翌日の天気は、予報ではあまり良くなかった。妙高山登山は断念して、赤倉温泉へ行くことにした。車で来ていたので、こういう変更は自由に出来た。赤倉は、20代の頃、二回スキーに来たことのある土地なので、懐かしかった。当時泊まった「ホテル後楽荘」を探し当てるのにそう時間はかからなかった。雪のある赤倉しか知らない私にとって、雪のない赤倉は、赤倉らしくなかった。
観光案内所で旅館を紹介してもらった。静かな旅館を希望した。係員は「旅館きよし」への道順を教えてくれた。車で数分だった。行って見ると、小奇麗な旅館だった。二階に広いテラスがあり、大きな円形テーブルと椅子とが置いてあった。そこから正面に見える山の名を女将に尋ねると、「斑尾です」と言った。散歩後、そのテラスで、その山並みを見ながらビールを一本飲んだ。気ままな一人旅、捨てがたい味。ささやかな幸福感。こういうものにしかしがみつけない自分は、しかし、果たして幸福なのか、情けないのか、その両方なのか。分からない。厨房から夕食の知らせが届くまで、私は、卓上に新聞を広げたまま、そのテラスの真ん中の籐椅子に座って待っていた。
旅館「きよし」の食卓では、チーズと鰹と葱と醤油、これらが奏でる和風協奏曲を食べた。チーズの名は、マスカルポーネ。チーズのおいしい食べ方の一つ、と思った。かなり気に入った。創造には、「自由な発想」とか「常識の打破」、こういうものが必要、とよく言われる。私は、そんなことは、口で言うほど簡単ではない、と思う。逆に、徹頭徹尾不自由な発想しかできないからこそ、あるいは、自分の固陋な日常性を打破できないからこそ、遂に発見する新しい「混合」もあるのではないだろうか。
日本人の食卓から味噌や醤油、鰹や葱は、失われることはない。日本人は、手放さないだろう。そういう確かな道筋があってこそ、外来文化との真の出会いや、折衷、文化の発展が可能となるのだろう。
一度も下駄を履いたことのない日本人が語る日本文化は、知的処理をされた文化に過ぎず、受け継ぐべき文化とはなりえない。私はそう思う。受け継いだものがない者には、「混合」も生じず、ただ外から来るものを受動的に味わうだけになるだろう。
根強く受け継がれてきた日本の生活文化は、おろそかにできない。
冗談を言う。自分の頭と心で考えて、言う。ここにその人の人間性の一端が現れる。人と人との触れ合いに妙味を求める人ならば、この冗談を利用するのも一つの簡単な方法だ。偶然に出会った相手が熊ではなく、同じ人間ならば、その出会いに自分らしい妙味を付け加えることは、人生の楽しみの一つだ。無論、それは、果敢ない人生の果敢ない楽しみに過ぎない。が、他人として、あるいは、単なる顔見知りとしてすれ違うだけの人生の小局面には、それ以外に一体何がある。
火打山や妙高山登山の拠点、高谷池ヒュッテで出会ったアメリカ人と言葉を交わして感じたこと、思ったことは、そんなことだった。彼もその孫(14歳前後)も、火打山九合目付近では上半身裸になっていた。暑い時に、我慢して長ズボン、長袖シャツを着ることもないか。状況に応じて服装を変える、これは、些細な事だけど、大事な事だ。
会話においても、服装においても、要は、自分流を貫けばよいのだ。
8月19日、直江津へ買い物、小谷村、「栃の実亭」泊。
合羽と寝袋が、必要だった。必需品を買うために、上越市、直江津市に行った。専門店を探して歩いた。中々見つからなかった。山も旅も諦めて多治見か伊吹に帰ろうとした時、偶然、「スポーツデポ」を見つけた。寝袋とポンチョを購入した。また、山へ行く決心をした。
一旦笹ヶ峰に戻り、そこから林道を抜け、小谷温泉へ行くことにした。その途中、道の駅「あらい」に立ち寄った。広大な海産物売り場があった。渡り蟹の唐揚げがうまそうだった。1500円のパック寿司を買って食べた。
小谷温泉の鄙びた旅館で一泊するつもりだった。林道を走っていると、山の一角に瀟洒な建物が見えた。近づいてみると、「栃の実亭」と言う名の旅館だった。
「もう少し端に停めて下さい」
旅館の係員が指示をした。私は、この係員から旅館のこと、雨飾山登山ルートのこと、村営露天風呂のことなどを聞いた。彼は、フロントマンだった。学生時代は、ワンゲル部員だった。それを聞いた時、私は、先輩を敬うように、会釈して敬意を表した。翌日、私は実際に確かめることになったが、彼の雨飾山登山ルートの説明は、まるできのう登ってきたかのように的確だった。
彼は、私を「くろゆりそう」という部屋に案内した。冷蔵庫の扉を開けて、ガラス製の水差しを取り出した。「これは30年ものです」と言った。聞くと、井戸水だと言う。「無料です」冷蔵庫の中には、缶ビール、ワイン、ウーロン茶などが入っていた。「水以外は有料です。ただし、飽くまでも自己申告制です。申告がなければ、請求しません」私は、この説明を聞いた。耳を疑うような説明だった。誰にでも同じ説明をしているのか。私がワンゲル部の彼に敬意を表したから、こっそり私だけに囁いたのか。
風呂上りに冷蔵庫の中の白ワインを1杯飲んだ。飲み残しは、また冷蔵庫に入れ、翌朝、朝食後に自分のザックに入れた。これは、泥棒だった。が、私の耳の底には、フロントマンの「問題が起こったら、全部私が責任を取ります」という言葉が響いていた。私たちは、お互いにロマンチストだったのか。泣きたくなるほど美しい山を見つけた者同士、泣きたくなるほど美しい山を心に持っている者同士のささやかな連帯の証なのか。純白の雪原は、汚すためにあるのか。幸か不幸か、私は聖なるものを汚すために、斎場を汚すために山登りをしているという意識を持っている。私は、「先輩」の裁量にすべて任せることにして、白ワインを、すなわち、誰の物でもない自分の人生の断片を味わうことにした。
小谷村村営の露天風呂。ブナなどの樹木に囲まれた無人の露天風呂。私は、探していたものを見つけた。うるさく虻が飛び回り、落ち着いて湯に浸かっていられないということはあった。太ももを刺されたのも事実だ。しかし、それでも、もっとも素晴らしい露天風呂だと言いたい。見上げると、空は、畳一畳ほどしかない。樹木の枝葉によって空が隠されてしまっている。岩石の上にブナの大木が根を張っている。自然の造形美と言ってしまえば、月並みか。入湯料は、「寸志」となっている。これが憎い。「先輩」は言った。「右手に手拭、左手に5円玉を握り締めて行って下さい。チャリンと音さえ立てれば気兼ねなく入れますから」と。確かにそうだった。私は、1000円払っても入る値打ちがあると思った。もし他に客がいなくて自分が独占できるなら、5000円払っても惜しくないと思った。この露天風呂の発見は、今回の旅の大きな収穫だった。
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