武藤信義の墓
明治から昭和にかけて陸軍の重鎮であった武藤信義のお墓です。
佐賀藩士武藤信直の次男として明治元年に生れる。
陸軍士官学校を卒業して日清戦争に従軍、陸軍大学を主席で卒業して日露戦争に出征。また、シベリア出兵にも第三師団長として参戦。
経歴としては、参謀本部次長から、1926(大正15)年には陸軍大将・関東軍司令官、1927(昭和 2)年に教育総監、1932(昭和 7)年には再び、関東軍司令官兼駐満全権大使兼関東州長官として要職を歴任している。
1933(昭和 8)年満州で卒。
経歴から考えると、実務家肌の生粋の軍人として、陸軍の中心的な人物であったかと思います。
●墓の位置 本堂(観音堂)裏の山田顕義の墓の裏(北)の区画にあります。鳥居が目印です