岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

唐招提寺

 唐招提寺
              山際 うりう


 美に感動した後で、美による感動に包まれて間もないうちに、僕は残酷な人間に成り下がった。唐招提寺金堂の屋根瓦を見上げて無垢の美的快感に酔い痴れていた。平成20年1月18日昼頃の話だ。昼飯にうどんと天ぷらと奈良漬を食べた。多治見に帰るために近鉄西ノ京駅から電車に乗った。近鉄大和八木駅から名古屋行特急に乗り換えた。僕はプルーストの「失われた時を求めて」を復路も開いた。途中の駅から僕の席の左側(中央通路を挟んで向こう側)に二人が乗り込んできた。一人は女で、一人は男だ。白い杖を持っていた。女の言語は不明瞭だった。男は付添のような感じだった。男は小声で喋っていた。女の方は大きな声で喋っていた。不明瞭な言語で大声で喋っていた。僕の耳は不愉快を感じた。イライラした。集中して本が読めない。たまに喋るのならば、まだ我慢ができる。彼女はしかし、連続的に喋った。一種の暴力だ。なぜ僕は彼女の声を聞かねばならないのだ。言論の自由がある。座席指定でなければ、僕は黙って席を移っただろう。近鉄特急は座席指定だ。動けない。僕は自己中心的な人間だった。自己中心的で何が悪い。僕は他人への思いやりなど持っていない。しかし、そのどこが悪いのか。聞きたくないものは聞きたくないのだ。彼女が身体障害者でなく、通常の声で喋っていたら、僕の苛立ちも多分、あれほど強くはならなかっただろう。僕の中の教養、礼儀作法、常識、倫理意識、これらすべてが崩壊した。抑え込まれていた残酷な一面が顕在化してしまった。彼らは桑名駅で下車した。僕はほっとした。人を人として寛容の精神を持って認めることができなかった。僕は自らを断罪せねばならない。まだまだ修行が足りない。

 唐招提寺金堂の屋根の美しさは筆舌に尽くしがたい。僕は裏側に回り、屋根の右端を見上げる位置に立った。灰色とクリーム色とを混ぜたような、一つとして同じ色合いのものがない本葺瓦が棟から縦に優美な曲線を描いて一直線に並んでいる。僕は数列左に目を移す。列と列との間がまだ見分けられる。円柱を縦に割ったものを、お椀を伏せるような形で並べた本葺瓦。丸みの連続が形作る直線の美。僕は溜息を吐く。美しさに酔いながら、また、数列左に目を移す。列と列との隙間が段々狭くなる。左に目を移せば移すほど、その隙間が段々と、限りなく無に接近していく。この無に至る快い漸近線について、未だかつて誰かが語っただろうか。小林秀雄も発見しえなかった美ではないのか。僕は溜息を吐く。無数の瓦が、ある時は垂直に整然と、ある時は斜めに雪崩れるように歓喜の合唱をしている。僕には瓦職人の血が流れている。僕の父方の祖母の父は瓦職人だった。伊勢神宮の瓦も葺いたことがあると聞いた。帰りの近鉄の中で瓦解したのは、しかし、その僕の心だった。僕の甥も僕の母も身体障害者の手帳を持っている。父も持っていた。甥は言葉にならない言葉で喋っている。そういう僕も心に障害を持っていると言ってもいい。なのに、近鉄電車の中で、僕は聞き辛い不快な声に我慢が出来なかった。明確な言語が操れないのなら、黙っていろ。心の中では、そう叫んでいた。耳を手で押さえても防げなかった。声の暴力には勝てない。僕は気が狂いそうになった。僕は乗り合わせた偶然を恨んだ。

 僕は自分のことを所詮は下賤な人間だと見做すことにした。そうすることによってしか今後は心の均衡が保てそうになかった。運が良ければ、木造の建築物でも千年の間、美を維持できる。運が悪ければ、人は青春の入り口で朽ち果てる。いずれにしても、そこにあるのは、遅かれ早かれ無に至る果敢無い漸近線だ。僕は自宅付近の道で、立木や大地を抱き締めたいような小さな衝動を感じた。夜になれば、闇が下りる。人は誰でも未解決のまま眠るのだろうか。

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