広島旅行の帰りに山口の仮説実験の勉強会に参加した。
ビール飲みながら授業したり、寝っころがってきいてたり、寝てたり
なんでもありな感じでゆるかった。
図工美術の分科会で会った先生と話していたら
ダーガーの話になって、心臓を雑巾みたいに絞られるようだった。
ダーカーでいいか、だめか みたいな話になった。
アウトプットの放棄というか、ダーカーの場合放棄するという意思すらないけど、
わたしは、自分の中の宝物は、みんなにはわかってもらいたくないけど
やっぱりわかってもらいたいと思う人にはわかってもらいたい。
みたいなことを言って、そしたら、
わかってもたいたい人にわかってもらえなかったら、裏切りって思うでしょ。
みたいなことを言われて、
でも、その裏切りって期待する自分の責任じゃん、みたいなことになり
結局着地地点は、求めないダーガーみたいなのがいい、でもそれはとても悲しいよねってなり、
でもその悲しさって美しいね、美しさの定義とは、、、、
ほろ酔いなのも手伝ってなんだかとりとめもなく話して面白かった。
そして昨日小包が届いて、その先生の授業の資料がどっさり届いた。
ダーガーいいっていいてたのに、
「教師はダーガーみたいにはなれないよね」
ってメモが入っていた。ぷぷぷ。
彼が死ぬまで、誰も彼が何者だったかを知らなかった。
■彼の略歴
•1892年4月12日シカゴで生まれる。
•4歳になる直前に生母と死別。また、妹は里子にだされる。足の不自由な父に育てられる。
•読書が好きで、小学校1年から3年にに飛び級をした。
•8歳で父親が体をこわして救貧院に入り、ヘンリーはカトリックの少年施設で過ごす。
•友達とコミュニケーションがうまくとれず、退学を体験する。
•12歳の頃、感情障害の兆候が現れたという理由で、知的障害児の施設に移される。
•15歳で父が死去した事を施設で知る。
•16歳で施設を脱走。260km徒歩で歩き、シカゴに戻る。聖ジョゼフ病院の掃除人として働き始める。
•19歳の時『非現実の王国で』の執筆を開始。執筆はダーガーの死の半年前まで続けられた。
•33歳の時、教会に養子を申請するが却下。だがあきらめきれず、何度も申請し続ける。
•73歳の時、掃除人の仕事を強制的にやめさせられる。できた時間で自伝を執筆する。
•1972年の暮れ、病気のために救貧院に。
アパートの大家であるネイサン・ラーナー(アーティストでもあった)が彼の部屋に入り、
彼の作品を発見して驚嘆した。
ダーガーは、それが作品という意識がなかったらしく
自分が死んだ時には全ての持ち物の焼却を希望していたとされる。
•救貧院にて、1973年4月13日、81歳で死去。
ラーナーはダーガーの死後も部屋をそのままの状態で、2000年まで保管した。
非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎
VIDEO
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あっという間に7月がいってしまった。
大好きな夏。
なつがーだいすきだー。
どんなけもの道も平坦にしていこうぜ!めざせローマ!