富井政章の墓
明治の法学者、富井政章(とみい・まさあきら)のお墓です。
京都聖護院宮侍だった富井政恒星の長男として、1858年9月10日現在の京都府京都市に生まれた。
そして、1874年東京外国語学校仏語科に入学し、また1877年には、フランス・リヨン法科大学院へ留学。法学博士等三つの法学位を取得して卒業している。
帰国後は、東京法学社(現在の法政大学)の講師に就任し、1885年には、東京帝国大学法学部教授に就任。
1893年に設置された法典調査会で、穂積陳重、梅謙次郎 らと共に、民法起草委員に選出され、日本の民法典の生みの親となる
また、日露戦争前には主戦論を唱え、七博士の1人として七博士建白事件に関与している。
1935年9月14日卒。
実は彼(というより穂積陳重、梅謙次郎の3人)、民法・商法施行100周年記念として郵便記念切手になっています。 みなさんも封筒を見返すと彼らに出会えるかもしれません。
●墓の位置 今回もあやふやです。おそらく本堂真裏の近い区画にあったと思いますが…