うーけん的生活

徒然なるままに書いてみます。いつまで続くか。

SILS Navi 完成

2007年03月18日 | Weblog

1週間ほど前のことになるが、SILS Navi 2007(学部向け情報誌)が完成した。

 

これは、僕が今までにないくらい、大きな労力と時間を割いたものだった。周りの皆が就活や勉強に力を注いでいる中、僕だけこれをしているというのはなんとも孤独で、自分の中でもこんなことをしていていいのか、という感情は常にあった。

 

休みに入ってから、以前は一緒にやって入れくれた人も、自分のことに力を入れるようになり、活動メンバーはガクンと減った。しかし、一緒に汗を流してくれている友人が少しでもいる以上、僕は編集長として逃げるわけにはいかなかった。そんなことをすれば、誰よりも僕が後悔する。そんな気持ちで、ずっとこれに力を入れてきた。1日中、朝から夜中までこのNaviの作成に捧げた。一日10時間パソコンに向かって編集作業をしていることもあった。時に、自分ばかりに莫大な仕事が来ることに不条理を感じ、憤りを感じることもあった。一旦入稿して終わりかと思ったら、データの修正依頼が来て、38度以上の度近い熱がある中、夜更かしをして作業を行った。

 

それがやっと終わって、印刷を待つばかりになった時、僕の中に芽生えた感情は、意外にも「休みたい」ではなく「もっと走っていたい」という気持ちだった。終わりとは新たな始まりだ、とはこのようなことを言うのだろう。

 

本当に全力で走りきった時、人というのはもう一度走りたくなるものなのかもしれない。

 

そんなわけで、買ってください、SILS Navi 2007。
http://silstimes.fc2web.com/


久々の母校

2007年02月19日 | Weblog

久しぶりに、母校の玉川学園に行ってきました。高校の友人と飲みに。

 

僕は早稲田大好きですが、母校はと聞かれればやはり玉川学園と答える。10年間もここで過ごしたのだから。

 

雨の中待っていると、懐かしい言葉を見かけた。学園の創設者、小原先生の残した言葉。

 

「人生の最も苦しい いやな 辛い 損な場面を、真っ先に微笑をもって担当せよ」

 

先生はクリスチャンだったらしいので、その思想の影響もあるのだと思いますが、この言葉は僕は大好きです。この言葉を思い出しながら、中学校でトイレのサンダルを並べたていました(笑)。

この言葉は、人の嫌がることを進んでやりましょう、という意味だとずっと思っていたのですが、考え方によっては、自分を励ます言葉にもなりうる、とこの時初めて気付きました。つまり、例えば、自分が面倒な仕事ばかり押し付けられるとき。頑張っても、周りはそれを見ていなかったり。そんな時にも微笑を絶やさずにいなさい、いいことあるから、という励ましなのではないかと思いました。

 

そんな訳で、サシ飲みでした。こんなに飲んだの久しぶり・・・。フラフラになりながら、終バスにのって帰りました。そして寝過ごし、終着駅まで。戻るお金がありませんでした。ATM、時間外は我が新生銀行のカードを受け付けてくれませんでした。でもまあ、なんとか帰りました。


CDMシンポジウム

2007年02月10日 | Weblog

土曜日に、渋谷の國學院大學であったCDM関連のシンポジウムに参加してきました。時間間違えて、30分早く着いてしまったけど、まあ最前列中心確保で安定。

 

CDMとは、京都議定書で定められている温暖化ガス削減の仕方の一つ。簡単に言えば、日本が中国に資金や技術を援助して温暖化ガスを削減したら、その分を日本の削減分として数えていいよって話っです。知る人ぞ知る、ちょっと環境マニア向けの話題です。

 

でも、これは今、相当な注目を浴びています。まず、途上国が温暖化ガス削減に関われること。また、その排出権を取引する市場が出来つつある(主にEUです)こと。そして何より、世界中の企業が、そのうち自分の会社にも削減義務が課されるんじゃないだろうか、っていうのがCDM拡大の理由かと思われます。温暖化ガスの削減というのは、それ自体がお金の価値を持つようになっていきているのです

 

しかし、CDMは温暖化ガスを削減すればいいというものではありません。同時に、途上国の「持続可能な発展」に寄与しなければならない、というのがそもそもの目的でした。そのために、CDMがちゃんと地域の発展の寄与しているかどうかを証明する、Gold Standardというのを環境NGOが進めてるようです・・・。あんまり深入りするとマニアトークになるのでこれぐらいにしますが、かなり卒論にも役に立ちそうです。

 

パネリストは様々な人が集まっていました。大学教授や企業人、NGO、経済産業省もいました。ってかありとあらゆるセクターから人を引っ張ってきたなあ・・・。すげえ。なかでも特に印象的だったのが、イー・スクエアという会社のDavid Pedersonという人。この人曰く、日本の環境政策は遅れているらしい。後一年で議定書の約束期間がはじまるというのに、今から具体的内容をまとめるなんて、あり得ない・・・そうだ。

 

確かに、日本の環境技術は世界トップクラスだが、それ以外の面、例えば企業の戦略だとか、政府の立法だとか、NGOの活動だとかは、かなり弱いと認識すべきだ。ってか、このままだと、EUはもちろん、アメリカにすら遅れをとる可能性が高い。致命的なのが、環境省と経団連の対立だろう。これが、日本を世界の環境トレンドから取り残している。がんばれニッポン。

 

懇親会にも参加して、結構面白い人たちと名刺交換などしてみた。WWFの人、ナットソースの人、東北大学の人・・・など。どこまでコンタクトを取り続けられるのか分からないけれど。

 

 

シンポジウムって、3つの目的を意識すべきだと感じました。

1.話の内容を理解する。

これは、普通にやることです。

 

2.参考文献をゲットする

パワポや資料の最後にでてくるこれ。これを辿れば、かなり有用な資料が沢山集まったりするのです。

 

3.人のネットワークを作る。

名刺があるといいですよね。しかも、学部生でシンポジウムに参加するひとって少ないので、珍しがられるようです。俺の場合、明らかに最初から社会人という目で見られてますがw

 

シンポに限らず、学会とか講演会でも似た様なことが言えるのでしょうね。

 

こんな人たちがいました↓ これって、肖像権侵害なのかな・・・?

 


IPCC第4次報告書

2007年02月05日 | Weblog

先日出ました。世界中の環境家が待っていたこのレポート。

 

IPCCは世界の科学者の集まりで、気候変動に関するレポートを出す。そしてそのレポートは、全ての温暖議論の根本になっていると言っていい。温暖化に関する資料を読めば、必ずIPCCという文字が参考文献にあるはずだ。

今回のレポートの最大のキーは、「Most of the observed increase in globally averaged temperatures since the mid-20th century is very likely due to the observed increase in anthropogenic greenhouse gas concentrations (20世紀中盤以降に観察される地球平均気温増加の大部分は、確認される人為的温室効果ガス濃度の増加によるものである可能性が非常に高い」という一文だろう。この very likelyというのは、90%以上の確率を指す。

 

これはつまり、

 

「温暖化は、人間のせいなんだよ!」

 

という、一般市民にはあまりにも当たり前のことを言っている。しかし、それすらも認めたくない国が今まであったんです。アメリカとか、サウジアラビアとか。それが今この報告書で温暖化は人間のせいだと言っているということは、これらの国すらもそれを認めた、ということなのです。

なぜなら、この報告書は、世界中の国に資料を回して、それらの代表者全ての同意をとれないと、発行できないからです。例えば、ここでアメリカが自分の政権に都合のいいことを言ってくれる科学者を代表にして、影響力を行使できるわけです。でも、それですら「温暖化は人間のせいだ」という文言は削除できなかった。つまり、それだけ科学的証拠が明らか過ぎた、ということなのでしょう。

しかし、ブッシュ政権の態度は未だに変わっていない。報告書が出てすぐに、「京都議定書の仕組みは途上国が入ってないから参加するつもりは無い」と。ブッシュ政権が変われば、世界はもう少し良くなるだろう。がんばれアメリカ民主党。アメリカにも温暖ガス削減の動きは強くあるので、政府が動くのも時間の問題ではないかと。

日経新聞の記事:「排出権の世界市場で日本企業の力示せ」http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20070204MS3M0400304022007.html

今週は、テレビや新聞などでもかなり環境特集が多いはず。楽しみ。


高校時代の友人と

2007年02月05日 | Weblog

64でゲームをし、バトミントンをし、ミニサッカー、ミニ野球をした。。

結果:バドミントンのラケットが一つ折れ、羽が二つ壊れ、サッカー用ボールの空気が抜け、野球の球を二つなくす。手がかじがむ。

いや、でも、なんか若返ったみたいで(爆)楽しかったです。高校を卒業してから2年半ぶりに会う人とかもいたので、とても懐かしかった。みんな、それぞれの道を歩んでいる。

 

自分は今までこういう奴らと接して来たんだ、と改めて認識した。大学にいると忘れてしまうような、高校時代の自分を思い出せる。そして、いつの間にか気分が高校時代に戻っているのに気付いた。なんかいいね。


節分に巻寿司

2007年02月04日 | Weblog

豪華な巻き寿司!節分にこんなものを食べるとは知らなかった。何か正式な名前があったが、覚えていない。

北北西の方向を向いて食べると、いいことがあるらしい。最初の二口はそちらを向いて食べたが、あとはむしろ逆方向。まあ、うまかったので、問題はない。


北京大学

2007年02月03日 | Weblog

金曜日の夜、論文書いてる合い間に、B先生及び北京大学の学生6人ぐらいとと晩飯に行って来た。北京大学生達は、噂通り、とても優秀そうだった。しかも、超フレンドリーだった。

 

留学生達に、中国共産党のことや、台湾独立論などを聞かせてもらった。学生の一人が共産党員でありながら、「政府は腐っている」「台湾は独立させてやればいい」といういったなかなかアツイことを言うので、大変面白かった。中国では優秀な学生は共産党員の資格をオファーされるが、それはほとんど断れないらしい。納得。

 

最近、議論をあまりしていない。このような面白い議論が出来る人と、もっと積極的に交流したいものだ。


論文完成

2007年02月03日 | Weblog

金曜日は丸一日、論文を書いていた。St. Gallens Symposiumという、スイスの学生シンポジウムに出すものだ。ゼミの友達もやはりそれに応募するというので、誘われて書いてみた。今回のテーマは環境や資源に関することだったので、俺の興味分野だったので、運がいい。

 

書いたテーマは「Bearing Resource from Nothing - the Potential of Carbon Business-(無から資源をー炭素ビジネスの力」というもの。排出権売買のビジネスが、温暖化ガス削減に大きな推進力となりうることを熱く語ったつもりである。ちなみに卒論のテーマともかぶる。

 

しかし、書き始めたのが遅かった。提出期限が2月2日金曜日で、書き始めたのは火曜日。水木は何もしていない。分量は1500~2000Wordsなのでそれほど長くはないが、それでも一日で仕上げるのって楽ではない。19号館にこもって、かりんとうを食べながら必死に書いた。家に帰ってさらに加筆を加え、アメリカ人の校正を受けて、最終的にに完成したのは4時半ごろ。スイス時間ではまだ2日というありがたさだ。布団をこんなにいとおしく思ったのは久しぶりだった。

 

この論文がもし優秀作品に選ばれれば、スイスで行われるシンポジウムに参加でき、全て交通費など出してくれるらしい。まあ、今頃はゴミ箱に入っている可能性大だが・・・

 

正直、あまりにも書き始めるのが遅かったので、書くのを諦めようかと思っていた。でも、いつもそんな理由で色々面白いことを逃しているので、ちょっと挑戦してみなければ、と思って頑張ってみた。やはり、自分で選んだことをやっているというのは気持ちがいい。例え入選しなくても、悔いは無い。遅く始めたとはいえ、ベストなものを書いたつもりだから。


春の息吹

2007年01月27日 | Weblog

今日は春みたいに暖かい日だった。

こんな日に家に閉じこもっているわけにはいかない。外に散歩に出てみた。昨日の雨で湿気を含んだ空気が心地よい。あたりはまだ冬かと思ったが、ところどころに春の息吹が感じられる。湿った土から、草が伸びていこうとしている。

 

我が家の近くは、いわゆる「郊外」に属する。近くにはスーパー、スポーツセンターなど、結構便利なものがそろっている。しかし3分も歩くと、裏山に入る。その中にはいかにも田舎っぽい風景が広がっており、疲れた時とかにこの中を歩くと、緑の空気に癒される。ご丁寧に散歩道まで作ってあるから、散歩にはうってつけだ。今の家には10年以上住んでいるが、この散歩道を発見したのはごく最近のこと。不覚なり。

 

 

散歩を満喫した後、大学に行く。延滞していた7冊の本(冬休み中に読もうとして読まなかった)を返却し、公共経済のレポートを進め、最後に力尽きてボーっとし。帰宅。しかも電車で寝てしまい、7駅ほど乗り過ごした。まあそういうこともあるだろう。

 

夕食後、家族で「日本沈没」のDVDを見た。なかなかいい映画だったと思う。「命より大切なことがある」と御田寺のお母さんが言っていたのが印象的。あと、自衛隊カッコいいな、とか思えたりした。これは、強力な自衛隊のPRとなるだろう。また、日本人が大量に海外に脱出したシーンをきっかけに移民、難民問題に関心を持つ人もいるのではなかろうか。


ブログ再開しました。

2007年01月27日 | Weblog
ライブドアから移行。続くのだろうか。