ROMANTICA

by ucchee

かもめのジョナサン(備忘録)

2009年03月22日 19時17分26秒 | thinking
ペルーからチリに戻ってきました。
最近頭の中が用入りで
ちゃんと整理しておこうと今日は徹夜を敢行しました。
現在朝の5時半。

☆ひとつは健康のこと。
 ただ今、アメーバ性細菌に腸が感染中です。
 多分ペルーで水道水を飲んでいたことや
 川の水を引いたプールで泳いだ時にむせて、
 水を飲みこんでしまったことなど原因はいくつか思い当たる節があります。
 でも、ちょっと腸がキュルキュル鳴って活発に働いてるな!と感じる程度で
 発熱や嘔吐下痢の諸症状が私には全くなく、
 だから気付かずにほっといて悪化し、腸炎併発。
 腸からはだいぶ出血が続いて、
 わたしはそれを、腸に原因があると気づかず
 「内臓から出血があるということは癌だ!(胃がん)」と
 超短絡的な思考で思い込み、だいぶ憔悴していました。
 今は原因がはっきりわかってすっきりし、
 相変わらず体調は好調なのでひと安心です。
 のみ薬が終わって、細くなってしまった食事の量を元に戻せれば、
 ビールもまた飲めるようになります。
 今は超うす味しか喉に入って行ってくれないので。
 まあ、そんなことはどうでもいいんだけど
 意外にも自分は、「胃がんになった自分(」にたじろいだなと。
 もうちょっと自分は「死ぬこと」に対して
 強いというか向かい合えるつもりでいたけれど、
 案外弱かったっていうかかなり弱いんだなと気づかされました。


☆もうひとつは、
 ビーニャのカモメを見ながら考えたカモメのジョナサンのこと。
 かもめのジョナサンっていう絵本があるんですけどね、
 あの本の主人公、ジョナサンはすごくカッコイイんです。
 何がカッコイイかって、
 まわりのカモメみんなエサをいかにたくさん食べるかの世界の中にいながら、
 ただひとり、いかに早く飛べるかに固執し、
 ひたすら飛ぶ練習ばかりしているところ。
 まわりに分かってもらえなくても、無意味だって言われても、
 笑われても、そこに価値を見出してしまったジョナサンは強いんです。
 わたしのまわりにも確かにジョナサンはいて
 ひとつのことに価値を見出してしまった人って強いんですよね。
 そこまで考えてまた、堂々巡りに陥って
 じゃあ、この「強い」っていうのは何をもって強いというのか、
 強いってどういうことだろうって、
 また考えてみたのだけれど、
 わたしが解釈するにそれはきっと
 現実の社会の手ごわさを十分、分かったうえで
 それでも
 自分が見出した価値をひたむきに追求できるかってことだと思う。
 友人から送られてきた雪山の写真を思い出してちょっと確信してしまった。
 そして、じゃあ私はジョナサンかといったら、
 明らかに「ノー!」なわけで
 でも、それでも、
 ひとつのことに価値を感じることに関しては
 「イエス」なんじゃないかと思った。
 何に価値を感じているかというと
 それは「旅行」とか「写真」とか「絵」とかではなくて
 「教師」という職業にです。
 「なんだ仕事かよ。つまんね―奴だな。」って言われそうだけど
 やっぱり「教師」という職業が
 わたしの中での一番のおもしろさであり価値だなって。
 もちろん辛いこともあるんだけれども。
 そして「教師」という価値の中で「言葉」を追求したいんだなって。

 ここ2、3年は団塊の世代の教師が大量退職する時期だから
 教員の採用率もぐんと上がって、また試験を受ければ復帰できるだろうって
 簡単に考えていた部分もあったけど、どうやら読み間違えていたみたいです。
 でも、きっと逃げなければ大丈夫だろうと思います。
 帰ったら試験勉強を頑張ります。
 後残されたちょっとの時間は大切に楽しみたいと思います。


☆あと、最後は自分のマスターピースについて。
 でも、もう朝になっちゃたので、
 また時間がある時に書き残そうと思います。





旅行に出る際に、下の弟がくれたジョナサンTシャツ
もう着すぎてぼろぼろになっちゃた。





                        おわり




チュンタとわたしの会話

2009年03月17日 00時13分59秒 | thinking
今更ながらに考えてみる。
お酒を飲めない人は普段どうしているのだろう。
とっても不思議。
どうやって日々をすごしているんだろう。
どういうふうに生活を演出しているんだろう。
どういうふうに生活をくみたてているのかしらん。
わたしは帰国して生活にお酒がなかったとしたら、
もうきっと生活のリズムを組み立てられない。
子どもの頃、ガンダムのプラモデルを買うと、
「組み立て方」という説明書が入っていたけど、
あれがなかったら作れないですよ。
わたしが飲み始めたのはけっこう遅くて25くらいからなのだけど、
それ以前は普段どうしていたのか、ピンとこない。
何をしていたのだろうか。
今ではあらゆる場面で飲んでいる。
やまちゃんやマリコさんとスカイプトークしながら飲む。(旅行前)
(→これすごく楽しい!)
魅惑のマダムが作ったおいしい料理と彼女の毒舌トークを聞きながら飲む。
音楽を聞きながら飲む。
デートする時?飲む、
山頂で飲む、
遺跡で飲む、
悲しいことがあったときに飲んで励ます、もしくは励まされる。
友達と会う時、
うれしいことがあった時、
二度と思い出したくないようなことがあった時。
飲むでしょう、それはね。
とにかく、あらゆるコミュニケーションや感情の起伏やらが
お酒と一緒になっっちゃているから
それをないものとすると、なにをしていいのかわからなくなってしまう。
そんなことはないですか?
間が持たない。この手ぶら感よーーーーーー!!!
まずは飲みの場を設定するところから、あらゆる計画が決まってくる。
そうでしょ!
こう書いてみると、飲めない人の生活が、
あたかも退屈であるかのような印象を与えてしまいそうだけども
そうではない。
飲めない人には最初から「飲む」という選択肢がないのだから、
彼らが
「ああ、飲めるようになりたいなぁ。
 やっぱり人生は酒だよなー。
 全く僕ってやつは、どうして酒が飲めないんだーーー(涙)
 ちくしょう。なんなんだよー。」
などと嘆いているわけがないのである。
飲めなくても楽しいことはたくさんあるのだ。
それは例えば、スズメに
「なんで飛べないの? つまんなそうだね」
といわれるようなものではないのだろうか。
ヒヨドリとかにも言われたりして。
カラスに言われたらもっとくやしいよねー。
おっと脱線しそうなのでもどします。
そう、それは大きなお世話じゃないか!
そもそも、ヒトは歩くしか選択肢がないのであーる。
もし、スズメ(以下=チュンタ)にこういわれても、ピンとこないでしょ。
チュンタ 「もう、歩くのとか実際かったるいっすよ。」
わたし  「たぶんそうだろうねー。足細いしねー。」
チュンタ 「特に信号待ちとか、もう、ありえないって感じで。」
わたし  「スズメはないよね、信号待ち。」
チュンタ 「基本的に一直線ですからね、目的地まで。」
わたし  「でもわたし飛んだことないからなあ。」
チュンタ 「やっぱりー!!かわいそうだね。」
      「いや、もう飛べない生活とか想像できないですよ。」
わたし  「まあ、鳥だしね」
チュンタ 「あのー、飛ばないんなら、普段なにしてるんですか。」
わたし  「基本的に歩いてるよね。」
チュンタ 「あー、そうかあ。やっぱり歩くのか」
わたし  「たまに走ったりとかもするけど、泳ぎもするよ。」
      「長時間座って仕事もするし。」
チュンタ 「座るってなんだ?とにかくでも飛ばないんですよねー。」
わたし  「羽がないからねー、まず。」
やっぱり会話が噛み合ってない!
スズメとわたしの会話が、まーったく噛み合っていない!
これ以上続けたらチュンタのことを嫌いになってしまいそうだ。

飲めたからってなんなんだっ!

飲めない人は、わたしより楽しい生活をしているのかも知れない!

わたしが飲めなくなったって、楽しい生活ができるかもしれない!

ちょっとした体調不良でしばらくお酒が飲めません。

でも、チュンタとわたしの会話でわかるように
飲めなくても楽しめるので飲みの場には呼んでください。
友達と飲むお茶とかもうほんと大好きなので。



あと、結局ビルカバンバには行きました!




I am Robot and Proud

2009年03月12日 06時49分09秒 | music

いつも気づかなかったり
見過ごしてしまったりしてしまいがちな
わたしたちのまわりにあふれている
小さな音たちを
拾い集めてつくったような音楽。
全てのものには音が宿っていて
それらはいっけんそれぞれ自分勝手に音を出しているようでも
実は世界のすべての音と関わって調和をとっている。
そんなことを感じさせてくれる曲たちです。
とにかく音が確信的に心地いい!




ものすごく晴れたアレキパの街をお散歩して、
アルマス広場のベンチにすわってぼーとしながら
「I am Robot and Proud」を聞いて
その後、鉛筆のこととか絵の具のこととか
その辺に歩いていた犬のこととか
教え子何してるかなとか
帰ったら友達となにしよっかなとか
これから自分が出会う新しい世界のこととか
をとっかかりにしてとりとめもなくいろいろ
ほぼやみくもに考えていたら
恐ろしいくらいしあわせな気持ちになった。
そしてこういう種類のしあわせってどういうことだろうって
しばらくずっと考えていた。
そして知り合いから以前聞いた話が頭の中に蘇ってきた。


知り合い(仮にAとする)Aは
日曜日の昼下がりにがラジオを聞いていたら、
ラジオが飛行機の話をしていたんだそうな。
なんでも、もし世界にあるすべての飛行機が一斉に着陸しようとすると、
飛行場の面積が到底足りず、とても着陸できないって。
たとえ世界中のあらゆる飛行場にすし詰めで着陸させたとしても、まだまだ場所が足りない。
だから飛行機は、入れかわり立ちかわりで、つねに空を飛んでいなければいけない。
置くスペースがないからねー。
飛行機たちは、あらゆる空をがんがんにとび回っている。
お客さんを運ぶためだけじゃなくって着陸する場所がないっていう意味でも。
そんなラジオの話を聞いたAは、おったまげた。
「飛行機、すげえなあ。」
「世界中の空を、ずーっと飛んでるのか。」
「地上にいるより、飛んでる時間の方が長いのかな…。」
「いろんな国の空の上を、たくさんの飛行機が。なんか、おもしろいなあ。」
とりとめもなく、そんなことを考えていたら、
だんだん頭の中に、ユニバーサル映画のマークみたいな地球のまわりを、
無数の飛行機がとんでいる映像が浮かんできて、
「うーん。おおきな地球のまわりを、たくさんの飛行機がとび、
世界はこうしてダイナミックに営まれて、秩序が保たれているんだな。
たのしいなあ。わっはっは。」
なんていう、なんともいえない、いい気持ちになり、ビールを買いに出かけたという。

わたしは、この一見どうでもいいような話を聞いた時、
実はけっこう感動してしまったことを今でも覚えている。
飛行機の話にではなくって、そんなどうでもいいことで、
そんなちっちゃなことでしあわせになれるAはすばらしいって。
だって、「飛行機すげえなあ」ってたったそれだけで、
満ち足りた気分になっちゃえるなんて。
しあわせに対する想像力が豊かだなって。
わたしもそういうふうになりたいって思ったし、
そういったしあわせって、
なにげないところにあるものなのかもねって思ったのでした。


お金持ちになるとか、えらくなるとか、名声を得るとか、
そういうことがしあわせなのかというと、
確かにそれもそうかもしれないけど、
そういう、ありきたりで、わかりやすいものだけじゃつまらないじゃんって思う。
なんというか、
人は、もっとどうでもいいことで、しあわせになるんじゃないかねぇ。
ささいな日常のどうでもいいことに含まれているんじゃないかねぇ。



もうすぐ帰国ですが、日本に帰っても
わたしもそんな感じで
I am Robot and Proudとか聞いたりして
いろいろ妄想して楽しく生活したい。ムフフ。


最近

2009年03月08日 04時50分43秒 | travel
チリのビーニャデルマルに計20日滞在しました。
その間に、6日間続いた音楽フェスや
ビーニャ近くのコンコンという町のビーチで開催された
フリーのロックフェスに参加しました。
両方とも夜中の開催で、
太陽の下でだらだら汗をかきながらっていうのが好きな私にとっては
ちょっと不本意ではあったけれども、
でも、生カルロスサンタナも生マ―クアンソニーも見れて大満足です。
今はペルーにいます。
こっちのディスコティックはポップポップしてるみたいですよん。

あともう一つ。
今はクスコにいて、ここからマチュピチュに行くことができます。
ただ今回の旅行の最終目的地は一応ビルカバンバという場所なんですけど、
(エクアドルにも同名都市があるけど、ペルーの方です。エスピリトゥバンバとも言います。)
行けるわけないと思っていたら行けそうなことがわかってきました。
クスコの隣町からローカルのバスに乗ってサンタマリアという町に行き、
またバスを乗り継いでキーヤバンパという町に出て
そこで車をチャーターして名前のわからない村まで行って
そこからだーいぶ歩けばビルカバンパにつけるらしいです。
現地の人曰く。
ここに行けたらマチュピチュは行かなくても全然構わないから費用はその分浮くし、
だからどっちに行こうかちょっとだけ悩んでいます。
山中は安全なのかとか、
食料はどうするかとか
一応女子なので一人は無理だから
もし行くのであれば
現地のガイドを探すとかちゃんと考えないといけなくなりそうです。
装備だって必要だしね。
登山靴送り返さなきゃよかった…。
とは言っても、わたしはただのツーリストなので
旅じゃなくて旅行なので
あんまりみっともない真似はしたくないというのが本音です。
あんまりがつがつしたくないしね。
だからあきらめる確率98%です。
(聞き込みすごく頑張ったんだけどねー。)
でもとりあえず目的地に行けそうな兆しはあるということで。
ペルーのビルカバンパだよー。ドキドキだよね。
行きたかったな。


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日韓戦、日本がコールド勝ちしたんですね!
北京五輪の雪辱を遂げることができて本当によかった。
今年も優勝してほしいです。
そしてこの春は、わが母校も甲子園に出場。
開幕までに帰国する予定だったけど
ゆっくりしすぎて間に合わなくなってしまいました。
がんばれ球児(藤川球児)!がんばれ球児(高校球児)!

ツーブロックとリトル・ミス・サンシャインとワンカ社製のチョコレート③

2009年03月07日 02時13分59秒 | thinking
つづきのつづき。

帰り道弟のことを考えて、
この前久しぶりに電話で話した時、
ちょっと元気がなかったことが、あらためて心配になってきたりした。
下の弟は抜け毛を異様に気にしてたみたいだったし。


わたしと2人の弟の3人はとても仲がいい。
3人とも弓道をやっていたので市営の道場にも一緒に通ったり、
上の弟とは高校の部活で一緒に活動したりもした。
大学生になってからはお互いの大学に遊びに行き、
私の大学の卒業式には、死んだ父の代わりにスーツ姿で出席してくれたくらい。
下の弟とは、弟が高校生の時に私の教育実習とかぶり、
やっぱり一緒に部活動をした。
奴が大学生になってバイクの免許を取ってからは、
京都に住む奴のところに遊びに行くと、
後ろに乗っけてお寺の観光などに連れて行ってもくれた。
結婚式場に勤める友達に頼まれて、
一緒に新郎新婦役で模擬結婚式もしたこともあるし、
渋さとかのライブにも一緒に行くし、
超仲よし。
2人とも不器用だし、お酒は弱いし、女の子にはからきしもてないけど、
私にとってはかわいいかわいい2人の大事なだーいじな子分だ。
2人ともこの春、ちょっとした転機を迎える様子で、
なんだか仕事のこととかでナイーブになっているようだけど、
わたしは、2人に、仕事だけが男の子の価値じゃないよって、
あえて言ってやりたい。
働いてない私が言うのもなんだけれども。
お金じゃないよ、とも言ってやりたい。
若い時にお金とか仕事とかそんな正論ばっかりは恥ずかしいよー。
そんなことばっかし考えてんなよー。
男の子には、いろんな価値があるでしょーって。

例えばですね、えへん。
ムーンウォークができるか。
ちょうちょ結び以外の紐の結び方を知っているか。
中学の時先輩に殴られてもじっと耐えたか。
逆に嫌なことを思い切って投げ出してしまえる勇気があるか。
多少の色好きか、でももてなーい、みたいなアンバランスはあるか。
スーパーマリオやファミスタの試合中にリセットしなかったか。
せっかく買ったプラモを、途中で作るの止めたりしなかったか。
女子に告白して成功する回数よりふられる回数の方が断然多いか。
カブトムシを幼虫から育て上げることができたか。
好きな女子の前で自分をさらけ出せるか、プライドを捨てられるか。
好みじゃない女子にも優しくできるか。
ガンダムのセリフは暗記して言えるか。
とかね。
そんなような、ひとつひとつの価値が山積みになって、
やっとひとりの男の子(メン)ができあがっているんだってば。
多分ね。
だから仕事がきついとかお金がどうとか、何年後マイホームがとか、
今からそんなことばっかし言ってんなって!
(っていうか耳が痛いので、言わないでください。)
もっと楽しめよっ、いろんな価値を積み上げてけよ、男だろーが、弟よ!

宿にかえって、そんなむちゃくちゃな内容の手紙を書いて、
バレンタインデーが近かったので、チョコレートを
ワンカ社製(チャーリーとチョコレート工場の秘密)の包装にして、
弟宛てに送っておいた。ちょっと言い過ぎたかもしれないけど。
そろそろ着いたかな?苦笑いする顔が眼に浮かぶぜ。



あとWBC、気になってます。
岩瀬がいないことにさっき気づいた!
打倒韓国!っていうか今年も優勝。




(終わり)

ツーブロックとリトル・ミス・サンシャインとワンカ社製のチョコレート②

2009年03月07日 02時01分01秒 | cinema
この前の続き。
長々書いてみたけど、いけてないし、何よりめんどくさくなったので、
いつものかたちでささっと残しておこうと思います。忘れないうちに。
結局美容院からの帰り道に入ったバールのテレビで見た
映画の感想を書きたかっただけなのです。


「リトルミスサンシャイン」

スペイン語は分らないけど、一度見たことがあるし、コメディタッチだからすぐに引き込まれました。
やっぱりすごくよかったです! 
こんなにシンプルな愛情がぎっしり詰まった映画はあまりないと思いました。
最後のシークエンスあたりではすっかり涙が出ちゃって。
六人の家族、それぞれのキャラクターの割り振りがとてもうまくいっているし、
コメディタッチの構成は、緩急のついたテンポのよさが気持ちいい。
やっぱりこの映画大好き。

「ひょっとしてうちは、もはや家族として成立していないのではないか。」
そんな疑問を、六人がみな、心に抱いている。
どうしてこの六人が家族である必要性があるのか、ほとんどわからなくなっているんです。
でも、ほんとうの意味で「家族のつながり」が求められる、ここぞというタイミングで彼らは、
同じ家族のために、ばかげたことを必死でやってみせる。
ばかげていると承知しながら、あえてそのくだらない行為をやりきった。
そこがすばらしいと思いました。
もう、ぐっときてしまって、
本来ならお腹を抱えて笑う場面なのに、つい泣いてしまった。
ここまでシンプルな愛情があふれているのは、どういうことだろう。

今回は以前見た時には感じなかったことが頭に残りました。
わたし自身も、家族ってなんなのか、わからなくなる時があるし、
自分にとって家族がどういう意味をもつのかとか、
どういう形が家族に愛されているっていうのかとか、
いまだに悩むことがあります。
だからこそ、この映画の最後に、理由もなく胸が震えてしまったのだろうし、
そこに理屈では説明できない感情が込められているのだと強く思いました。

帰り道は、ずっと自分の家族のことを考えて、
そして2人の弟に久しぶりに会いたいと心から思いました。


(つづく)