深大寺 本堂
江戸時代の本堂が幕末の火災で焼失した後、本尊の阿弥陀如来像は仮に、再建した庫裡に安置されていましたが、大正8年に今の本堂が完成しました。
旧本堂は寄棟造りの茅葺き屋根でしたが、再建本堂は入母屋造りの棧瓦葺きに変わりました。正面十間、側面八間(一間は1.8m)という規模は、昔より少し大きくなっているようです。外側を雨戸付きの硝子窓とし、腰を下見板張りとするやり方は昔から変わっていませんが、正面中央の上り口だけは、禅宗様の棧唐戸の引き戸になっています。
旧本堂の正面中央には、入母屋破風の向拝が付いていましたが、今の向拝は唐破風です。梁の木鼻には獅子・象の彫りもの正面の三段の虹梁の間には龍・鷺、破風板の下には鳳凰の彫り物があって、江戸時代らしさが表現されています。
平成15年には大屋根大改修工事をおこない、瓦屋根より銅板葺本瓦棒葺きになり本堂外観を一新し、偉容をほこっています。
五大尊池に架かる「本堂」と「元三大師堂」を繋ぐ
渡り廊下
深大寺の境内には,十数基の句碑や歌碑があります。
『菩提樹や生涯つきぬ寺清水』 石坂泉泣子
『門前の蕎麦はうましと誰もいふこの環境のみほとけありがたや』
清水比庵
本堂の右わきには、梅の盆栽が,置かれていた
立派な鐘楼が ある。
文政12年(1829)に建てられた旧鐘楼は、今の大師堂裏の高台にありましたが、幕末の大火で消失し、その後、明治3年(1870)に、山門を入った右手に位置を移して再建されたのが今の鐘楼です。基壇の上に、内転びの四本柱を立て、入母屋茅葺きの屋根を載せていましたが、昭和29年(1954)の銅板葺きに改められました。
柱間には若葉の彫り物を施した虹梁を架し、木鼻として象・獅子を付け、虹梁の上には、蟇股をのせます。柱上には台輪を置いて、その木鼻を禅宗様にし、台輪上に組物をのせます。軒は二軒で、垂木は角。江戸以来の鐘楼の普通の造りです。
平成13年に新鋳された平成新鐘と呼ばれる梵鐘を釣り、基壇上には反響用の瓶を埋め、多孔の鉄板を蓋としてかぶせてあります。
春彼岸中日より 5:00・11:30・18:00
秋彼岸中日より 6:00・11:30・17:00 に打たれる
この山門の南側を門前町と呼び
山門の周辺は歩行者専用の門前町ゾーンとなっており、
土産物屋などが 脇参道に立並ぶ
![]() ![]() ![]() 東京最大のだるま市の「深大寺のだるま市」として知られており、
「三大だるま市」の一つ
要視し、「祖師」の言葉は達磨を表すこともあるほどである。
な役割で用いることが行われるが、この達磨大師には壁に向かって
九年の座禅を行ったことによって手足が腐ってしまったという伝説が
ある。ここから、手足のない形状で置物が作られるようになった。
さて次回からは、門前風景をご紹介します、、
![]() 続く・・・
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「元三大師堂」へ下る「開山堂参詣道」
見下ろしながら下る
![]() 慈恵大師(元三大師)像を安置しているのが、
この大師堂です。
![]() 江戸時代の大師堂は、本堂の西南に東向きに建っていました
が、幕末の火災で類焼したので、本堂西の崖地を削って造成
した敷地に位置を移して再建されました。
被災直後の慶応3年(1867)に、本堂をさしおいて復興され
たことは、厄除元三大師がいかに多くの信者を集めていたか
を物語っています。
![]() 大きさはもとのお堂と同じくらいで、正面柱間は三間、
側面四面、周囲に縁をめぐらしています。
内部はもとは奥一間が仏壇で、その中央に、火災を免れた
厨子に慈恵大師像が安置されていました。
本堂よりも 高い所に位置します
![]() 深大寺に著名な歌人や俳人の碑が数多くまとまって
存在しています。
近代俳壇の巨星高浜虚子の胸像が建立されています。
清浄な 月を見にけり 峰の寺 虚子
「句碑 高浜虚子句碑 深大寺 東京都」
虚子は 調布に住んでいたことがったそうな
厄除元三大師大祭(やくよけがんざんだいしたいさい)
続く・・・ |
いや~大変な1日でしたね、、、
なんの見返りもない筈なんですが、、

色んなお菓子の中でも やはり No1 は、此れ 





家内と娘とで,作り上げた 



金箔が乗ったリングと
食べる直前に 15秒 チ~ンして 中にたっぷりと入った
チョコレートがトロ~リととろける
エンターテインメントなお菓子 

親子で 共同作業の 傑作 



此方は、やはり温めて生クリームをかけていただく
チョコケーキ 

小生は、真ん中に生クリームを流し込んでいただきました
ケーキを,暖かくして ホイップしない冷たい生クリームと合わさり
これまた・・・美味い 

娘が、来た時に持ってきた お土産 A
自由ケ丘の「天使のチーズケーキ」やらを 

口直しにいただきました
口当たりさっぱりの
チョコレートとは、また 一味 違って美味しい 

そして 此方の お土産B で、締めでした 

まぁ、、子供のお菓子ですね、、

いゃ~カロリー 満タン

ちなみに…半分以上は
娘が、持って帰りましたけどね・・・

此処にに訪れる人はあまりおらず閑散としている
開山堂は昭和58年に深大寺開創1250年記念に新築された
奈良時代様式の建築物で、御本尊は薬師如来、脇侍に弥勒菩薩、
千手観音、他に深大寺開基の満功(まんくう)上人、天台宗一祖の
恵亮和尚を祀っている
深大寺の由緒は以下の通り。
その昔、福満という者が右近長者の娘と恋に落ちた。 この恋に反対した右近長者は二人の仲を裂くために娘を 湖に浮かぶ池に匿ってしまった。
![]() しかしどうしても会いたい福満は深沙大王に、湖の島まで
渡して下さったならば己の一生の守り本尊として一寺を建立
することを誓い一心に祈った。
すると大きな霊亀が現れ、福満は亀の背に乗せられて娘のいる 島にたどり着いた。
この奇瑞に驚いた右近長者夫妻は二人の仲を許した。 ![]() その後、二人の間には男子が生まれ、長じて出家した。
それが深大寺開創の満功(まんくう)上人である。
満功は南都(奈良)の法相宗の教えを学び、地元に帰って 733年に父の念願であった一寺を建立し、750年に深沙大王像
を安置したのが深大寺の創始という。
![]() ![]() ホォ・・・こんな処に「未来カプセル」
![]() 1988年に、地元の方々によりタイムカプセルが埋められました。
こちらはその記念碑で、この下に埋まっているそうです。
100年後、2088年に掘り起こされる予定だそうです ![]() 深大寺がここまで長い間のいきおいを持ったことから、
出世にご利益があるといわれています
![]() 開山堂がある高台から深大寺境内を見下ろすと
なかなか良い眺めだが
この小さな土壁は見事だ
![]() さぁ 「開山堂参詣道」を下って本堂へ
![]() 続く・・・
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