ROMANTICA

by ucchee

「明日の神話」はどこに飾るべき?

2014年07月27日 00時52分12秒 | thinking
母と広島に旅行に行った。
正確に言うと、宮島に行った。
母と二人で旅行するのは今回で2回目。
初めは小学校6年生の時。
そして今回。
行先はどちらも宮島。
どうやら母は、厳島神社が大好きらしい。
だってみんなが日帰りする宮島に宿泊というか連泊。
ひたすら厳島神社をスケッチする母。熱い。。。暑い。。。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
宮島は夕方から夜が静かでゆるくて気持ちがいい。
ビールを持って厳島神社まで散歩したり、
日の出を弥山?から見たり、なんかダハブっぽかった。
夜のゆるさとか海とかすごくダハブっぽい。
宮島がダハブなら、さしずめ弥山はシナイ山ということになる。
なのでちゃんとUnderworldでborn slippyしました。
でも、シナイ山の初日の出にはやっぱりかないません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3日目に広島の平和祈念館に見学にいこうと母が言いだして
ちょっとした話をして面白かった。
母:「原爆ドームの横に岡本太郎の「明日の神話」が設置されたらよかったのに。」
  「どうして渋谷なんだろうね。」
私:「「明日の神話」と平和祈念館を一緒にしないで!」

「明日の神話」とは岡本太郎の作品で、原水爆の被害から再生する人の強さを表現したものだ。
この絵がメキシコで発見されて、どこに飾るかという話になった時に、
誘致に名乗りを上げた都市がいっぱいあった。広島もその一つ。

わたしは、渋谷にこの絵が飾られるのが一番ふさわしいと思う。
原爆ドームや平和祈念館の横には絶対に飾ってほしくない。
原爆ドームや平和記念館の主張とは、対極にあるものだと思っているから。
わたしは平和祈念館が苦手である。
なぜかうまく説明がまだでいないけど。
そこを母に突かれて結局この話は尻切れトンボになってしまった。

そんなことをとっかかりにして、母はスケッチしながら、
わたしはビール片手にいろいろ話せてなんかよかった。
意見は対立しっぱなしだったけど。


岡村ちゃん

2014年07月24日 23時11分10秒 | life
仕事の納め会に来なかったS嬢。
有休でクリープハイプ見に行っていたとな。
来週も新潟にクリープハイプ。
再来週も。
そしてライジングサンへの参戦。
むむむ、なんだその体力。

誘われる度に断っているが本当はすごく一緒に行きたい。
ああ、フジロック。ライジングサン。
でもだめなのです。大人になったのです、わたしは。
お勉強したいのです。

でも今年のライジングは最高なのだ。
楽しいだろうな。
ビール飲んでジャンプしてはしゃぎたい、すごく。
未だに聞きに入れる状態をキープしているS嬢を尊敬もしている。
何より岡村ちゃんに元気をもらいたい。

3ヶ月くらい前にリリースされた「愛はおしゃれじゃない」という曲がすごい良い。
岡村靖幸とBase Ball Bearの小出祐介のコラボレーションで、
クレジット表記も「岡村靖幸 w 小出祐介」だ。

岡村靖幸 w 小出祐介「愛はおしゃれじゃない」


この曲は小出祐介が作詞、岡村靖幸が作曲なのだけど、
this is 岡村靖幸という感じがしてすごく好きだ。
岡村靖幸って、今年で50歳くらいだ。
すごくいいなと思うのは、
この曲のリリースに合わせてやってた全国ツアーのタイトルが「将来の夢」であること。

私もいい歳になるけど、カッコつけて達観したフリとか、疲れたフリとかしないで、
もっと「将来の夢」とか「モテたい」とか、そういうキラキラしたことを言っていきたいと思った。
岡村靖幸が坂本龍一のラジオに出た時にセクシーさの話になって、
その流れで「音楽は求愛活動です」という感じの事をはっきりと言い放っていた。
つまり、女性に対するパフォーマンスであると。
この度、岡村ちゃんに教わった事は、結局のところ、全ての自己表現は「求愛活動」に他ならないという事だ。
他人の承認を得たい、認めてもらいたい、褒められたい。
愛やモテを求めて人間は歌ったり踊ったりツイートしたりするのだ。
「どうだい?俺って面白いだろう?いいだろう?」という求愛活動だ。
コンセプトだとかそういうの全然無いし、全然おしゃれじゃないって事。でもそれでいい。


あと、この人、3度もシャブで捕まってんのに
(2003年から2年間の懲役、2005年から2年間の懲役、2008年からまた2年間の懲役、っていう)、
出所する度に復帰しては「待ってました岡村ちゃん!」と歓声があがる。
こんなミュージシャンって、日本で他にいるのかな?
居ないかもしれないね。
タレントや芸能人ではなくて、純粋に「アーティスト」としてモテてるからだろうね。



フェーズ

2014年07月23日 21時52分29秒 | life
たぶん人間にはインプットの時期とアウトプットの時期がある。
蓄える時期と消費する時期だ。

我々は、他人と情報を交換する事でコミュニケーションをとっている。
相手が知らない事を提供し合ったり、お互いに知っている事に共感したり、
時に議論したりして、時間をつぶして行くのだ。

愉快に時間を潰せれば、これ幸い。
不愉快に時間を潰してしまうと結構痛い。

人生はたぶん長い。
長い人生の内訳60%くらいは愉快に潰れて行けばいいと思っている。
残りの40%は、愉快でなくとも、まあ仕方ない。
人生にストレスや愛想笑いはつきものだ。

さて、情報のイン&アウトがコミュニケーションだとするならば、その交流の現場はどこにあるのか?

学校か?公園か?職場か?家の台所か?
キャバクラか?満員電車か?喫煙所か?
デイサービスか?自己啓発セミナーか?
教会か?カルチャースクールか?魚民か?
フェイスブックか?ツイッターか?LINEか?

きっとこの全てだ。
今も、5分後も、きっと10年後も、
あらゆる場所で我々はインプットとアウトプットのラリーを行いながら、
愉快に、不愉快に、時間をつぶしている。

情報には「質」と「量」があるように思う。
インプットする情報の量が少ないと、アウトプットする情報の量も少なくなるような気がする。
しかし、インプットする情報の質が良くても、
アウトプットする情報の質が良くなるとは限らない。ような気がする。

インプットとアウトプットの間にあるものが重要な気がする。
その「間」ではおそらく、なんらかの化学的なサムシングがあって、
二酸化炭素が発生する時もあれば、過酸化水素水が生成される時もある。
場合によってはダイヤモンドかもしれないし、あるいは毒ガスみたいなものかもしれない。
つまり、インプットされたものの影響も大きいが、
意思に起因することも結構大きいような気がする、という事だ。

インプット → 邪悪な意思 → アウトプット
この場合はきっと毒ガスが生成される。
これはまずい。

インプット → ぼんやり → アウトプット
この場合は「インプット=アウトプット」である。
つまり「スルー」である。


まあ、なんというか、
日々のインプットがうまくいっているのかどうかわからないし、
ここがいい環境なのかどうかはまだわからないけど、
私はダークサイドに落ちる事無く、愉快なアウトプットを心がけ、
できれば、あなたの暮らしのインプットになりたい。
なかなかなれないけど。
そう願う7月の今年一番暑い夜です。