護国寺
これからしばらくは護国寺にある偉人のお墓について記載していきたいと思います。
護国寺は、天和元年二月(1681年)五代将軍徳川綱吉が、その生母桂昌院の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当亮賢僧正を招き開山し、幕府所属の高田薬園の地を賜い堂宇を建立し、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、号を神齢山悉地院護国寺と称したことに始まるとのことです。
まず初めにあるのが仁王門です。ここには正面に金剛力士像、背画両脇間に二天像(右に増長天、左に広目天)が安置されています。
仁王門
その後境内を進むと不老門にさしかかります。こちらは昭和13年4月に建立されたものです。
不老門
そして観音堂(本堂)に至ります。 この観音堂は、元禄十年(1697年)観音堂新営の幕命があり、同年八月落慶供養の式典が挙げられた。 元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都下隋一のものと賞されています。
観音堂
この他、鐘楼・月光堂など貴重な堂宇が多くあるので、お墓とあわせればたっぷり半日以上楽しめると思います。
●護国寺 東京都文京区大塚5-40-1
これからしばらくは護国寺にある偉人のお墓について記載していきたいと思います。
護国寺は、天和元年二月(1681年)五代将軍徳川綱吉が、その生母桂昌院の発願により、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当亮賢僧正を招き開山し、幕府所属の高田薬園の地を賜い堂宇を建立し、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像を本尊とし、号を神齢山悉地院護国寺と称したことに始まるとのことです。
まず初めにあるのが仁王門です。ここには正面に金剛力士像、背画両脇間に二天像(右に増長天、左に広目天)が安置されています。
仁王門
その後境内を進むと不老門にさしかかります。こちらは昭和13年4月に建立されたものです。
不老門
そして観音堂(本堂)に至ります。 この観音堂は、元禄十年(1697年)観音堂新営の幕命があり、同年八月落慶供養の式典が挙げられた。 元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都下隋一のものと賞されています。
観音堂
この他、鐘楼・月光堂など貴重な堂宇が多くあるので、お墓とあわせればたっぷり半日以上楽しめると思います。
●護国寺 東京都文京区大塚5-40-1