ナジェージダ

ナジェージダ、それは日々の生活。

しらすじろう。

2006-10-26 00:14:33 | Weblog
 思わず、『その時歴史が動いた』の白洲次郎の回を見てうなってしまった。

最後のエピローグで、流れていた白洲の言葉「憲法や民主主義がまだ、本当に自分たちのものになっているとは思わない。憲法や民主主義は本当に自分たちのものとなってはじめて、戦後が終わったといえるだろう」(原文ままじゃないけど)を聞いたときは、涙が出た。全く同感だ。 

 私利私欲がなく利他的で、なおかつ公共心と先見性とパトリオティズムを持った人だと感じた。

 自分の感想としては、白洲さんに今スポットが当たっている理由は、「占領の屈辱」というものが「戦争の悲惨」というものに比べて忘却されているという前提のもと、GHQによる屈辱の占領期における自立した反抗的日本人のメルクマールとして白州さんがピッタリだったからじゃないか、と思う。

 白洲さんを通してあまり考えられてこなかった「占領の屈辱」にもスポットを当てる、という意図だ。

 その意図自体は全くいいのだが、自分としては「戦争の悲惨」「占領の屈辱」と共に、「加害の惨状」も忘れて欲しくないと思ふ。