ペルーからチリに戻ってきました。
最近頭の中が用入りで
ちゃんと整理しておこうと今日は徹夜を敢行しました。
現在朝の5時半。
☆ひとつは健康のこと。
ただ今、アメーバ性細菌に腸が感染中です。
多分ペルーで水道水を飲んでいたことや
川の水を引いたプールで泳いだ時にむせて、
水を飲みこんでしまったことなど原因はいくつか思い当たる節があります。
でも、ちょっと腸がキュルキュル鳴って活発に働いてるな!と感じる程度で
発熱や嘔吐下痢の諸症状が私には全くなく、
だから気付かずにほっといて悪化し、腸炎併発。
腸からはだいぶ出血が続いて、
わたしはそれを、腸に原因があると気づかず
「内臓から出血があるということは癌だ!(胃がん)」と
超短絡的な思考で思い込み、だいぶ憔悴していました。
今は原因がはっきりわかってすっきりし、
相変わらず体調は好調なのでひと安心です。
のみ薬が終わって、細くなってしまった食事の量を元に戻せれば、
ビールもまた飲めるようになります。
今は超うす味しか喉に入って行ってくれないので。
まあ、そんなことはどうでもいいんだけど
意外にも自分は、「胃がんになった自分(」にたじろいだなと。
もうちょっと自分は「死ぬこと」に対して
強いというか向かい合えるつもりでいたけれど、
案外弱かったっていうかかなり弱いんだなと気づかされました。
☆もうひとつは、
ビーニャのカモメを見ながら考えたカモメのジョナサンのこと。
かもめのジョナサンっていう絵本があるんですけどね、
あの本の主人公、ジョナサンはすごくカッコイイんです。
何がカッコイイかって、
まわりのカモメみんなエサをいかにたくさん食べるかの世界の中にいながら、
ただひとり、いかに早く飛べるかに固執し、
ひたすら飛ぶ練習ばかりしているところ。
まわりに分かってもらえなくても、無意味だって言われても、
笑われても、そこに価値を見出してしまったジョナサンは強いんです。
わたしのまわりにも確かにジョナサンはいて
ひとつのことに価値を見出してしまった人って強いんですよね。
そこまで考えてまた、堂々巡りに陥って
じゃあ、この「強い」っていうのは何をもって強いというのか、
強いってどういうことだろうって、
また考えてみたのだけれど、
わたしが解釈するにそれはきっと
現実の社会の手ごわさを十分、分かったうえで
それでも
自分が見出した価値をひたむきに追求できるかってことだと思う。
友人から送られてきた雪山の写真を思い出してちょっと確信してしまった。
そして、じゃあ私はジョナサンかといったら、
明らかに「ノー!」なわけで
でも、それでも、
ひとつのことに価値を感じることに関しては
「イエス」なんじゃないかと思った。
何に価値を感じているかというと
それは「旅行」とか「写真」とか「絵」とかではなくて
「教師」という職業にです。
「なんだ仕事かよ。つまんね―奴だな。」って言われそうだけど
やっぱり「教師」という職業が
わたしの中での一番のおもしろさであり価値だなって。
もちろん辛いこともあるんだけれども。
そして「教師」という価値の中で「言葉」を追求したいんだなって。
ここ2、3年は団塊の世代の教師が大量退職する時期だから
教員の採用率もぐんと上がって、また試験を受ければ復帰できるだろうって
簡単に考えていた部分もあったけど、どうやら読み間違えていたみたいです。
でも、きっと逃げなければ大丈夫だろうと思います。
帰ったら試験勉強を頑張ります。
後残されたちょっとの時間は大切に楽しみたいと思います。
☆あと、最後は自分のマスターピースについて。
でも、もう朝になっちゃたので、
また時間がある時に書き残そうと思います。
旅行に出る際に、下の弟がくれたジョナサンTシャツ
もう着すぎてぼろぼろになっちゃた。
おわり
最近頭の中が用入りで
ちゃんと整理しておこうと今日は徹夜を敢行しました。
現在朝の5時半。
☆ひとつは健康のこと。
ただ今、アメーバ性細菌に腸が感染中です。
多分ペルーで水道水を飲んでいたことや
川の水を引いたプールで泳いだ時にむせて、
水を飲みこんでしまったことなど原因はいくつか思い当たる節があります。
でも、ちょっと腸がキュルキュル鳴って活発に働いてるな!と感じる程度で
発熱や嘔吐下痢の諸症状が私には全くなく、
だから気付かずにほっといて悪化し、腸炎併発。
腸からはだいぶ出血が続いて、
わたしはそれを、腸に原因があると気づかず
「内臓から出血があるということは癌だ!(胃がん)」と
超短絡的な思考で思い込み、だいぶ憔悴していました。
今は原因がはっきりわかってすっきりし、
相変わらず体調は好調なのでひと安心です。
のみ薬が終わって、細くなってしまった食事の量を元に戻せれば、
ビールもまた飲めるようになります。
今は超うす味しか喉に入って行ってくれないので。
まあ、そんなことはどうでもいいんだけど
意外にも自分は、「胃がんになった自分(」にたじろいだなと。
もうちょっと自分は「死ぬこと」に対して
強いというか向かい合えるつもりでいたけれど、
案外弱かったっていうかかなり弱いんだなと気づかされました。
☆もうひとつは、
ビーニャのカモメを見ながら考えたカモメのジョナサンのこと。
かもめのジョナサンっていう絵本があるんですけどね、
あの本の主人公、ジョナサンはすごくカッコイイんです。
何がカッコイイかって、
まわりのカモメみんなエサをいかにたくさん食べるかの世界の中にいながら、
ただひとり、いかに早く飛べるかに固執し、
ひたすら飛ぶ練習ばかりしているところ。
まわりに分かってもらえなくても、無意味だって言われても、
笑われても、そこに価値を見出してしまったジョナサンは強いんです。
わたしのまわりにも確かにジョナサンはいて
ひとつのことに価値を見出してしまった人って強いんですよね。
そこまで考えてまた、堂々巡りに陥って
じゃあ、この「強い」っていうのは何をもって強いというのか、
強いってどういうことだろうって、
また考えてみたのだけれど、
わたしが解釈するにそれはきっと
現実の社会の手ごわさを十分、分かったうえで
それでも
自分が見出した価値をひたむきに追求できるかってことだと思う。
友人から送られてきた雪山の写真を思い出してちょっと確信してしまった。
そして、じゃあ私はジョナサンかといったら、
明らかに「ノー!」なわけで
でも、それでも、
ひとつのことに価値を感じることに関しては
「イエス」なんじゃないかと思った。
何に価値を感じているかというと
それは「旅行」とか「写真」とか「絵」とかではなくて
「教師」という職業にです。
「なんだ仕事かよ。つまんね―奴だな。」って言われそうだけど
やっぱり「教師」という職業が
わたしの中での一番のおもしろさであり価値だなって。
もちろん辛いこともあるんだけれども。
そして「教師」という価値の中で「言葉」を追求したいんだなって。
ここ2、3年は団塊の世代の教師が大量退職する時期だから
教員の採用率もぐんと上がって、また試験を受ければ復帰できるだろうって
簡単に考えていた部分もあったけど、どうやら読み間違えていたみたいです。
でも、きっと逃げなければ大丈夫だろうと思います。
帰ったら試験勉強を頑張ります。
後残されたちょっとの時間は大切に楽しみたいと思います。
☆あと、最後は自分のマスターピースについて。
でも、もう朝になっちゃたので、
また時間がある時に書き残そうと思います。
旅行に出る際に、下の弟がくれたジョナサンTシャツ
もう着すぎてぼろぼろになっちゃた。
おわり