岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

雪中鍛錬

旧中山道の馬籠峠を越えると、街道沿いに熊野神社がある。峠まで棚引いていた煙は、境内の火守役が焚き付けていた火が元だった。僕の右足は中央線の南木曽駅から歩き始めて2時間程で重い棒のようになり、痛くなった。何度も雪の中でストレッチしながら何とか峠まで来た。下り坂では、その痛みもやや弱くなった。石段を上って鳥居をくぐる。何と太い丸太だ。直径60センチ程だ。男が一人黒っぽい丸太を火の方へ運んでいる。「こんにちは。ちょっと火にあたらせて下さい」と頼んだ。男は「こっちの方がいいよ」と火の勢いが強い場所へ招いてくれた。手を翳す。近づくと、熱い槍攻めに対してすぐ後退りをせずにいられない。

空には粉雪が舞っている。恵那山方面に目を凝らしても、その裾野さえ灰色の背景の奥に隠れている。「太い木ですね。この火は時間的にはどれくらい持ちますか」と僕が聞く。男は「三日三晩は持つよ。杉だけど、火を付けるのに時間がかかった」と答えた。平成22年1月1日、午後2時25分。一言礼を言って、焚火から離れた。踵を返した瞬間、ちらっと僕の流れる視野の中に茶色の丸盆の上の湯呑茶碗が映った。5個程が雪に半ば覆われていた。その傍には日本酒の一升瓶が置いてあった。地域の顔馴染みが焚火を取り囲み、スルメでも齧りながら一杯飲めば、共に何とか正月を迎えることができた喜びを互いに祝い合えるだろう。暖かいのは焚火の火ではなく、同じ地に生きる者同士が日々地道に組み織る絆が醸し出す火だろう。旅人としては粉雪の世界に戻って行くしかない。

自宅を出て、多治見駅に着くと、ちょうど中津川行快速が出発間際だった。あと6秒遅かったら、乗れなかった。計画などない旅だ。プラットフォームで30分待つ破目になったとしても、プルーストを読むだけだ。どっちゃでもええ。足が旅をしなければ、心が旅をするだけだ。中津川駅から南木曽駅方面行きの電車がない。坂下駅まではあるが、南木曽駅はそこからまだ二つ先だ。不便と考え、都会にいる感覚を引き摺るのでは、旅に出た甲斐がない。しかし、そういう頭の切り替えは慣れないとすぐには出来ない。僕は早く南木曽に到着したかった。時間を忘れてゆっくり歩くのはそこからだ。中津川駅のプラットフォームの掲示板を見ていると、数分で反対側フォームに来る特急しなの号が南木曽駅で停車することが分かった。特急が来た。僕は迷った。迷いつつ飛び乗った。手には多治見駅の券売機で買った200円の乗車券しかない。座席に座らずにデッキに立っていた、車掌が改札に来た場合の説明文を推敲しながら。

南木曽駅の改札口での精算は、意外にも追加で1220円支払っただけだった。なぜこんなに安いのか。これなら今後も特急利用をしてもよい。嬉しい気分で旧中山道に入った。いつもは中津川駅から馬籠、妻籠を経て南木曽駅まで歩く。今回は逆コースを辿ることにした。

粉雪が舞う。道に積もった雪をブーツで蹴ると、舞い散る。多治見の雪とは雲泥の差だ。白く輝く雪面からの反射を見ていると、気分が華やぎ、軽快になり、幸せになる。出発する前は、毎回同じ独り言を言う、「同じ所ばかり行くのもなあ」と。現地に着くと、これも毎回のことだが、「やっぱり来て良かった」と言う。街道沿いの見慣れた軒先には、見慣れないナンバーの車が停まっている。湘南、品川。正月休みに帰省している人の車だろう。南木曽から中津川までの区間に関しては、僕は単なる通りすがりの旅人ではない。地元の人よりも数多く歩いているのではないか。威張っても仕方がないことを威張るのも、結構自己満足はできるから快い。

誰かが先に歩いている。途中で、不図気付く。雪道だから先客の足跡が残っている。進んでも進んでも、蟹股歩きの足跡が付いている。足のサイズを比べる。僕の足より数センチ大きい。女ではなかろう。数年前、いや、10年以上前か、僕はやはり正月に、馬籠から妻籠までの山道の処女雪の上を、膝までの雪と闘いながら踏破したことがある。誰も歩いていない道を自分が初めて歩く喜びを一度味わっている。先客の足跡の上に自分のブーツを運ぶ度に、落ちてはすぐ溶けるような淡い悔しさを感じた。わざわざ正月にこんな雪の山道を一人で歩きに来る阿呆が自分以外にもいるのか。世の中、やはり狭いようで広いか。

言葉では表現しにくい充ち足りなさを引き摺りながら、僕は宮本武蔵の舞台になった「男滝女滝」まで来た。先客の蟹股は滝の方へ向っている。よし、この機会を逃すと、2010年の大晦日まで悔いを残すことになる。僕は蟹股とは違う山寄りのコースを選んだ。薄暗い山道だったが、前方に細長くふっくらと広がる誰も踏んでいない道。それはまるで雪の絨毯が輝いているように見えた。僕は喜び走り回る犬のような気分で雪の中を前進して行った。そして、後ろを振り向く。紛れもなく雪の上に自分だけの足跡が深く刻み付けられている。二度と戻らない時が過ぎ去った跡だ。

雪が降り積もっても、雪が溶けても消える運命にある足跡を残して喜んでいるのは、僕の遊び心だったろう。一刻一刻が容赦なく過ぎ去る。過ぎ去る前も、過ぎ去りつつある今も、過ぎ去った後も、時の経過を惜しむ。こういう感傷的な態度は、しかし、ある意味で贅沢極まりないことだ。身体的な飢餓感に苦しむ者には買うことも貰うことも出来ない。

滝コースと山コースとが合流する地点には、再び蟹股の足跡が付いていた。よく見ると、新しい足跡ではない。足跡の上に粉雪が少し積もっている。1時間か30分程前に歩いた跡だ。これじゃ、途中で追い越すこともできないな。馬籠まで2番手のままで行くしかないな。諦めの境地に辿り着く。右足は痛む。腹は減る。喉は渇く。蜜柑を食べたり、五穀せんべいを齧ったりしながら、ようやく馬籠峠に辿り着いた。峠の茶屋の自販機には青いシートが巻かれていた。馬籠まで我慢することになった。中津川市に入った下り坂辺りで、嗅覚が何か煙の臭いのようなものを感じた。前方を見ると、雑木林の上にうっすらと黒っぽいものが漂っていた。

旧中山道の馬籠峠を越えると、街道沿いに熊野神社がある。峠まで棚引いていた煙は、境内の火守役が焚き付けていた火が元だった。僕は馬籠宿の入り口の酒屋に立ち入った。若女将は僕のことを知らないが、僕は若女将のことを知っている。知っていると言っても、2年程前に酒を買っているから顔を知っているというだけの話だ。その時は、垢抜けした都会的な、粋な、綺麗な女として僕の目に映った。今回は、所帯染みた年増女に見えた。装いを凝らし、化粧を入念にすれば、彼女は光り輝く。それが分かっているから、余計に残念だった。金剛石も磨かずば、と歌わねばならない。「どうしたんですか、前はとてもお綺麗でしたのに」と言うわけにもいかず、僕は小瓶1本だけをポケットに入れて店を出た。もし若女将の方も僕の顔を覚えていて、「どうしたんだろう、この人、前はもっと皺が少なくて溌剌としていたのに、貧乏臭くなっちゃって」と心の中で思っていたとしたら・・・、せめて来年は大瓶を2本買わなくてはなるまい。


妻籠宿も馬籠宿も営業中の店は数軒だけだった。観光客も疎らでどちらも10人程度だった。食べるには中途半端な時刻だったが、僕は馬籠宿でうどんの立ち食いをし、1杯300円のどぶろくを飲んだ。右足の痛みが気になっていたので、バスがあれば中津川駅前まで乗ることにした。バス停で時刻表を見ると、運良く数分後に発車するバスがあった。馬籠宿が始発のバスだった。午後3時30分、僕はたった一人の乗客となり、駅まで揺られた。乗車賃540円。旅先で大きなバスに一人きりで乗る気分は格別だ。こういうことは今までの人生で数回あったが、後何回こういう経験をすることができるだろう。乗ると、嬉しいような侘しいような、贅沢なような貧乏臭いような、明るいような暗いような、申し訳ないような少しはお役に立てたような、何とも言えない気分に支配された。ポケットの中の小瓶をプレゼントしたほうがいいのだろうか。そんなことも一瞬、心に浮かんだ。駅前で「ありがとう」と言って下車した時、背中で聞いた運転手の「ありがとうございました」の声にはほんのわずかだが人の温かみが余分に含まれていたような気がした。

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