偉人のお墓は、すきですか?⊥卍⊥

歴史上の偉人のお墓めぐり記録です。史跡もあります。

松平太郎(大林寺)

2005-12-04 15:31:14 | お墓

大林寺
本郷通りより少し入ったところに入り口があり、そこから木立の生い茂る参道を進むと本堂です。

 ●大林寺 文京区向丘2-27-11

松平太郎の墓
   
    松平太郎氏の墓                 戒名

幕臣として江戸に生まれ洋式兵法を学ぶ。 
慶応3年外国奉行支配組頭・陸軍奉行並となり鳥羽・伏見の戦いに出陣。
江戸へ戻り旧幕軍の脱出に尽力し、自らも榎本武揚等と共に蝦夷地へ至る。
蝦夷共和国政府では副総裁となり、五稜郭の戦いを指揮するも力尽き新政府へ降伏。 
投獄されるも新政府へ召しだされ出仕。 晩年は東京に戻り亡くなる。
幕臣として、徳川家の存続と新政府への抵抗との狭間で両立をなしえるため尽力した偉人です。

 ●墓の位置 本堂の手前左側、墓石には「松平家之墓」となってます。

高島秋帆(大円寺)

2005-12-03 22:08:34 | お墓
 
大円寺
向丘高校の裏手にあるお寺で、細い路地を入っていくようになりますので、あらかじめ地図で場所を確認してから訪れるほうがよいかと思います。

 ●大円寺 文京区向丘1-11-3

高島秋帆の墓
幕末の砲術家。
長崎で生まれ、荻野流砲術、西洋砲術を学び高島流を確立。
武州徳丸ヶ原(現板橋区高島平)にて砲術の演習をし幕府に認められ、幕臣の江川太郎左衛門・下曾根金三郎に砲術を教授する。
幕府目付鳥居耀蔵(2005/11/28のブログ参照)の讒訴により投獄される。 11年後赦免され、講武所師範となるが在職中に亡くなる。
洋式砲術家の先駆けであり、後年の幕末の志士たちに影響を与えた偉大な人物だと思います。 私財をなげうち、政情(攘夷運動)に左右されず一途に砲術の研究を行った偉人です。

 ●墓の位置 路地を挟んで本堂の反対側の墓地で、入り口から最も遠い壁際です。

岡麓 ・ 織田[羽柴]秀勝(高林寺)

2005-12-01 21:13:30 | お墓
   
      岡麓氏の墓                織田家の墓

岡麓の墓
明治から昭和にかけて活躍した、アララギ派の歌人。
本郷に生まれ、正岡子規の師事。信州池田に疎開、終焉を迎える。
文学のことはよく分からないんで(^^;) あってるとは思いますが・・・

 ●墓の位置 本堂を正面に見て左側、墓地中央部(おそらく)

織田家の墓
織田家の墓に間違いはないのですが、織田信雄(信長次男)という説と、織田[羽柴]秀勝(信長四男・羽柴秀吉養子)という説があり、よく分かりません。
どなたか分かる方が居たら教えてください!

 ●墓の位置 本堂正面に見て左奥壁際、緒方洪庵の墓の正面あたりです。