学校 『攻め』と『連携』

公立小中学校の強みは,家庭・地域と連携できること!
連携のための『攻め』は「学校の誇り」づくりで!
 

情報の処理とは「情に報いる行為のこと」

2008-06-22 | Weblog
   情報の処理とは「情に報いる行為のこと」       7/8大沼
 情報とは情に報いることだとすれば、心情に応えることで見る人のイメージを創っていく花火のようなものではないか。打ちあがって次々と消えていくが、心に像が残ってその人の心情にあったイメージを形成する。「ホームページ」や「学校だより」が学校イメージをつくり、人はそのイメージで動いていく。

この頃の学校のホームページ・ブログに注目!

1 新鮮な学校情報の提供―毎日更新(ホームページを見る習慣づくりのために)―
  ・ブログで毎日発信  ・トップページを毎日更新  ・NOW!

2 安心・安全情報の提供―子どもたちの安全に配慮して安心イメージづくり―
  ・プール  ・貯水槽  ・登下校・通学路  ・救急救命講習会  ・遊具

3 子ども情報の提供―子どもたちのためにある学校だから子ども情報が中心になる―
  ・学年のページ  ・学級のページ  ・学校行事のページ

4 学校の歴史―愛郷心・愛校心や地域との連携の観点から古いアルバムを開こう―
・ 歴史アルバム  ・歴史資料の発掘・発信

5 学校の特色づくりのための情報発信―それぞれの学校にそれぞれの一番がある―
  ・地域との連携  ・研究発表会  ・学校行事  ・わが校の名人  ・授業名人

6 ようこそ校長室へ―校長は学校の顔・頭脳・象徴だからそれを伝えないとわからない―
  ・顔  ・特色づくり  ・人となり  ・夢

7 学校の自然―癒しの空間で心の体験―
  ・春夏秋冬はなごよみ  ・今日の花々「あっ!この花よねえー」 ・田植え体験

8 事前情報の提供―行事等の事前情報を発信して保護者・地域との連携―
・ 成果情報の前に予告情報を   

9 教員の笑顔情報の提供―教員の自信あふれる笑顔が学校の活気を伝える― 
  ・教育は人なり  ・教員研修の様子  ・教員イメージが教育イメージ

10 情報の繰り返しでイメージができあがる―「繰り返し効果・近親効果」―
・ 学校だよりに再掲

当然!連動して「学校だより」にも注目

1 ホームページとの連動(繰り返し効果・補完機能)
2 なんといっても「子ども情報」(真剣な顔・明るい笑顔・見守る教員)
3 ニュース速報(子どもたちの活躍は心がときめいているうちに伝えないと意味がない)
4 安心・安全情報(安心を伝えてあげないと誰もが不安で身構える)
5 特別な日特集(開校記念日・祝日・学校行事等を号外・第2学校だより・特集号で)
6 学校は宝物館(子どもたちのよさ・学校の特色・学校の宝・地域の宝)
7 学校の自然(学校の樹木は歴史を物語る姿、花壇の花はそこに今住まう人の姿)
8 適時性・即時性(事前に発信しておかないと役に立たない情報がある)
9 地域との連携(「地域の人との交流」を伝えることで市立小中学校の意味が際立つ)
10 地域の偉人(学校は人の生き方を育てるところ。教材は地域の偉人伝・学校の偉人伝)

スクール・コンプライアンス 

2008-06-21 | Weblog
問われるスクール・コンプライアンス       7/2大増1

なぜコンプライアンスなのか
 コンプライアンス(compliance)とは、ひとことで言うと『法令順守』である。
企業経営でコンプライアンスの重要性が指摘されるようになった背景には、企業が違法行為や反社会的行為を行って、消費者や取引先等の信頼を失う事例が頻発するようになったことがある。
 たとえば、最近の事例に限っても、「不二家」の期限切れ原料使用、「赤福」や「白い恋人」の賞味期限偽装、ミートホープの牛肉偽装、鶏肉加工会社の産地偽装、船場吉兆の商品偽装、生命保険会社の不正不払い、グッドウィル違法人材派遣等々。
 いったん不祥事が発覚すると、問題を起こした企業は厳しく指弾される。その結果、企業は社会的信用を失い、経営破綻に陥ることもまれではない。そこで、各企業は、不祥事が起こらないように、日ごろからコンプライアンスを社員に徹底することが不可欠となる。
 こうした考え方は、企業社会だけでなく、行政の分野においても課題となってきた。いや、行政のほうがより公共性が高いだけに、公務員が不祥事を起こせば、世間の非難はより厳しい。

父母の信頼を失う不祥事
 行政におけるコンプライアンスの重要性は、行政機関の1つである学校でも変わりはない。学校経営においてコンプライアンスが問題になるのは、まず教員の不祥事が起きたときである。

 教員の不祥事で一番多いのは交通事故である。18年度全国の学校で交通事故で懲戒処分を受けた教員は2390人に及ぶ。教員が酔っぱらい運転で人身事故を起こせば懲戒免職である。

 交通事故についで多いのは、体罰事故である。教員の体罰は法律で禁止されている。教員ならそのことはみな知っている。なのに体罰はなくならない。18年度に体罰で懲戒処分を受けた教員は424人だが、懲戒処分に至らなかった体罰事例となると、この何倍もあるだろう。

 教員の不祥事として許せないのは「わいせつ行為」である。18年度には、わいせつ行為による処分数が190人で前年を大きくうわまわっている。師と仰がれるべき教員が児童生徒に対して、わいせつ行為をするなんて卑劣極まりない。教員のセクハラも同類である。

 最近、情報化の進展とともに、急速に増えてきた不祥事に個人情報の流失がある。児童生徒の成績を保存したUSBメモリをカバンに入れておいて紛失した。指導要録を車に積んで帰宅途中車上荒しにあって盗まれた。こんなニュースが毎日のように流れている。
 このほか、窃盗万引き事件、盗撮事件、公費の不正使用、PTAや後援会会計の横領、無届欠勤・早退等々あとを絶たない。

 いうまでもなく、教員の不祥事は保護者や地域住民の不信を招く。保護者や住民の学校に対する不信は、公教育への信頼を損なう。これは教育にとって由々しい事態といわねばならない。スクール・コンプライアンスの考え方を徹底しなければならない。
 スクール・コンプライアンスで重要なことは、まず、教員の不祥事を防止することである。教育委員会はこのことに力をつくす必要がある。しかし、それだけでは十分ではない。教員が教職の社会的責任を認識し、教職の倫理に則った行動をする。それによって、保護者や住民の信頼に応える公教育を確立する。それがスクール・コンプライアンスとして問われている。
(論考「問われるスクール・コンプライアンス」菱村幸彦より抜粋)

裂雷通信 

2008-06-17 | Weblog
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田んぼを見つめる人
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きれいに田植えが終わった田圃を見かけたら思い出した。
数年前の教頭会全体会あいさつの話である。

ある日、田植えを終えた田んぼの前でじっと田を見つめている
農家の人がいた。
あまりに、じっと見つめている様子が気になり、声をかけてみ
た。
「この苗が根を張り、だんだんと伸び、やがて穂をつけ稲を実
らせる。」
その様子を、思い浮かべているのだとのことであった。
数ヶ月後の収穫を夢に描きながら、このあとの作業手順などを
考えていくのだそうだ。

そういえば、建築家がビルを建てるときも、その土地を見なが
らできあがった建物を思い描く。さらには、鳥になって空から
そのビルを眺める(俯瞰する)という。

環境教育でも、Think globally act locally と言われる。

遠く未来を見つめ、足下から一歩ずつ、着実に取り組む。

「牛は大地を踏みしめて歩く」・・・(その目はきっと遠くを
見つめているのだろう)
新任時代先輩からいただいた年賀状の言葉を思い出した。

地震!

2008-06-16 | Weblog
 地震!その時どうする?         7/8大沼     
■危機に直面した時                            「阪神大震災は確か、午前5時46分でしたね、丁度家でテレビをつけた時でした。あの時は本当に驚きました。テレビに釘づけになりましたよ。」
「今、突然地震が起こったとしたら、あなたはとっさに、子どもたちにどんな指示をしますか?と尋ねても、答えられない。」                 「どうしたらよいか分からない教員が増えてきているんですよ。」       「もう一度、そのあたりのことを徹底していかないと、と思っています。」
「時間がたつと危機意識は薄れていく。大地震は、日本でもまたいつ起こるか分からない。」
「本当にそうですよね、危機意識が薄れていくのが怖い、“危機意識のないのが危機”です。」
■地震列島日本に住む私たち                        「突然、地震が起こったとしたら、あなたはとっさに、子どもたちにどんな指示をしますか?」いろいろなケースが考えられるが、学校では大半の子どもたちは教室で勉強をしている。ドスン! グラグラと来たら、授業をしている先生は、「机の下にもぐれ!」と指示するのが常識だ。ただ「もぐれ!」だけで正解だろうか。何の為に机の下にもぐるのかという目的や必要性を日頃から子どもたちにわからせておかないと、間違ったもぐり方をする子がでてくる。机の下にもぐるのは、落下物が頭を直撃しないように守る為である。ということは、頭を外に出さないもぐり方をしないといけない。揺れが激しかったりすると、机が飛んでどこかに行ってしまうかもしれない。だから、机の脚をしっかりと握った状態で、もぐらないと意味がない。頭を中に入れて、机の脚を握った状態で、仮にコンクリートの下敷きになっても、顔の前に空間を確保できるようなもぐり方を子どもたちにさせようとすると、地震の強い揺れが来てからのとっさの指導ではできない。
「机の下にもぐれ!」と言ったとたんに、子どもたちが正しいもぐり方ができるようにするには、日頃からの安全指導の中で、何の目的で、どんなもぐり方をするのかということを徹底しておかなければいけないなあ……などと考えだした。確かに机の下にもぐるだけではいけない。本震が一旦、鎮まったら、余震が来るまでの間に子どもたちを運動場とか、      安全な場所にスムーズに誘導する必要がある。廊下などに立ててあったロッカーや掲示板が倒れて、子どもたちの進路をふさいでしまっていることはないか。次から次へとチェックすべきことがでてくる。
 学校が地震にみまわれた時、子どもたちの命を守ることができるかどうかは、その学校の先生次第という側面もおおいにある。その学校の規模や建築構造などの条件に応じた対策を考えておく必要がある。
 四川大地震を機会に、阪神・淡路大震災の時の教訓を今一度マニュアル化して、学校現場に徹底しなければ…         (野口 克海 大阪教育大学)

○ひとりごと                               「やっぱり地球はおこっている」と思う。『岩手・宮城内陸地震 震度6強 6人死亡 11人不明 M7.2 重軽傷190人超』と新聞の大文字が踊った。「自分のところにはこないだろう」「そのときはそのとき、どうにかなる」どうにかはなるが、この危機意識がないのが危機。「危機にあるとき集団の混乱は経験のなさに比例する」となれば、危機意識の次は危機に臨んでの知識と経験。頭でシュミレーションし、身体で練習しておくしかないのだろう。 

一分間スピーチより

2008-06-15 | Weblog
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一分間スピーチより
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楽天イーグルスは強い.
楽天イーグルスの試合を見に仙台へ行った。カープ戦である。
誘っていた弟は行けなくなったが、結局、一人で行くことにした。
球場の入り口でいつものようにセキュリティチェックを受けたが、
これが、とても厳しい。
アルコール類だけでなく、食べ物はことごとくチェックされた。
なぜこんなに厳しいのだろうという疑問は、入場してすぐにわかった。
球場内のどのゴミ箱の前にも係員が立ち、キャップや箱、ビン、カンなど
徹底的に分別収集していたのである。
しかも、たくさんいる係員は、どうみてもボランティアに見える。
試合は、カープを応援していたが、あっけなく前半にほぼ決まってしまった。
さらに、試合が終わると、観客が、球場を出ながら、落ちているゴミを
拾っているではないか。
楽天は強いといわれている。レッズも強い?やはり、地元に根付いたチームはい!
学校も地域に根付けば強くなる・・・・?
数年前のワールドカップのとき、
日本のサポーターが去った観客席にゴミが一つもないことに外
国人がびっくりしたという記事があった。

「江戸しぐさ」が話題になるが、日本人もすてたもんじゃない。
その帰り、もう一つの目当てだった居酒屋“源氏”に立ち寄った。
かねてより、話題になっていた店だ。
コの字型のカウンターの中に、割烹着姿の女将がいるだけである。
お酒を注文すると、一杯毎に一つお通しがついてくる。
しかも、そのお通しは、一杯毎に違うのである。
十数名いるカウンターの客が、今何杯目かということを
女将はすべて頭にいれて対応していたのである。
噂通りの店だった、2杯で終わりにするつもりだったが、気付いたら、
4杯目が空いていた
隣の席で飲んでいたイーグルスファンとの話も盛り上がった。
気分のいい日曜日だった。


独り言

2008-06-15 | Weblog
ひとりごと1
「阪神大震災は確か、午前5時46分でしたね、丁度家でテレビをつけた時でした。あの時は本当に驚きました。テレビに釘づけになりましたよ。」
「今、突然地震が起こったとしたら、あなたはとっさに、子どもたちにどんな指示をしますか?と尋ねても、答えられない。」                 「どうしたらよいか分からない教員が増えてきているんですよ。」       「もう一度、そのあたりのことを徹底していかないと、と思っています。」
「時間がたつと危機意識は薄れていく。大地震は、日本でもまたいつ起こるか分からない。」
「本当にそうですよね、危機意識が薄れていくのが怖い、“危機意識のないのが危機”です。」

「やっぱり地球はおこっている」と思う。『岩手・宮城内陸地震 震度6強 6人死亡 11人不明 M7.2 重軽傷190人超』と新聞の大文字が踊った。「自分のところにはこないだろう」「そのときはそのとき、どうにかなる」どうにかはなるが、この危機意識がないのが危機。「危機にあるとき集団の混乱は経験のなさに比例する」となれば、危機意識の次は危機に臨んでの知識と経験。頭でシュミレーションし、身体で練習しておくしかないのだろう。
 
ひとりごと2
「先輩、水泳のニュース見ました?」
「あれすごいよね、みんな水着変えたら新記録どんどん出まくっていますね」
「あれは着る人の実力が伴ってこそでしょう。日々の鍛錬の結果じゃないの」

「そういえば先輩、スポーツジム通いは続いてるんですか?」
「あえて聞かないことも社会では必要だよ。」
「あえて言わないことも必要ですしね・・・はい!」

メルマガから

2008-06-14 | Weblog
6/2大増
         初中局メルマガ90号から

道徳教育に関するある会合で、次のような議論があったことを覚えている。3年ほど前のことだ。

 最近の子どもたちの中には,基本的なことすら知らない子もいるので,最低限,人を殺してはいけないとか,火をつけてはいけないということは,基礎的な知識としてでも徹底していく必要がある。

道徳の基礎的価値観として,例えば,人を殺してはいけないということがあるが,わかっていても人を殺す人はいる。そういう人は自分のことをどうでもいいと思っている。つまり自尊感情 がない。自分の命がどうでもいいと考えている人間に,人を殺してはいけないと教えても心には届かない。感覚として本人にわからせるためには,本人が自分の命が大切だとわかるようにもっていく必要がある。

基本的な価値の理解と実践、それを支える自尊と自律の心。家庭、学校、地域社会は、子どもたち、若者たちに、こうした力をしっかりと育んでいかなければならない。

 人を殺すなどの犯罪は絶対に許されないことであり、その責任は厳しく問われなければならない。そのことを前提としつつ、教育や教育行政の立場から、社会の様々な出来事について考え、行動していく必要がある。

 自尊感情をどう育むか。それは,役立つ自分を発見することだと思う。豊かな人間関係の中で,自分の持ち味や個性を生かして,それが周囲に受け入れられる中で,自分の居場所や出番があることを感じる。そういうことを繰り返すことが,自尊感情につながっていくのではないだろうか。それは,自分一人でできることではなく,他者の存在が不可欠であり,集団での活動の中でこそ,具体化され,体感できるのではないか。

 改訂学習指導要領では、生きる力の育成をめざしている。言語活動、体験活動、道徳教育などの充実を柱として、徹底すべきは厳しく徹底し、育むべきは温かく育み、自立して生きる、他者とともに生きる、社会とともに生きる、そういう力を育てていこうということだ。
 教育関係者だけでなく、社会総がかりで、問題の解決に向け力を合わせていかなければならない。                      〔初等中等教育企画課長  常盤 豊〕

 今の時代を生きる子どもたちは、「大人になる」ということに、どのようなイメージを持っているのでしょうか。私が子どもの頃は、お小遣いにしろ寝る時間にしろ、服にしろ遊びにしろ、家庭の中で子どもゆえの制約がいろいろとあり、「早く大人になって、親の目を離れたところで自由に好きなことがしたい」という思いを抱いていました。でも、今、ふと街中を眺めていると、子どもが「プチ大人」化しているような気がします。夜遅くまで街中で遊んでいたり、自分専用の携帯電話で友達と長電話をしたり、ブランド物の洋服を着たり・・大人が責任と労働の引き替えとして手に入れる「自由」を、多くの子どもたちがすでに手に入れているのだとしたら、彼らにとって「大人」になることに、特別な意味や楽しみが見出せるのだろうかと、ふと疑問に思う。                (C・S)

メール情報から

2008-06-14 | Weblog

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行政文書
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役所の文書は味も素っ気もないと言われる。
行政の仕事になると、その行政文書を作成したり、決裁するこ
とが多い。
教員から指導主事になったばかりの頃、この文書が苦手であっ
た。
(もともと文書は苦手であるが)
どうしても、修飾語や必要以上の言い回しが多くなり、何度も
書き直しをした。
感情表現を一切そぎ落とし、どの相手にも正確に、効率よく内
容を伝えるのが、行政文書の役割である。
まるで、速く走るためだけのレーシングカー。
正確に、安全に、効率よく作業するための工業機械・・・・
ここまで追求すると、美しささえ感じる・・・
文書にも機能美という言葉があてはまるのだろうか。
そのうち、感情を表現しない文書でも、思いを込めることはで
きると感じるようになった。
当時の県教育センターから届く文書が、他とひと味ちがったの
である。
決して、丁寧な挨拶や美辞麗句が並んでいるのではない、ただ
の通知文である。
違うのは、読み手を意識して作成されているということである。
間違いやすい名前には、必ずふりがながついていた。
問い合わせ先も明確になっていた
いつ、何を、どこに、どのように出せばよいのかも、
いちいち探さずとも分かるように工夫されていた。
表現は、端的なほうがいい
センテンスは、短い方がわかりやすい
結論は先に、根拠や資料は、必要なものが必要なところに必要
なだけ・・・
最悪なのは、「○月○日第○号で通知した○○について、開催
時間を○○時に変更します。」
とだけ書いてあるような文書である。
「あれ、この会議の場所はどこだったっけ?」、山のような文
書の中で、各担当に割り振った後の、数週間も前の文書を見つ
け出すのはとても手間がかかるのである。
「できて当然、知っていて当然、それも出せないのか・・・」
、「通知文は出してあるはずですが・・・」とでも言っている
ように感じるほど、自虐的な思いになることさえある。(もっ
ともここまでのものはめったに無いが・・・)
そんなこんなで、調査様式や回答様式なども、前年踏襲を捨て
、受け取る側になって考えるように心がけるようになった。
簡単な文書ほど、頭をひねることが多い。
失敗も多いが、うまくいったときは回答を集めながら、手応え
を感じることさえある。
パソコンを前に文書を作成することが多い仕事であるが、
文書の先に、パソコンの先に、相手の顔が見えてくるとちょっ
と違ってくる。
高校の教科書だったか忘れたが、能面の話があった。
表情をあえて取り去った面だからこそ、演じ手によって様々な
表情がだせるのだという。
感情を表現しない行政文書でも、思いを込めることはできる。


ハタハタ

2008-06-10 | Weblog
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【一分間スピーチから】
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ハタハタ

浜にハタハタがやってきた
打ち上げられた卵がうずたかく層をなし、浜を埋め尽くす
その厚さは30センチにもなるほどの量である
子どもの頃、大漁は当たり前だった
子どもたちが、
その卵の固まりをトランポリン代わりにして飛び跳ねる
そんな光景も当たり前だった
しかし、乱獲がたたったのか、しだいに漁獲量は減少し
とうとう40年前頃には全く獲れなくなってしまった
何とかハタハタを取り戻そうと全面禁漁など、
徹底した保護対策が始まった
しかし、5年たっても10年たっても
ハタハタは戻ってこなかった
3年前、そのハタハタが突然、大量に戻ってきた
子どもの頃に見たのと同じ光景が目の前に広がった
全面禁漁から40年が経っていた
久しぶりに実家に帰った晩
山のようにハタハタを釣って
うれしそうに帰ってきた釣り好きの父
「そうやって乱獲するから、また採れなくなる」
と、家族に言われてしょげていた
山菜採りのベテランは、
決して根こそぎ掘らないという
必要な分だけ採り、
翌年の分をかならず残しておくという

破壊は一瞬、回復100年・・・



竹筒ご飯と青年

2008-06-05 | Weblog
保護司をしていたとき、保護観察中の青年と太平山に籠もった。
 米二合と竹ひき鋸と切り出しナイフをもって、青年と二人で竹山に入る。
のこぎりを片手に山の奥の孟宗竹の林に向かう。
ただ黙って青年は後をついてくる。
竹を探す。直径一五〇~二〇〇ミリほどのものを選び、
根近くの節のすぐ上で切りはじめる。
なかなか手ごわい。
「切ったあとの株に水がたまるとやぶ蚊がわくからなあ」とひとりごと。
竹の根に近い節の近くはけっこう堅い。
やわい竹ひき鋸ではなかなか切り進めない。

竹を伐る 節りんりんと 遠き雲 (草堂)

「こんな大きな竹を支えているんだからなあー。
根っこもたくましくなるわけだよ!」とまたひとりごと。
切りすすむと、大きな竹の重みでのこぎりが動かない。
竹を傾けて切ればよいのだが、枝が密集していて傾けられない。
このころから二人とも必死の形相で孟宗竹との格闘になる。
竹の横から体重をかけ、やっとの思いで最後まで切れたが、
竹の枝が混み入っていて倒れない。
簡単には動かない。
二人で竹を抱えて持ち上げようとするがびくともしない。
だんだん本気になる。
ものごと最後は根気だ。
「世の中は根気に頭を下げる」という作家の言葉を思い出す。
気がつくと、青年の、都会のアンちゃんが着ているような洒落た上着は
竹の白い粉でこすれて真っ白。
竹の汚れでこすれて真っ黒。
すぐにでも家に帰りたかったろう。
楽しいキャンプ気分で来たろうに……。
 やっとの思いで竹を林から引きずり出す。
枝を下ろして二節ごとに切り分け、その竹筒でご飯を炊く釜を作る。
切り口から竹の精がしみ出ている。
「これがご飯にしみこむから不思議なエネルギーをもった竹筒ご飯ができる。」と相変わらずひとりごと。
 ふたになる部分をのこぎりで切って…まではよいが、青年は次の手が出ない。
ナタがあれば簡単にできる仕事だが……。
あってもどうしたらよいかとまどうだろう。
「穴を切り抜くのは糸のこ盤」と決め込んでいては、どうにも手が出ない。

 竹の釜ができたら燃やす枝を集めに山を歩く。
近くからだけ集めてくるから最初から火がつくような枝は少ない。
マッチもライターもない。
木をこすり合わせて火をおこすしかない。
自分のしかこすったことがないヤツには見当もつかない気の遠くなるような作業だ。
でも、大きな枝がすぐ燃え出すわけがないことだけはわかる。
しかたなく二人で小枝を集めるために山奥まで歩きまわる。
「枝を集めながら歩くと、この山が古墳の山だってわかる。
オヒサマに向かって小さな墳が並んでいる」
「大きな岩の近くや山桜の大木の下にくると、
霊気があるようには思わないかい? 
古人もここでお祈りをしたんだろうね。
石や木が太陽系のように並んでいる」
「枝集めは山と仲良ししたり、自分の不思議集めだったりする」
なんて余計なひとりごとを続けながら歩く。
ひたすら山や自分に語りかけることではじめて『枝集めの意味』がはっきりする。
施設の整ったキャンプ場で燃えやすい板の端材を買って使うのとはわけが違う。

 青年は火がつかないので困った。
困ったから最後の手段。
「車の中にマッチかライターか何かないか…」と探す意味が生まれる。
原始と現代文明の融合というわけである。

「ご飯が炊けたから喰おう」
「ご飯はなにで盛るんですか。茶わんもありませんし…」
「ウン。私は竹筒茶碗で食べるのだが……」
と、節を一つ残して竹を切り始める。
「? ? ?」
「同じものをつくってやるから、しゃもじをつくってくれ!」「はい!」
孟宗竹の太いままつくったしゃもじでは竹筒釜の入り口より大きいから
中に入らない。
当然ご飯を盛ることができない。
また、青年は課題にぶつかった。
必死に削りだしてやっとご飯が盛れた。
「さあーて、食べようぜ! おこげがおいしそうだ!」

「割り箸ないですか?」
「山には割り箸の木は生えてなさそうだが、箸になる木はいっぱいある。
私は竹を割って食べるけど…君は薪でも割って箸を作るかい?」
と問いかけて竹を割り削り始める。
「昔、田舎では削ったばかりの新しい青竹の箸は死んだ人への
供え膳にあげたものだ。
つまり、人が死んだときにだけ使ったんだよ。葬式の道具さ」
「? ? ?」
「うちの子が小さいとき、
那須高原で家族だけの野外バーベキューをやったことがあった。
その時、母親が割り箸を用意するのを忘れたというので
『おかあさんはあ!箸を忘れたでしょ』と、
子どもたちからいっせいに非難されたことがあった。
『ふざけるな! 人を非難する前に自分の箸は自分で用意しろ! 
馬鹿もんが…!』と、どなりつけた事件があった。
もちろん、家族だからそれぞれ気を取り直し、
みんなで枝を削って木の香の薫るおいしい焼肉を喰った。
自作の箸は少し握りにくいが味は自然の香りに満ちて抜群だ」
こんな私のひとりごとを聞きながら青年は木の枝を削って
ようやくおこげを食べた。
もちろん、ご飯はつめたくなっていた。
でも、何のおかずもないのに『ウメーッ!』で、
アッというまに『ぺロッ!』だった。
(「餓太毛虫の独り言 それも・よかろう」から)

裂雷通信   つばめの巣立った交番

2008-06-02 | Weblog
つばめの巣立った交番

6年担任だった私は学級づくりに燃えていた。
その夏、“わたしのまちのおまわりさん”という内容の作文の
募集があり、私の学級では全員で挑戦することになった。
A子は、家の前に新しい交番ができ、そのことを書こうとして
いたが、最後のまとめをどうしたらいいかと困って私のところ
に相談にきた。
「交番につばめの巣があってヒナが育っている。交番が安全な
のは、つばめにもわかるんだね・・・みたいなまとめができる
といいね、なにか考えてごらん」さりげなく私はこたえていた

A子の作文は、みごとに賞を受賞し、授賞式の後、警察署長と
の懇談があった。
懇談の中で突然、署長が尋ねた。
「ところでA子さん、その後、交番のツバメはどうですか?」
私は、真っ青になった。A子の作文のまとめは、私が何気なく
話したつばめの話そのままになっていたのである。
そんな、私の動揺に気づいたのかどうか、A子は全く落ち着い
た様子でにこやかにこたえたのである。
「はい、今年は、3羽のかわいい子ツバメが無事巣立っていき
ました」。

そんなA子もその年、小学校を巣立っていった。後に、有名な
進学校に進んだという噂を聞いた
A子の心の中の交番では、きっとツバメが巣を作っていたのだ
ろうと思うようになった。
そして、今年もかわいい子ツバメが育っていることだろう。
もう、十数年も前の話である。