家庭連合平和奉仕ボランティア隊キャプテン日記 in 復興支援

家庭連合平和奉仕ボランティア隊(UPeace)のキャプテンが、復興支援の様子や現地の声、感じた思いなどを発信します。

ボランティア活動のビフォア&アフター

2015年11月27日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

 常総市で災害ボランティアをした時の、現場における作業前後の変化をいくつか紹介します。

 

―――――――――――――《 家財道具の洗浄 》―――――――――――――

 ブラシや高圧洗浄機などを使い、机、椅子、棚、ソファー、工具、園芸用の道具など様々な家財道具を洗浄します。洗浄後は、これ以上さびないようにするため、雑巾などで拭いて水気を取ってから片付けます。

 ⇒⇒⇒                [作業前]                          [作業後]

 

 

――――――――――――《 家財道具の運び出し 》――――――――――――

 屋内にある被災した家財道具を、屋外に運び出します。服や布団、畳、ベッドなどの水を吸う材質のものは、重さが2倍~3倍くらいになります。タンスや窓などは、隙間に泥水が入り込むため、扉が開かなくなることが多いです。更に、床は泥だらけで滑りやすくなっている場所が多いです。

 

 ⇒⇒⇒                [作業前]                          [作業後]

 

 

―――――――――――――《 床板の撤去 》―――――――――――――

 バールやハンマーを使って、床板を一枚づつはがしていきます。板を割らないように、1枚づつ丁寧にはがしていき、床板の下にある断熱材も撤去していきます。撤去後は、取り残した釘を抜いていきます。力より技術が必要になる作業です。

 

 ⇒⇒⇒                [作業前]                          [作業後]

 

 

―――――――――――――《 床板の泥出し 》―――――――――――――

 床下のスペースは狭いため、大きな作業道具は使えません。園芸用の小さいスコップや片手用のクワなどを使い、少しづつ泥を集めて撤去していきます。家の被災状況次第で、溜まる泥の高さが1cm程度の場所もあれば10cm以上の場所もあり、その量には天地の差があります。

                 [作業前]                          [作業後]

 

 上記以外にも、被災した学校のグランド整備、支援物資の仕分けや運搬、避難所の運営補助...など、現地からのニーズに応じて作業内容は様々です。


被災から得た2つの教訓

2015年11月17日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

 茨城県常総市で活動した時、自宅が被災した人から、被災経験から得た教訓を聞きしました。

 

 今回の災害で学んだことは、やっぱり自立心だね。

 私も自分が被災したから分かったんだけど、被災直後の自宅を見ると、自分ではどうしたらいいか分からなくなったのさ。うちは、床上50cmも泥が堆積しててね。その光景を最初に見た時は 「もうダメだな~」 って、お先真っ暗になったよ。

 でも、この地域は役所から近所の人までみんな被災してるから、待ってるだけじゃ誰も助けてくれないのさ。結局、自分自身で向き合うしかないから 「何があっても、自分が責任を持ってきれいにするぞ...」 と覚悟を決めて取り組み始めたんだよ。すると、不思議なことに、最初は1人だと思ったんだけど、少しづつ周囲からのサポートを受けれるようになって...あの、山のようにあった泥が、今では全部片付いたんだよ。

 自立しようとする気持ちは、大切だな~ってしみじみと感じたよ。

 

 あともう1つは、プラス思考だね。

 私は会社を持ってるから、普段は頭で考えて分析するクセがあるんだけど、被災直後は考えてもダメだったね。周囲の環境がマイナス過ぎて、いくら考えても改善の糸口が見えなかったんだよ。逆に、考えるほど不安が増して、深刻になる一方だったね。一度は会社をたたもうとさえ考えたから。あの時ほど、鬱になる人の気持ちを理解できた時は、今までの人生で無いよ。

 「これ以上考えたら頭がパンクする」 と思ったから、逆に開き直ることにしてね...「まあ、いつか何とかなるさ!」 の精神で、バカなくらいのプラス思考で、あまり考えないようにしたよ。でも後から振り返ってみたら、それが良かったんだよね。プラス思考に切り替えると、まるで運気が来たみたいに物事が好転し始めて、今では会社再開の目処が立ち始めてるんだよ。

 

 (堤防決壊から)2ヶ月経って、何とかここまで来たかって感じだね。今回の災害は本当に大変だったけど、そこから得た教訓もたくさんあったよ。

 

その中でも...

     自立心 プラス思考

                ...苦労して学んだことだから、これからの人生に生かさなきゃね。

 

 話をお聞きしながら、自立心やプラス思考の重要性を感じました。


次は自分が駆けつけたい

2015年11月11日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

 茨城県常総市の災害ボランティア活動をした時、現地の依頼者さんから聞いた話です。依頼者さん宅は決壊した堤防の近くにあったため、家や倉庫の中に土砂がたくさん流れ込んだようです。

〇絶望から希望へ

 (被災後に自宅へ戻ってみると)建物の外観は大丈夫でしたが、屋内は被災してグチャグチャでしたよ。その光景に圧倒されたのですが、「とりあえず何とかしなきゃ」という思いになって、できるところから片付け始めたんです。でも、なかなか片付けが進まなくてね。諦めかけていたある日、ふと近所を見ると、ボランティアさんが作業している光景を見たんですよ。「もしかしたら、自分も頼めるのかな?」と思ったので聞いてみると、うちにもすぐ来てくれたんですよ。本当に助かりましたね。

 

 最初は10人来てくれたんですけど、うちに泥がたくさんあるのを見て、次の日は20人以上来てくれて...聞いてみると、いろんな人たちがいましたよ。20代から70代まで老若男女問わず、北は東北、西は関西・九州からも駆けつけていて。ボランティアは初めての人が意外と多かったのには驚きましたね。

   

 数日手伝ってもらうと、あっという間にこうなった(泥や片付いてコンクリートが見えてきた)んですよ。最初は「もう、何もかも終わりなのかな...」って “絶望” してたのにもしかしたら、またここに住めるかもしれない」って “希望” が見えたんですよ。 “人の力”ってすごいですね。

 

 

〇変化した自分の気持ち

 実は私、2011年の東日本大震災の時に、ボランティア “する側”で現地に行こうとしたんですよ。でも、自分はボランティア未経験だから逆に迷惑をかけるかな...とか、ここからだと結構距離もあるしな...と思って、結局、一歩が踏み出せなかったんですよ。今からしてみれば、あの時の自分は勇気を出せなかったんですね。

 

 でも今回、ボランティア “してもらう側” の立場になって、ボランティアの大切さをすごく身に染みたんですよ。そこで 「3.11の時、なぜ自分は行かなかったのか?」 という後悔の思いと、「今後、日本のどこかで災害が起きた時は、次は自分が行かなきゃな」って、すごく思いましたね。

 

 以上です。助け合いの輪は、こうして拡大していくのだと思いました。

 


ジャガイモ20kgで作った料理は?

2015年08月25日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

2015年8月9日、石巻市の大街道地区で行われた “ポテチ祭り” のお手伝いをしました。お祭りのメインは、名前の通り 『自分たちで植えたジャガイモを収穫して、手作りポテトチップスを作ろう!』 というものでした。

 

   収穫したジャガイモ ⇒⇒⇒ 完成したポテトチップス

≪問題≫

100グラムのジャガイモを調理すると、何グラムのポテトチップスになるでしょうか?→正解は、本文の中!

 

 具体的には、下記の手順で進行しました。

1.苗植え

 お祭りの数カ月前、支援物資でいただいたジャガイモの苗を、子供たちが畑に植えました。

2.収穫

 お祭り前日、大人たちでジャガイモ畑を整備し、一部だけ収穫しました。収穫量は20kg。

 

3.皮むき

 お祭り当日、子どもたちがジャガイモを収穫すると同時に、前日収穫しておいたたジャガイモを洗い、皮を丁寧にむきます。

 

4.スライス

 スライサーを使って、ジャガイモを薄くスライスします。ポイントは、厚くスライスするより、薄くスライスした方が “カラッ” と美味しく仕上がります。

5.乾燥

 スライスしたジャガイモを、一枚づつキッチンペーパーの上に並べて乾かします。

6.計量

 測りを使って、ジャガイモを100グラムづつ小分けにします。

7.フライ

 2分半~3分位かけて、きつね色になるまで油で揚げます。たくさんの量を一気にやると “カラッ” と仕上がりにくいため、小分けにした100グラムづつ揚げます。

 

8.袋詰め

 揚げたものを30グラムづつ袋詰めして、袋の口を閉じます。100グラムのジャガイモを揚げると、イモの中の水分が蒸発して軽くなり、30グラムのポテトチップスになります。

 

9.味付け

 子供たちに配ったら、好きなフレーバーを入れて袋を閉じ、シャカシャカ振って味付けします。フレーバーは、全14種類。王道であるオニオンやコンソメに始まり、のり塩やマヨネーズ、驚いたのはハチミツです。

 

10.実食

 合計で20kgのジャガイモをポテトチップスにして、全て完食です。ちなみに、大人たちに人気があったフレーバーは、オニオンコンソメです。

 

【食べた人たちの声】

「作りたてなので、市販のものよりカリカリしてて、とても美味しかったです。」

「原材料がジャガイモのみで保存料や添加物が何も入っていないので、食べていても薬のような感覚が全く無く、安心して食べれました。」

「いろんな味が試せるので、とても楽しく食べれました」


100回訪れた場所

2015年06月02日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

2015年 3月 11日

 石巻市にある『がんばろう石巻』の看板の場所へ行きました。新たな市街地をつくる区画整備事業が2014年後半から本格化したため、まちづくりの工事が徐々に進んでいました。

 私がこの場所を訪れた回数は、気付けば100回以上になっていました。看板の前でお祈りをしていると、過去にこの場所を訪れた時のことが思い出されたのです。

 

2011年の頃...

2011年 5月

 がれきが街にたくさんありました。ボランティア活動では、毎日がれきの撤去を行っていました。お祈りをすると、寂しさや悲しさ、ざわざわした雰囲気をよく感じました。そのため、看板の前では祈らないようにしていた時期もありました。

 

2013年の頃...

2013年 5月

 この頃は、がれきが街からほとんど片付きました。ボランティア活動では、がれき撤去はほぼ落ち着きました。お祈りをすると、暖かさや前向きな気持ち、落ち着いた雰囲気をよく感じました。そのため、この場所で祈る時間が増えました。

 

この日(2015年3月11日)は...

2015年 3月11日

 お祈りをしていると、不思議な感覚を覚えました。合掌した手がポカポカと温かくなってきたのです。まるで、合掌した手と手の間に小さな豆電球を入れたような感覚でした。それと同時に、心も温かくなってきました。まるで 勇気 をもらったような、生きる力 をもらったような、そんな不思議な気持ちになりました。

 

 これらの現象を通して私が感じたことは...

『亡くなられた方たちの願い。

 それは、死んだ恨みを晴らすことではなく、生き残った人が幸せになること。

 

 この場所で捧げられた多くの人たちの真心や祈りによって、被災地の雰囲気が大きく変化していると肌で実感しました。

 


冷めたハンバーガーも美味しい?

2015年04月21日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

 2015年3月に被災地ボランティアに参加したメンバーの声を紹介します。

 

 ボランティアの活動後、夕食を食べようとお店に行って注文した時、レジの店員さんから聞かれました。

 店員さん 「この辺りでは見かけない顔ですね。こちらには、観光か何かで来られたんですか?」

 ボランティアだと伝えると、とても驚かれていました。注文してしばらく待つと、先程の店員さんが料理を運んで来てくれました。

 

 食べようとした時、先程の店員さんが私たちのテーブルに来ました。

 「それにしても、先程はビックリしましたよ。まさか、震災から4年以上が経過した今でも、ボランティアさんがいるなんて全然知りませんでしたよ...」

 話によると、この人は実は店長さんでした。そして、震災当時の話をしてくれました。

 「…実は、私も家が被災して取り壊したので、今は仮設暮らしなんですよ…」

 店長さんは震災の時、この店にいたおかげで助かったようです。しかし、ご自宅を失い、家族も一人亡くされたそうです。4年前の出来事なのに、とてもリアリティーがありました。

 

 

 印象的だったのは、このフレーズでした。

「…あれから4年も経ったのに、心の傷って全然癒えないですね...。

 あの頃の記憶が鮮明に残っているから、まるで最近の出来事のように思えるんですよ。」 

 直接被災しなかった私にとって、震災というものは “4前” の出来事です。

 しかし店長さんにとっては、震災が “4前” の出来事なのだと思いました。

 

 

私 「いただきま~す!」

 店長さんの話が終わって食事を始めたのですが、時すでに遅し、私のハンバーガーは既に、冷めきっていました。(涙)

「こんなに冷めたハンバーガーを食べたのは初めてだな。

 でも、こんなに美味しいハンバーガーも初めてだな...。」

 食べ終わった後、不思議なことに、こう思ってる自分がいました。


広がる温度差

2015年01月30日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

 震災から3年経った(2014年3月)頃に、被災地に住む数名の方から聞いた話をまとめました。

 

『復興は、もう終了したんですか?』

…遠方の人から、よく聞かれるフレーズだよ。

 

2011年7月 (災害から4ヵ月後)

↓ ↓ ↓

2013年3月 (災害から2年後)

 

 この場所に元々あった町を(100)として、地震と津波で一面ががれきになった町を(-100)とした時に、この町に住んでいる人に聞くと...

〇ボランティアが持ちやすい印象

 「震災直後(-100)と比べると、ガレキがほとんど無くなった(0)ので、だいぶきれいになりましたね~。

 「元々のイメージ(-100)と全然違った(0)ので、安心しましたよ~。

   (良かった・安心した・ホッとした…等)

〇地元の人が持つ印象

 「震災前(100)と比べると、元々の町が無くなったまま(0)なので、まだまだこれからだな...。

 「これだけ頑張っても、あの頃(100)に全然戻ってない(0)からね。これから先、不安だな...。

   (心配・不安・ため息をついた…等)

 

 

2011年3月末 (災害直後)

↓ ↓ ↓

2012年4月 (災害から1年後)

↓ ↓ ↓

2013年3月 (災害から2年後)

 

 元々あった家(100)が、津波で壊れてしまい(-100)、新しく再建した(100)という人に聞くと...

〇ボランティアが持ちやすい印象

 「被災して住めなくなった家(-100)が、こんなに早く新しい家(100)になるなんて、すごいですね。」 

〇地元の人が持つ印象

 「元々の家(100)が震災以降ずっと住めなかったんだけど、やっと元(100)に戻って、ホッとしたよ。

 

 

『復興は、もう終了したんですか?』

・・・と聞かれた時、最近はこう答えてますよ・・・

『正直、まだまだですね。おそらく、本番はこれから だと思いますよ...』

 

 話を聞きながら私が感じたのは、ボランティアと被災者との間の温度差でした。

  ...これを、少しでも埋めていきたいと思いました。


津波よりも大変だったことは…

2014年12月26日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

 

 2014年8月下旬、依頼を受けて雑草の除去をしました。午後の作業をしていた時...

 「さあさあ、少し休憩して、コーヒーでも飲んで!」

 現地のお母さんからの差し入れでした。

 

 

「・・・この辺りは殺風景でしょ?でも、震災前はここ、家がずら~っと並んでいたのよ。あの頃(震災直後)から3年以上も経った今では、なんにも無くなっちゃったわ...良くも悪くもね。

 『きれいになりましたね~』 って言う人もいるけど、私にとっては 『寂しくなったわね~』 っていう感覚の方が強いわ。親戚や友人も、7割位はいなくなっちゃったしね・・・

 その場所は最初、雑草が生い茂った空き地に見えたのですが、よく見てみると、家の基礎部分がほとんどの場所に残っていました。お母さんの話を聞いていると、震災前は家が建ち並んでいたはずの場所か...と、なんとなくイメージできました。

 

 

 お伺いした話の中で、印象的だった言葉があります。

「・・・もちろん津波も大変だったけど、その後の生活の方が大変だったわ。

 震災から三年以上たった今だからこそ、少し落ち着いてはきたけど、震災から1年、2年の頃は、とっても大変だったの。

  『震災後の生活がこんなに大変なら、いっそのこと、自分も津波で死んじゃった方が良かったのに。自分は、なぜ生き残っちゃったんだろう?』  と、何回も思ったわ・・・」

 声には出していませんでしたが、そこにいた誰もが 「えっ?」 という表情をしていました。

 

 

 作業が終わった後、メンバーは口々に言っていました。

「被災した方たちの “苦労” や “心の傷” が、如何に重く、辛く、深刻だったのかが伝わってきました。」


災害現場を渡り歩く中で…

2014年12月11日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

 伊豆大島で災害ボランティアをした時、あるボランティアリーダーに出会いました。

 東日本大震災後に災害ボランティアを始めた方でした。震災後は、自然災害が起きれば関東や関西、九州に至るまで全国を駆け回りながら災害支援をされていました。最近では、ボランティアセンターの運営面の補助をすることが多いようです。まさに、縁の下の力持ち的存在です。

 今では仕事まで辞めて、ボランティア活動に専念しているようです。

 様々な災害現場を支援する中で感じた心境を、二つお伺いしました。

 

 

① 災害現場を支援する時に大変なこと

「災害支援と一言で言っても、支援の形は地域によってバラバラだということですね。

 不思議なことに、災害の内容が全く同じだったとしても、そこに対する支援方法は地域によって全く違うんですよ。

 例えば、地域によって...

  ・災害の規模が違う。

  ・ボランティアセンターの人員が違う。

  ・現地に住む住民の特色が違う。

  ・集まるボランティアが違う。

  ・ボランティアが、どの作業までお手伝いするかも違う。

  ・復興に対する熱意が違う。

 それらの違いを把握したうえで、その地域にとっての最善の支援体制を構築すること。そこが大変ですね。一旦体制ができてしまえば、あとは時間の問題ですから。」

 

 

② 仕事を辞めてまでボランティアに懸ける理由

「…続けることができてる理由は、やっぱり ご縁 ですね。東日本大震災後に、一時 “絆” って言葉が流行ったじゃないですか。あれに近い感覚ですよ。行く先々における様々な人との出会い、そこから生まれる人と人とのご縁。

 例えば、東北のとあるお寺で出会った住職さん。京都の災害現場で出会った大工さん、九州の災害現場で出会ったあの人...そして、ここ伊豆大島の人。思い出深い人が全国にいるんですよ、そういう人たちとの間で結ばれたご縁ですね、今の自分があるのは。

 今、僕自身が活動を続ける理由といえば、一番は “ご縁” ですよ。

 

 

数日後、この方は、また別の災害現場へ行ってしまいました...


イチゴ農家の一年

2014年12月09日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

突然ですが...

【イチゴに関する問題】

Q1.イチゴ一粒のカロリーは?

Q2.イチゴが日本で栽培されるようになったのは何年前から?

Q3.高級イチゴの値段はいくらか?

Q4.イチゴに含まれる栄養の中で多いのは?

Q5.イチゴを使った商品の中で、日本生まれのものは?

Q6.イチゴはどの部分が一番甘いか?

  ※答えは、記事の最後です!

 

 

先日、イチゴ農家のお手伝いをしました。そこでは、『もういっこ』という品種を扱っていました。

  

『もういっこ』とは...

 ・2008年生まれで宮城県産の品種

 ・硬めで甘みと酸味のバランスがいい

 

休憩時間中、ご主人からイチゴ農家に関する話をお伺いしました...

 

【イチゴ農家の一年】

1. 夏 (下準備&休日が取れる時期)

 イチゴを栽培している時は、ビニールハウスの温度管理をしなきゃいけないから、丸一日の休みって取れないんだよ。だから、休みが取れるのは栽培がオフシーズンになる8月~9月の約1ヵ月間だね。

 この時期は、一年の中で唯一休みを取れる時期だね。

 

 

2. 秋 (苗を植える時期)

 イチゴが成長する適温とさているのは20℃くらい。なので、夏場が過ぎて涼しくなり始めた頃にイチゴの苗を植える。ただし、日によって夏の気温になるので温度管理に注意が必要。ただ、今年(2014年)は冷夏だったから、その点ではちょっと安心したね。

 この時期になると、『休み』という言葉と無縁になるよ。一瞬も目が離せないからね。

 

 

3. 冬 (イチゴが美味しくなる時期)

 寒い冬を超えると、農作物の品質が下がってしまうんじゃないか?って思われやすいんだけど、イチゴの場合はその逆なんだよ。寒い時期を通過する時、イチゴは寒さを乗り越えるため、甘みを中に閉じ込めようとするんだよね。だから、冬を超えると甘いイチゴになる。逆に、夏の暑い時期を通過すると、イチゴはすっぱくなる。だから、夏を避けて、冬の寒い時期に向かって苗を植えるんだよね。

 意外と不思議に思われることなんだけど…まあ、イチゴも生き物だからね。

 

4. 春 (収穫の時期)

 出荷用のイチゴは、5月頃までに収穫を終えるようにしてるよ。6月になると、もう結構暑い時期だから、イチゴも酸っぱくなっちゃってね。だから、収穫しても、売りに出さずに家で食べるようにしてるよ。

 春っていうのは、1年間かけてきた手間暇が形になる瞬間だね。

 

最後に、美味しいイチゴの見分け方を1つお聞きしました。

ご主人 「種と種の間の間隔が短いもの!かな...」

普段、スーパーで何気なく見かけるイチゴ。

ショートケーキの上には、当たり前のように乗っているイチゴ。

実は、とっても手間暇かけて作られていたのか...と。

スーパーでイチゴのコーナーを見ると、立ち止まる時間が増えたような気がしました...。

 

 

【イチゴに関する問題】

≪答え≫

Q1.イチゴ一粒のカロリーは?

 →A:約5kcal ※スーパーで売ってる中くらいサイズ

Q2.イチゴが日本で栽培されるようになったのは何年前から?

 →A:約200年前

Q3.高級イチゴの値段はいくらか?

 →A:1粒5万円 ※ネットで購入可能

Q4.イチゴに含まれる栄養の中で多いのは?

 →A:ビタミンC ※イチゴ2粒でレモン1個程度のビタミンC

Q5.イチゴを使った商品の中で、日本生まれのものは?

 →A:ショートケーキ

Q6.イチゴはどの部分が一番甘いか?

 →A:先端が甘い


災害ボランティアの一日 in 広島

2014年10月22日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

○7:00 復興連携センターに到着

・受付開始の1時間半前にも関わらず、既に先客が数名いました。

・7:30頃になると徐々に人が多くなってきたので、6人1列で整列して待機しました。

 

○8:30 受付開始

・ボランティアの説明

・基本は12人で1チーム、リーダーとサブリーダーを決める!

・名簿に必要事項を記入!

・ボランティア保険には加入して!

・最低限の道具(軍手、マスク、長靴)は必ず持参!

・物資(500mlの水2本、塩飴、タオル、除菌ジェル)が支給されて!

 

○9:30 バスで出発! 

・バスに乗って出発、作業現場近くの広場に到着しました。

・資材準備:スコップ、一輪車、土のう袋、ほうき...など

 

○10:00 依頼者さん宅に到着

・現場に到着したら依頼者さんに挨拶をして、今日の依頼内容を確認、作業を開始する。

・作業20~30分 ⇔ 1回休憩(繰り返す)

・途中で、昼休み(1時間)を挟む

  

 

○14:00 仕上げ

・依頼者さんにチェックしてもらいながら、最後の仕上げに入る。

・作業道具を整理して数えて、紛失した道具がないかチェックする。

・依頼内容は “今日で完了” or “次回も継続” →依頼者さんに判断してもらう。

・依頼者さんに挨拶、撤収する。

 

 

○15:00 片付けと報告

・後片付けをして、手洗い、うがい、長靴を洗浄する

・リーダーは報告書を記入する

 

 

○15:30 活動終了!

「それでは、お疲れ様でした...」

 


災害ボランティアの一日 in 伊豆大島

2014年05月27日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

2013年11月、伊豆大島で災害ボランティアを行った時の1日の流れです。

 

22:00 東京を出発 →(移動120km)→ 6:00 伊豆大島に到着

23:30頃・・・部屋の照明が消えて艦内放送が入り “就寝モード” になりました。

5:30頃・・・部屋の照明がついて艦内放送が入り  “起床モード” になりました。

 

 

    

伊豆大島は 『椿・あんこ・三原山』 で代表される観光地として、よく紹介されます。

椿・・・約300万本もあり、“大島町の花” として制定されています。

三原山・・・島の中央に位置する標高758mの山。山の近くに行くと、以前の噴火で噴出したマグマが固まった跡も見えます。約35年に一度のペースで噴火しながら、少しづつ姿を変えています。

 

 

港から見た三原山(土砂災害のあった場所)

 

    

港からバスで移動 → ボランティアセンターに到着 → 受付 → オリエンテーション

作業に必要な持ち物 : 長靴、軍手、ゴム手袋、マスク、帽子、作業着、ゴーグル

 

 

    

オリエンテーション → 作業現場が決定 → 資材をレンタル → 現場へ出発

レンタルした資材 : 一輪車、大小のスコップ、デッキブラシ、懐中電灯、ハンマー…など

 

 

  

現場に到着 → 依頼者さんに挨拶、依頼内容を確認 → 作業開始

依頼内容 : 土砂が入った室内の清掃、がれきの撤去

 

 

   

 Before(作業前)     ⇒⇒⇒    After(作業後)

上図の部屋にかけた労働力:2人で半日

 

 

作業終了 → 作業道具の洗浄 → 道具の返却、報告書の記入 → 活動終了

 高圧洗浄機やデッキブラシを使って道具を洗浄します。

報告書の記入事項を参考に、翌日の作業内容が検討されます。

 

    

活動終了後、ボランティアさんへの差し入れがありました。

活動終了 → 宿所の掃除 → お風呂 → 食事 → 反省会 → 22:30 就寝

 

『今日も1日、お疲れ様でした。』

 

 

様々な災害現場で活動しているボランティアリーダーに聞くと...

『自然災害が発生した時に “災害ボランティア” として活動する場合、他の災害や他の地域でも、だいたいは同じスケジュールで活動していますよ。』...とのことでした。

 

※2014年2月下旬、上記のような島外ボランティアの活動は終了しました。


人生初!ワカメに愛着がわいた私

2014年05月16日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

漁師さんから聞いたわかめに関する話と、お手伝いしたわかめに関する活動を紹介します。

 

わかめ Q&A】

 問題です!(^ ^)

 Q1.わかめの旬は何月?

 Q2.わかめの名前の由来は?

 Q3.日本人が一年間に食べるわかめの量は、平均で何グラム?

 Q4.“わかめの日” っていつなの?

 Q5.わかめを日本以上にたくさん食べている国は?

 Q6.“三陸産わかめ” の特徴は?

 

  さあ、きみは何問正解するかな?(^o^)

  (答えは記事の最後です!)

 

 

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  わかめを仕入れてから発送までのお手伝いをしました。

 

〇わかめを仕入れます。

 「ワカメと聞くと軽いイメージがありますが、乾燥ワカメではないので、結構重いです。」

 

 

〇中はこんな状態、みずみずしいわかめです。

 「キラキラ光ってます!!」

   

 

〇わかめの “茎” と “葉” を分けます。

 「意外と難しいですが、コツがつかめるとキレイに分けられます。」

      

 

 

〇わかめを入れる袋を調達します。

「いろんな大きさの袋があります。」

 

 

〇わかめの“葉”の部分を計量します。

 「実は、規定量より5%位多く入れてます...サービスが良いですね!」

   

 

〇袋を完全に密閉します。

 「完全密閉できなければ、新しい袋に入れて閉じ直します。」

 

 

〇完成!三陸わかめです。

 「実は、このまま食べれます。ただ、塩漬けしてあるので、そのままは食べにくいです。」

   

 

〇冷やして発泡スチロールに詰めて発送します。

 「発送作業をしていると、“美味しく食べていただきたい!” という想いが湧いてきます。」

 

 

〇味見すると...

 (メンバーの感想)

 「歯ごたえがあっておいしい!」

 「いつも食べてるワカメに比べて、3倍くらい肉厚ですよ!」

 「なんか、別の海藻を食べてるみたいです!」

 

 

 

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 【わかめ Q&A】

 答えです!(^^)

 Q1.わかめの旬は何月?

  ⇒A.3~5月

 Q2.わかめの名前の由来は?

  ⇒A.わか(若)+め(海藻) ⇒ “若い海藻”

 Q3.日本人が一年間に食べるわかめの量は、平均で何グラム?

  ⇒A.約 2kg

 Q4.“わかめの日” っていつなの?

  ⇒A.5月5日 (日本わかめ協会が決めたようです)

 Q5.わかめを日本以上にたくさん食べている国は?

  ⇒A.韓国 (1年間に食べる量を比べると、韓国人は日本人の約3倍)

 Q6.“三陸産わかめ”の特徴は?

  ⇒A.『量』 と 『価格』 が全国トップ (収穫量が多くて高級ワカメ)

 

 さあ、きみは何問正解したかな!?

 では、またの機会をお楽しみに~(^o^)


地元土産に持たせる“こだわり”

2014年02月05日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

 東日本大震災で被災した地域の、ある仮設商店街で聞いた“地元土産”に関する話の抜粋です。

≪以下、現地の方の話≫

 

【写真】 震災から約1ヵ月後の様子(石巻市門脇町)

・・・震災直後は、がれきが街中にあふれて悲惨な光景でした。メディアでも多く取り上げられて、現地の方の生々しい声が飛び交っていました。誰しもが “生きる” ということに必死でした。しかし、一方でそれは、多くの人たちの共感を呼んだ気もします。ボランティアさんもたくさん来てくれたし、近隣住民で助け合ったし、被災地関係の物はよく売れました。「被災した地域の地元土産です!」、「復興グッズです!」 と言えば振り向く人や、買ってくれる人も多かったです。

 

【写真】 震災から約2年後の様子(上図と同じ場所から撮影)

 震災から1年が経ち、2年が経ち...時間の経過と共に、町からがれきが消えていきました。この地域にも笑い声が飛び交い始めたし、少しづつ震災前の日常を取り戻し始めました。平和な日常に戻るにつれて、メディアも取り上げなくなりました。復興が進んでいること自体は素晴らしいことです。しかし、それと同時に「被災地の地元土産です!」、「復興グッズです!」というフレーズで人々は振り向かなくなりました。しまいには、被災と関係無いのに“復興”というフレーズを利用して、自社商品の売り上げアップを狙う業者まで出てきた時は、怒りを通り越してあきれましたね。

 他の地域でお土産屋さんの前を通った時、ふと耳に入ってきたフレーズは

「...な~んか、ある種のブームが去ったような感覚だよね~...」

 それを聞いた時は、妙に共感する思いがわいてきましたよ。

 

 

 

【写真】 地元土産の話に耳を傾ける人たち

消費者であるお客さんの多くは、“災害直後の目線” から “一般的な目線” になってきました。

つまり...

×復興が進むから買う  物が良ければ買う!

...ということは、被災した商店では今後、“守りの姿勢” ではなく “攻めの姿勢” に挑戦していかなければな、と私的には感じています。

×復興にからめた商品戦略  本当にいい物を作る商品戦略!

×復興にからめた宣伝  地域の持ち味を生かした宣伝!

 

 

「被災した地域に再建したお店...

 そこに置いてある、何気ない一つのお土産...

 ここに、如何にして“こだわり”を持たせるか...!?」

 

【写真】 地元土産が並ぶ商店

 被災地の復興度合が目まぐるしく変化している中で、

お土産屋さんの経営戦略も目まぐるしく変化していますね...

≪以上、現地の方の話≫

 


支えられた者として!今の私がやりたいこと…

2014年01月31日 | 統一教会ボランティアキャプテンの日記

 

お母さん 『家の近くから三原山を見ると、所々山が削れていて驚いたのよ...』

 

 

伊豆大島でボランティア活動をした時に、現地のお母さんから話を聞きました。

――――【 以下、お母さんの話 】――――

 あの日、10/15~16にかけての深夜、私の寝室は土砂が来て、家の壁が壊れ、室内は土砂で一杯になっちゃったの。だから、本当だったら私は今、ここじゃなくてあの世にいるはずの人なのよ。じゃあ、なぜ私があの世じゃなくてここにいるのかって思うでしょ?

 あの日、なぜか知らないけど、急に 『歯医者に行ってみようかしら~』 と思ったの。でも、別に歯は痛くなかったのよ。それなのに、何とな~く行ってみようと思って、土砂災害直前の10/15の昼、久しぶりに船で島外に出たの。

 そして、土砂災害直後の10/16の昼に大島に帰って来たの、だから助かったのよ。

 今からしてみれば、なぜあんな行動をとったのか、自分でも不思議なのよ。きっと、ご先祖様や神様が助けてくださったんでしょうね。

 ご先祖様や神様から 『お前は、若いころにイタズラばかりしてきたから、もっと世のため・人のために尽くして、罪滅ぼしをしてから、あの世に行かなきゃね!』 って思われたから、私は生き残ったんでしょうね(笑)

 

 

 

 

(伊豆大島に)帰って来た時は、最初驚いたわ。自宅も町中も土砂がすごくて...(中略)...そんな状態だったから、隣町のかたや島外のかたが来てこの光景を見ると、私たちをすごく気遣ってくださるんですよ。確かに大変だったこともあるけど、振り返ってみれば “嫌だったこと” だけじゃなくて “良かったこと” もあったの。そういう話をすると、取材で来たかたから「え?良かったことって何ですか?」って聞かれるんだけど、一番良かったことは “いろんな人から支えられたこと” なんです。 

 私は最初 “ボランティアさん” と聞くと、 “作業する人” というイメージだったけど、実際はそれだけじゃなかったのよ...

例えばね...

○土砂の入った部屋の掃除をお願いしたら、私が自分で掃除する以上にきていにしてくれた。

○ 嫌なことがあって冷めた表情をしていたら、作業中でも作業の手を止めて私を気遣ってくれて、いろんな愚痴を聞いてくれて心がスッキリした。

 ボランティアさんは、私の気持ちの面まで支援してくださったの。しかも後から聞いたら、それ(気持ちの支援)に関しては、誰かにお願いされたんじゃなくて、ボランティアさんが自発的にやってくれていたの。だから、なおさらありがたくて...。

 私の中のボランティアさんに対するイメージは...

  “作業する人” から “心の支えになる人” に変わったの

 

 

 

 

 家の土砂がある程度片付いてきたので、年明けにはボランティアさんたちが自主的に企画して、餅つきをしてくれたの。

 その光景を見ながら、ふと考えたの。 『こういう人たちの御恩に報いるためにはどうしたらいいかな?』 って。そして、私なりに思った報い方は...

 『私がいつでも笑顔で、元気に、今を生きること』

  ボランティアで来てくださった方たちが、いつの日か、何かしらの縁で再び大島の地を訪れた時には、ぜひこの家に遊びに来てほしいの。その時に、お茶を出して、お菓子を出して、少しでも恩返しができればと思うんですね。

  だから私は、ボランティアさんたちに恩返しするためにも、あの世へ行かずに、元気に生きていこうと思ってるんです!

――――【 以上、お母さんの話 】――――