岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

西表島紀行 続き p-2

続き p-2

 9月20日木曜日、朝食を済ませた後、レンタカーで浦内川に向かった。ボートで遡行した後、マリュドゥの滝までトレッキングをする予定だった。午前9時、黄色い色のボートに乗った。途中までは気持ちよい川風を頬に受けながら快適に走った。青年船長が両岸のマングローブの説明をしてくれた。川は浅い箇所がある。船長が客に「後ろに座っている人はなるべく前の方に詰めてください」と言った。台風の影響で予想外に土砂が流れ込んできて川が浅くなっている。スクリューが止まりかけた時、船長はそう説明した。引き続き、僕の耳に、「無理ですので、引き返します」という船長の宣言が聞こえた。残念だった。僕は船縁から川底を覗いた。15センチほどの深さしかなかった。
 下船し、払い戻しを受けた後、僕はすぐ予定を変更して、陸の孤島、船浮集落に出かけることにした。船浮へ行くには、幹線道路の終点、白浜港まで走り、そこから船で渡るしかない。陸続きなのだが、陸路がないのだ。定期船は一日に4便ほどしかない。僕はその日20日の夜は、小浜島のホテルに泊まることになっていた。逆算すると、船浮に滞在できる時間は1時間50分しかなかった。その短い時間が、しかし、僕にとって、夢の時間になろうとは夢にも思っていなかった。 
 船浮行が出航するまで、僕は白浜港周辺を散歩した。白浜小中学校があった。運動場には芝生のような青い草が一面に生えていた。正門から中の様子を窺ったが、児童生徒の声も聞こえず姿も見えなかった。辺りに民家は数えるほどしかなかった。
 船浮行の定期船に乗ったのは全部で9人だけだった。10分ほどで船浮集落に到着した。乗客は舳から岸壁に降り立った。真正面に食堂兼土産物売りの店がある。同じ並びに船浮小中学校もあった。船長の話では、児童数は4人、住民は45人だった。小さな石碑が目に付いた。そこには、明治時代、東郷平八郎もこの地に上陸し、民家でラッキョウを呼ばれたという話が刻まれていた。素人が作ったような、集落の粗末な案内図があった。それに従い、イダの浜に行くことにした。細い山道を10分ほど歩いた。途中に昔からの水場があった。顔を洗おうとして近づいた途端、僕は濡れた石の上で滑って転んだ。立ち上がろうとして、また、滑った。左の尻を強打した。8月の鳥海山では右側の尻だった。教訓を引き出していなかった。顔を洗うことを諦め、道に戻ろうとしてまた滑ってこけた。靴も靴下も完全に水に濡れてしまった。
 痛い思いを引きずるようにしてなおも細い道を辿っていくと、こんもりとした緑の木々のトンネルの中に入った。右側に一軒、珍しい植物を見せる所があった。中に入って見たい気もあったが、残された時間が短いので通り過ぎることにした。と、目の前に広がる風景は、思わず歓声が湧き出るような美しさだった。雄大さがあるわけでもない。天下の奇勝というような、珍しいものでもない。風景としては、どこにでもあるような平凡な、素朴な、ありふれた海岸だ。何が違うのか。訪れなければ、分からない。光が違う。風が違う。無垢。そう言えばいいだろうか。心が弾む。砂浜を海に向かって駆け出した。何という澄明感だ。この透き通った水を見ろ。まるで山の湧き水のような、そのまま飲めるような。水平線は5ミリほどの群青色の線になっている。潤いのある輝きに満ちた群青色だ。空は腐った心も洗われるような青。誰にも教えたくないような、誰にも教えたいような美しさだ。僕は心の中で何度も叫んだ。何と素晴らしいビーチだ。この水を見よ。
 僕は水着をホテルに置いてきた。靴と靴下とシャツを脱いだ。僕は短パンのまま海に入った。泳ぐことがこんなに気持ちいいことだとは今まで知らなかった。西表島に来て良かった。その時、初めてそう感じた。船浮。おまえの名は船浮だ。
 その時、イダ浜には同じ定期船で来た3組のカップルがいた。そのうちの一組は大阪弁で話していた。女の子は浮き輪を使っていた。彼女の顔立ちは、(こんなことを言っても、僕以外の人にはどうでもいいことだろうが)、僕の前の職場の、離婚歴の有る同僚の女性に似ていた。僕は、船浮行の船の中にいた時から、僕のかつての同僚の顔とその同僚に似た女の子の顔とを重ね合わせていた。二人とも美人というほどではない。ただ、どことなく姿態に肉感的なものがあり、訳も無く引かれるものがあった。
 僕は一泳ぎした後、砂浜の上の丸太に腰を掛けて休憩していた。浮き輪の女の子とその男友達は、手荷物を持って、弧状になった海岸線を僕の左手の方へずんずん歩いて行った。どれほどの距離を離れたのか、もう僕の目には女の子の目鼻の区別も付かなくなってしまった。彼らは、しばらく海の中で戯れていた。遠くからでも絡み合っているのが分かる。羨ましさとまぶしさとを感じながら眺めていたら、女の子が海の中の岩を背にして沈み、顔だけを水面に出した。男は立ったまま、女の子の顔の前で水着をずり下ろした。遠くからでも男の白っぽい尻が見えた。女の子の顔は尻に隠れて見えなくなった。数分間、そのままの姿勢が続いた。僕の心に漣が立った。波よりも騒いだ。急に、男は沈み、水の中で水着をはいた。彼らはまた浮き輪を使って、海の中で戯れ始めた。まるで小説だ。僕は彼らの薔薇色の物語を彩る小さな点景になっていただろう。水の中でも燃えるものは燃えるのか。
 僕は船着場の前の店にもどった。何か食べる物を注文するつもりだった。12時20分頃だった。白い料理服を着た若い男に注文すると、「12時50分の船でお帰りですか」と聞かれた。そうですと答えると、店員は「作るのに20分ほどかかりますから、食べる時間がなくなると思います」と言った。残念だったが、僕はマンゴージュースだけを注文することにした。近くには民宿も1軒あるようだった。
 夢の船浮。もう一度行くことを、僕は自分に誓う。いや、命があろうとなかろうと、僕は必ず再訪するだろう、光のまにまに燃え立ち、揺れる陽炎として。イダ浜には海と空と幸福しかなく、空き缶一つなければ更衣所もなく、いかなる二律背反もなかった。

p-3に続く
 

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