日の夕方5時までに
〝手曲げ〟1500本、出庫準備してもらえるかなー 』
と 早口でまくしたてた。
〝手曲げ〟と聞いて
その昔、暴走族が装着していたバイクのマフラーしか
思い浮かばなかった 私は
『〝手曲げ〟って ヨシムラの集合管ですか?』
と 訊いてみた。
すると男は 『 ガハハハハハッ!』
豪快な笑い声とともに こう言った。
『 相変わらずユニークだねぇ キミは、
親父さんにソックリだよ!』
そして、
『 しかし キミも将来は2代目として
親父さんの跡を継ぎ〝春日倉庫〟の長となる人間だ。
いつまでもチャラチャラと冗談ばかり言ってないで
そろそろ 少しは〝威厳〟というものを身につけた方が
いいんじゃないのかい 』
と続けた。
『 はぁ~、すみません 』 私は一応 謝ってみた。
『 なんだい?親父さんに聞いた話によると
キミはその若さで〝テトラポット〟を乗り回して
いるらしいねぇ、その若さで!
少し早いんじゃないのかい?』
〝テトラポット〟?
あの コンクリートの塊の?
私は首をひねりながらも 男の話に耳を傾けた。
男はさらに続けて
『 いやね、キミと同じで 私も父の会社を継いだ2代目だ、
常に父親と比較されるキミの立場もよく分かる 』
『 キミに説教するつもりはないんだが、
2代目というのは とかく ヒガミや嫉妬からくる
周囲の批判を受けやすいもんなんだ。
いつか キミを引きずりおろしてやろうと
虎視眈々とチャンスを伺っているヤツもいるだろう。
キミの父親に忠誠を尽くしている人間が
必ずしも キミにも忠誠を尽くすとは限らん。
出来るだけ派手な行動は慎むほうが得策ってもんだぞ 』
『 なるほど 』 私は言った。
『 ところで テトラは何年式のヤツに乗ってるんだい?』
『 ええ、72年式です 』 適当に答えてみた。
『 ほう、市販品としては世界初のターボを装着したヤツじゃないか!
最初に買ったテトラが72年式とは キミはなかなかのテトラ通だねぇ 』
『 いやね、かくいう私も かなりのテトラ通で 多いときには
6台のテトラを所有してたこともあるんだよ 』
『 とはいっても 今じゃほとんど売っぱらっちまって
67年式が2台あるだけなんだがね 』
すごい勢いでまくし立てる男に対して
何がなんだか 訳の分からなくなった私は ヤケッパチで
『 すごい!67年式っていったら〝ピニンファリーナ〟が
デザインしたヤツじゃないですか!ハンドメイドボディの!
それを2台も!』
と言ってみた。
すると男は
『 さすがはテトラポット通だね!そのとおり!』
『 キミとは話が合いそうだ。
どうだね?今度 ウチに遊びに来て
テトラポットの話でもしながら 一杯やらんかね?
もちろん 肴は〝手曲げ〟で!』
そう言い放った。
どうやら〝手曲げ〟とは食品のようだ。
そこで私が
『〝手曲げ〟を肴に一杯ですか、いいですねー、
まさに〝よくぞ日本人に生まれけり〟って感じですねぇ 』
というと、男は少し間を置いて
『 今まではね 』 と答えた。
さらに 少し声のトーンを落として、
『 今までは 確かに〝手曲げ〟を好んで食する民族は
日本人だけだったんだ、あとはエスキモーの一部の部族が
冬の間の貴重な蛋白源としてわずかな量を
消費するだけだったんだよ 』
『 だから 昔は必然的に世界中から質の良い
〝手曲げ〟が日本に集まってきていたんだ。
当然 市場原理の法則で 価格もすごく安かった。
私が子供のころなんか 過剰に捕獲しすぎた
〝手曲げ〟を処分するために 学校給食の
メニューにまで出てたこともあったんだよ 』
『 それが 今じゃ 料亭にでも行かん限りは
お目にかかれん代物になっちまった 』
と男は言った。
そこで私は
『 しかし そんな高級食材を一度に
1500本も納入するなんてスゴイですね!
京都の料亭ですか?』
と訊いてみた。
すると男は
『 そこなんだよ、さっき〝今までは〟と言ったのはね 』
と答えた。
『 昔は日本の伝統的な食い物だった〝手曲げ〟も
昨今の世界的な健康志向ブームの影響を受けて
世界中で需要が高まっているんだ 』
『 特に 経済急成長をとげた中国の富裕階級たちの
〝手曲げ〟に対する執着には目を見張るものがある 』
『 なにしろ 中国人の業者は一本の〝手曲げ〟に対して
平気で 日本人業者が提示する買い入れ価格の
10倍の値で買っていきやがる 』
『 それでも 上海あたりの金持ち連中の食卓には
毎晩〝手曲げ〟がのぼる、って話らしい 』
『 そのうち 日本人の口には まったく
〝手曲げ〟が入らんようになる日も近いだろう!
全部 ヤツらにぶん取られてしまってな 』
男はそう言うと 続けざまに、
『 日本の食文化を守りたいのはヤマヤマなんだが
ウチも商売で〝手曲げ〟を売っている以上、
1円でも高い値を付けてくれるところに
商品を卸すのは当たり前のことなんだよ 』
『 じつは 今回の1500本はすべて明日の朝
門司港から上海へ向けて輸出することになっている。
私が先月、上海へ渡り 開拓してきた会社との初取引なんだ。
この 一回目の取引がうまくいけば、2回目 3回目になるにつれ
取引の数量は倍々ゲームで増えていくだろう。
いわば わが社の命運を賭けた大プロジェクトの
記念すべき第一弾なんだよ!』
男は熱弁をふるった。
『 そうだったんですか、うまくいくといいですね 』
私が言うと
『 そう言ってくれてありがとう、
うれしいよ。キミは本当に好青年だ!』
男はそう言い
『 今後、私も 今の地位に甘んじることなく
さらなる飛躍を目指さんといかん。
そのためには 柔軟な姿勢で キミみたいな有能な青年の
意見もどんどん取り入れていかにゃならんと思うのだ。』
『 キミは 今後 どんな食材を中国へ輸出すれば
利益を生むと思うかね?』
と 質問してきた。
『 ウ~ム 』
私は5秒ほど考えて
『〝手曲げ〟が中国人に人気があるんだったら
〝BEETのチャンバー〟なんかも
中国人の口に合うんじゃないですか!』
と 真剣に答えると 男はまた
『 ガハハハハハ!』 と豪快に大笑いし
『〝BEETのチャンバー〟っていったら
昔 暴走族が好んで ヤマハのRZ350なんかに
装着していたバイクのマフラーじゃないか!
そんなモノはとても食えんよ!』
と 笑い転げながら
『 本当にキミはユニークだなぁ、ガハハハハ!』
『 とにかく 今日の夕方5時に頼んだよ、
社運が懸かってるんだからね、社運が!』
と 〝社運〟を2度繰り返し
一方的に電話を切ったのだった。
はぁ~ やれやれ、余計なことを言うんじゃなかった。
私は 男の強引なトークからの開放に
安堵しつつも 男の言葉が気にかかった。
5時までに商品を出庫しなければ
会社がひとつ潰れてしまうのだ。
私とは まったく無関係の会社だが そうなってしまえば
同じ経営者という立場として なんとなく心が痛む。
それを避けるためには〝誰か〟が
〝春日倉庫〟へ伝えなければならない。
私は受話器を取ると
≪3→5→2→9→0→9→6≫の順に
ボタンをプッシュし、大きなダミ声でこう叫んだ。
『 ミカド物産だけど! 高木課長いる?』
おしまい
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おかげでさまで 当店は
〝325-9096〟という電話番号とともに
今年の2月をもって 無事 10周年を迎えることになる。
みなさまの長年のご愛顧に感謝しております。
この10年間を振り返ると、
店舗の増床や改装などの外的変化をはじめ、
多くのいろんな楽しい人達との出会いがあり、
そして 悲しい別れもあった。
経営に関していえば やる事なす事
すべてうまくいき 天狗になった時期もあった。
打つ手のすべてが裏目に出てしまい、
卑屈になって ヤケ酒を浴びている私なんかに
優しく手を差し伸べてくれる奇特なお方もいらっしゃった。
本当にありがとうございます。
いろんな出来事の起こった この10年間だったのだが
ひとことで言えば〝当店の歴史〟は
≪春日倉庫〝352-9096〟≫への
〝間違い電話〟との戦いだった といっても過言ではない。
なにしろ この10年間ずっと絶えることなく
一ヶ月に一度以上の頻度で
『 モシモシ!』
『 春日倉庫さんですか?』
『 高木課長さん いらっしゃいますか?』 という電話が、
今もなお、継続して掛かり続けているのである。
そして 今日もまた・・・
『 リンリンリンリン! 』
『 ハイッ!クラウンビ※▲%』 と言い終わらぬうちに
その横柄な男は
『 高木さん居る?』
と 大声で私に畳み掛けるのだった。
男の声の感じから推測するに 年齢は
50歳台後半から60歳代半ばくらい、
パワフルで脂ぎった 中小企業の社長
といった感じだろうか。
普段ならば 親切丁寧に
『 春日倉庫の番号は≪325≫ではなく≪352≫ですよ!』
と お教えするするところなのだが、
男の乱暴な口調に少し〝ムッ〟きた私は その腹いせに
『 あっ!どーも 高木ですが!』 と言ってみた。
すると男は
『 あー、高木さん、ミカド物産の山口ですけど、
急で悪いんだけどね、今日の夕方5時までに
〝手曲げ〟1500本、出庫準備してもらえるかなー 』
と 早口でまくしたてた。
〝手曲げ〟と聞いて
その昔、暴走族が装着していたバイクのマフラーしか
思い浮かばなかった 私は
『〝手曲げ〟って ヨシムラの集合管ですか?』
と 訊いてみた。
すると男は 『 ガハハハハハッ!』
豪快な笑い声とともに こう言った。
『 相変わらずユニークだねぇ キミは、
親父さんにソックリだよ!』
そして、
『 しかし キミも将来は2代目として
親父さんの跡を継ぎ〝春日倉庫〟の長となる人間だ。
いつまでもチャラチャラと冗談ばかり言ってないで
そろそろ 少しは〝威厳〟というものを身につけた方が
いいんじゃないのかい 』
と続けた。
『 はぁ~、すみません 』 私は一応 謝ってみた。
『 なんだい?親父さんに聞いた話によると
キミはその若さで〝テトラポット〟を乗り回して
いるらしいねぇ、その若さで!
少し早いんじゃないのかい?』
〝テトラポット〟?
あの コンクリートの塊の?
私は首をひねりながらも 男の話に耳を傾けた。
男はさらに続けて
『 いやね、キミと同じで 私も父の会社を継いだ2代目だ、
常に父親と比較されるキミの立場もよく分かる 』
『 キミに説教するつもりはないんだが、
2代目というのは とかく ヒガミや嫉妬からくる
周囲の批判を受けやすいもんなんだ。
いつか キミを引きずりおろしてやろうと
虎視眈々とチャンスを伺っているヤツもいるだろう。
キミの父親に忠誠を尽くしている人間が
必ずしも キミにも忠誠を尽くすとは限らん。
出来るだけ派手な行動は慎むほうが得策ってもんだぞ 』
『 なるほど 』 私は言った。
『 ところで テトラは何年式のヤツに乗ってるんだい?』
『 ええ、72年式です 』 適当に答えてみた。
『 ほう、市販品としては世界初のターボを装着したヤツじゃないか!
最初に買ったテトラが72年式とは キミはなかなかのテトラ通だねぇ 』
『 いやね、かくいう私も かなりのテトラ通で 多いときには
6台のテトラを所有してたこともあるんだよ 』
『 とはいっても 今じゃほとんど売っぱらっちまって
67年式が2台あるだけなんだがね 』
すごい勢いでまくし立てる男に対して
何がなんだか 訳の分からなくなった私は ヤケッパチで
『 すごい!67年式っていったら〝ピニンファリーナ〟が
デザインしたヤツじゃないですか!ハンドメイドボディの!
それを2台も!』
と言ってみた。
すると男は
『 さすがはテトラポット通だね!そのとおり!』
『 キミとは話が合いそうだ。
どうだね?今度 ウチに遊びに来て
テトラポットの話でもしながら 一杯やらんかね?
もちろん 肴は〝手曲げ〟で!』
そう言い放った。
どうやら〝手曲げ〟とは食品のようだ。
そこで私が
『〝手曲げ〟を肴に一杯ですか、いいですねー、
まさに〝よくぞ日本人に生まれけり〟って感じですねぇ 』
というと、男は少し間を置いて
『 今まではね 』 と答えた。
さらに 少し声のトーンを落として、
『 今までは 確かに〝手曲げ〟を好んで食する民族は
日本人だけだったんだ、あとはエスキモーの一部の部族が
冬の間の貴重な蛋白源としてわずかな量を
消費するだけだったんだよ 』
『 だから 昔は必然的に世界中から質の良い
〝手曲げ〟が日本に集まってきていたんだ。
当然 市場原理の法則で 価格もすごく安かった。
私が子供のころなんか 過剰に捕獲しすぎた
〝手曲げ〟を処分するために 学校給食の
メニューにまで出てたこともあったんだよ 』
『 それが 今じゃ 料亭にでも行かん限りは
お目にかかれん代物になっちまった 』
と男は言った。
そこで私は
『 しかし そんな高級食材を一度に
1500本も納入するなんてスゴイですね!
京都の料亭ですか?』
と訊いてみた。
すると男は
『 そこなんだよ、さっき〝今までは〟と言ったのはね 』
と答えた。
『 昔は日本の伝統的な食い物だった〝手曲げ〟も
昨今の世界的な健康志向ブームの影響を受けて
世界中で需要が高まっているんだ 』
『 特に 経済急成長をとげた中国の富裕階級たちの
〝手曲げ〟に対する執着には目を見張るものがある 』
『 なにしろ 中国人の業者は一本の〝手曲げ〟に対して
平気で 日本人業者が提示する買い入れ価格の
10倍の値で買っていきやがる 』
『 それでも 上海あたりの金持ち連中の食卓には
毎晩〝手曲げ〟がのぼる、って話らしい 』
『 そのうち 日本人の口には まったく
〝手曲げ〟が入らんようになる日も近いだろう!
全部 ヤツらにぶん取られてしまってな 』
男はそう言うと 続けざまに、
『 日本の食文化を守りたいのはヤマヤマなんだが
ウチも商売で〝手曲げ〟を売っている以上、
1円でも高い値を付けてくれるところに
商品を卸すのは当たり前のことなんだよ 』
『 じつは 今回の1500本はすべて明日の朝
門司港から上海へ向けて輸出することになっている。
私が先月、上海へ渡り 開拓してきた会社との初取引なんだ。
この 一回目の取引がうまくいけば、2回目 3回目になるにつれ
取引の数量は倍々ゲームで増えていくだろう。
いわば わが社の命運を賭けた大プロジェクトの
記念すべき第一弾なんだよ!』
男は熱弁をふるった。
『 そうだったんですか、うまくいくといいですね 』
私が言うと
『 そう言ってくれてありがとう、
うれしいよ。キミは本当に好青年だ!』
男はそう言い
『 今後、私も 今の地位に甘んじることなく
さらなる飛躍を目指さんといかん。
そのためには 柔軟な姿勢で キミみたいな有能な青年の
意見もどんどん取り入れていかにゃならんと思うのだ。』
『 キミは 今後 どんな食材を中国へ輸出すれば
利益を生むと思うかね?』
と 質問してきた。
『 ウ~ム 』
私は5秒ほど考えて
『〝手曲げ〟が中国人に人気があるんだったら
〝BEETのチャンバー〟なんかも
中国人の口に合うんじゃないですか!』
と 真剣に答えると 男はまた
『 ガハハハハハ!』 と豪快に大笑いし
『〝BEETのチャンバー〟っていったら
昔 暴走族が好んで ヤマハのRZ350なんかに
装着していたバイクのマフラーじゃないか!
そんなモノはとても食えんよ!』
と 笑い転げながら
『 本当にキミはユニークだなぁ、ガハハハハ!』
『 とにかく 今日の夕方5時に頼んだよ、
社運が懸かってるんだからね、社運が!』
と 〝社運〟を2度繰り返し
一方的に電話を切ったのだった。
はぁ~ やれやれ、余計なことを言うんじゃなかった。
私は 男の強引なトークからの開放に
安堵しつつも 男の言葉が気にかかった。
5時までに商品を出庫しなければ
会社がひとつ潰れてしまうのだ。
私とは まったく無関係の会社だが そうなってしまえば
同じ経営者という立場として なんとなく心が痛む。
それを避けるためには〝誰か〟が
〝春日倉庫〟へ伝えなければならない。
私は受話器を取ると
≪3→5→2→9→0→9→6≫の順に
ボタンをプッシュし、大きなダミ声でこう叫んだ。
『 ミカド物産だけど! 高木課長いる?』
おしまい
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すみません、返答が遅くなって。
ホント 長く続けるのは大変ですね~。
コツコツやるしかないのかなぁ、と思います。
近い将来、ちょっぺ~☆さんたちを交えて集まりましょう!
続ける事は、ホント難しい…
うちも一緒で、やっぱり浮き沈み、ありますよね。
お互い頑張りましょう。って月並みなコメでした。
マナマナ
LEE殿、アルシオーネ殿コメントありがとうございます。
ぜんぜん、チェックしとりませんでした、すみません。
できたらBBSに書き込んでもらったほうが気がつきやすいと思います。
よろしくお願いします。
クラウンビクトリアという店はまさにそれを伝えたいのではなかろうか・・・と思える店です。
クラビク次男さまの思う「良い品」・・・
ただソレだけをおいている店だと思うのです。
パンクもバイカーもロカビリーもない
ただ一個人が「良いもの」と思えるモノをおいてある店だと解釈しております。
それに共感できるものが買えばいい・・・
そう思います。
わたしはクラビク次男さまとタマタマ趣向がにているので
ソコに商品を買う・・・それでいいと思いますし
次男さまもそれをのぞんでおられるのかなと思います。
マミーリーさまもたぶん同じ気持ち。
お互い自分が「イイ!」と思うものを買っているだけなんですよね。
これからもそうありたいと、わたしは思います(^-^)
クラビクはパンクのお店ではありません。
ジョージコックスがあり、セディショナリーズが商品の一部としてあっただけです。
既存の枠に固執してジャンル分けしていえば、ロカビリーやモッズの商品もありましたし、トラッドなモノもありました。
クラビク門下生は、既存のジャンル分けに固執せず、クラビク二郎の提供する色々なジャンルの商品を、知識を、独自に合わせ、古い大人の言いなりにはならないで下さい。
クラビク二郎と共にどこにも、誰の下にも付かない新しい自分を、文化を創造してください。
ではぁ☆
心の友、OT氏が、鼻息荒く言うんです。
「熊本にもやっとパンクが分かる店ができたバイ!!」と。
当時から、僕はあまり何かに固執するタイプではなく、「パンク」についても、サラリと最低限の知識で満足しておりました。
しかし、JニオやFジワラHロシの影響もあり、「パンク」というジャンルに最低限以上の興味はありました。
そこへ、強面OT氏が「一緒に来い!」と言うんです。
「行く」という選択肢しかありませんでした。
しかし、パンクのOT氏に洋服を売っている、謎の巨人X氏の存在はとてつもない不安材料です。
財布を確かめました。
多少ある。
「よし、ヤツがキレたら、Tシャツの1枚でも買おう。そして、2度と行かんぞ…」と考え。
2人で自転車で向かいました。
すると、そこにいた謎の巨人Xは目つきは鋭いが、気さくな紳士。
年は分からんが若い。
「あら? 大人じゃない。」と思った。
しかし、油断はできん。
いつキレるか分からん…
それから、
お互い探り合いの始まり。
無駄でした…
だって、良い人だった。
クラビク二郎。
それから、
タバコを吸っていたOT氏が虫に驚き、勢い余って商品を焦がしたり、
わたくしは元カノとのイザコザから、胃痛に襲われ、駆け込んだりと…
いろんな事がありました。
そして、僕はクラビク二郎に
「弟子になれ!」
と言われ、
5年ほど修行させていただきました。
いやぁ~、
面白かった。
非常に面白かった。
クラビク二郎から理不尽な事を言われ事は1度もなく、ただ嗜好や進行について意見が合わない事もありましたが、
それは仕方ない。
個性。
たいへん沢山の事がありましたが、実に楽しい5年でした。
クラビク二郎道場門下生の皆さん、これからもクラビク二郎、クラビク、宜しくお願いいたします。
Mummy-Lee
ビックリした~。
ブログってコメントが来るんですね。
用心してみときます。
・・・が・・・熱い!!
ついつい引き込まれました。
次男さま・・・コメンテーター向きかもしれませんよーw