goo blog サービス終了のお知らせ 

AISとしてのボヤキ( ̄ェ ̄;)

別に不妊を除けば何の不便もなくフツーにムダに元気に生きてるんですが、やっぱボヤく場所も欲しいということで・・・。

記事のタイトルを入力してください(必須)

2011-11-11 12:04:26 | 記事とかからのコピペ
毎日新聞 2011年10月16日
性分化疾患:性別確定「生後1カ月まで」 学会が手引 出生届け出後も可能
 外性器などが未発達で男女の区別が難しい性分化疾患の新生児について、日本小児内分泌学会と厚生労働省研究班は性別を確定する目標時期を「生後1カ月まで」とする医療者向けの手引を初めてまとめた。戸籍法は出生届の期限を14日以内と定めているが、十分に精査されずに性別判定されるケースがあるため。学会は法務当局の判断を仰いだうえで、期限の延長が可能としている。

 性分化疾患は2000人に1人の発生頻度との調査があり、90年代に解明が進んだが今も十分な知識を持たない医師が多い。子宮も卵巣もある女児が外性器で男と判断され、男性ホルモンを投与されるなど、最低限の検査なしでずさんに性別判定されるケースが後を絶たない。

 手引は染色体やホルモン、遺伝子など必要な検査や、内科と外科それぞれの治療内容を示した。性別確定まで1カ月としたのは、検査結果が出そろうのに14日以上かかる場合があるほか、経験豊富な医師の意見を仰ぐことを求めたためだ。

 戸籍法には出生届の遅延に対する罰則規定がある。同学会は、手引作成時に東京法務局に問い合わせ、医師の証明があれば性別や名前を空欄で出せることを確認。後に必要事項を埋める「追完」という方法で、14日を過ぎた届け出ができるとしている。ただ周知されておらず、医師も親も「14日以内」にとらわれているのが実態だ。

 厚労省研究班のメンバーで手引作成の中心になった堀川玲子・国立成育医療研究センター内分泌代謝科医長は「医学的には男女どちらとも言えない性があるが、『中間の性』という通念はまだない。性の変更を社会が受容する環境も整っていない以上、性別の判定は慎重を期すしかない」と話す。【丹野恒一】(17日朝刊からくらしナビ面で「境界を生きる~性分化疾患・決断のとき」を連載)

==============

 ■ことば

 ◇性分化疾患
 通常は男女どちらかで統一されている性器や性腺(卵巣・精巣)、染色体の性がそれぞれあいまいだったり、一致せずに生まれてくる病気の総称。70種類以上ある。「半陰陽」「両性具有」などとも呼ばれてきた。

毎日新聞 2011年10月16日 東京朝刊



+*+*+*+*
毎日新聞 2011年10月17日
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき/上 「男子と女子、どっちがいい?」

迷った末、わが子を男の子として育てていく気持ちを固めた主婦=東海地方で、五味撮影 ◇思春期に男性化する疾患の長女、小4で告知受け混乱
 染色体やホルモンの異常により男性か女性かの区別がはっきりしない「性分化疾患」。医学的には未解明な部分が残り、男性と女性の枠組みしかない社会で生きる難しさも伴う。性の選択を迫られた時、治療方針を決める時--。当事者と家族、医療者のそれぞれの決断の場面を追った。

    *

 昨年7月、大阪市の大阪警察病院。夏休みに入った小学4年の長女(当時9歳)に付き添い、関西地方の夫婦が小児科を受診した。「そろそろ私から本人に説明しましょうか」と切り出した望月貴博医師に、夫婦は顔を見合わせ黙ってうなずいた。病気のこと、受けることになるかもしれない性器の手術のことを話した後、医師は長女に尋ねた。

 「男の子にもなれるし、今のまま女の子を選ぶこともできる。どっちがいい?」。しばし流れる沈黙。父は「男と言ってくれ」と祈ったが、長女は消え入るような声で「女の子がいい」と答え、しくしく泣いた。

 父が「男」を願ったのには理由がある。

 夫婦には2人の子がいる。いずれも女の子と思っていたが5年前、陰核(クリトリス)の肥大などをきっかけに性分化疾患の一つ「5α還元酵素欠損症」とそろって診断された。性染色体はXYの男性型だが、ホルモンの異常が原因で男性器が発達せず生まれ、大半が出生時に女性と判定される。しかし2次性徴期になると、程度の差はあれ確実に男性化する特徴がある。

 日本では下腹部に隠れている精巣を摘出して女性ホルモン剤を服用する治療が行われてきたが、欧米では女性として育った人の多くが性別の違和感に悩み、約6割が男性に性別変更したとのデータもある。

 長女が思春期を迎えた時、声も体形も男性化し、小さめの陰茎(ペニス)ほどに陰核が育っていったら……。本人の驚きと戸惑いを想像すると胸が痛んだ。

 病気がわかったとき、望月医師から「将来、妊娠はできない。男性としてなら子を作れる可能性はある」と言われた。小学校入学が目前に迫り、ピカピカの赤いランドセルも準備していた。夫婦は入学を心待ちする長女を男の子に変える気持ちにはなれなかった。

 翌年、今度は次女の幼稚園入園が迫った。望月医師は「性別を変えるなら、新しい社会に入り人間関係も変わる今のタイミングがいい」と促した。1年前から悩み抜いてきた夫婦は、長女の時とは逆の決断をした。「出生時の性別判定は間違い」との診断書を家庭裁判所に提出し、入園直前に次女の戸籍は「長男」となり、名前も変わった。

 男の子になった弟はとても陰茎が小さく、立ち小便ができないため個室トイレしか使えない不便はあるが、学校生活を楽しんでいる。夫婦の心配は長女だ。制服以外はスカートをはかず、野球やサッカーが大好きで、遊び相手も男の子だ。

 父は「男性化が進んでも女の子でいたいというなら、人格を無視してまで性別を変えることなどできない。男の子を望むなら、誰も何も知らない町に転居して、再スタートする覚悟はできている」と唇をかむ。

    *

 主治医の望月医師にとっても、治療方針の決定は容易ではない。

 次女の入園が迫った時、性別をどうすべきかを症例の豊富な医師たちに尋ねたが、男の子に変えるのは反対だというメールが次々返ってきた。「ちんちんがあまりに小さく、将来コンプレックスになる」という率直な意見もあった。診断にかかわった藤田敬之助・大阪市立総合医療センター元副院長も「思春期にどれだけ男性化するかは個人差がある。本人に性別を選ばせたいので、留保してはどうかと伝えた」と振り返る。

 望月医師は「絶対的な答えがあるわけではないが、私はより新しい国際的な知見を重視した。時代は変わってきているのです」と胸を張る。長女については、男性的な2次性徴が始まったら薬でいったん止め、本人に考える猶予を与える治療法を検討している。

    *

 「どちらの性別で育てますか?」

 東海地方の主婦(28)は2年前に長男を出産してから医師に「選択」を迫られ続けてきた。性器の発達が不十分だった。産院を退院してすぐ、大学病院にかかりさまざまな検査を受けた。「断定はできないが、染色体は男性型だから男で大丈夫では」。あいまいな言葉でも医師を信じるしかなく、2週間の期限ぎりぎりに長男として役所に届けた。性別を保留できることは当時は知らなかった。

 その後、別の医師からは「精巣がなく、子宮がある可能性がある。女の子として生きる方がいいのでは」と言われた。迷い続けてたどり着いた小児専門病院でも、男性の外性器の形成手術が難しいことを理由に、女の子を勧められた。「心も女の子になるんですか」と尋ねても明確な答えはなかった。

 この春、詳しい検査で子宮や卵巣のないことが分かり、男の子として育てていく気持ちがやっと固まった。まずは陰茎を大きくする。将来子どもを持つのは難しいが、声も体も大人の男性になれるよう、定期的に男性ホルモンを注射していく。

 「来年はスカートかも」。少し前は子ども服を買うのもためらったが、いま、性別そのものへの迷いは晴れた。【丹野恒一、五味香織】

==============

 ◆関西地方の夫婦が次女の性別選択で考慮した点(望月医師の説明による)

 ◇女性の場合
子宮と卵巣はなく膣(ちつ)も不完全

外陰部や膣の形成は男児にする場合より容易

妊娠できない

精巣を放置すれば思春期に男性化する可能性

乳房の発達などのため女性ホルモンの内服が生涯必要

 ◇男性の場合
精巣はある

外陰部の形成は女児にする場合より難しい

子どもが作れる可能性

思春期に自然に男性化する可能性

陰茎が小さいままの可能性

==============

 ◇「境界を生きる」とは
 連載「境界を生きる」は09年9月にスタート。近年まで医療界でさえタブー視されてきた性分化疾患や、心と体の性別が一致しない性同一性障害の子どもたちの苦悩を追い、社会の無理解などを問いかけてきた。

==============

 ■ご意見お寄せください

 ご意見や感想、体験を募集します。郵便は〒100-8051(住所不要)毎日新聞生活報道部あて、ファクスは03・3212・5177へ。メールは表題を「境界を生きる」とし、kurashi@mainichi.co.jpへ。

【関連記事】
性分化疾患:性別確定「生後1カ月まで」…学会が手引
性分化疾患:性別確定「生後1カ月まで」 学会が手引 出生届け出後も可能
LGBT
毎日新聞 2011年10月17日 東京朝刊



+*+*+*+*
毎日新聞 2011年10月18日
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき/中 「自分でなくなる」投薬中止
 ◇「普通の男性」望んだが 成人後始める治療、継続困難
 大学1年の冬、サークルの合宿で仲間と風呂に入るのが急に恥ずかしくなった。21歳になっていたが、陰毛はなく、声も小学生のままだった。新潟大歯学部5年の大田篤さん(24)は人目をはばかり民間病院を受診したが、結局自ら通う大学に紹介され、2年の夏に性分化疾患の一つ「低ゴナドトロピン性性腺機能低下症」と診断された。ホルモンの異常で2次性徴が起きない疾患だった。

 「原因があったんだ。治療すれば治るんだ」。ショックはなく、むしろ肯定的に受け止めた。

 週1回、腹部に自己注射するホルモン治療を始めると、数カ月で変化が表れた。声が低くなり、ひげや陰毛が生え、初めて射精した。「なよなよした体」は筋肉質に変わり、鏡を見るのが楽しくなった。初めて経験する性欲には戸惑った。「無意識のうちに視線が女性の胸元に行くなんて、思ってもみなかった」

 しかしある時、ふと疑問がわいた。「これは望んでいたことか」。治療は「普通の男性」になるためだったのに、まるで飢えた獣にでもなってしまった感覚だった。大田さんは「それこそが思春期なのかもしれないが、僕の場合は薬で人工的に変化したので、何かが違うと感じた」。

 治療を始めて1年9カ月後の昨冬、すっぱりと治療をやめた。ホルモンが足りず不健康になるだろうし、子どもを作ることもできなくなるが、それでもよかった。主治医に告げると「最近、中性がはやってるからね」と笑い、反対もしなかった。「自分は男」という認識が揺らいだことは一度もない。医師の言葉にカチンときたが「そうじゃない。自分が自分でなくなるのが嫌なんだ」という心の叫びはぐっとのみ込んだ。

 こうした疾患を診ることが多い池田クリニック(熊本県合志市)の池田稔院長は、治療が持続するかどうかは開始した年齢と深く関係すると感じている。不妊をきっかけに結婚後に治療を始めた患者は、男性ホルモンの重要性を理解はしても、妻が妊娠するとほとんど来なくなる。一方、10代で始めた患者は今も全員が治療を継続しているという。

 池田院長は「思春期に男性ホルモンが低い状態で自己を確立した人は、成人後に治療でホルモンを平常値にしても、自分でないような感覚になるのではないか」との仮説を立てる。

 ホルモン治療をした大田さんは、後悔の念にさいなまれている。「注射を打つたび男らしくなっていくのが、あれほどうれしかったのに」。太くなった声や筋肉質の体は元に戻らない。ひげや体毛にも嫌悪感がある。一度は劣等感から解放してくれた治療が今は恨めしい。下宿の隅に積んでいた未使用のアンプルは、捨てた。

    *

 「娘の人生を私が決めてしまった」「いいえ、選んだのは私」。神奈川県在住の佐藤真紀さん(45)と長女(24)には互いを思いやるやさしさがあふれている。

 89年正月、帰省先の福島県で長女は脱腸を起こし、緊急手術を受けた。手術中に廊下に出てきた医師の言葉に佐藤さんは耳を疑った。「睾丸(こうがん)が見つかりました。腸と絡み合っているので切り取ります。おなかを開いたままなので時間がありません。いいですね」。長女は出生時に膣口(ちつこう)が開いていなかったが、染色体をはじめ10日ほどかけてじっくり調べ、女性で間違いないと診断されていた。

 東京にいる夫とは連絡がつかない。「娘は男だったんだ。でも、私の一存で男として生きる可能性を断ち切ることになる」。そんな思いが頭を駆け巡ったが、医師は「お母さん、どうしますか」と迫ってくる。「じゃあ、切ってください」と言うしかなかった。手術室のドアがしまると、義母の前で号泣した。すべてが終わった後、ようやくつながった電話で夫は「そばにいてあげられなくてごめん。一人で大変な決断をさせてしまったね」と謝った。

 東京の大学病院で再検査を受けると、女性としての発達が不十分になる「ターナー症候群」だが、性染色体に男性化とかかわりが深いY染色体のかけらがある特殊な例だと分かった。

 佐藤さんには他に3人の子がいる。「弟や妹と比べると違いがよく分かる。男女どっちでもないというか、どっちでもあるというか……」という。

 小学4年のとき、学校での性教育が近いと知り、佐藤さんは長女に初めて詳しい話をした。「おなかの中にあるはずの赤ちゃんの部屋がないかもしれないんだ」

 長女は答えた。「他の子と違うみたいだと、何となく思っていた。赤ちゃんを産むのは怖いからいいよ」。しかし「本当はショックだった」と今、打ち明ける。

 中学生になると、骨粗しょう症の防止などでホルモン治療が必要になった。幼少時の手術の決断を十字架のように背負っている佐藤さんは「男女どっちを選んでもいいんだよ」と言ったが、長女は女性ホルモンを選んだ。「あまり女性的にはなりたくない」と生理が来ない程度の量にした。17歳のときには「簡単な手術で膣口も作れる」と医師から勧められたが、断った。

 「本人の意思を尊重しているが、決まった道を行くのと違い自己責任がある。可哀そうな面がある」。佐藤さんはいう。

 長女はいま税理士事務所で働く。一人でも生きていけるようにと、税理士を目指している。「両親はずっと『どんな道を選んでも、あなたが好きなことに変わりはない。味方だからね』と言い続けてくれた。それが私を支えている」。長女は穏やかな表情でふり返る。

    *

 「男性ならこう生きるべきだ」「女性ならこんな治療を受けるべきだ」。性分化疾患の当事者たちは、男女に二分された社会でプレッシャーを受けながら、自分らしい生き方を模索している。【丹野恒一】

==============

 ◇低ゴナドトロピン性性腺機能低下症
 精巣の働きに深く関係する脳の視床下部や下垂体からのホルモン分泌が悪いために2次性徴や精子形成ができなくなる疾患。陰茎の発達も悪く、陰毛や脇毛が生えない、においを感じにくい、といった症状が出ることもある。若年では見過ごされることも多く、不妊をきっかけに見つかるケースが少なくない。

==============

 ■ご意見お寄せください

 ご意見や感想、体験を募集します。郵便は〒100-8051(住所不要)毎日新聞生活報道部あて、ファクスは03・3212・5177へ。メールは表題を「境界を生きる」とし、kurashi@mainichi.co.jpへ。

毎日新聞 2011年10月18日 東京朝刊

+*+*+*+*
毎日新聞 2011年10月19日
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき/下 「判断妥当か」医師に重圧

恩師から有阪教授が受け継いだ海外の論文には、赤いペンの書き込みが残る=栃木県の独協医大で ◇年月経て、疑問持つ患者も 未解明な「脳の性分化」
 「カルテを開示してほしい」。3年前、診察室で向き合った20代の患者に言われた時、独協医大の有阪治教授は「その時が来たか」と覚悟を決めた。患者は男性として育ってきたが、性染色体は女性型のXXだった。カルテには書かれていたが、患者自身は知らないはずだった。

 患者は極端に大きな陰核の外見から、男児と判定されて育てられた。体の発達に違和感を覚えた両親が3歳の時、東京都内の大学病院を受診させ、性分化疾患の一つ「先天性副腎過形成」と診断された。子宮や卵巣はあるが、男性ホルモンが過剰に分泌され外性器などが男性化することのある疾患だ。

 このまま男児として生きた方がいいのか。染色体や内性器に合わせ女児に変えるべきか。当時20代の駆け出しの研修医だった有阪医師は、師事していた主治医の教授が治療方針に悩み、海外の文献をひもといて似た症例を必死に探す姿を見ていた。「夜も眠れない」と漏らすのを聞いたこともある。

 最後は両親の意向を尊重し、引き続き男児として育てる方針が決まった。その後、子宮は摘出した。教授は「将来、この子が自分の体に疑問を持って訪ねてきた時、自分はもうこの世にいないはずだ。誰が答えてくれるのだろう」と懸念を口にしていた。

 年月がたち、予想は的中した。

 この患者を引き継ぎ主治医となっていた有阪医師は、「事実関係をきちんと説明しよう」と連絡を待った。開示されたカルテを見て、電話をかけてきた患者は「俺を実験材料にしたんだろう」と怒りをあらわにした。「包丁で切り刻んでやる」とメールで脅されたこともあった。「詳しい理由は分からないが、やはり生き苦しさがあったのかもしれない」。やがて攻撃的な言動は収まったが、有阪医師には苦い思いが残った。

 昨春、一人の新生児が性分化疾患と診断され、独協医大に転院してきた。有阪医師は主治医として初めて中心的に性別判定にかかわった。1カ月にわたりさまざまな検査を行い、結果が出る度にどんな治療をすべきか迷った。「同じ立場になってみて、あの時の教授の重圧が分かった」。両親の希望で、新生児は染色体の型を重視して男性として育てる方針が決まり、形成手術も行った。判断は妥当だったのか、年月がたたないと答えは出ない。

   *

 「性別の確定は戸籍法の期限である14日にとらわれず、生後1カ月までに」。日本小児内分泌学会と厚生労働省研究班は、性分化疾患の新生児を診る医師に慎重な対応を求める手引をまとめた。だが実は、1年かけたとしても真に適切な性別判定はできない。未解明の「脳の性分化」という課題があるからだ。

 昨年12月に大阪府立大が開いたシンポジウム。性分化疾患の研究で世界的に知られるハワイ大医学部のミルトン・ダイアモンド教授が変わった言い回しで訴えた。「性別を決定するのは、両足の間にあるものではなく、耳と耳の間にあるものです」。大切なのは、性器の状態ではなく、自分自身を男だと思うのか女だと思うのか、つまり心(脳)の性だ、という意味だった。

 70種以上ある性分化疾患の中には、性別判定の難しさから、育てられた性と心の性が食い違いやすいものがある。例えば男性器が未発達で女性と判定されがちな「5α還元酵素欠損症」。女性として育てられても心では男性だと自覚する確率が59%という海外のデータがある。男性として育てた場合は0%だ。疾患ごとにこうした傾向がつかめれば、出生時に性別を判定する重要なポイントになりうる。

 厚労省研究班は全国の小児内分泌医と小児泌尿器科医に昨年初めて実施した実態調査を基に、数種類の疾患にしぼり追跡調査した。8月に出そろったデータを分析している山梨大名誉教授の大山建司医師によると、最も患者が多い性分化疾患の一つ「21水酸化酵素欠損症」の場合、約150症例のうち子どもの性同一性障害(心と体の性の不一致)の診断基準に当てはまる患者が3~4%いた。大山医師は「児童精神科医の協力も得ながら、データを詳しく読み解きたい」と話す。

   *

 92年に複数の診療科の医師とケースワーカーなどで性別判定委員会を作るなど先進的な取り組みをしてきた大阪府立母子保健総合医療センター。一昨年から本格的に、看護師が親子それぞれと面談する「看護支援」を始めた。

 親は子どもが性分化疾患だと知った段階からショックや自責の念を持つことがある。40組以上の親子と面談してきた石見(いわみ)和世看護師は、「親の愛情が形成されるのを手助けしていくことが、子どもの成長のために何より重要」と話す。

 面談では、学校生活での心配、結婚や出産はできるか、子どもに病気をどう説明するか、さまざまな質問が出る。じっくり話し合い、時間を共有するなかで、多くの親が涙を流し、病気に立ち向かう決断をしていく姿を目にしてきた。「この病気について心を開いて話せる場所なんて、今までどこにもなかった」。その言葉に、石見看護師は、患者家族の孤独と強さを思うばかりだ。

   *

 性分化疾患はかつて医療界でもタブー視されていたが、患者の立場に沿った対応も進み始めている。日本小児内分泌学会の堀川玲子・性分化委員長はいう。

 「性分化疾患に『正しい答え』はなく、第三者が当事者の決断を批判することはできない。普通と違う人をどれだけ受け入れられるか、社会の成熟度が問われている」【丹野恒一、五味香織】

==============

 ◇脳の性分化
 心(脳)が自覚する性のこと。人はどんな仕組みで自分の性を認識するのか、決定的な研究はまだない。容姿や言動が男性的なことと、心が自覚する性が一致するとも限らない。人の性別は染色体や性腺、性器の性などで総合的に決められるが、本人の「生きやすさ」のためには最終的に「脳の性」まで解明されることが必要だ。

==============

 ■ご意見お寄せください

 ご意見や感想、体験を募集します。郵便は〒100-8051(住所不要)毎日新聞生活報道部あて、ファクスは03・3212・5177へ。メールは表題を「境界を生きる」とし、kurashi@mainichi.co.jpへ。

【関連記事】
性分化疾患:性別確定「生後1カ月まで」…学会が手引
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき/上 「男子と女子、どっちがいい?」
解説:性分化疾患「確定」延長 判定の難しさ配慮
性分化疾患:性別確定「生後1カ月まで」 学会が手引 出生届け出後も可能
毎日新聞 2011年10月19日 東京朝刊



+*+*+*+*
毎日新聞 2011年10月23日
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき/番外編 「IS」 ドラマに反響続く
 ◇理解への期待、新たな偏見への不安 BSジャパンで再放送中
 染色体やホルモンの異常が原因で男女をはっきりと区別しにくい「性分化疾患」をテーマにしたドラマが今夏、初めて放送された。「当事者の現状を伝えたい」と、デリケートなテーマに挑んだスタッフらの奮闘が伝わり、番組ホームページの掲示板には今も共感や続編制作を求める書き込みが続いている。【丹野恒一】

 テレビ東京系で7月から9月まで放送された「IS(アイエス)~男でも女でもない性~」。原作は漫画雑誌「Kiss」(講談社)に連載された同タイトル作。「IS」は性分化疾患を指すことのある「インターセックス」を略した造語だ。

 性分化疾患がありながらも明るい家庭で育った春(福田沙紀さん)は、進学した高校で、どこか陰のある美和子(剛力彩芽さん)と出会う。彼女もまた別の性分化疾患で、差別を恐れる母親から内向きの愛を注がれたために……。

 「普通って何なんだろうと考えさせられた」「毎回、娘と正座して見た」「ありのままの自分を隠さない大切さを知った」。視聴者の反応はどれも真剣だった。

 テレビ東京の中川順平プロデューサーは「性分化疾患をしっかりとらえるのは難しく、霧の中を手探りするようだった。しかし、偏見にとらわれない感想が若者からも多く寄せられ、挑戦したかいがあった」と話す。

 主人公と同じく高校生活を送る性分化疾患の当事者らは、理解の広がりへの期待と新たな偏見が生まれはしないかという複雑な気持ちで放送を見守ったようだ。

 卵巣も精巣もある東日本の高校2年の女子生徒(16)は、ドラマが始まってから、付き合いのない同級生から突然声をかけられ、戸惑ったという。「ドラマと同じ病気なの?」とストレートに尋ねられたこともある。

 「病気を知ってもらえるのはいいけれど、中途半端な知識だけが広まるのも不安」と感じた。性的少数者との付き合い方を書いた実用本を用意し、渡すことにした。約10人に読んでもらい、「大変なんだね。頑張って」と励まされたこともあるという。



 「IS」は10月からBSジャパンで金曜午後11時から放送中。

毎日新聞 2011年10月23日 東京朝刊



+*+*+*+*
毎日新聞 2011年11月3日
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき ~当事者、読者の声~ 男、女である前に人間
 ◇理解得て結婚、自由に生きる 告白「死ぬまでしない」
 染色体やホルモンの異常が原因で男女の区別が難しい病を取り上げた連載「境界を生きる~性分化疾患・決断のとき」(10月17~19日)に多くの反響をいただきました。当事者の立場から寄せられた体験や、読者の声を紹介します。【丹野恒一】

 「性分化疾患は簡単に割り切れるものではないが、男や女である前に人間なのだという命の原点を見つめ直すことが大切ではないか」。神奈川県藤沢市の尼僧、高井叡空(えくう)さん(72)は、連載にこんな感想を持ったという。

 生まれつき膣(ちつ)がなかった高井さん。「女性としての性発達に何らかの問題があったのは確か。性分化疾患という言葉は最近になって知ったが、そういったものの一つだと思って生きてきた」

 人生の転機は高校を卒業した直後に訪れた。縁談が持ち上がり、すぐにまとまりかけたが、体のことが問題になった。生理はなく、性交渉もできない。子どもも産めないだろうと思われたからだ。

 「半世紀以上も前の時代だから、拒絶されて当然だったはず。でも、相手はご家族を含めて『それでもいい』と言ってくれた」。両親の「せめて形だけでも整えて」という勧めで、結婚前に手術を受けて膣を作ることになった。近くでは病院が見つからず、大阪の大学病院に3カ月、入院した。「診察の時はいつも研修医たちが取り囲み、物珍しげにのぞき込んできた」という。

 退院して半年後、20歳の秋に無事結婚した。しかし、形成した膣が小さくなっていかないよう、プラスチックの棒を常に挿入しておかねばならなかった。入れておくだけでも恥ずかしかったが、装着していた7年間で、人前で抜け落ちてしまったことが3度もあった。「そのたびパニックになった」。つらい思い出がよみがえり、高井さんの目から涙が流れた。

 子どものいない結婚生活。高井さんは自由に生きた。アングラ劇団員、現代芸術家、レストランの経営にも挑戦した。そして50歳のとき、比叡山に登り、修行中の僧と出会ったのがきっかけで尼僧になった。「空庵(くうあん)」と名付けた自宅は寺の体裁をとらず、ヨガの会を開いたり、若者が集まって性のことから社会問題まで語り合う場になっている。

 3年前に夫に先立たれた。ふと思い立ち、かつて造膣手術を受けた大学病院にカルテが残っていないか問い合わせた。医師にも親にも詳しい説明を受けた記憶がなかったからだ。カルテは既に廃棄され、自分がどんな体で生まれ、何という病気と診断され、どんな手術を受けたのか、分からないままになった。

 高井さんは尼僧になった時、献体登録をした。「私自身は知ることができないが、これからも生まれてくる性分化疾患の子どもたちが生きやすくなるよう、この体を医学の発展に生かしてほしい」と柔和な表情でほほえんだ。

   *

 2年前の連載時にも感想を書いてくれた匿名の女性(62)からは、7枚の便箋につづった手紙が届いた。結婚から約3年後、30歳を過ぎたころに下腹部に精巣が見つかり、性染色体も男性型であることが判明したという。

 子宮と卵巣がないことは19歳の時に知り、自殺まで考えたが、ショックはそれ以上だった。思わず医師に「(男性としてならば)子どもを作る能力があるのか」と尋ねた。もし「ある」というなら、夫とは離婚して男性として生きようと思った。しかし、返ってきた答えは「能力はない」だった。

 いったん自分の中に男性的な部分を見つけてしまうと、特に30代、40代は折り合いをつけて生きることに苦しんだ。築き上げた生活を壊さないよう、「夫には死ぬまで絶対に告白しない」と決めている。

 遺伝がかかわっているためか、親族の中に似た症状の女性が複数いる。周囲から差別的な扱いを受けていると聞いたこともあるが、タブーになっていて互いに触れることはない。

 女性は「私と同じ性分化疾患の若い人に言いたいこと」として「もし人生のパートナーを求めて生きようとするなら、生まれ育った場所ではなく、東京のような、いざとなればよそに移れるところがいい。病気のことを告白する場合は、人の心の痛みが分かる人かどうかしっかり見極めてほしい」と率直にアドバイスする。

   *

 人々の意識や社会の在り方に対する疑問や、今後目指すべき方向についての意見も寄せられた。

 静岡市駿河区の派遣社員、大原三琴さん(40)は「人間は男と女にデジタル的に分けられるものではない。極めてアナログ的で幅のあるものだということが連載を通してはっきりした。自然界を見れば、それは珍しいことではなく、人間の認識の仕方に問題があったということだろう」と考える。

 千葉県市川市の会社員、島昌代さん(49)は「誰の迷惑になるわけでもなく、本人に痛みさえない場合、それを『疾患』と定義することには疑問がある。肉体にメスを入れたり、ホルモン治療を受けたり、なぜそこまで無理をして男と女というたった二つのカテゴリーに人間を押し込まねばならないのか。性分化“疾患”をありのままに受け入れることができない、懐の狭い社会の方にこそ問題がある」と訴えた。

 また、薬害肝炎や薬害エイズの被害者支援をしている東京都足立区の江川守利さん(57)は「効率化を求める現代においては、画一化された社会のレールからはみ出す者はみんなマイノリティーとなる。そんな社会の在り方そのものが新たな差別や偏見を生み出し、マイノリティーを生きにくくしている。まずは存在を知り、理解を分かち合うことから始めたい」と提言した。

 一方、京都府の無職の女性(47)は精神科を受診している立場から「男っぽい性格の女性もいれば、女っぽい性格の男性もいる。私の中にも男性的な部分があることに気付くことがある。周囲との関係に強い違和感があるのは、私もある意味で境界を生きているからかもしれない」としたうえで「デリケートな内容にもかかわらず、取材に答えた当事者や関係者、医療者に敬意を払いたい」とのメールを寄せた。

【関連記事】
ラリーニッポン:クラシックカー70台スタート 東京-京都の世界遺産巡る旅
掛け軸:3高僧の不明掛け軸、大津で所在確認
ユニーク授業:長浜市立田根小学校 「五先賢」通じ体験学習 /滋賀
毎日新聞 2011年11月3日 東京朝刊


境界を生きる:性分化疾患/6止 存在、認める社会に

2009-10-11 23:36:02 | 記事とかからのコピペ
http://mainichi.jp/select/science/news/20091008ddm013100143000c.html

毎日新聞 2009年10月8日 東京朝刊

境界を生きる:性分化疾患/6止 存在、認める社会に
 ◇「男と女」だけなのか 決定にモラトリアム必要 「個性…でも疾患」
 「人間を男と女だけに分けるのは時代遅れ」「真ん中の性を認めれば、丸くおさまる」

 日本小児内分泌学会が性分化疾患のある新生児の性別を判定するためのガイドラインを策定することが明らかになった先月末以降、インターネット上には性別を男女だけに分けるという大前提に疑問を投げかける書き込みが相次いでいる。

 一見、非現実的にも思えるが、かつて同様の考えを論じた文章が医師や法律家の間に波紋を広げたことがある。日本生命倫理学会初代会長の星野一正・京都大名誉教授が00年に法律雑誌に載せた論文「性は『男と女』に分けられるのか」だ。

 星野氏は日米両国で産婦人科医として数多くの分娩(ぶんべん)に携わり、性分化疾患の新生児にあいまいな性別判定をせざるを得なかった過去の反省に立ち「研究の進歩によって、ヒトを男女に二分して性別を正確に決定する基準を設定しようとすること自体が不可能に近いことが分かってきた」と指摘。そのうえで「男か女かのいずれかの性別のみを記録することを義務づけている現行の法律は即刻改正すべきだ」と言い切った。

 星野氏と親交があった日本半陰陽協会主宰の橋本秀雄さんによれば「男にも女にも違和感を覚えてしまう多くの当事者の実態に即した考え方だったが『アメリカかぶれの机上の空論だ』と一笑に付す学者もいたようだ」。

 この「空論」がすぐに受け入れられるほど社会は柔軟ではないが、患者が置かれた状況がこのままでいいとはいえない。

 性分化疾患や性同一性障害がある人の診察経験が豊富な「はりまメンタルクリニック」(東京都)の針間克己院長も、性の男女二元論には懐疑的な立場だ。性分化疾患の患者が自ら感じる性別は、男女半々だったり、7対3だったりする。さらにそれが時々入れ替わる人や、年とともに変わる人もいるという。

 こうした人たちを男性か女性か、明確に分けることはできない。でも社会生活を営むにはどちらかの性別を割り当てる必要がある。そこで針間院長は「性別判定には時間がかかるとの前提に立ち、性別が決まらないモラトリアム(猶予期間)の必要性を社会に訴えることこそが、今医師に求められているのではないか」と提言する。

    *

 こうした議論は当事者自身の目にはどう映っているのか。

 男性ホルモンの不足で第2次性徴が全く来なかった大学3年生、裕司さん(22)=仮名=は女性と間違えられる外見を「ある意味で自分の個性」と感じつつも、もっと男性らしくなりたいと思い、男性ホルモンの投与を受けている。声が低くなり体毛が濃くなると、今度は予期しなかった喪失感を覚えたという。

 そんな複雑さを抱える裕司さんだが「第三の性があってもいい」「そのままの自分に誇りを持って」との意見には違和感がある。「患者を気遣ってくれているのかもしれない。でも社会は男か女かの区別を前提として動いている。男性として生きたい自分にとって、今の状態は『疾患』以外の何物でもない」

 性分化疾患の患者や家族たちは長い間、孤独な状況に置かれてきた。社会はどう向き合うべきなのか。「まずは存在を知ってほしい」。当事者の多くは訴える。【丹野恒一】=おわり

==============

 ◆作家・精神科医、帚木蓬生さんに聞く

 ◇「無関心は恥になり、罪になる」
 作家であり、現役の精神科医でもある帚木蓬生(ははきぎほうせい)さんは昨年、性分化疾患をテーマにした小説「インターセックス」(集英社)を刊行した。このテーマに挑んだ動機や伝えたかったメッセージを聞いた。【聞き手・丹野恒一、写真・渡辺亮一】

 --なぜこの病気を取り上げたのですか。

 ◆先端医療を手掛ける天才医師の暴走を描いた小説「エンブリオ」の続編テーマとして性転換について調べるうちに、この問題を知りました。資料を集めてみると医師の私でさえ知らないことばかり。これは書かねばならないと思いました。

 --反響は?

 ◆この疾患を持つ30代と思われる女性からの手紙が衝撃的でした。男性の外性器があり、誰にも知られないように生きてきたけれど、作品を読んで「自分だけではない」と知ったとのこと。母親でさえ気付いていなかったようで、物心がついてからは裸を見せないようにしているそうです。彼女は死ぬまで秘密にしていかねばならないのだろうと思うと、つらくなりました。

 --医師の立場で思うことは?

 ◆医学の世界で現状を変えていこうという声が大きくなっていかないのは、横のつながりが少ないからでは。そもそも医者というものは薬が効かない病気は初めから存在しないと思いがち。性分化疾患は医療のアキレスけんとも言えます。取り巻く状況は、放っておいたら50年変わらないでしょう。

 --読者に伝えたかったことは?

 ◆ある登場人物がこう語る場面があります。「無関心はとてつもない恥になり、ついには罪になる」。知らないことはいけないことで、知ろうとしないのは最もいけないことです。

【関連記事】
発信箱:医療と偏見=磯崎由美(生活報道部)
小児内分泌学会:「性分化疾患」に総称を統一
性分化疾患新生児:男女の判定にガイドライン 症例調査へ
日本小児内分泌学会:「性分化疾患」に統一
境界を生きる:性分化疾患/3 子の性別、親が選んだ
毎日新聞 2009年10月8日 東京朝刊


毎日新聞 2009年10月7日 境界を生きる:性分化疾患/5 金メダリスト、さらし者に

2009-10-07 21:31:36 | 記事とかからのコピペ
http://mainichi.jp/select/science/news/20091007ddm013100152000c.html
毎日新聞 2009年10月7日 東京朝刊
境界を生きる:性分化疾患/5 金メダリスト、さらし者に
 ◇陸上の南ア・セメンヤ選手 薬物と偽り性別検査 「染色体、すべてではない」
 8月25日、南アフリカ・ヨハネスブルクのオリバー・タンボ国際空港。到着ロビーはベルリン世界陸上選手権女子八百メートルで優勝したキャスター・セメンヤ選手(18)を励まそうと駆けつけた市民でごった返した。その数、数千人。大歓声に戸惑いながらも、セメンヤ選手はVサインを高く掲げ「ありがとう、ありがとう」と繰り返した。


空港で、帰国したセメンヤ選手を祝福し、踊り歌う南アの市民=高尾具成撮影
 セメンヤ選手が優勝後、並外れた競技能力と筋肉質の体格などから性別を疑われた問題は祖国南アを揺さぶった。政府は「彼女が黒人であり、欧州勢をしのぐ活躍をしたためだ」と声明を出し、国連人権委員会に申し立てる意向も示した。アパルトヘイト(人種隔離)政策を克服した国民が人間の尊厳を侵す問題に敏感に反応したのは当然の成り行きだった。地元紙ザ・タイムズは「彼女の外見を創造したのは神様」との祖母マプシさん(80)の言葉を紹介した。

 だが9月に入り、海外メディアが「医学的検査の結果、男性と女性の生殖器を持つ両性具有であることが分かった」と報道、性分化疾患の疑いを指摘した。南ア陸連が禁止薬物使用(ドーピング)検査だとうその説明をして性別検査を実施していたことも発覚。国際陸連は11月までは最終的な決定をしないとの姿勢で、真相はいまだ定かでない。

    *

 「なぜ彼女は世界のさらし者にされなければならなかったのか」。日本陸連医事委員の難波聡・埼玉医科大産婦人科講師(臨床遺伝学)は「スポーツの世界では繰り返されてきた問題。本人の尊厳のためにも情報がオープンにならないよう徹底されていたはず」と憤る。

 難波医師によると、女性選手に一律の性別検査が行われた最後の五輪は96年のアトランタ大会だった。この時、検査した3387人のうち8人に男性型を示すY染色体があったという。それでも、全員が女子競技への参加を許された。なぜか。

 女子競技では主に性別をめぐる二つのケースが問題になる。一つは男性が女性と偽って出場したり、何らかの事情で女性として育てられ紛れ込んでいる場合。もう一つが性分化疾患だ。メダルはく奪などの処分が下されるのは「偽り」がほとんどで、性分化疾患の場合は必ずしも処分されるわけではない。「染色体は判断材料の一つにはなるが、すべてではない。重要なのは男性ホルモンがどれだけ競技能力に有利に働いているかの判断」という。

 世界陸上のように最高レベルの身体能力を持つ選手が集まる大会では、性分化疾患によって男性ホルモンが強く働いている女子選手が一般社会以上の割合で見つかるのは必然だ。難波医師は「世界の目が集まる場で女性選手が精神的に傷つけられることが繰り返されてはいけない」と話す。

    *

 セメンヤ選手の故郷は南アフリカ北東部にある小さな村だ。「プアレスト・プア」(最貧困地区)として知られ、電気、水道などの整備も進んでいない。親族の一人は「女の子として生まれ、育ててきた。私たちの自慢の子なのに、何が問題なのか」と訴える。

 9月上旬に発売された地元の雑誌「YOU」はセメンヤ選手を特集した。表紙には黒いドレスにネックレスをつけた写真を掲載。本人はインタビューにこう語っている。「私は私であることが誇り」

 海外メディアが「両性具有」と報じた翌日、セメンヤ選手は国内レースの出場を取りやめ、その後は公の場に姿を見せていない。【丹野恒一、ヨハネスブルク高尾具成】=つづく(次回は性別をめぐるさまざまな議論についてです)


毎日新聞 2009年10月6日 境界を生きる:性分化疾患/4 告知…娘は命を絶った

2009-10-07 21:29:57 | 記事とかからのコピペ
http://mainichi.jp/select/science/news/20091006ddm013100189000c.html
毎日新聞 2009年10月6日 東京朝刊
境界を生きる:性分化疾患/4 告知…娘は命を絶った

 ◇「いつ、どう伝えたら」悩む親、医
療現場 重い事実、求められる心のサポート
 一昨年9月、西日本で一人の医学生が自ら命を絶った。自分に性分化疾患があると知って間もなくのことだった。悲しみの中にいる父親が「あの子が生きた証しを残したい」と、一人娘の21年の人生を記者に語った。

 由紀子さん=仮名=は生後6カ月の時、卵巣ヘルニアの疑いで手術を受けた。自分も医師である父正継さん(54)=同=は手術に立ち会い、執刀医の言葉にぼうぜんとした。「卵巣ではなく、精巣のようです」

 検査の結果、染色体や性腺は男性型だが外見や心は女性になる疾患(完全型アンドロゲン不応症)と分かった。夫婦は迷わず女性として育て、本人には「小さい時に卵巣の手術をした。生理はこないかもしれない」とだけ伝えた。

 「出産も結婚も望めない。せめて一人で生きていける力をつけてやりたい」。両親の願いに応え、由紀子さんは医学部に合格。正継さんは「これで体のことを理解できるようになる。医者になるころにすべてを知るのが一番いい」と思った。だが、そうはならなかった。

 大学1年生のクリスマス。由紀子さんは同級生から告白され、交際が始まった。翌春、初めての性交渉がきっかけで生理に似た出血が1週間続き、母親に相談した。正継さんは「昔の診断は間違っていたのではないか」と淡い期待を抱いた。改めて診察を受けようと、娘に初めて病名を伝えた。夏、由紀子さんは「誰にも知られたくない」と、遠くの病院で検査を受けた。

 そこで告げられたのは、親子のわずかな望みをも断ち切る残酷なものだった。

 染色体は男性型の「XY」。子宮や卵巣はなかった。「あの医者、どうしてさらっと『子宮はないね』なんて言えるの?」。そう憤る娘が痛々しかった。

 診断から1カ月後。由紀子さんは下宿の浴室に練炭を持ち込み、自殺した。室内に遺書があった。「体のこと、恋愛のこと、いろんなことがあって……」。携帯電話には自殺直前に彼氏とやりとりしたメールの記録が残っていた。

 由紀子さんは自分の疾患のことを彼氏に打ち明け、距離を置こうと切り出されていたという。まだ若い学生が抱えるには重すぎる事実だったのだろうか。

 娘を失って2年。正継さんは今も「もし過去に戻ってやり直せるなら」と考えてしまう。思春期を迎える前に病気のことを話し、異性との付き合いを制限すべきだった。そのせいで多感な思春期に道を踏み外し、医学生の夢をかなえることも、恋をすることもできなかったかもしれない。「それでも、生きていてほしかった」

     *

 95年から性分化疾患の自助グループ「日本半陰陽協会」を主宰する橋本秀雄さん(48)は部分型アンドロゲン不応症で、心身が男にも女にもなりきれない。親からは何も聞かされずに育った。

 自分の中の違和感に苦しんできた橋本さんは32歳の時、覚悟を決めて母親を問いただした。母親は一瞬たじろいだ後、言葉を絞り出すように話し始めた。

 3歳になっても外性器が小さいままで、国立大学病院を受診すると「半陰陽」だと言われた。男性ホルモンを投与したが、効き目はなく、治療をやめてしまった--。

 それを聞いた橋本さんは「半狂乱になって母をののしった」。自分の体がどう診断され、何をされたのか。病院に問い合わせたが、30年も前のカルテは残っていなかった。大切なことが分からないままになった。

 母親への思いが変わったのは、自助グループを作ってからだ。多くの親たちの苦しみに触れ「母も精いっぱいのことをしたのだろう」と思えるようになったという。

     *

 本人への告知をいつ、どのようにすべきなのか。医療現場も揺れている。医師たちは親に「本人には絶対に黙っていて」と口止めされる一方で、成長後に自分の疾患を知った子からは「なぜもっと早く教えてくれなかったのか」と非難されることも多い。

 東京都内のある専門医は、前の主治医から引き継いだ20歳の女性に「中学生になったころ手術を受けた記憶がある。私には睾丸(こうがん)があって、それを取ったのですか?」とストレートに聞かれたことがある。言葉を選んで説明したつもりだが、女性は言葉に詰まり、ぼろぼろと泣き出した。

 「詳しく知らないまま楽しく暮らせている人もいる。すべてを話すことがいいことなのか」。あれから10年近く、医師にはまだ答えが見つからない。

 大阪府立母子保健総合医療センターの島田憲次医師は「思春期にはある程度話さねばならない。でも、どこまで明かすべきかは常に迷う。悩みは深い」と話す。

 立ち遅れてきた性分化疾患の医療。心のサポートも急務となっている。【丹野恒一】=つづく(次回は性分化疾患とスポーツについてです)

=============

 ■ことば

 ◇アンドロゲン不応症
 精巣などから分泌されたアンドロゲン(男性ホルモン)は受容体と結びついて初めて外見や心を男性化させる。受容体の一部が機能しない「部分型アンドロゲン不応症」は心身ともに性別があいまいになる。全く機能しない「完全型」は外見上女性のため出生時に気づかず、生理が来ないことなどを機に染色体が男性型であると知る人も多い。

毎日新聞 2009年10月1日 境界を生きる:性分化疾患/3 子の性別、親が選んだ

2009-10-07 21:27:35 | 記事とかからのコピペ
http://mainichi.jp/select/science/news/20091001ddm013100184000c.html

毎日新聞 2009年10月1日 東京朝刊

境界を生きる:性分化疾患/3 子の性別、親が選んだ
 ◇食い違う診断、病院を転々/不安、自責…「娘は私を恨むだろうか」
 東日本に住む敏子さん(37)=仮名=が長女美咲ちゃん(4)=同=の異変に気付いたのは生後5カ月の時だった。オムツを替えていると、陰核(クリトリス)がそれまでより少し大きくなっていた。「赤ちゃんって、こんなものかな」。それ以上深くは考えなかった。

 その後、美咲ちゃんが風邪で小児科にかかった時、念のため医師に尋ねた。答えは「一人一人違う。いくらでもあること」。医師が言うのだから大丈夫。そう自分に言い聞かせた。


美咲ちゃん(左)と弟(右)を連れ、散歩する敏子さん。「子どもたちに自分らしい生き方をしてほしい」と願う=丹野恒一撮影 だが生後10カ月のある日、平穏な暮らしが揺らぎ始める。朝、かつてかかったことのある総合病院の小児外科を受診すると、医師が少し焦った様子で言った。「(陰核が)以前はこんな大きさじゃなかったはず。午後、小児科を受診してください」。胸がざわついた。

 昼休み、待合ロビーで長椅子に腰掛けていると、先ほどの医師が静かに隣に座ってきて、こう告げた。「娘さんはもしかすると男の子かもしれませんね」

 傍らで、つかまり立ちできるようになったばかりの美咲ちゃんが、窓から差し込む冬の日差しを受けて無邪気に遊んでいる。「この医師はいったい何を言ってるの?」。言葉が出ない敏子さんを残し、医師は立ち去った。

 そして午後。診察室に入ると、小児科の部長が待っていた。思わず身構えたが、部長は自信なさげにパソコンに向かって症例を検索するばかり。そうこうするうちに血液検査の結果が出た。「問題なし。心配しなくていい」。ただし、陰核を小さくする手術だけは必要と言われた。

 食い違う診断。安心できたと思うと突き落とされ、再び安心し、そしてまた……。医療への不信感が芽生えた。

 その小児科部長に紹介された大学病院でも同じだった。初診で「異常ないと思います。念のため染色体の検査をしましょう」と笑顔を見せた内分泌医が、1カ月後に受診すると明らかに動揺している。「こんな子、診たことがありません。染色体検査では女か男か分からない。詳しい医師が関東にいるので……」

 *

 こうして美咲ちゃんの1歳の誕生日を前にたどり着いたのが、現在の主治医だ。太鼓判を押されて紹介された病院だけに、数々の検査の末に告げられた診断結果は重かった。

 美咲ちゃんには子宮や膣(ちつ)はあるが、卵巣ではなく精巣がある。遺伝学的には男女の区別がはっきりせず、どちらかというと男性に近い。ホルモン治療をすれば月経が始まるけれど、妊娠はできない。合併症で低身長や難聴の症状が出る--。

 楽観主義の夫(34)はそれまで医師に何を言われようと「美咲に限って」と耳を貸さなかった。でもその日は違った。診察室を出てからも、口を開こうともしなかった。

 約1カ月後、病院で今後の治療方針を話し合った。医師は夫婦に「女の子と男の子のどちらで育てたいですか」と尋ねてきた。動揺がおさまらない夫婦には、親が子どもの性別を選ぶということを不自然に思う余裕もない。「今まで通りに女の子として育てられるなら……」。医師はその答えを待っていたのか「既に女の子として養育している状況などを総合的に考えると、それがいいと思います」と言った。

 それから1カ月もたたないうちに、まず精巣を摘出。陰核を小さくして外陰部をより女性らしくする手術も受けた。今後は経過観察を続け、低身長が著しくなれば成長ホルモン、思春期を迎えるころには女性ホルモンの投与を始めるという治療方針が立てられた。

 *

 いま、美咲ちゃんは多少病気がちながらも女の子として元気に幼稚園に通っている。しかし、友だちと遊ぶ様子を見ていて、敏子さんは気になってきた。かわいらしい服装を好む半面、男言葉を使うことがあり、昆虫が大好きで、人形遊びは嫌い。

 主治医に検査結果を示された時、染色体や性腺の性についての説明は受けたが、心の性がどのように育つのかを聞いた覚えはない。「この子が将来、自分は女性ではないと思うようになり、手術を受けさせた親を恨むことはないのだろうか」。そしてこうも思うようになった。「男でもなく女でもない、生まれてきた体そのものが、この子には最も自然だったのではないか」

 昨秋、インターネット上に性分化疾患の患者や家族が集うサイトを見つけ、悩みを書き込んでみた。「性別を決めるのが早すぎたのではないですか」「子どもの疾患を気遣うばかりに、家族の生活が回らなくなることもあります」。厳しい指摘もあったが、当事者にしか分からない思いや情報に触れ、暗闇から一歩抜け出せた。

 サイトにはその後も社会から孤立した親たちの相談が絶えない。敏子さんは自然と、それに答え、支える立場になった。「あの不安を私は知っているから」【丹野恒一】=つづく(次回は6日、本人への告知をめぐる課題です)

 ◇性別意識する仕組みは
 人間は自分自身をどのようにして男性(または女性)であると認識するのか。まだ十分ではないが、男性であることを意識するメカニズムは少しずつ解明されてきた。

 受精卵から細胞分裂が進み精巣ができると、そこから男性ホルモンが分泌される。それを脳が浴びることで、成長後に自分を男性と認識したり、男性的な行動を取るようになるという考え方がある。一方、成育環境や体の外見をどう自覚するかも加わり、複合的に決まるという説もある。

 女性と判定された性分化疾患の子から精巣を摘出しても、その前段階で脳が男性ホルモンを多く浴びていれば、意識は男性寄りになることもあるとみられる。性別判定の際にどこまで考慮すべきかが課題となっている。

【関連記事】
境界を生きる:性分化疾患/1 診断「100%の正答ない」
境界を生きる:性分化疾患/2 揺れ動く心と体
解説:性分化疾患、症例調査へ 医療界もタブー視 本人や家族、苦しみ抱え込み
性分化疾患新生児:男女の判定にガイドライン 症例調査へ
毎日新聞 2009年10月1日 東京朝刊

毎日新聞 2009年9月30日 境界を生きる:性分化疾患/2 揺れ動く心と体

2009-10-07 21:26:17 | 記事とかからのコピペ
http://mainichi.jp/select/science/news/20090930ddm013100134000c.html
毎日新聞 2009年9月30日 東京朝刊

境界を生きる:性分化疾患/2 揺れ動く心と体

男性と女性の間を揺れ動いた軌跡をつづった真琴さんのブログ ◇染色体混在、男性で出生届/20代…やっと女性化治療
 心と体の性が一致せずに悩むのが性同一性障害。混同されやすいが、性分化疾患は体の性を決めるいくつかの要素(遺伝学的性、外・内性器の性、性腺の性など)が一致せず、それぞれが中間的だったりもする。心も体も男性と女性の間を揺れ動き、生きづらさを抱える人もいる。

 「よく隠し通せたね」。関東地方でIT技術者として働く真琴さん(25)=仮名=は時々、高校時代の女友達にそう言われる。当時の真琴さんは男子生徒。本当のことを打ち明けられたのは卒業してからだった。「男女どちらかにはっきり属していたら、友達をだますようなことをしなくても済んだのに」。罪悪感に苦しんだ思い出がよみがえる。

 真琴さんの体には卵巣や子宮があるが、染色体は女性型と男性型が混在する「XX/XYモザイク型」。小さな陰茎(ペニス)があったためか、両親は男性として出生届を出し、男の子用のおもちゃを買い与えた。

 しかし成長するにつれ、男の子の輪に入りづらくなった。中性的な雰囲気があるのか、小学校では「おとこおんな」といじめられた。

 5年生の春、信じられないことが起きた。体育の授業中、足を伝って血が流れているのを女子に指摘された。生まれつきの異常があることは親から少しは聞いていたが、まさかの初潮。「ばれたら、いじめがひどくなる」。男子から「女みたいなにおいがする」と言われ、トイレ用の脱臭剤を下着に入れて登校した。

 その半年後、朝礼で貧血を起こして倒れ、大学病院を受診した。そこでの事は今も深い心の傷になっている。

 大勢の医師や医学生に取り囲まれる中、体中を検査された。男子学生たちが「インターセックス(性分化疾患)ってこんなふうなんだ」と、好奇の目を向ける。「私は見せ物じゃない」と言いたくても言えず、勇気を振り絞って検査の目的を尋ねた。返ってくるのは医学用語ばかり。「黙って従え」という意味と受け止めた。

    *

 中学に入ると、体力が男子についていけなくなり、親と医師の薦めで男性ホルモンの投与を受け始めた。どんどん男っぽくなる体が嫌だったが、喜ぶ両親を見ていると、治療をやめたいとは言い出せなかった。

 心と体が乖離(かいり)し、気持ちをどう保っていいのか分からない。でも生理が来ると落ち着いた。大きくなった胸にさらしを巻いて隠していると「そんなことで悩むひまがあったら、受験勉強しなさい」と親に言われ、手術で胸を小さくされた。「また一つ、大切なものがなくなった」と思うと、病室のベッドで涙があふれてきた。

 同級生たちに恋人ができていく。「異性と付き合うって、どんな感じだろう」。高校で女子から告白され、受け入れてみたこともある。自分が男か女かで揺れていては、長続きするはずがなかった。

 大学に進んでからはホルモンバランスが崩れ、1年半の入院と自宅療養を強いられた。

    *

 随分と遠回りをしたが、真琴さんは最近やっと女性化のための治療を始めることができた。通院していた病院で出会った友達の一言があったからだ。「生きたいように生きなよ」。友達はその後、別の病気で亡くなった。

 10年近くにわたる男性化治療で外見は男性に近づいてしまったが、初対面の人に女性とみられることが増えてきた。ふと気づくと、かつてのように性別のことばかり考えていない自分がいる。そのことがうれしい。【丹野恒一】=つづく(次回は性分化疾患の子を持つ親の話です)

毎日新聞 2009年9月29日 境界を生きる:性分化疾患

2009-10-07 21:24:11 | 記事とかからのコピペ
http://mainichi.jp/select/science/news/20090929ddm013100134000c.html
毎日新聞 2009年9月29日 東京朝刊
境界を生きる:性分化疾患/1 診断「100%の正答ない」
 男か女か。人生を左右する重大な決定が新生児医療の現場で揺らいでいる。染色体やホルモンの異常により、約2000人に1人の割合で発生するとされる性分化疾患。医師たちはどのような判断を迫られ、患者や家族はどんな思いを抱えているのか。【丹野恒一】

 ◇染色体、生殖能力…要因複雑/ずさんな性別判定、今も
 「あの子、女らしく育ってくれるだろうか」。東京都世田谷区の国立成育医療センター。性分化疾患の研究・治療で国内をリードする一人、堀川玲子・内分泌代謝科医長は、センターが開所した02年から診察を続けている一人の子の成長がずっと気になっている。

 その子は生後約1年で、地方のある大学病院から「陰茎(ペニス)の発達異常がある男児だが、男性ホルモンをいくら投与しても大きくならない」と紹介されてきた。しかし、詳しく検査してみると染色体は女性型のXXで、子宮や卵巣もちゃんと備わっていた。男性ホルモンの過剰分泌が原因で女性の陰核(クリトリス)が陰茎のように肥大する病気と分かった。いわば、女の子が無理やり男の子にされようとしていたのだ。

 両親と話し合い、性別と名前を女の子に変える法的手続きを取ることを決めた。家族は周囲にその事実を知られぬよう、県内の別の市に転居した。堀川医師は今も定期診察で年に2回その子に会うが、言葉遣いや様子は男っぽく、遊び相手も男の子ばかりという。「不必要で過剰な男性ホルモンを投与したからではないか」と心配でならない。

 こうした事例はのちも続く。今年初め、別の大学病院から紹介されてきた子にも外性器の発達異常があった。判断が容易な症例ではなかったが、基本的な染色体検査さえされぬまま「どちらかというと外性器の形状が女に近い」という理由で女性と決めつけられていた。センターでの検査の結果、染色体は男性型のXY、不完全ながらも性腺は男性ホルモンを作っていた。

 堀川医師は「どちらの例も、慎重に診断していれば、最初に選ぶべき性が逆だったはず」と表情を曇らせる。

    *

 医師の間でもタブー視されてきた性分化疾患が今以上に闇に置かれていた時代、患者はもっと低レベルの医療を受けざるを得なかった。日本小児内分泌学会性分化委員長の大山建司・山梨大教授は「男性器を形成するのが技術上困難だった80年代ごろまでは、医師の間では当然のように『迷ったら女にしろ』と言われていた」と打ち明ける。

 特に、性分化疾患の中でも約2万人に1人と発生頻度が高く、外性器からでは男女の区別がつきにくい先天性副腎皮質過形成の場合は「当時の性別決定のうち、約15%は誤りだったとも言われている」。

 ただし、原因が解明されてきた現在でも、容易には診断がつかないケースがある。染色体の異常の程度やホルモンの働き具合などが複雑に絡み合い、同じ病名がついても症状が全く違ってしまう。「どちらかの性で生殖能力があるか」や「将来、男女どちらだとより充実した性生活が送れるか」など、何を優先するかでも選ばれる性別は変わってくるという。「どうしても判断に迷うと、重圧で押しつぶされそうになる」「判定にはストレスを伴う」。ベテラン医師たちからもそんな本音が漏れる。

 「この疾患ならば男性、これなら女性にするのが正しいという100%の正答がない。それが性分化疾患の難しさ」と大山教授は話す。

    *

 大阪府和泉市の府立母子保健総合医療センターでは90年代初め、あるトラブルがあった。

 性別の判定が難しい子が生まれた。主治医は親に性別を決めるまでにはまだ時間がかかると説明したが、祖父は「性別がはっきりしないと田舎はうるさいので困る」と迫り、父親は「外に出せないような子だと近所でうわさになっている」と訴えた。

 医師はせかされるように、この子は女性であると決めた。しかし、両親は出産直後、助産師が軽率に「とりあえず男でいきましょう」と言うのを聞いてしまっていたため、診断への不信感を長く引きずることになった。

 同センターではこの問題をきっかけに、性分化疾患の疑いがある子が生まれたときの医療体制を決めた。子どもの症状を一人の医師が判断するのではなく、小児科や泌尿器科、産科、新生児科など複数の医師が集まり、それぞれの分野の経験と知識を出し合って結論を導き出す。

 同時に、親に説明する際の留意点もまとめた。泌尿器科の島田憲次主任部長は「言葉の使い方一つで、親の受け止め方は違ってくる。『だと思う』といったあいまいな言い方はしないよう申し合わせた」と話す。

    *

 こうした取り組みはまだごく一部でしか行われていない。堀川医師は訴える。「顕在化している問題事例は氷山の一角に過ぎない。不適切な診断を受けたまま、つらい人生を歩んでいる人がたくさんいるだろう。医師は子どもたちの一生を決める責任を背負っている。まずはその自覚が必要なのです」=つづく(次回は性分化疾患の当事者の話です)

=============

 ◇性分化疾患
 人間は一般的に、外性器・内性器や性腺(卵巣、精巣)、染色体のすべてが男女どちらかの性で統一されているが、それぞれの性があいまいだったり、食い違って生まれてくる病気の総称。出生後、男女どちらが望ましいかを決めた後、ホルモン治療や性腺の摘出、外性器の形成手術などで、選んだ性に近づけていくことが多い。不適切な判断を減らすため、日本小児内分泌学会は10月、初の症例調査に乗り出し、性別決定までのガイドラインを策定する。

諏訪マタニティクリニックの週刊誌の記事のコピペ

2008-04-07 15:22:45 | 記事とかからのコピペ
渦中の根津院長が
「代理出産女性からの手紙」を公開
「週刊ポスト」 2001.6.8号に掲載された署名記事。
掲載時に頁数の都合によってカットせざるをえなかった部分を復活したオリジナル・テクストです。
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/hmother1.html#4
問題提起
------------------------------------------------------------

 5月19日の一部朝刊は、長野県で国内初の代理出産が行なわれたことをセンセーショナルに報じた。子宮を摘出した姉に代わって、体外受精した姉夫婦の受精卵を妹の子宮で着床、出産した事実に対して、各紙の姿勢は概ね批判的だった。しかし、記事は、旧厚生省が出した”代理懐胎禁止”の答申を挙げこそすれ、患者を取り巻く内情については一切触れていない。患者、そして医師が決断した背景には、報道からはうかがい知れない苦悩と願いがある――。


--------------------------------------------------------

朝日の「犯罪報道」に異議あり

-----------------------------------------------------

「実は、体外受精による代理出産(※1)を、手がけている」
 長野県の諏訪マタニティークリニックの根津八紘(やひろ)院長(59)から、そう打ち明けられたのは、今から約1年前のことだった。驚かなかったといえば嘘だが、根津院長は、6年前から、「子宮を失った女性が子供を授かるには、代理出産による他はない」と公然と主張し続けており、「予告」通りの行動ともいえた。根津院長は、私にこう続けた。
「無事出産に至り、患者さんが落ち着いたら、世間に広く問題提起するためにもきちんと公表する。それまでは、患者さんの心身への影響を考えて、書くのは待って欲しい」
 根津院長は、86年に国内で初めて減胎手術(※2)を行なったことを発表。また、98年6月には、日本産科婦人科学会が会告で禁じていた非配偶者間体外受精(※3)を実施し、これを公表して学会を除名され、物議を醸した。そうした経緯を考えると、代理出産についても、時期がくれば公表するに違いない、と思われた。私は根津院長の意向を尊重し、この「スクープ」を報じることを、今まで控えてきた。
 私だけではない。NHK、信濃毎日新聞、SBC(信越放送)等も、この情報をつかんでいながら、患者への配慮から、時期がくるまで報道を慎んできたという。
 これは、メディアとして当然の姿勢であろう。犯罪事件報道ならばともかく、代理出産は現行法上、違法行為ではないし、妊娠・出産は個人のプライバシーに関わる。特に不妊症の患者は、その事実に触れられるだけで、精神的に深く傷つく場合もある。報道に際しては、慎重を期す必要があり、そうでなければ、報道に名を借りた人権侵害となる。
 だが、朝日新聞だけは違った。根津院長の意向をくむことなく、5月19日朝刊1面トップで「『代理母』国内で出産」とスッパ抜き、2日間にわたり、1面、社会面、さらには社説でも、「ルール破り」「問題点を見据えたのか」などと、執拗に批判を浴びせた。現行法で禁じられているわけではない代理出産という行為そのものが、あたかも犯罪行為であり、根津院長はまるで犯罪幇助(ほうじょ)を行なったかのような書き方だった。
「こんな形でオープンになってしまったので、代理出産した方への影響が心配でした」
 と、根津院長は語る。
「子供を産んで、まだ日も浅い。産後の疲労感が残っているでしょうし、姉夫婦も赤ちゃんの育児に追われている。関係者みんなが、まだ落ち着きを取り戻していない。こういう時期にマスコミに騒がれるのは、心身への影響が大きすぎるので、避けたかったのですが、情報をつかんだのが一番遅かった朝日の記者が、5月18日夜に私のところへ来て、一方的に『翌日の紙面で書く』と通告してきた。『患者のことを考え、もう少し待ってほしい』という私の言葉に耳を貸そうとはしませんでした。結局、朝日の動きを察知して、一部他紙も追随し、19日の朝刊に出たのです。
 案の定というべきか、朝日の紙面は、代理出産否定一色でした。普通の報道であれば、識者のコメントなども、賛否両論を併記するものでしょう。ところが、代理出産を容認する識者のコメントも、子宮の欠陥による不妊症でつらい思いをしている患者さんの声も取り上げていない。
 他の新聞も同様で、産経などは、社説で、法的根拠もないのに、『医師免許取り消しもやむを得まい』と書いていました。
 私は、医師免許を剥奪されなければならないような違法行為は行なっていない。旧厚生省の専門委員会は、昨年12月に『代理懐胎(代理母・借り腹)は禁止する』という報告書をまとめていますが、まだ法制化されたわけではないし、法制化されるとも限らない。現段階では、3年以内に法案を国会に提出する予定があるだけです。
 また、日本産科婦人科学会(日産婦)は会告で代理懐胎の禁止を定めていますが、日産婦はあくまで、任意団体に過ぎず、会告に法的拘束力などない。しかも、私は日産婦から除名されている身ですから、会告に縛られる理由はまったくありません。
 何ら違法行為を行なっていない医師に対して、「医師免許を取り消せ」と、法的根拠もなく書く産経新聞の社説は、魔女狩り以外の何ものでもありません。
 私への中傷はともかく、一連の報道で憤りを覚えたのは、不妊で苦しむ女性に対して一片の思いやりすら示されていないことです。代理出産という生殖医療の良し悪しを、冷静に科学的に論じるのはかまわない。反対意見があったっていい。しかし、治療技術について論じるにしても、まずは第一に、患者の立場に立って考えるべきでしょう。」
 根津院長は唇をかみしえ、こう続ける。
「不妊症の女性は、昔は『石女(うまずめ)』などと呼ばれて、ひどい差別を受けてきました。男性の側に不妊原因があっても、かつてはすべて女性のせいにされて、苦しめられてきたのです。医療の発達によって、不妊のメカニズムがわかり、治療方法も進歩してきた今でも、まだ差別が完全に消えたわけではありません。今回のようなバッシング報道は、不妊症の女性を傷つけるだけでなく、差別を再び助長することになりかねません。その点を、私は非常に危惧します。
『法整備を急げ』と、どの新聞も書いていますが、産もうとする女性と、生まれてくる子どもの権利を擁護するための法整備ならば、私も大いに歓迎します。たとえば子どもに対する養育義務を放棄する父親に、義務を履行させるような法律は必要です。しかし、不妊症の女性の希望を奪い、産ませないようにするための法整備ならば、私は反対です。
 原則的に、生殖に国家が介入すべきではない。生命倫理の美名のもとに、生殖に対する国家統制を強化しようとする旧厚生省の専門医の見解や、それを支持する新聞の論調は、基本的人権を侵害する論理です。ハンセン病患者に対して、強制的な断種・中絶が、国家権力によって強制されてきた歴史を忘れてはいけません。これも公衆衛生や民族浄化などという、’美名’のもとに行なわれてきたのです。
 もし仮に、旧厚生省の答申通りに代理母・代理出産を禁止する法律が可決されたなら、憲法の定める基本的人権の侵害であるとみなし、私は違憲訴訟を起こすつもりです」
 新聞報道の中には、根津院長が行なった配偶者間体外受精代理出産を、米国における商業化された代理母(非配偶者間体外受精=サロゲートマザー)ビジネスと同列に並べ、混同して扱っている記事も散見された。この点も、根津院長は「勉強不足による誤解か、意図的な曲解である」と反論する。
「日本にも、米国で代理母を斡旋している業者がいますが、費用は約1000万円もかかります。私が今回実施した例では、30万円強しかかかっていません。もし日本国内で代理出産を禁止する法律が成立しても、どうしても子どもがほしい人は、米国へ行くでしょう。でも、それはお金持ちに限られる。豊かでない人は、生殖医療技術の恩恵にあずかれない。これでは貧富の差による差別を産むだけです。
 私はもともと生殖医療の商業化に反対です。精子や卵子の売買も許されないと考えていますし、代理出産についても、あくまでボランティアでなくてはならない、と考えており、独自にガイドラインも作成しています」
 根津院長の定めるガイドラインでは、第1に依頼者は子宮のない女性に限ること、第2に自分の子宮を貸して代理出産を行なう女性は、すでに子どものいる既婚者に限り、生まれた子どもに対していかなる権利も主張しない旨、誓約書にサインすること、第3に、依頼側の夫婦と、請け負う側の夫婦は、身内に限り、4人一緒に来院して、根津院長の事前説明を受けること、第4に出産後、ただちに子どもを依頼側夫婦に引き渡して養子縁組をすること、などとされている。
「もちろん、いくらガイドラインを定めても、最悪の場合、両夫婦とも気が変わり、誰も子どもを引き取ろうとしないこともありえます。その場合は、わたし自身が引き取って養子にする覚悟です。家内にも、『頼むぞ』と前々からいってあります。家内の反応? 『こんな亭主と一緒になったのが因果だから、仕方がない』といってますよ(笑)」


---------------------------------------------------------

不妊専門医は45%が「賛同」

----------------------------------------------------------

 根津院長のもとに、代理出産を依頼してくる方は、どんな心情を抱えているのだろうか。それを知る手がかりとなる手紙がある。今回、姉夫婦の子どもを出産した大川栄子さん(仮名)が、したためた手紙である。このたび、根津院長を通じて、公開の許可を得た。一読すれば、当事者の切実な心情が手に取るようにおわかりいただけると思う。

<私は大川栄子といいます。(中略)私には、○才上の姉がおりますが、結婚し、7年目にして平成○年○月にやっとさずかった子を出産する予定でした。それが、もうすぐ10ヶ月目に入るところで出血し、(中略)子宮の摘出を受けました。姉は元気になりましたが、子どもを亡くした悲しみは、私の子どもを抱くことができないほど大っきなものです。(中略)そうしていたら、新聞に(載っていた根津院長の)”借り腹”要望に対応、という言葉に、どうしても先生にお話を、お願いをしたく、手紙を書きました。
 先生の患者さんの中に私たちもいれてください。(中略)私たちは、社会が少子化を取りあげるより先に、子供をたくさん産みたくても産むことのできない人々のための法をなぜかえないのかと、手も足もだすことのできない悲しみでいっぱいでした。先生が神様のように天使のように思えてなりません。私たちには、小さな、でもとっても強い光がみえてきたように思えます。
 先生、頑張ってください。私たちを助けてください。家族で心の底から幸せの笑いをとりもどしたいのです。(中略)私に姉夫婦の子供を産ませてください。先生にはけっしてご迷惑をおかけしません。借り腹をして子供をさずかって、誰に迷惑をかけるというのでしょうか。そこには幸せな家族の思い、そして手をかしてあげられた幸せな私の思いがあるだけです。言葉にしてはうまく伝えられませんが、先生、日本中の悩みを持った女性のため、明るい21世紀を迎えさせて下さい。
 手術のうけられる日をお腹をあけて、健康なからだでまっています。ぜひよろしくお願い致します。>

 この手紙の重要な点は、子宮のない女性が誰かに産んでもらいたいと依願しているのではなく、産めない姉に代わって妹である自分が産みたいと、代理出産を自ら志願している点である。
「この心のこもったお便りをいただいた時、姉を思う妹さんの気持ちに胸を打たれました。人のために尽くしたいという気持ちで医者になったのですから、こういう御依頼をやりすごしては、自分が医者になった意味がないと思い、さっそく連絡を取りました」
 依頼があった後、患者らへの充分な事前説明を行なわなかったかのように報じた新聞もあった。たとえば朝日新聞は「(根津医師は)患者への説明時間を問われると、『15分』と言ったり、『30分』と言ったり。どんな説明をしたかの記録も残していないという」などと、終始否定的なトーンで報じた。
 だが根津院長は、「インフォームド・コンセントは、充分に行なった」と語る。
「体外受精代理出産を行なった5組のケースすべてに対して、事前説明を行なっています。平日だとゆっくり時間がとれないので、休診日の日曜日に、子宮のない女性とその夫、代理出産する女性とその夫の4人一緒に来院してもらい、関係者全員が同意しているのかどうか、まず確かめます。そのうえで、妊娠出産のリスクと体外受精のリスクを説明し、それを承知の上で、代理出産を志願した女性に対し、本当に引き受ける覚悟があるのか、念を押しました」
 日産婦の荒木功会長は、5月19日付産経新聞夕刊で、
「(患者の)要望があれば、倫理に従わずなんでもやるというのは医師の態度ではない」
などとコメントしている。だが、根津院長は、代理出産の依頼をすべて引き受けてきたわけではないと反論する。
「代理出産の依頼は、今まで20組ありましたが、15組はお断りしています。断った理由は様々です。
 はじめて代理出産を打診されたのは、6年前でした。その方は、ロキタンスキー症候群(※4)のため、先天的に子宮のない20代の独身女性の方でした。
 この時私は、体外受精にこれから取り組むという段階で、彼女の希望に応じられる用意は、できていませんでした。ただ、いずれは子宮に欠損のある女性のために、体外受精による代理出産は手がけなければなくなるな、と本気で考え始めるきっかけになりました。
 子宮に問題はないが、心臓などに疾病を抱えているので、誰かに代理出産してもらいたいという方もいましたが、私は代理母の斡旋は行なわないし、この方は自分の子宮で出産する可能性が残されているのでお断りしました。
 また、50代の母親が、子宮全摘手術を受けた娘に代わって産みたいと志願して来られたこともありましたが、高齢で出産リスクが高いため、あきらめてもらいました。
 英国では、54歳のビビアン・モーリスさんという女性が子宮癌で子宮を失った娘のローラさんに代わって出産に成功した事例が報告されている。代理母・代理出産が合法とされている英国では、臨床の蓄積があるため、高齢でも可能と判断されたのだろう。
 私が依頼を引き受けたのは5例で、3例は受精卵の着床まで至らず、1例は妊娠したものの、流産してしまいました。第1は30代のロキタンスキー症候群の女性で、義妹が不慮の事故で代理出産を引き受けました。
 第2は、子宮筋腫のため子宮摘出手術を受けた40代の女性。長男を亡くしており、代理出産を引き受けたのは、義妹です。
 第3は、子宮筋腫にて腹式単純子宮全摘手術を受けた40代の方。
 第4は、子宮筋腫で子宮を摘出した30代の方で、ホスト・マザーは実妹です。
 この4例のうち、受精卵が着床し、妊娠が確認されたのは1例で、あとの方は着床まで至りませんでした。妊娠した方も、流産してしまい、無念に思っています。
 報道された成功例は、5番目に実施したケースです。妊娠して臨月まで迎えていたのに、子宮内胎児死亡と、子宮内膜剥離による出血のため、子供をあきらめるだけでなく、子宮を摘出しなければならなかった方でした」
 どれほどの数の女性が、子宮の障害等のため、不妊となっているのだろうか。正確な統計は厚生労働省にも存在しないが、都内で、はるねクリニック銀座を開業している中村はるね院長は、「20万人はいるはず」と推測する。
「子宮の2大疾患である子宮筋腫と子宮内膜症は、生殖が可能な年齢の女性2000万~3000万人のうち、疾患の大小の差はありますが、3人に1人、つまり1000万人が罹患しています。そのうち、不妊治療の必要な方は、少なく見ても約100万人。そして現在の日本の規定の医療ではどんな治療を施しても絶対妊娠できない方は、その5分の1の20万人です。医療が進歩した現在でもこれだけの数の患者がいるわけです」
 重度の不妊症患者や、子宮のない女性が、どうしても遺伝的なつながりのある子供を望む場合には、代理出産という道を選択するしかない。
 中村院長はまた、根津院長の行動を支持する現場の臨床医は少なくないと語った。
「学会の圧力をはねのけた根津先生は、本当に偉いと思います」
 日産婦の元会長で、不妊学会の元理事長でもある生殖医療の権威、飯塚理八・慶應大学名誉教授も、「代理出産を法律で禁止すべきではない」と語る。
「代理出産を禁止した日産婦の会告は、私が会長時代につくらせたもので、その当時は、3年ごとに見直すこととしていた。ところが、後任の会長は怠慢で、会告の見直しを行なわずに今日まできた。根津君が行動を起こすことで現状を変える他はないと思いつめるのも、仕方がない。
 そもそも日産婦は、不妊治療の専門医の集団とはいえないので、会員全員が生殖医療について理解しているわけではない。他方、専門医の集団である不妊学会では、92年に発表した会告の中で、会員の45%が代理母・代理出産に賛同しております。(※5)むろん私も、不妊症患者の『産む権利』を奪うような法律制度には反対です」
 専門医の間に、根津院長を支持する声があることを、各新聞がほとんど報じなかったことは、報道の公平性という点で疑問が残る。


------------------------------------------------------------

「いつの日も胸を張っていたい」

----------------------------------------------------------

 朝日新聞は、20日付朝刊の1面で、「事後ケア不十分」という見出しのもと、「代理母になった妹夫婦や姉夫婦と根津院長はその後、疎遠になっており、家族関係もぎくしゃくしている」などと断定した記事を掲載している。この記事を読む限りでは、患者は根津院長に対して不信感を抱いて離れていったように受け取れる。しかし、「不十分」なのは、朝日の記者の取材の方であろう。出産後、根津院長あてに送られてきた栄子さんの手紙を読めば、それがよくわかる。

<根津先生お久しぶりです。(中略)あれから1年が経ちました。そして私たちは、最高の宝物を手にすることができました。
 少し小さめですが、とても元気な子を無事出産することができました。
 当然のことですが、義兄にとてもよく似た子が、私のお腹から産まれてきた瞬間、何とも言いようのない不思議な思いを感じ、母としての愛しさとちがい、やっと大きな仕事を終えたという安堵感で涙が止まりませんでした。
 先生、言葉足らずですが、本当にありがとうございました。最近、借り腹出産について芸能ニュースでも報道されることが多く続き、厚生省では3年以内に刑事罰を科して規制していくと聞きました。ほんの少し、本当に少しですが、”ドキッ”としたりすることがあります。人に話をするのに”上手に言わなきゃ”って思ってしまう私がいたりします。
 でも、妊娠出産という神秘を私のお腹ですごし、誕生してきた命です。力強く脈を打って生きていこうとしている命が生まれてきたことは、すばらしいことだと信じています。いつの日か、10年20年後でも、必ず国内において、すべての女性が安心して治療を受けられる日がくると信じています。だから私は、いつの日も胸を張っていようと思います。


 いま、姉夫婦、家族はとても幸せに笑うことができました。私も何よりこの日を望んでいました。(中略)いつの日か、心からの笑顔で先生にお会いしたいと思います。
 根津先生、本当にありがとうございました。言葉ではすべてを伝えることはできませんが、本当にありがとうございました。
 心をこめて……>

 5月22日、尾身幸次科学技術政策担当相は、「こういう問題を『絶対だめ』と決めてよいのか」と、代理出産について、一定の理解を示す発言をした。


「自分の子供が欲しいが産めない人と、協力する人がいて、幸福な結果になる。人間の生き方は千差万別だと思う」
 代理出産の是非について、論議はまだまだ、尽くされていない。栄子さんは、根津院長を通じて、こうコメントを寄せた。
「5月19日の朝刊を見て、ショックを受けましたが、今は気を取り直そうとしています。新聞報道に対しては、いいたいことが山ほどありますが、時期を待って反論したいと思います」
「早急にルールを」と声高に叫ぶ前にするべきことは、何よりもまず、痛みを覚えている当事者の声に、謙虚に耳を傾けることではないだろうか。


--------------------------------------------------------

※1 体外受精による代理出産
 妻の卵子を夫の精子と体外受精させて、妻以外の女性の子宮に移植し、代わりに出産してもらう方法(ホスト・マザー)。夫の精子を妻以外の女性の子宮に注入する代理母(サロゲート・マザー)とは異なり、子宮に障害がある女性でも、自分と遺伝的なつながりのある子供を授かることができる



※2 減胎手術
 4つ子や5つ子などを妊娠した場合、そのままでは母胎と子供の双方にリスクがかかるため、母体内で一部の胎児を中絶する手術。根津院長は、86年に国内で初めてこの手術を実施したが、当時、日本母性保護産婦人科医会は公認していなかったため、論議を呼んだ



※3 非配偶者間体外受精
 妻の卵巣に障害があるとき、妻以外の女性から卵子の提供を受け、夫の精子と受精させてから妻の子宮に入れる生殖医療技術。98年6月、根津院長は「体外受精は夫婦間に限る」としてきた日産婦の会告に反して実施を公表したため、学会から除名された



※4 ロキタンスキー・キュスター・ハウザー症候群
 膣欠損症の一種。子宮の発育が不完全であり、膣が全くないという先天性の障害。卵巣と卵管は正常で、卵巣機能に異常はないため、卵子を採取して体外受精を行ない、代理出産すれば遺伝的につながった子供をもてる



※5 平成13年5月に飯塚理八氏が学会へ提出した文書より
「基本的には公序良俗に反しない限り、規則を作ってしばる必要はない。医師法に則り相互の信頼関係の下に医療は実施されるべきであり、大方もこのように推移している(中略)2.ホストマザーを禁じる理由は、親子関係の法が本邦では決まらないというのであれば、養子法などを確立する方向に行くべきで、現に法律家からもそのような趣旨を何回も聞いたことがある。明治時代作成の法律に縛られる必要はないし、この機会に改正に踏みきるべきである。本邦でできないので、隣国や他国へ渡航してホストマザーを捜している現況を如何みられるや、平成4年度の日本不妊学会での会告を差し添えたい。当時においてホストマザーには45%の賛同意見があった。日産婦でも全会員とはいわないが、少なくとも代議員諸公よりのアンケートをとるべきかと愚考する。(略)」

諏訪マタニティクリニックのHPからのコピペ

2008-04-07 15:19:33 | 記事とかからのコピペ
http://smc2.jp/special-fatility/information/new-info/newinfo01.php

1.関与した症例

当病院においては1996年の体外受精施設開設以来、子宮の無い方達のために代理出産への窓口を開き、不妊相談に応じて来ました。その後、100組近くの様々な方から相談を頂きましたが、最終的には現在のところ15組の方に代理出産に向けて実際面で関わらせて頂くこととなりました。
1) 依頼母の原因疾患(表1)
先天的な原因疾患としては、痕跡程度しか子宮の存在しない1例以外は、5例のロキタンスキー症候群の方でした。子宮と腟上部2/3が欠損して生まれて来たロキタンスキー症候群の女性への、特に医療者側の心無い発言や態度、また、造腟術への配慮の無さを聞くにつけ、患者さんに対する医療というものを全く考慮していない日本における医学教育の貧困さを痛感致しました。

3.当事者の声
2月29日に行いました記者会見「8例目の代理出産の報告」では8例目の代理出産をされた山田さん親子(仮名)さんが「同じ境遇の方々の道が閉ざされてしまわないように」と自ら記者会見に音声で臨んでくださいました。
その時のムービー「当事者の声」はこちらからどうぞ

今回は文書で別の当事者の方からの声をお届け致します。
--実母による代理出産をされた方の声--
「私は小さい頃から運動好きで、中学、高校とも運動部に所属し、高校生の時にはキャプテンをしていました。部活の帰りには友達と好きな男の子について話をしたり、休みの日にはおしゃれやショッピングを楽しむ皆さんと同じ普通の女の子でした。その私がいつも一緒に楽しんでいる友達とは違うのだと思い知らされたのは19歳のときでした。前々から初潮がまだ来ていなかったことを不思議に思っていたのですが、相談した私の母親も少し遅かったことから、私の場合もただ遅れているだけだろうと考えていたのでした。しかし、意を決して病院を受診したところ、医師から告げられた診断はロキタンスキー症候群でした。先天的に子宮の欠損があるこの診断に両親は驚愕し、ただ泣いていました。ロキタンスキー症候群は、遺伝病ではないのですが、4000〜5000人に1人の割合で認められる先天的に子宮が形成されない疾患です。私といえば、両親とは対照的に、自分に子宮がないと告げられたとき不思議に冷静でいられました。もちろん子供が産めないということはすぐ理解できました。もともと子供が好きで、私も子供に囲まれた明るい家庭を作りたいと考えていましたから、それが叶わないものになってしまったことを知り、大きな衝撃を受けていました。しかし、その時の私は、告げられた病気が、自身の命に関わるような病気ではなかったこと。そしてなにより私の悲しむ姿が、更に両親を苦しめてしまうだろうと思い、泣き叫びたい気持ちを抑えて冷静な態度でいなければならなかったからです。しかし、今にして思えば、子供が産めないという苦しみは、その頃の私には、まだ十分には理解できていなかったように思います。私の場合、子供が産めない苦しみは、好きな人ができて、その人の子供が欲しいと思ったときに初めてその本当の苦しみを知ったのでした。そしてそれは私だけでなく、その相手にも感じさせてしまうものだったのです。

その後、私の体では性交渉が不充分だということで、今後結婚を考えたときのためにと腟形成術を受けるように医師に勧められました。しかし、この手術は簡単なものではありませんでした。手術は10時間にも及び、手術後は全身の倦怠感と身の置き所のない痛み、そして、その痛みも治まらないうちからのリハビリ開始ととても辛いものでした。しかし、こういった肉体的苦痛以上に私を苦しめたのが、止め処なく湧いてくるどうしようもない悲しい気持ちでした。『私の体は普通の女性とは少し違う。だから簡単に異性に体を許す仲にはなれない。自分を本当に好きになってくれて、結婚を強く望んでくれる人でないと、本当のことも言ってはいけない。でも、もし、その人に体のことを告白したら、結婚は考えてくれなくなるのではないだろうか。子供ができないために、離婚させられていた一昔前の時代のように、私も捨てられてしまうのではないか。いや、それ以前に、こんな子供を産めない体の自分では好きになった相手を十分に幸せにできないし、いずれ自分も傷ついてしまう。それならばいっそのこと、人を好きになることなく、一生一人で生きていくほうがいいのではないのだろうか。』そんな悲しいことばかり考えていました。その後の私は、人を本気で好きになることを自制して生きてきました。しかし、そんな私にも、この人ならと思う相手ができました。そして、相手の人も私との結婚を強く望んでくれたのです。私は悩みました。体のことを告白しなければならない。でも、告白することで相手が去ってしまうかもしれない。このことはリハビリの時を含め散々悩んでいたことでした。意を決して、私が子供を産めない体であることを告白すると、彼はショックを隠しきれない様子でした。ですが、彼は、こんな私とともに生きていきたいと言ってくれたのです。私は予想外の彼の言葉に驚きながらもその言葉に喜び、甘え、そして、結婚を決意しました。そして、この人を必ず幸せにしたいと心の底から思いました。しかし、問題はまだまだありました。二人の結婚を周りの人達は許してくれるだろうか。子供が産めない私との結婚を相手の家族が許してくれるのだろうか。そう考えると私は自分が傷つくのが怖くなり、体のことを言わないので済むのであればとさえ考えたりもしました。
でも言わないわけにはいけません。私が体のことを告白すると、相手のご両親も二人の結婚を悩まれたようでした。当然のことです。子供を産んで育てる。このことは、人間の基本的な営みのひとつだからです。そして、子供が産めないとはどういうことか。子を育てたご両親は良く知っていたからです。しかし、最後には、彼の意志を尊重するということで、結婚を許してもらえました。

私はそんな彼のために子供が欲しい、彼の子供を抱きたいと強く願いました。そんな時、向井亜紀さんのニュースが報道され、彼女もまた、愛する人との子供を望むも自らは子供が産めない体であるがゆえに苦しみ、そして渡米までしていたことを知りました。この向井さんの行動に私はとても勇気づけられました。しかし残念なことに、そこまでして子供を欲しがる向井さんへ、一部の人からは心無い非難や中傷、そして好奇の目がそそがれていました。
女性に生まれ、愛する人と一緒になれたら、その人の子供が欲しいと望むのは当たり前のことではないでしょうか。『聖域に足を踏み入れていく不妊治療は、神への冒瀆』と非難する人をみかけると非常に悲しくなります。女性は子供を産む機械としか考えていない、命の大切さを全く理解していない相手に言うのであれば理解できますが、自分ではどうしようもできない事情で子供が産めない体になってしまった女性は、決して命の重さを軽んじたりしていません。命への強い畏敬の念があるからです。私は向井さんと同様、代理母出産を望みました。夫と話し合い、当初はアメリカでの代理母出産を考えていました。そのような時にインターネットで諏訪マタニティークリニックを知り、根津先生が近親者を代理母とするならば、代理母出産を行っていることを知ったのです。すがる思いで、すぐにお電話させて頂きました。先生の、「あなたのお母さんに手伝ってもらいなさい。」との一言で、私は電話口で声を出して泣いてしまいました。これまでの子供が産めないという苦しみや夫や夫のご両親への引け目が先生の一言で少し救われた気持ちになったからです。この先生の言葉を母に伝えると、母は快く引き受けてくれました。そこで、クリニックへは私と夫、そして私の両親の4人で受診しました。そこで、根津先生からの提案について、私たちはもう一度よく話し合い、私と主人の受精卵を母の子宮に戻すことを決めました。そして、数回目の試みで、母の体に新しい命が宿りました。それを聞き私たち家族は泣いて喜びました。それから出産に至るまでの間、私は母とともに生活しながらその日を待ちました。そして待望の出産、私は涙が止まらず我が子をまともに見ることができませんでした。ただただ先生をはじめ、温かく見守り続けてくれた諏訪マタニティークリニックのスタッフの方に対する感謝の気持ちと、何より頑張ってくれた母に対して感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。
今、私は主人と子供の3人で幸せに暮らしています。子供を見た人に「ご主人にそっくりね」と言われると嬉しくて仕方なくなります。私のために命を懸けて頑張ってくれた母も、今では以前と変わらず元気に働いています。他人から見ればごく自然にみえる幸せな3人家族なのですが、数年前の私には本当に奇跡のように思えます。

日本のみならず多くの国で代理母は、法律上認められていません。しかし、現実に私と同じ病気の方は4000〜5000人に1人は生まれていて、同じ苦しみを味わっています。医療技術は日々進歩してます。一昔前であれば、落としていた命が、いまでは救えるようになってきています。それは、医療技術の進歩がもたらした新しい薬の開発、治療技術や機械の開発のお陰でしょう。しかし、今の医療技術の進歩だけではどうにもできないものもあります。それは、人の善意が根底を支える輸血を含めた移植医療です。移植を必要としている人がいて、すべてを知ったうえでドナーとなろうとする人がいる。そして、その移植を支える技術を持った先生がいた場合、その移植を行うことは神への冒瀆でしょうか。日本でも移植医療が創世の時代には、そのような議論が活発にされました。ですが、今では毎日のようにその技術が用いられ、その技術により人が救われています。確かに問題が起こることはあります。しかし、その全てが問題ではないのです。あくまで問題はごく一部にすぎないのです。ようは、そういった技術を持つ人、あるいは、それを利用する人々のモラルなのではないでしょうか。話を不妊治療にまで伸ばせば、「聖域に足を踏み入れていく不妊治療は、神への冒瀆」と非難する人もいますが、はたしてそうでしょうか?体外受精は、今では多くの施設で毎日のように行われています。これも、通常の性生活では妊娠できない人々に行われている医療です。一昔前まででは、子供を授かることができないケースでした。これは神への冒瀆でしょうか?この問題と代理母の問題を一緒にするには、抵抗を感じる人もいるかもしれません。しかし、全てを知って善意で体を提供してくれる人がいた場合、(私の場合は母親でしたが、)その善意を受けることは許される行為であって欲しい。いま、社会でいろいろ問題になっている代理母ですが、是非、自らは子を産むことはできないながらも、我が子を抱きたいという切ない思いをもつ女性に道を閉ざしてしまうようなことはしないで下さい。そして、是非、皆さんにも代理母について考えて欲しいのです。なぜなら、皆さんの恋人、姉妹、お子さん、そして親戚の方にも、子供を産む事ができないことで、人知れず苦しんでいる女性がいるかもしれないのです。
そして、最後にこの場をお借りして、根津先生、吉川先生、そして、スタッフの皆様、御礼申し上げます。今後も子供の成長をお知らせに参りたいと思います。このご恩は一生忘れません。本当に有り難うございました。」


生まれつき・・・

2008-04-07 14:43:10 | 記事とかからのコピペ
<代理出産>体外受精15組うち8組が出産 根津医師公表
4月4日19時38分配信 毎日新聞



公開講演会に参加し、記者の質問に答える根津医師=東京都港区で2008年1月31日午後4時52分、平田明浩撮影

 諏訪マタニティークリニック(長野県下諏訪町)の根津八紘(ねつやひろ)院長は4日、これまでに15組が代理出産を試みたことを同クリニックのホームページで公表した。4組は妊娠せず11組が妊娠。3組は流産、8組が出産し、10人が誕生したという。代理出産に関しては3月、日本学術会議の検討委員会(鴨下重彦委員長)が法律で原則禁止し、公的機関の管理下での試行を容認する報告書案をまとめている。

【関連】 代理出産:実母が娘の子を産む--根津医師会見

 ホームページによると、代理出産について、約100組から相談を受けた。実施した15組の依頼女性をみると、6人は

生まれつき子宮がない

か小さいケース、9人は子宮筋腫、子宮体がんなどで子宮を摘出していた。出産を引き受けた女性(代理母)は▽実母5人▽実の姉妹3人▽義理の姉妹7人。年齢は34歳以下が5人、35歳以上10人。55歳以上も4人含まれている。

 根津院長は「『代理出産の条件付き容認、悪用する者へは刑事罰』(根津私案)という基本の下で、さらに症例数を増やしながら議論していくべきだ」としている。【大場あい】