まだ朝の電車に乗るのは危険なので、また「ちち」のタクシーでお願いするつもりだったが残念ながら彼も予定が入っていて、急遽タクシー送迎アプリ「GO」をダウンロードして使ってみた。
起動して「タクシーを呼ぶ」をタップ、するとすぐに近くにいるタクシーが手配され、4、5分で到着すると表示された。
続いて到着がもう少し早くなると表示されたので外へでると、もう見えるところに車が来ていた。
予約の時間どおりに病院に到着し、「福祉タクシー券」でお支払いをして病院の受付へ向かった。
歩いている途中、かあちゃんと同時に「あっ?!」と声を上げてしまった。
これまでヨロヨロとしか歩けなかったのに、普通にスタスタと歩いているではないか!(◎_◎;)
この4日間食事に気をつけ、適度に階段を昇り降りして動いていた成果か?
嬉しくなり、もう一人で散歩に出られる、そうその時は思った。
病院は採血も診察待ちもどういうわけかいつもより混んでいて、
「オイどうなってるんだ。オレはもう1時間も待っているんだ、おかしいだろう!!!」
と受付で怒鳴っている爺さんが現れた。
あーあ見苦しい、どこでもいるなこういうヤカラが、こっちはすでに1時間半も待っているぜ、と頭の中で呟いたら、「マリコ先生」からお呼びがかかった。
診察室に入ると血液検査の数値を見せられ、炎症の数値CRPが退院前は5.6だったのに対して、この4日間で2.4まで下がり、膵臓の数値を表すアミラーゼ・リパーゼもまだ3桁台ながらも下がっていたのを知り安心した。
だが退院後に顕著に現れた不調、
① 頻繁なめまい立ちくらみ
② 異常な手の震え
③ 口がアワアワとなって吃り言葉が出なくなってしまうこと
④ ぶつけてもいないのに体のあちこちに青あざができ、それが青黒くなっていつまでも消えないこと
それらを訪ねた。
「マリコ先生」小首を傾げ(その仕草が女性らしくて可愛い😘)、①と②に関しては急激な体重減で体のタンパク質が失われナトリュウム・ビタミンが不足し、それが神経にも影響しているのではないか、今後食事でナトリウム=塩をもう少し摂取するようにして、果物などのビタミン源を過不足なく食べれば自然となくなるのではないかとのこと。
そういや入院中もナトトリウム不足ということで生理食塩水の点滴を打たれていたっけ。
ちょっと前に自然食療法を実践して癌を克服したという方のアドバイスで、朝イチのぬる目の白湯と一緒に天然塩をひと舐めすると良いというのを実践して、病院にも天然塩を持ち込んでひと舐めしていたのだが、退院してそれを怠っていた。
だがそれにしても今まで何年も減塩、減塩と言われ続けていたのに、ここへきて一転塩をもう少し補給せよとは、いやはや人生何が起こるかわからない。
そして③については、長らく病院内で必要以上の会話はせず、最低限のデシベルでしか声を発していなかったため、顔中の筋肉が落ちて弱り、咽頭まで活動が弱まったせいだろうから、声を出してたくさん会話をしていればこれも時が解決するだろうと。
やはりかあちゃん以外の人と会話をしないと、これは克服できないのか・・・。
また④については、この病気とはひょっとすると原因が違うかもしれないので、今後必要な栄養をとり経過観察することと言われた。
次回の受診は来月、その時また造影剤CTを撮り、最後まで居座った嚢胞=膿が胃から膵臓にかけて留置した金属のステントで良くなっていればそれを抜き、万が一悪化していた場合最終手段のハラキリ・開腹手術になり、最悪膵臓の2/3余りを切除しなくてはならなくなるかも。
膵臓を全摘したらインスリン注射が必要になってくるが、少しでも残っていれば膵臓の役割を果たすらしいが、まあそんなことはないに越したことはない。
あと1ヶ月、いやせめて年内は食事も運動もきちんとしてその日を待ちたい。
頑張ろう。
会計して薬をもらい(今回も各種手帳のおかげでタダ)、病院を出たのはすでに1時を回り、流石に腹も減り薬も飲みたかったのでローソンでおにぎりを1つ買ってかあちゃんと一緒に食べた。
(ちなみに24間していた普通の点滴はたったおにぎり1個分のカロリーしかないそうな)
流石に長丁場で疲れてしまったので、帰りもタクシーに乗って北千住駅に着けてもらった。
出たついでに用を済ませとかなければと、マルイの中の眼鏡屋さんに立ち寄って眼鏡を作り直してもらうつもりだった。
新しく作った眼鏡は入院前に試して良く見えるようになったのだが、ちょっと長くかけているとクラクラとして気持ちが悪くなってしまったのだ。
改めて視力検査をしてもらったのだが、店の機械では測定不能になってしまうくらい視力が落ちていることが明らかになった。
作った時は最大限見えるようにレンズを作ったということだが、それでクラクラする測定不能状態だと、きちんと眼科医の診察を受けて処方箋を出してもらわないと対処できないと言われてしまった。
それは薄々感づいていたのだが、今月免許の更新だったので焦っていたのだ。
明日のお昼に1回目のコロナワクチンの接種がようやく決まったのでまた家を出るから、そのついでに近所の眼科医で見てもらうことにしてすごすごと眼鏡屋さんを後にした。
オイオイ、今度は目玉もダメになっちまったか😩、もし免許の更新ができなかったらどうしよう・・・。
すっかり疲れて喉も渇いていたから、地下のドトールでやっと解禁になったコーヒーを飲みしばし休息した。
しばらくして落ち着いたので店を出て歩き始めたら、平坦な通路で速攻つまづいて転びかけた(;_;)
朝普通に歩けていた足が、夕にはもう上がらず、地上に上がる階段は自力で上がることができずに、左をかあちゃんに支えてもらい、右手を手すりにつかまりソロリソロリと一段ずつ上がって息切れしてしまった。
うわっ!!!こりゃあ一人で散歩に行けるなんてまだまだ早い、転びかねないしめまいでも倒れかねないから当分はかあちゃんの付き添いが必要だ、難儀なこっちゃ。
そんなわけで自宅までは短い距離だがまたタクシー、1日に3度もタクシーを乗り継ぐなんて初めての経験じゃないだろうか。
人と喋らないから、ついつい話が長くなってしまう、でも遺言と思ってもう少しお付き合い願いたい。
今日1日動いて、その間ずっと考えていて、やっと真実に思い至ったことがある。
若い時、六本木の交差点近くにあった関西風お好み焼き屋「長者の子」で働いて、初めて関西風のお好み焼とかあちゃんと出会った。
(かあちゃんとの出会いについてはまた今度)
これまで関東風の目の詰まった固い生地のお好み焼とボッタ(千住あたりでは昔からもんじゃ焼のことをポッタと呼んだ)しか食べたことがなかったので、初めての関西風はちょっと違和感があったがそのうち美味しさに目覚め、今までのはお好み焼じゃないと魅了された。
長らく様々な仕事のサラリーマン生活だったが、40歳を前に独立してさて何ができるかと考えたところ、やっぱり何があっても基本は飲食だと思った。
だけどちゃんと料理人を経験したわけではなかったから、今できる飲食ということでお好み焼を選んだのだった。
しかも徹底的に仕込まれ身についていた「長者の子」の良さを受け継ぐ形で。
それまで北千住界隈には流行りで「関西風」を掲げるお店がいくつかあったが、いずれもなんちゃっての店ばかりで、本筋はもんじゃ屋だったことが店舗工事着工前に現地調査で明らかになった。
だから「モグランポ」が初めて「モダン焼」「とん平焼」「そばめし」「牛スジ」をメニューに謳ったとき、多くの他店の人が偵察で来店し、鋭い目であからさまに観察していった。
そしてそれ以降、千住地区にそれらのメニューがチラホラ見かけられるようになったのだ。
嘘でも誇張しているわけでもない、真実だ。
その点では「モグランポ」が千住ではパイオニアなのだと自信を持って言える💪
さて、「長者の子」の良さを引き継いだが、悪さも引き継いでしまった。
「長者の子」のオーナーはお金持ちで、独善的で気まま、女の子にはやたらえこひいきで客を選び、親切だったにも関わらず意地の悪いところも併せ持ち、店をおっぽり出して夜の市場調査に一生懸命で、お客さんを作らず自分のアミーゴばかりを連れてきて上機嫌、お金持ちだったから給料は悪くなかったし、六本木のマンションもタダで寮として貸してくれたし(六本木コーポ505、そこでかあちゃんとの暮らしが始まったのだけど)、新しいものを取り入れるのは好まない頑固で保守的で、そんなだからこのオヤジが去った後ほどなくして閉店してしまった。
どうだろう? どこかの誰かさんと似てはいないかと感じた方もおられるだろう。
そんな悪しき面も引き継いで25年経ってしまったのだ。
そしてそのことに気がつかず、気づいても自分は違うとやり過ごし、メニューを変え店舗を改装し、悪しき面を心の奥の片隅に押し込め25年店を続けていたのだ。
入院中に
「なぜ自分ばかりこんな目にあうのだろう」
「なぜ原因不明の苦痛ばかり繰り返すのだろう」
「良かれと思ってやっているのに、どうして他人はわかってくれないのだろう」
「どうして、なぜ、自分は悪くない」
そんなネガティブで後ろ向きのマイナス思考を涙とともに洗い流して、ポジティブに転換したと思い込んでいたが、実は心の奥底に封じ込めた悪しき面=ダークサイドは流されていなかったと、退院後4日経ってようやく思い至ったのだ。
誰のせいでも環境でも、金でもなく、ましてや人ではなく、自分の頑冥で臆病で底意地の悪さと狭量さ、苦痛やら悲しみやら裏切りを数多く体験したせいで、見えなくなっていた己が全面的に悪かったと25年経ってようやく思い至ったのだ。
それに気づかなければ、これ以上店を続けていても無意味、だだの惰性、見栄、怯懦のなにものでもないと気がつくのに、激痛と入院という拘束が必要だったと悟った。
全ては人だ。
人と人との繋がり、信頼、協力で、一人では何もできないと、それが接客業の基本中の基本だと、遅きに失したが理解した、いい年をして・・・。
今後の「モグランポ」の最後の改装、メニューの見直しは、それらを踏まえ、これまでとは全く違うコンセプトで出来上がることをここにお約束いたしますm(_ _)m
で、またまた気持ちを切り替えて(^_-)
このオヤジ、人生最大のピンチであります。
食事・適度な運動・薬では解決しない問題、口がアワアワ状態の解消は人と会話する以外にないと思い知ったわけで、口がアワアワでは接客業は成り立たないので、皆さんに助けてもらいたく、まずは20年ほど公私共々親しくおつき合いさせていただいているお客様=常連さんに、どうぞいつでもおヒマな時にリハビリだと思って連絡をください、助けてくださいと、
「たすけてオビ・ワン・ケノービ、あなただけが頼りです」
と救難信号を発してみた。
そして厚かましいながらこの場でも、この拙いブログに目を通してくださるありがたたくも稀少な皆さんにもお願い🙏
「いつもトンチンカンでスットコドッコイなブログをご覧くださりありがとうございます。
もはやこの窮状を救っていただくには皆様の一言、良いことも悪いことも全部含めて皆様のお言葉、言霊よりありません。
こちらの所番地、電話、アドレスをご存知の方、手紙でもメールでも(LINEはやっていませんので)電話ならなお嬉しく何か一言でも、ご存知ではないかたはこのブログへコメントなり何かお言葉を賜りたくお願い申し上げます。
皆様のご意見お叱りの言葉、一言、それが言霊となり、心の栄養と安らぎ、口がアワアワの解消に必ずや役に立つはずです。
どうぞこの哀れなコテンパンに打ちのめされた女の子みたいに体重を減らしたオヤジをお助けください。
「志村けん」のコントの爺さんみたいに、手が笑っちゃうほどブルブル震えて飲み物をこぼしてまうポンコツをお救いください」
「助けて皆様、あなたの一言が頼りです」
こうなったら見苦しい姿も晒してしまい、救いの言葉を差し伸べてもらおう。
まだ体重44㎏台をさ迷っている骨皮筋衛門こと棒人間。
これ以上痩せたら街路樹や電信柱に隠れて見えなくなってしまい、しまいには空間に縦線1本引いただけの人以外の存在になってしまうかもしれません。
そうなる前に、ぜひ会話とコメントを重ねてお願い申し上げます。
大変長らく御清聴くださり心よりお礼申し上げます。
2021年10月15日午前3時26分 眠れぬままに
あらあらかしこ
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