こう見えてこのわたくしめ
引っ越しは度々しております
埼玉県大宮市(現在のさいたま市見沼区)に生を受けてから19年間は同地に留まっておりましたが、
大学進学の為に、名古屋市にお引越しをば致しました。
それからは、結構な回数お引越しを行いました
1.中京テレビの鉄塔の麓ら辺の、社員寮のような1K賄いつき(風呂トイレ別)
はじめての男の一人暮らしなので、どうせ食事なんて作らないだろう!
という親の思いから、
社員寮に近い形態の賄いつきに住みこみました。
食事は美味くもなく不味くもなく、1Kは狭いですが、その頃は大学を卒業すれば実家に帰る予定だったので
ほとんどの荷物を実家に置いてありました。
風呂は大きい浴場の共同、トイレも共同でした。
交流スペースがあるわけでないので、他の部屋にどういう方が住んでいるのかは全く分からないままでしたが、
食事時見た感じでは、寮内の男女比は9:1で圧倒的に男性ばかりでした。
わたくしめのようなに親に勝手に住む場所を決められたのだろうお嬢さん方が、肩身を狭くしてご飯を食べていたのを覚えています。
そんな男性ばかりの「寮生活」ですが、学生よりは、社会人の方が多かったように見受けられました。
門限はありませんでしたが、食事とお風呂には時間制限があり、
大学の部活で毎日10時過ぎに帰ってくる生活が続くと、
食事は外食で済ませられるものの、風呂に入れない生活には困りものでした(バーシンクのような部屋についている小さな流し台で頭をシャンプーしたものです)
【滞在期間】
大学1年生の春から夏まで。七夕には新居に移っていた記憶があるので、6月末までかしら?
【引っ越し方法】
父親がレンタカーでワンボックス車をジャパンレンタカーで借りて荷物を積み込み、埼玉から名古屋まで移動。
ところが海釣り仕様の車だったらしく、車のそこここにフナ虫がいて、引っ越し荷物にまで住み込む始末。
この「海に行かないのにフナ虫に悩まされる」事態は、大学卒業ぐらいまで続くのでした。。。。
2.大学のそばの2DKに同居
同じ部活に入った奴と一緒に、4畳半と6畳の部屋を借りました。
シェアハウスというとカッコイイですが、どちらかというと同居です。
それも、もろ昭和なアパートの一室で、
風呂トイレは別でしたが、それはユニットバスという言葉が存在する前の建物だったからで
風呂釜は外にあるので、一旦水を湯船に貯めてから部屋を出て焚くタイプでした。
お湯が温くなって追い焚きするには、裸でも外に出ないといけないというタイプのお風呂です
(後に、風呂の中から点火できる「リモコン」が付きました。ワイヤータイプのです)
大学に近いことで、たまり場になりました
同居人に愛想を尽かされて一人住まいになってからは
部屋に鍵をかけることもなく誰でも歓迎な入り放題な部屋と化していました。。。。
【滞在期間】
大学卒業して就職するまで、結局ナンダカンダ居続けました。名古屋市内のどこに出るのにも便利な場所だったので。
【引っ越し方法】
たしか、通っていた教会のワゴン車を借りて自分と部活の仲間で済まそうと思ったんだけど、そのワゴン車の保険の関係で、結局牧師夫人に運転していただいた記憶がある。。。。
3.就職先が賃貸した8畳の1DK
卒業した後入った会社では、
仕事はきつかったけど、部屋はいい部屋をあてがってくださいました。
いわゆる1DKのバストイレ別(でもこれはユニット)もちろんキッチンもあり、
なにより部屋が1Dだったけど、8畳で以前の部屋より広く感じました!!
その当時はまだ物珍しかったBSアンテナが付いていた建物だったので、はじめてBSの番組を見ることが出来た顛末は、
以前書いたのですが、
年代物のボロアパートに住み慣れた身としては、すばらしい建物でした。
ただ
場所が名古屋市の辺境過ぎて、スーパーも無ければコンビニもなし(今はある)、定食屋も飲み屋も無い、
ほんとうに仕事が終わって寝に帰るだけの場所でした。。。
名古屋の真ん中に出るのにも、公共交通機関が無く、車でも不便な場所でした。。。
【滞在期間】
春に就職し変に近かったので、自転車で通勤していました。
秋には毎日名古屋市を縦断する勤務地に変わって、毎日自動車で1時間かけて通っていました。の生活を2年半続けていました。
【引っ越し方法】
就職先がレンタカー屋さんだったので、トラックを借りて運搬。荷物運びは教会の仲間にお願いしました
4.就職先が賃貸した6畳の1DK
先の居住地は、周辺の住環境は最悪だった割に、建物は新しくて広くて住みやすかったのですが、
たぶんそれなりにお高くついたのでしょうねぇ
転属先に近いアパートに引っ越すようにとの命令が下りました。
こんどの部屋は都会の中にある狭い6畳、押し入れもまともに無いような質素な建物でしたが、
逆にコンビニも外食レストランも選り取り見取り!!
名古屋の真ん中に出るのもものすごく楽な場所でした。
先のアパートはBSが見られましたが、今回のアパートはUSENが付いていたのです!!
愛知県に来て早10年以上、久しぶりにFM埼玉ことNACK5を聞くことが出来たのです
この頃、たしか20万円ぐらい出して、ネットにつながるPCを買いました!
と言っても、nifty-serveの時代です
【滞在期間】
結婚するまで、約1年ぐらいかしら
【引っ越し方法】
色々な引っ越し業者がCMをしだした頃でしたが、クロネコヤマトにお願いしました。たしか「単身パック」では収まらないほどの荷物があるとのことで、
ふつうに7万円ぐらいで頼んだような記憶。
5.結婚して賃貸した2LDK
そしてその、
泥棒に入られたアパートの部屋
この場所の引越しの案内状を友人に送った時、
「シバッキー(俺)って、よく引っ越すよね」
って言われたことを思い出します
たしかにそれまでの「引っ越しスパン」は2~3年おきでしたね
2LDKに2人だけなので広さは余裕があったんですが、
それでも先に妻が入居。
「私の持ち物がきれいに収まるのよ」なんて言いだして、
じゃあ俺の荷物はどうなるのよと思っていたら
案の定収まらない。
1年以上どったんばったんしていました。
最初から隙間風びゅんびゅんだったし、夏暑いし冬寒いし、
出窓があるんだけど、そこから冷気と暖気がガンガン入って夏暑いし冬寒いし、
上の階の人が歩くだけでものすごい音がするし、当然会話は丸聞こえだし、
隣の部屋の声も丸聞こえだし、
なんだかなぁ~なお部屋でしたが、
三好ヶ丘という便利な場所に住んでいた割には、家賃が安かった!!!(駐車場代も安かった)
三好ヶ丘に住もうと思った理由は、
当時のわたくしめの職場が長久手町、妻の職場が豊田市だったので、
ちょうどその中間地点ということで決めたのでした。
狭いながらも、なんとか家族4人で住んでおりました。。。。
7年前の我が家の様子。
いまじゃあ、撮らせてくれません
お風呂は昔のふつうのユニットバス。トイレは普通のトイレなのですが、サイズがどうにもおかしい
幅はまあ普通のトイレなのですが、奥行きが異常にあるトイレでした。
かといって、便器の位置を自分で手前に持ってくるわけにはいきませんから
なんだか困りものです。
畳敷きの和室も一間あるのですが、いわゆる「団地サイズ」ってやつで、1畳が1畳より狭いんですよ
その畳敷きの部屋に4人分の布団を並べて寝ていました。
子供が赤ん坊の時はベビーベットでしたが、こどもなんてすぐに大きくなるものです。。。。
部屋が1階ということで、ちょっとした庭っぽいものがあり、
そこでよく植栽もしていました。
入居した時、お隣さんが家族連れで、
上の子が生まれたときにお隣さんも生まれて、楽しい同級生生活を送っていました。
近隣にも歳の近い方も多く、
上の子が小さい頃はよくアパートの駐車場でみんなして遊んでいたものです。。。。
【滞在期間】
結局、19年間でした。
生家に続く長さの滞在でした。
上の子も受験生になったので、ちょうどいい潮時であったのは間違いありません
【引っ越し方法】
妻の実家、義父義母に手伝ってもらって、義父のトラックで運んでいただきました。
6.そして、こんどのお部屋
こどもの学校が変わらない(友達が変わらない)ことを前提にお部屋探しをしました。
その結果以前の場所から1kmも離れていないアパートを借りることにしました。
こんどは鉄筋コンクリート造です。3LDKです。
ちょこっと広くなりましたが、19年間貯めこんでいたあれやこれやが吐き出されると、
それらを収納する方法が良くわかりません
未だ「段ボールの山」の中で生活している状態です。
ただ、鉄筋コンクリート造になりましたので、
以前の場所のような「夏暑いし冬寒いし」状態は回避出来た様子。
一つなん点を言えば、「庭」が無くなって花と作物とかを植えることが出来なくなったことでしょうか
【滞在期間】
さあ、どうなるこでしょう。。。。
【引っ越し方法】
業者にお任せですプロに任せるのが一番です。
4人家族分3tトラック2杯でしたが、
お値打ちにお願いしていい値段でやってもらいました。
パッケージングして運んでもらって、荷解きは自分たちでやっていますが、
まだまだ「段ボールの山」です。。。。
まだ続きます
次回「大忙しの3か月」
引っ越しは度々しております
埼玉県大宮市(現在のさいたま市見沼区)に生を受けてから19年間は同地に留まっておりましたが、
大学進学の為に、名古屋市にお引越しをば致しました。
それからは、結構な回数お引越しを行いました
1.中京テレビの鉄塔の麓ら辺の、社員寮のような1K賄いつき(風呂トイレ別)
はじめての男の一人暮らしなので、どうせ食事なんて作らないだろう!
という親の思いから、
社員寮に近い形態の賄いつきに住みこみました。
食事は美味くもなく不味くもなく、1Kは狭いですが、その頃は大学を卒業すれば実家に帰る予定だったので
ほとんどの荷物を実家に置いてありました。
風呂は大きい浴場の共同、トイレも共同でした。
交流スペースがあるわけでないので、他の部屋にどういう方が住んでいるのかは全く分からないままでしたが、
食事時見た感じでは、寮内の男女比は9:1で圧倒的に男性ばかりでした。
わたくしめのようなに親に勝手に住む場所を決められたのだろうお嬢さん方が、肩身を狭くしてご飯を食べていたのを覚えています。
そんな男性ばかりの「寮生活」ですが、学生よりは、社会人の方が多かったように見受けられました。
門限はありませんでしたが、食事とお風呂には時間制限があり、
大学の部活で毎日10時過ぎに帰ってくる生活が続くと、
食事は外食で済ませられるものの、風呂に入れない生活には困りものでした(バーシンクのような部屋についている小さな流し台で頭をシャンプーしたものです)
【滞在期間】
大学1年生の春から夏まで。七夕には新居に移っていた記憶があるので、6月末までかしら?
【引っ越し方法】
父親がレンタカーでワンボックス車をジャパンレンタカーで借りて荷物を積み込み、埼玉から名古屋まで移動。
ところが海釣り仕様の車だったらしく、車のそこここにフナ虫がいて、引っ越し荷物にまで住み込む始末。
この「海に行かないのにフナ虫に悩まされる」事態は、大学卒業ぐらいまで続くのでした。。。。
2.大学のそばの2DKに同居
同じ部活に入った奴と一緒に、4畳半と6畳の部屋を借りました。
シェアハウスというとカッコイイですが、どちらかというと同居です。
それも、もろ昭和なアパートの一室で、
風呂トイレは別でしたが、それはユニットバスという言葉が存在する前の建物だったからで
風呂釜は外にあるので、一旦水を湯船に貯めてから部屋を出て焚くタイプでした。
お湯が温くなって追い焚きするには、裸でも外に出ないといけないというタイプのお風呂です
(後に、風呂の中から点火できる「リモコン」が付きました。ワイヤータイプのです)
大学に近いことで、たまり場になりました
同居人に愛想を尽かされて一人住まいになってからは
部屋に鍵をかけることもなく誰でも歓迎な入り放題な部屋と化していました。。。。
【滞在期間】
大学卒業して就職するまで、結局ナンダカンダ居続けました。名古屋市内のどこに出るのにも便利な場所だったので。
【引っ越し方法】
たしか、通っていた教会のワゴン車を借りて自分と部活の仲間で済まそうと思ったんだけど、そのワゴン車の保険の関係で、結局牧師夫人に運転していただいた記憶がある。。。。
3.就職先が賃貸した8畳の1DK
卒業した後入った会社では、
仕事はきつかったけど、部屋はいい部屋をあてがってくださいました。
いわゆる1DKのバストイレ別(でもこれはユニット)もちろんキッチンもあり、
なにより部屋が1Dだったけど、8畳で以前の部屋より広く感じました!!
その当時はまだ物珍しかったBSアンテナが付いていた建物だったので、はじめてBSの番組を見ることが出来た顛末は、
以前書いたのですが、
年代物のボロアパートに住み慣れた身としては、すばらしい建物でした。
ただ
場所が名古屋市の辺境過ぎて、スーパーも無ければコンビニもなし(今はある)、定食屋も飲み屋も無い、
ほんとうに仕事が終わって寝に帰るだけの場所でした。。。
名古屋の真ん中に出るのにも、公共交通機関が無く、車でも不便な場所でした。。。
【滞在期間】
春に就職し変に近かったので、自転車で通勤していました。
秋には毎日名古屋市を縦断する勤務地に変わって、毎日自動車で1時間かけて通っていました。の生活を2年半続けていました。
【引っ越し方法】
就職先がレンタカー屋さんだったので、トラックを借りて運搬。荷物運びは教会の仲間にお願いしました
4.就職先が賃貸した6畳の1DK
先の居住地は、周辺の住環境は最悪だった割に、建物は新しくて広くて住みやすかったのですが、
たぶんそれなりにお高くついたのでしょうねぇ
転属先に近いアパートに引っ越すようにとの命令が下りました。
こんどの部屋は都会の中にある狭い6畳、押し入れもまともに無いような質素な建物でしたが、
逆にコンビニも外食レストランも選り取り見取り!!
名古屋の真ん中に出るのもものすごく楽な場所でした。
先のアパートはBSが見られましたが、今回のアパートはUSENが付いていたのです!!
愛知県に来て早10年以上、久しぶりにFM埼玉ことNACK5を聞くことが出来たのです
この頃、たしか20万円ぐらい出して、ネットにつながるPCを買いました!
と言っても、nifty-serveの時代です
【滞在期間】
結婚するまで、約1年ぐらいかしら
【引っ越し方法】
色々な引っ越し業者がCMをしだした頃でしたが、クロネコヤマトにお願いしました。たしか「単身パック」では収まらないほどの荷物があるとのことで、
ふつうに7万円ぐらいで頼んだような記憶。
5.結婚して賃貸した2LDK
そしてその、
泥棒に入られたアパートの部屋
この場所の引越しの案内状を友人に送った時、
「シバッキー(俺)って、よく引っ越すよね」
って言われたことを思い出します
たしかにそれまでの「引っ越しスパン」は2~3年おきでしたね
2LDKに2人だけなので広さは余裕があったんですが、
それでも先に妻が入居。
「私の持ち物がきれいに収まるのよ」なんて言いだして、
じゃあ俺の荷物はどうなるのよと思っていたら
案の定収まらない。
1年以上どったんばったんしていました。
最初から隙間風びゅんびゅんだったし、夏暑いし冬寒いし、
出窓があるんだけど、そこから冷気と暖気がガンガン入って夏暑いし冬寒いし、
上の階の人が歩くだけでものすごい音がするし、当然会話は丸聞こえだし、
隣の部屋の声も丸聞こえだし、
なんだかなぁ~なお部屋でしたが、
三好ヶ丘という便利な場所に住んでいた割には、家賃が安かった!!!(駐車場代も安かった)
三好ヶ丘に住もうと思った理由は、
当時のわたくしめの職場が長久手町、妻の職場が豊田市だったので、
ちょうどその中間地点ということで決めたのでした。
狭いながらも、なんとか家族4人で住んでおりました。。。。
7年前の我が家の様子。
いまじゃあ、撮らせてくれません
お風呂は昔のふつうのユニットバス。トイレは普通のトイレなのですが、サイズがどうにもおかしい
幅はまあ普通のトイレなのですが、奥行きが異常にあるトイレでした。
かといって、便器の位置を自分で手前に持ってくるわけにはいきませんから
なんだか困りものです。
畳敷きの和室も一間あるのですが、いわゆる「団地サイズ」ってやつで、1畳が1畳より狭いんですよ
その畳敷きの部屋に4人分の布団を並べて寝ていました。
子供が赤ん坊の時はベビーベットでしたが、こどもなんてすぐに大きくなるものです。。。。
部屋が1階ということで、ちょっとした庭っぽいものがあり、
そこでよく植栽もしていました。
入居した時、お隣さんが家族連れで、
上の子が生まれたときにお隣さんも生まれて、楽しい同級生生活を送っていました。
近隣にも歳の近い方も多く、
上の子が小さい頃はよくアパートの駐車場でみんなして遊んでいたものです。。。。
【滞在期間】
結局、19年間でした。
生家に続く長さの滞在でした。
上の子も受験生になったので、ちょうどいい潮時であったのは間違いありません
【引っ越し方法】
妻の実家、義父義母に手伝ってもらって、義父のトラックで運んでいただきました。
6.そして、こんどのお部屋
こどもの学校が変わらない(友達が変わらない)ことを前提にお部屋探しをしました。
その結果以前の場所から1kmも離れていないアパートを借りることにしました。
こんどは鉄筋コンクリート造です。3LDKです。
ちょこっと広くなりましたが、19年間貯めこんでいたあれやこれやが吐き出されると、
それらを収納する方法が良くわかりません
未だ「段ボールの山」の中で生活している状態です。
ただ、鉄筋コンクリート造になりましたので、
以前の場所のような「夏暑いし冬寒いし」状態は回避出来た様子。
一つなん点を言えば、「庭」が無くなって花と作物とかを植えることが出来なくなったことでしょうか
【滞在期間】
さあ、どうなるこでしょう。。。。
【引っ越し方法】
業者にお任せですプロに任せるのが一番です。
4人家族分3tトラック2杯でしたが、
お値打ちにお願いしていい値段でやってもらいました。
パッケージングして運んでもらって、荷解きは自分たちでやっていますが、
まだまだ「段ボールの山」です。。。。
まだ続きます
次回「大忙しの3か月」
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