ナジェージダ

ナジェージダ、それは日々の生活。

時には真珠のように。

2008-02-14 07:40:23 | Weblog
 日常は、アクシデンタルな事象に満ちていて、時に、というよりはいつも自分たちはそれに遭遇して生活するのだが、一方で人間はそんな偶然に満ちてアットランダムな日常を、経験や慣習といった知恵を武器に無難に乗り過ごしていける希有な存在でもあるのだ。

 今月で一歳、年を食ったわけだが、今過ごしている淡々とした日常は変わらない。きっと死ぬまで変わらないという気がする。肉体的な衰えはあるかもしれないが、(仮に生きてたとして)80歳になったとしても、きっとその時の自分は、今と全く変わらない意識で4年に一度のW杯にやきもきするだろうし、毎年5月末のCLの決勝を楽しみにするだろうし、その時の政治思想のトレンドを気にかけるだろうし、流行の世界文学を追っかけるだろうし。。。

 そんな、ある意味惰性的な時の過ごし方を出来るからこそ、しかし、やっぱり何かに一生懸命になって、何かに意味を見いだして時を過ごす生き方をしたいと思う(しなければならない、とは言えない)。

 なぜか、2月も大量の補講が続いている。

 支離滅裂な文章だが、日常に埋没しないようにする。