ナジェージダ

ナジェージダ、それは日々の生活。

売れればいい、売れなきゃだめとは言うけれど。。。

2005-02-18 01:08:02 | Weblog
 マスメディアが流す情報、あるいはマスメディア自体が、現代においては一過性のものに過ぎないことは、言うのがいやになる程周知の事実だ。情報には色が入っているなんてもう耳にタコだ。そんな欺瞞に騙されないためには自分がきちんと情報を判断するための知識を持つことが要求されるとある人はいい、またある人はゲルナーがナショナリズム分析で試みたことを敷衍して、「騙される人が悪いし、それはしょうがないことだ」と割り切ることが必要だという。両方が真だと思う。人は誰もが前者でありたいと思っているし、俺もそう思っている。でもこの情報が氾濫した社会で、情報の良し悪しすべてを把握する能力を持つのは不可能といっていい。(もちろん常に新しいものに敏感で、流行の本質を嗅ぎ分ける嗅覚をもった人はいる。そんな人と知り合いたいと思うし、知り合ったら色々教わりたいと、俺は思うが。) 自分が全く、あるいはほとんど知らない分野の情報を受容する時、俺は間違いなく後者のカテゴリーに分類されている。しょうがないと思う、こればっかりは。できるだけ前者のカテゴリーを増やす努力は怠るつもりはないけど。

 でも、今日言いたかったのは俺の中では前者のカテゴリーに分類される範囲における俺の不満。サッカー。俺が始めてW杯を観たのは90年のイタリアW杯。全然覚えてない。まともに見始めたのは94年のアメリカW杯。多くのシーンを鮮明に覚えているのだが、最も良く覚えているのはブラジル代表。予選はいいとは言えなかったけど、決勝Tからはまさにドラマチック。ベスト16では地元アメリカを終了間際のベベットの一発で下し(この試合では大差という大方の予想を覆し終了間際まで頑張ってたアメリカ代表にも感動したけど)ベスト8のオランダ戦は2-0から2-2に追いつかれブランコのFKで決勝ゴール(サッカーはシーソーゲームでの3-2が一番面白い。さらに言うとこの試合の二点目はまさにサッカーの醍醐味だった。ちょっと解説するとこの大会からたとえある選手がオフサイドポジションにいようともボールへ反応を示さなければオフサイドではないというルールが採用された。ブラジルの二点目。DFラインからのロングパスが前線のロマーリオに渡ろうとしていた。明らかにオフサイドポジション。安心して足を止めたオランダDF。しかし!!ロマーリオはボールに何の反応も示さずに歩いている。それに感づいたベベットがボールを取りそのままキーパーと一対一からゴール。当然ベベットはオフサイドポジションにはいなかった。呆然とするオランダDF。俺はこの時本当にロマーリオを天才だと思った。) 話戻して準決勝のスウェーデン戦。相手は実質90分を11人で守り通したといっても過言ではないほどディフェンシブ。後半36分過ぎ、平均身長約190センチのスウェーデンDFが守るゴールを実質身長165センチのロマーリオがこじ開けた。(ちなみにウンチクを言うとこの時アシストしたのが鹿島にいたジョルジーニョで今バルセロナにいるラーションはスウェーデンのスーパーサブだった。)決勝は疲労からやや凡庸な試合になってしまった。しいて言えばおっさんバレージの老獪さからDFにおける読みというものを教わったくらいか。

 いらないサッカー解説が入ってすっかり長くなったけど要はこのW杯はすごくブラジルを良く観ていたから当時のメディアの記事も良く覚えているってこと。実は当時の風評は「ブラジル史上最弱の代表」とか「ブラジル史上最もつまらないサッカーをするブラジル代表」とかね。何にも知らなかった俺は「このブラジルが史上最弱なら昔のブラジルは怪物か??」とか思ってた。また当時ブラジルの10番だったライーが本番で全く機能しなかったこともあり、最大の批判が集まったのが当時の代表監督だったカルロス・アルベルト・パレイラ。今のブラジル代表監督だ。ブラジルでは流行らないシステマチックなサッカー、つまり中盤とかDFライン、特に中盤での役割分担を比較的はっきりさせて選手間の流動性を低めるというサッカーを実践していたこともあり非難はすごかった。日本の新聞もそうでした。(俺が、この戦術が本番直前でブラジルのCB二人が故障で出れなくなりライーの不調も相まって、苦悶したパレイラが現存の戦力からひねり出した苦肉のものだったことは大会後にわかった)それでも何とか結果を出したけど決勝がPK戦だったことやエースロマーリオに注目が集まる反面パレイラはそれ程評価されずひっそりとブラジル監督をやめていったことをよく覚えている。 ところが今の評価はどうでしょう? 南米予選を順調に勝ち抜き評価は上々です。俺も記事などをチェックしていますが、94年時の厳しい意見がうそのようです。はっきり言って今のブラジルは94年のブラジルより全然強いと思う。弱かったブラジルを優勝に導いた時にけなされ、強いブラジルを率いて評価される。(もちろん数多いタレントをうまく率いて結果を出している現在のパレイラ自身の手腕を否定するものでは全くない) このメディアの変貌の原因は一途に、メディアが「94年W杯優勝監督」という「肩書き」に着目している、いやそこにしか着目していないからに他ならないと思う。正しく評価する時にしないで、ちょっと今がよければ注目して、悪くなればポイ!!というメディアの一過性を垣間見る気がする。 ちょっと無責任だと思う。(もちろんそうでない所もあるけどね。)しかも、以前ジェフのオシムが言ってたけど「もしそれが原因で注目を浴びた人がだめになってもメディアはこのことに対して一切責任を取らない」のです。メディアがこの「責任」を理解しているかと言えば俺が知っている限りでははなはだ疑問です。前園がいい例だ。

 マス・メディアは「売れればいい、売れなきゃだめ。あるいは観てくれればいい、観れくれないとだめ」とは言うけれど。。。それは認めるけど、やっぱり「責任」があるのだから、その制約の中でもできる範囲で本質的なものを表現して欲しい。例えば先日の代表戦で決勝ゴールを決めた大黒選手。注目するのはいいけれど、「大阪で有名な三兄弟」とか「姉さん女房」だとか、そういう情報を人々が求めているのは理解できるし俺だって興味が完全にないとはいえない。だけど、本当にマス・メディアにきちんと情報を伝える気があるなら、「昨季Jで日本人最多得点」とかだけじゃなくてまず「シュート技術の高さ」とか「ボールない時の動き」とか大黒の長所に注目し、そのスキルを彼がどのようにアップさせていったのか、そのプロセスを具体的な表現で知らせて欲しいと思う。人となりを伝えることはだめとは言わないけど、それはあくまで人々の興味を導く導入であるべきだと思う。最初はミーハーで全然問題ないと思う。でもそれだけじゃ大黒の本当のよさが伝わらないじゃん。そんな記事では売れないというなら、情報の供給側の問題に加えて受容側の問題、俺はあえて「日本の人の多くって本当はそんなにサッカー好きじゃないんだね」と言わざるを得ないなー。
そういうことを伝えていけば、興味を持った人が実際にその「ボールのない所での動き」を観にスタジアムまで足を運ぶかもしれないし(「ボールのない所での動き」はスタジアムでしか観れない)、そうすることで遠回りだけどちゃんとしたサッカーファンが増えていくと思うし、メディアに対するファンの目も厳しくなって供給側の情報の質も上がっていくんじゃないかな。

p.s.でも書いてて思うのはやっぱり「具体的な知識」の必要性。それがないと批評すらできない。細々した知識はツールとしてはやっぱり必要だな、当たり前だけど再確認。。