朝10時ごろ会計や診断書が上がってくると聞き病室で待っていたが、11時を過ぎて診断書はきたが、会計はまだこない。
担当ナースが来てちょっとまだ上がってこないのでと、金額だけ聞いて懲罰個室を出ることになったが、その金額たるや
「ええっ??!!」
と声に出ちゃうほど予想より安かった。
懲罰個室がタダになったことも大きいが、障害者手帳や各種の医療券のおかげだと実感する。
前日のことを何も聞いていないかのように、ナースステーションのナースたちが笑顔で見送ってくれた。
エレベーターで降り、待っていたかあちゃんと落ち合い外来棟の会計まて歩いたが、ほんの数百メートルの平坦な通路を歩いているだけなのに、足が上がらず何度も躓いてかあちゃんに支えられた。
ようやく退院会計までたどり着いた時は疲労困憊、メチャ混みで待っていて気分が悪くなり、会計と保険の書類を文書課へ預けるのはかあちゃんにやってもらい、ソファーにグッタリ体を投げ出し目を瞑っていた。
少し気分が落ち着いて、全ての手続きが終わったのはすでに1時を回っていた。
1ヶ月ぶりに病院の外へ出てタクシー乗り場へ向かう道すがらも何度も立ち止まり息つぎ、外の暑さでさらにグッタリしてタクシーに乗った。
ようやく我が家へ戻った時はすでに2時を回り、タクシーを降りて玄関まで歩いただけでまたも息切れ、靴を脱ぐ前にへたり込んでしまった。
階段を2階へ上るのに2度も、手すりにつかまって休まなければならなかった。
ようやく居間にたどり着くと、服を着替える余裕もなくヨギボーへ倒れ込んだ。
頭の片隅になぜか古いフランス映画のタイトル「かくも長き不在」が浮かび、そのまま眠りこんでしまった。
目をあけたのはもう4時過ぎ、ノロノロ着替えて所定の位置に座ると、たまりにたまっていた郵便物に目を通し、お薬カレンダーに今まで飲んでいた薬と新しい薬を振り分けて入れるともう夜。
小僧がポカンと口を開けこちらの顔を見て固まった。
あまりにやせ衰えていて唖然としたのだった。
夕食に出汁の効いた熱いうどんに卵を落とし食べたが、半分でもうお腹が一杯になってしまった。
病院では点滴だけの絶食が20日以上も続いて空腹感も満足感もなかったが、このたった半分の素うどんで満足、満腹感を感じた。
書いてもらった診断書を開くと、病名は「急性膵炎後、被包化膵壊死」となっていた。
つもる話しをかあちゃんと話していたら、突然口が痙攣し、吃り、声が出なくなってしまった。
入院中長く人と会話したことがなかったから、口が硬直してしまったのだろう、次から次へと衰えた現象がおこる。
うどんを食べた時は手が震え、箸でうどんを摘むのもおぼつかなく、湯呑を持てばブルブルとドリフのコントの爺さんみたいに震えてこぼすし、座ったと思ったら今度は立ち上がれなく、かあちゃんに手を貸してもらうしかなかった。
入院中はこれほどまでとは思わなかったが、娑婆は病院とは重力さえ違うのか、深刻なヤバさを痛感した。
もう寝るよりないと、9時の薬を飲んでベッドに横になったが、これが眠れない。
ベッドも枕も病院とは段違いに寝心地がいいのに、ウトウトとすると咳が出て目覚めてしまうという悪循環を繰り返し、悶々として朝を迎えた。
退院後2日目、朝4時には起きてMacを起動してたまりにたまっていたメールを処理し、入院保険金の申請書類にブルブル手を震わせなから幼児のようなのたくった文字を記入した。
普段かけていた眼鏡に違和感があり、どうやら視力も衰えたようだが、眼鏡を作ってからもう5年くらいになるし、加齢も加わっているから作り直さなけりゃならないとため息。
この有様では散歩に外へ出るのは危ない。
段差で容易く転ぶだろうし、倒れたら即救急車を呼ばれちまうだろう。
当分は自宅でリハビリしなけりゃと覚悟はしていたので、ゆっくり弱い負荷をかけたトレーニングが必要と、足裏EMSのマシンと初心者用の折りたたみのできる安いクロスバイクをネットでポチッとしていた。
それらが明日には届くだろうから、今日はゆっくりしていよう。
お昼になって出雲駅伝を見ていると、國學院大学の1年生エース「平林くん」と身長・体重のスペックが同じだとわかった。
だが内容は雲泥の差どころか足元にも及ばないのはいうまでもなく、彼の体脂肪はひと桁、細くてもしっかりヒラメ筋ができていて羨ましい限り。
かつてはこのポンコツのヒラメ筋もしっかりしていたが、今じゃ腐りかけの萎びたヒラメだ。
風呂上がりに筋肉がすっかり失せた脚をみて、
「ヒャァ〜、痩せっぽち」
とかあちゃんがあらためて驚きの声を上げる。
絶食が長いと体は筋肉から足りないタンパク質を搾り取って、頭、背中、尻、脚の筋肉を根こそぎ奪っていく。
残るは腹のお肉だけだがそれは生きるため最後まで残され、結果地獄の餓鬼のような体形が出来上がっちまう。
鏡を見てつくづく何百回目のため息をつく。
この痩せ衰えた体が、かつては42.195㎞を18回も走ったなんてとても信じられない、夢幻の如くなりだ。
病院でリハビリをしてくれた理学療法士のお兄さんから、まだ致命的に筋肉が失われたわけではないので、ゆっくりややきつめの負荷をかけた運動を毎日していれば1ヶ月余りで日常生活は可能だと言ってくれた。
その言葉どおりに明日から、手はかつて「アサヌマ」さんに頂いた握力グリップ、腕は負荷を変えられるトレーニングチューブ、脚はもうすぐ届くだろうエアロバイク、足裏はEMSでで焦らずゆっくり基礎筋肉を目覚めさせ、その上で外へ出て行こう。
店の再開と同時進行で体を作っていこう。
人生はケ・セラ・セラ、明日は明日の風がふく、諦めなければいいこともあるだろう。
能天気で無駄にポジティブ、life is wonderful !!
コメント一覧
アイドル好きな爺
最新の画像もっと見る
最近の「迷想雑記」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事