20歳の頃、六本木に住んでいた。
19歳のときにアパート住まいを始めて、やがて千住から横浜へ越して数ヶ月、毎日バイクで六本木のバイト先まで通っていたのだが、バイト先のオーナーのご好意で、他に経営されている事業の寮として借りていたマンションに住まわせてもらうことになり、横浜から移り住んだのが「六本木コーポ」の505号室。
そしてそこから、オヤジの酔っぱらい人生がスタートした。
およそ30年前のことである。(ひょえ~、気が遠くなるほど昔じゃ・・・、身体も壊すって・・・)
当時の六本木はディスコ全盛で、毎晩毎晩、よくこんなに人が湧き出たものだとあきれるほど。
交差点から「スクゥェアビル」までの路上は人の列ができ、お祭り騒ぎは深夜にまで及んでいた。
そんな人の流れとは逆行するように、若造だったオヤジは昔ながらの六本木の街と人に馴染んでいった。
“指導”してくれる大人の顔ぶれも、とっても恵まれていたと思う。
あらゆる面で影響を受けた「キタさん」、南方戦線を生き抜いたおでん屋の「おいちゃん」、手相とはったりを教えてくれた「ケンさん」、下積み体験と希望を語ってくれた「モト冬樹」のお兄さん「エド山口」さん、ウイスキーの知識と飲み方を教えてくれた「BAR twin」のマスター、新宿二丁目や“そういう生き様”を見せてくれた「カンイチさん」、そして憧れのお姉さん「味の屋」のママ。
若かりし頃のオヤジが、とても真面目で、一途な好青年だったことを知ってくれている“大人”の人たち。
あれから30年・・・。
六本木の街はどうなっているのか ?
みなさん、今どうしているのか ?
「反省期プラス・ワン」まつりの前夜祭がてら、かあちやんと六本木を訪ねてみた。
かあちゃんは高校を卒業してすぐに、熊本県の東京職員寮「くまもとかいかん」に勤めた。
この場所が、今や飛ぶ鳥とお上りさんを撃ち落とす一等地、「六本木ヒルズ」と「メイウシヤマ」の「ハリウッド化粧品」の隣にある。
しかし、田舎者まるだしのかあちゃんは、この六本木の街でひと際浮いていた。
たまたまバイト先のオーナーが九州の人だったので、かあちゃんは犬っころみたいに「ちび、ちび」と呼ばれ可愛がられていた。
映画「三丁目の夕日」の「堀北真希」ちゃんよりも数百倍田舎者丸出しのおぼこ娘だったかあちゃんは、
「どうぞ騙してください」
といわんばかりの田舎者だった。
で、オヤジが騙した。
ち、ち、ち、ち、違います って !!
千住の田舎者と、熊本の田舎者をくっつける、大人の陰謀があったんですって。
でも、その話はまたいつか・・・。
えー、六本木の話です。
お世話になった人の話です。
街も人もすっかり様変わりした六本木を歩いてみた。
交差点を溜池方面へ坂道を下ってゆくと、「区立三河台公園」がある。
仕事が終わった明け方、店の残り物などを持ち寄って、みんなでお花見に来たことがあった。
ガンガン酒を飲んで逆立ちやバク転なんぞして調子コキ、腕を捻挫したのだった。
「三河台公園」の先、「ジャニーズ事務所」の並びに「BAR twin」があったが、今はどちらもない。
「カンイチさん」のポロアパートも当然ない。
手相見の「ケンさん」が商売したりケンカした「世田谷信用金庫」も、閉鎖されて久しい感じだ。
六本木と赤坂の境目に防衛庁の高い塀はなくなり、向かいには「水曜日の朝」もヒゲのマスターもおらず、毎晩(いや毎朝)たむろしていた「おいちゃん」のおでんの屋台も、当然ない。
六本木は空々しい、つまんない街になってしまった・・・。
「芋洗い坂」を「麻布十番」の方へおりてゆく。
「味の屋」がまだ営業しているのはチェック済みだったが、果たしてママがいるだろうか ?
憧れのお姉さんに会いに行くので、ちょっとドキドキだ。
モグランポを開店して落ち着いた頃、やはりかあちゃんと出かけたことがあったが、放ったらかしで忘れていた「ジャック・ダニエルズ」のNEWボトルをキープしていてくれて、とても感激したものだったが、今回は前回よりも長いブランクがある。
ボトルなんて当然自然消滅だが、それよりもこちらの顔を思い出せないんじゃないか・・・。
そろ~っと店に入った。
カウンターだけの小さなお店だが、とてもきれいで気取らず、落ち着ける。
一応名乗ってみた。
ママがパッと笑顔になった。
ああ、よかった。
覚えていてくれた。
ママはちょっと身体を壊し、少々ふっくらしたけれど、相変わらずのおっとりとした“天然”は健在だった。
さあさあ、さっそく食べちゃいます。
飲んじゃいます。
「串揚げ」は関西風だが、「二度漬け禁止」のラフなものではなく、一口サイズで上品な「串揚げ」で、ソースは手作り、黙って座れば次々とストップがかかるまで揚げてくれるスタイルだ。
久しぶりの揚げ物はとても旨く、今やウイスキーではなく焼酎がメインになっていたので、「一刻者」を1本入れ、これまた久しぶりに芋焼酎を堪能した。
たまたまカウンターにいらした30年来の常連さんと、六本木の昔語りに花が咲き、ママとも「三河台公園」の花見や、懐かしい人たちの話で盛り上がった。
80歳、90歳になっても営業したいというママの言葉に、頭が下がるオヤジとかあちゃん。
10年そこそこじゃあ、まだまだ青いね。
よぉし、もっと頻繁に六本木へ来られるように頑張ろう。
なんたって日比谷線1本で来られるんだから。
ひとしきりいい気持ちになったところで、カウンターの上にあって、さっきから気になっていた一升瓶の銘柄をママに聞いてみた。
「火之要鎮」ひのようじん ?
消防署の常連さんが、ラベルを作って持ってきてくれたんだそうな。
火を使う商売だから、「火の用心」ってことね。
物欲しそうに見てたわけじゃないが、
「残っているのは、全部飲んでいい」
とママが言ってくれたので、それじゃ遠慮なくいただきます。
かあちゃんが横で、調子に乗るなと目線を送る。
いっじゃないか、いっじゃないか、久しぶりだし、据え膳食わぬはなんとやら、サ。
胃の腑の中まで「火の用心」サ。
30年前のオヤジが、いかに真面目な好青年だったか、六本木で唯一証言してくれる大切なお店。
串揚げ「味の屋」さん、おすすめです。
ママ、また近いうちにおジャマしますよぉ~
お元気で
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おでん屋の娘くろちゃん
mogmas
20年前「味の屋」来店者
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