岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

能郷白山紀行

   能郷白山紀行
                           山際 うりう

 夏の能郷白山は、山男が行く山だった。人に手懐けられていないしぶとい藪を両手で左右に押し分けて、僕は人気のない荒れた登山道を一人で黙々と歩いた。自分の足さえ草の重なりで見えない道だった。困難な踏破だった。集中して歩いている時間と恐怖感にとらわれている時間とが曖昧に重なり、曖昧に切り替わり、曖昧に繋がり、登っても登っても真の楽しさに到達することは出来なかった。落ち着いた気分で登れなかった。何度も自分の中の臆病者の心を鞭打たざるを得なかった。身体的な苦行ではなく、心理的な苦行だった。頂上に到着するまで僕が背負っていたのは、緊張感で膨満した長い困難な時間だった。時には諦めの混じった我慢の時間が続いた。時には不意の恐怖感で凍りつく瞬間もあった。登れば、しかし、いつかは視界が開ける。高みに立ち、眼下に奥美濃の山々を眺め渡した時、初めてほんの少し安堵し、稜線に沿って長い息をつくことが出来た。
 能郷白山は山々に囲繞された山だった。ここにあるものは手強い野生の力だった。それは登山道を歩き始めてすぐに感じたものだった。道端の草木や蟻、蛇や蝶、それらの生き物が漲らせていた本来の野性の力は、ある時はしぶとく、ある時は俊敏で、ある時は不気味で、ある時は優雅だった。ここで僕が肌で感じたのは、本物の自然の多様性だった。僕は卑しい存在だった、リンドウの美しい青紫と対比すれば。山峡に病んだように蠢いていたのは僕の心だけだった。今だから書けることだが、これは伊吹山麓の病床で父が死ぬ3日前の山行だった。
 桑原武夫先生の紀行「能郷白山と温見」(昭和11年発表)に触発されて、奥美濃の能郷白山(1617m)に登ることにした。いつもの通り計画外の思い付きだった。父の病状を知らないわけではなかったが、また、京都の姉が老父母の世話をするために伊吹に来ていることも承知していたが、僕は僕の身勝手を許すことにした。この決心の最後の決め手は前夜の天気予報だった。人の人生も重要だが、自分の人生はもっと重要だ。思い遣りは人に向けると美しい行いとなるが、自分に向けると卑劣なものになるのか。前を見ても後ろを振り返って見ても、他に登山客はいなかった。時々、登山道脇の灌木の奥で、何か大型の動物が走り去る音が聞こえた。空き地で野糞を垂れた。だらしない、品のない、破廉恥男の挑戦が始まった。
 平成20(2008)年8月18日(月)。温見峠からではなく、より時間のかかる能郷谷の登山口から登ることを選んだ。日帰り登山だ。往復した後は心身ともに疲れ果てた。身体よりも心の面の困憊感の方が大きかった。熊や蛇、蝮に対する恐怖感が、山にいる間中ずっと僕に付きまとっていた。多治見の自宅から85キロの、その登山道の登り口は僕の背丈よりも高い草木で隠れていた。いわゆる百名山ではない。登山客が少ないのか、道は「整備された感じ」がほとんどなかった。草の勢いが強かった。登り口の草むらの中に「熊出没注意」の看板が立っていた。出鼻を挫かれたような思いが一瞬湧き立った。この一瞬に萎えた僕の冒険心は下山するまで元に戻らなかった。予想外の長い苦行だった。蛇類に行く手を遮られるたびに冷や汗が出た。杖で草むらを叩きながら進んだ。ゲートルがあればなあ。蝮に咬まれたら嫌だなあ。そんなふうに、考えても仕方のないことも考えた。能郷白山登山、それは今まであまり味わったことのない強い緊張感の連続の中での上り下りだった。蝮の出る季節にこの山に登ることは、もう二度とないだろう。
 苦しみを経てつかんだ感動は素朴で地味なものだった。眼下にぐるりと広がる幾重にも重なる山並みの美しさ。靄がかかっていたのが残念だったが、全く見えないよりはましだった。頂上付近で左右に広がる雄大な風景を眺めている間、僕が味わったのは無論達成感だが、それ以上に深く味わったのは安堵感だった。無事登り切った喜びを、僕は三角点に腰かけながら一人で噛みしめた。
 午前6時20分過ぎ、多治見の自宅を出た。国道248号、418号、157号の順に走り、本巣市(旧根尾村)の能郷谷の林道脇に駐車したのは、午前9時20分頃だった。大日本土木株式会社の治山工事現場の入り口で、一人の青年労働者が重機を運転していた。登山口を尋ねた。彼は「この先、上の方で工事している。落石があるかもしれないから、通る時は、作業員に声をかけて下さい」と言った。工事をしていなければ、もっと奥まで車で行けたのだろう。
 彼は僕が登山靴をはいている間に、「立ち入り禁止」という看板の付いたゲートを開けてくれた。舗装された道路が続いていた。その鉄製の大きなゲートから登山口まで1時間ほど歩いた。登山口には壊れかけた看板が地に落ちていた。そこには、能郷白山概念図が描かれていた。背丈より高い草木で蔽われた登山口を見た時、「長時間の藪漕ぎは耐えられない」と思った。帰ろうか。心の中で葛藤が始まる。折角来たのだ。ちょっと様子を見るか。僕は両手に杖を持ったまま左右に草を掻き分けながら急坂を進んだ。厄介な出発だった。どこで引き返そうか。僕は、鉈目のある道よりもない道を歩くことに楽しみを感じていた桑原先生のすごさを思わずにはいられなかった。
 もう登りたくない。少なくとも能郷谷の登山口からは。これが軟弱な僕の今の正直な思いだ。176センチの背丈を蔽うような、荒々しさに満ちた草の繁茂。草木を掻き分けなければ自分の足元の地面が見えない不安。整備された登山道しか歩いたことのない僕には息苦しい世界だった。そんな時だった。急に前方で何かがガサガサと鋭い音を立てて走り去った。驚きと恐怖感で心臓が止まりそうだった。長い蛇が地面の上の細い枯れ木の上を滑るように逃げて行く。体の茶色の斑紋を見せながら去って行く蝮。ぞっとする。なぜこんな所に自分はいるのか。終わることのない自己との対話が始まる。体中をヌメヌメした汗がまとわりついているような感覚を覚えた。道端には、所々、黄色や青の野花が可憐に咲いていた。が、ゆっくりと嘆賞する心理的余裕はなかった。
 苦闘を強いられた。体力面での苦しさはほとんどなかった。今年の阿弥陀岳登山に比べれば、余裕さえあったと言ってもよい。しかし、今回の心理面での苦闘は、熊や蝮に対する自分の恐怖心が相手だった。一度植えつけられた恐怖心を払拭するにはどうすればよいのか。僕は一歩一歩前進した。引き返して自宅でのらくらと時間を過ごせば、幸せなのか。何かを乗り越えられるのか。答えが出ぬまま、一歩一歩歩いた。心の中の気がかりがふと消え、恐怖心が消える瞬間があった。畢竟生死については、どこにいても大いなる自然に任せるしかない。そう思うようにした。諦観の境地に辿り着けそうな微かな予感。「これか」と思った。が、長続きはしなかった。熊や蝮の幻影に怯え慄く心が僕を打ち砕こうとした。もし正面の草むらから熊が現れたら、どうしよう。慌てて背中を向けて逃げてはだめだ。落ち着いてゆっくりと引き下がることだ。自分に言い聞かせる。草むらに潜む蝮に脛を咬まれたら、どうしよう。ゲートルを巻いてくれば良かったか。心は解決のない堂々巡りをするばかりだった。幸いなことに、足自体には心がなかった。足は一歩一歩着実に登って行った。
 何度か上り下りを繰り返した後、もうそろそろ最後の詰めかと思った時だった。見上げると、前方の空高くに最後の峰が立ちはだかるように聳えていた。その中央には小屋のようなものが建っていた。あそこか。あそこだ。まだまだだ。もう一度坂を下って、もう一度坂を上らねばならない。道は相変わらずしぶとい草木で蔽われている。北の空の一部には少し黒っぽい雲が低く垂れてきた。心が騒ぐ。「魏志倭人伝」に出てくる道もこんな道だったんだ。古人はみんなこんな道を歩いて来たんだ。独り言を言いながら、焦る心を抑えようとした。
 平成20年8月18日(月)午後2時12分、能郷白山征服。概念図のあった登り口から3時間半かかった。路上駐車した場所からは5時間弱かかった。低い山だが、手強い山だった。
 頂上近辺の小社の前に座って一人の青年が握り飯を食べていた。この日出会った唯一の人間だった。青年の眼下には幾重にも重なり連なる山の峰々しかなかった。尋ねると、彼は温見峠から登ってきたと答えた。口数の少ない青年だった。
 僕は青年から離れ、天辺の三等三角点の石柱に腰を下ろしてお握りをかじり、家の冷蔵庫の中から持ってきたトマトを1個丸ごと食べた。山の天辺で食べる生の果物や野菜は、家の食卓で食べる時よりもおいしい。残念ながら、その時の僕のザックの中に酒類はなかった。もう一度夏の能郷白山に登るだろうか?懲り懲りだ。登るとしたら、多分桑原先生が登った紅葉の季節に、温見峠から登るだろう。
 18日午後2時半頃、下山開始。午後5時31分、駐車場に戻った。下山後、旧根尾村の「うすずみ温泉」に入った。850円。湯の中で、「無事に戻れて良かったな」と自分に言った。午後9時帰宅。170.8キロの旅は終わった。登って良かった。鍛錬になった。今も思い出すたびに、どこか知らない心の場所から満足感が湧き水のように絶え間なく湧き出て来る。8月21日(木)に死んだ父の葬儀は24日(日)に済んだ。一人の酒飲みの小さな人生が伊吹山麓で幕を閉じた。父もまたある程度熱心に生き、ある程度愚かに生きた俗人の一人だった。僕が喪主ならば、父の骨を能郷白山のような野性味あふれる山あいにこっそりと散骨するだろう。地図上の目測だが、能郷白山は霊峰伊吹山の北北東約45キロにあった。そのまた北北東約45キロ先には霊山白山があった。親の死に際に山際に行ってしまったが、僕はまだ自分が親不孝だとは思っていない。親の死霊が行くべき所へ息子の僕が先導していたのかもしれない。

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