ROMANTICA

by ucchee

超過激なスローライフ

2009年08月25日 01時07分58秒 | life
■恋愛論
ふたば荘バーベキューの際、かわ兄が言っていた恋愛論が面白かったので、
それに意見を付け加えたいと思います。

かわ兄が漫画から見解を得た「女性の理想像と男性の理想像」はその通りだと思う。
更に言えるのは、ラムちゃんにしろ不二子にしろ、真壁くんにしろ、伊集院忍にしろ
みんな結局相手のことを一途に思っているということ。
つまり裏を返すと、自分を第一に考え無条件に思ってくれるのが大前提になっている。
かわちゃんの言うとおり、確かにこれは漫画の弊害だ。
「自分からはいかずに、でも相手がきてくれる。」
楽をしすぎだ。私は昔からこういう考えがダサくてキライだったが、
最近はもしもそういう人を見かけたら、思うだけじゃなくて、
ちゃんと声に出して「ダッセー」というようにしている。
なんだそのビンボーくさい恋愛観は。
わたしは、呑み屋でちゃんとお金を払わない人と、他人に愛情を与えない人が苦手だ。
どっちも「痛い思いはしたくない、損したくない」ってそればかり考えているから、
一緒にいたりするとこっちまでケチくさい気持ちになる。(特に下の弟に言いたい!)



せっかくうちらは人とかかわって生活しているんだから、
ビンボーくさい恋愛観はさっさと捨てて、
かかわったから結果がどうこうとか、
相手が自分を愛してくれたくれないということじゃなくて、
その「かかわり」を楽しむのもいいんじゃないか。
例えば、成就しない恋愛だって、
「見込みない」と思った地点でさっさと撤退するんじゃなくて
見込みがなくても、何年かがかりでふられていくのもいいんじゃないかって。
「実らない思いだけど、でもやっぱりあの人を好きでいつづけたい。」
そういって、すべて結果を重視しようとする価値観と決別して、
ゆっくりとした時間の中で自分を磨いていくのはどうだろうか。
そういう過激なスローライフを恋愛観として持てたらけっこう面白いと思う。

ダメだと分かっていても、気持ちが無くなるまで気が済むまで相手を好きでいる。
だめだとわかっていても、へこたれずにその人にふさわしくなろうと努力する。
結果としてうまくいかなかったとしても、
それまで何年かずっとその人に対して一生懸命であれたことで得られるものは大きい。
恋愛ってもしかしたらそれだけで十分なのかもしれない。

なんてことをぽろっとかわちゃんに言ったら
「我が輩は妻である」というTVの話をしてくれた。
長くなるので割愛。
うん、そう言うのもいいよね、やっぱ!
とえらそうに言った前言を撤回をしたくなったり。
まあ、とにかくかわちゃんの奥さんはちょう幸せ者ってことだね!いいねー。

文化論

2009年08月24日 19時46分11秒 | thinking
■文化論
かわちゃんがふたば荘に来たとき、話してくれた文化論を紹介します。
        ↓
http://www.geocities.jp/fredstar77/index.html
わたしもほぼ同意見。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
かわちゃんの文章に触発され、今日は母とちょっと視点を変えて、
「美しさ」をベースとしたときの文化について考えてみました。
そもそも「文化は美しさをベースに成り立っているのか」というところから
話を始めなければいけないのですが、めんどくさいので割愛。

下の写真を見てください。

カワイイ


カッコイイ


きれい

上に示したように、わたしたちが日頃の生活で、いいなあ、すきだなあと感じたときには「カワイイ」「カッコイイ」「きれい」といった言葉を多く使います。
そして「美しい」という言葉が忘れられがちです。
なぜならば、「美しい」という言葉が目指す世界がとても大きいから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

上の絵はサトゥルヌスが我が子を食らう絵です。ゴヤ作。
こわそうな絵ですが、わたしはこれを「美しい」と感じます。


このお墓も同様さみしい感じがするけど、「美しい」。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「カワイイ」こともたいせつだし、「カッコイイ」ことも必要、「きれい」なものにもみんな憧れます。それらの全ては人間が持つ自然な感情です。
でも、それだけでは語れない世界もいっぱいあります。「カワイイ」も「カッコイイ」も「きれい」も美しさの仲間ですが、それ以外にももっといろいろな「美しい」ことがある。でも、その「美しさ」は複雑でわかりにくい。そのため大衆文化にはなりにくい。

下の図を見てください。
赤で囲まれた、わかりやすい美しさは、大衆文化つまりかわちゃんのいうところの派生性文化になりやすいと考えます。
そして、赤枠以外の複雑な美しさは、芸術になったり閉鎖性文化になっていくのではないかと。
そんなことを母ととりとめもなく話しました。





うーん、うまく説明できない。。。
しかも書いてたら違うような気がしてきた。

拝啓 河ちゃん2

2009年08月20日 22時55分30秒 | life
私は、40歳手前のプロ野球選手。
今シーズン限りで選手を引退して、
来年はコーチとして実業団の野球の副コーチになる予定だ。
現役最後の年。
しかし、なんで私はあんまり打てなかったんだろうと考えると不甲斐ない。
どうすれば打率が上がったのか。
もっと打てたのではないか。
いずれにせよ、もう引退なんだ、よーし、ここはいっちょいろいろ試してみよう。
そうして試しているうちに、今までに気づかなかった打法を見つけてしまった。

あー、こうすればよかったんだ。やっと打撃開眼!
その年わたしは、新打法のおかげで打率がぐっと上がり
現役は続行されることになった。よかった。
でも、なぜか複雑。後悔の念にかられてしまう、なぜだ、なぜだ、なぜなんだ。
結果がでたことはもちろんうれしい、
このまま現役を終えてしまうところだったのだから。
しかし、それにしても、どうにも打撃の開眼が遅すぎたよ。

たったあれだけの工夫だったのに。
それが分かるようになるまでに10数年も費やしてしまったなんて。
なんで私はこんなに要領がわるいのだろう、ああもう。

うまくいえないのだけれど、なんか今、そんな気持ちです。
生きてるってちょうままならない、ね。
失敗して学んだことって、
次に自分がしくじるであろう何かにはあんまり関係ないから
あんまり生かせない気がするし、
もちろん時間はどんどん経っていくし、ねえ。

かわちゃんと話して、
とても興味深い話ができて
なんだかわくわくした。
でも、それがもっと早くできていればよかったんだよ。
一緒にコンペの企画に取り組んだ数年前に、
今の話ができていたら、わたらいもいたしたつみもいたしかずえもいたし
もっといろいろ面白いことをつくりだすことができたのに。
でも、もう今は外に向かうエネルギーよりも
内に向かう方が圧倒的で、
だから前のようにはいかないし
楽しみ方が当時と違う段階に入っているんだよね。
これも成熟というのならば、成熟ってけっこうせつねー。

備忘録

2009年08月20日 22時15分59秒 | life
8月4日、北海道から来訪者あり。
くまころとたかばくだん、いかれた2人のハーレー乗り。
ブンブンバリバリ音がしてマフラーが激うるさい。
「エンジン切って押して入れろ」とか
2年ぶりの再会なのに、再会を喜ぶ以前に厳しく指導。
(いやー、すまんかったね。)

くまころは、これがラストライド。
目の病気のこととこれからのことを考えて、バイクに乗ることを絶つのだと言う。
何気ないところでくまころのことを思いやっているたかばくだんの優しさや、
バイク大好きなのに、まだ乗れるのに、
そうやって決断して選び取っていくくまころの作法にぐっときて、
夜話しているときにちょっとだけ涙が出そうになった。

ちゃぼと以前話をした時に、
「人は自然に成熟していくばかりではないから、
 年齢やタイミングに合わせて、
 成熟を選び取っていかなきゃいけないんだよねぇ~」っていう話をして、
そしてくまころの決断がまさにそのものズバリだったから、
なんだか、こううまくいえないんだけどちょっと胸が痛かった。
選び取るものがあるということは、選び取らないものがあるわけで。
ちゃぼの選び取らなかったもののことや
マダムの選び取らなかったもののことも
帰国したときに、いたいほどわかってしまって
やっぱりおんなじようにちくりと胸が痛かったことを思い出した。

「時に成熟は選び取っていかなくちゃいけないもの。」

そして今日は東北帰りの河ちゃんが、ひょいと立ち寄ってくれて
話しているうちにやっぱりそれに似た痛みにおそわれた。ちょっとだけね。
でもどうやって表していいのかわからない。
言葉が見つからない。いつもそうなのだ。
でもこういう気持ちはちゃんと残しておきたい。


夕方、かわちゃんを駅に送った帰り道、
涼しい風が吹いていて、まわり道の散歩を決行。
2時間ぐらい歩いているあいだ、空をぼんやり見ていた。
夜になる途中過程の空は
目を凝らしてすごくよく見ると、
彩度を落とした虹色のグラデーションになっていて、
そういった美しいものを見ていると、
必ずカウンターで何かを思い出す。
夏の夕暮れは、小学生くらいの記憶を匂わせる。
毎日汗だくのランドセル、
麦茶、
扇風機、
夕飯のにおい、
弟と育てたカブトムシ、
弟と走って競争しながら通ったラジオ体操、
灼熱のアスファルトの上をどこまで裸足で歩けるか実験しながら通ったプール、
夏休み、夏休み、夏休み、
夏休み、夏休み、夏休み、
夏休み、夏休み、夏休み。
夏休みだけは、学校の先生だった母といつも一緒にいられてすごくうれしかった。
なんだか本当に30年も生きてきたのかと思ってしまいますが
あの頃から何が変わったんだろうか、
いや変わったことだらけ。
でも変わっていない気もするし、
すべてなくなってしまった気もする。
それは悪いことなのか、良いことなのか、
残念ながらきっと神様が決めてくれるわけではないのだ。
全部神様が決めてくれたらどんなに楽だろうと思ってしまう。
でも 迷って 決断して 
全て自分で選んでゆかねばならないことが
たまに億劫に思えて遠くに投げてしまいたくなる けど
ぐっとがまん
オトナ デス  カラ。



備忘録(魅惑のマダムとはなしたこと)

2009年08月12日 01時39分18秒 | thinking
なんだよー。あいつ、あったまくんなー。
って、嫌いな相手の欠点や失敗について、長い時間話し続ける人がいるけど、
それはもう、好きってことでいいんじゃないのかと思う。
嫌いをどんどん突き詰めていくと、好きに辿り着いちゃうのではないか。
そういう気がする。

嫌いなはずの相手のことを延々と考えたり話したりする人を見ると、
思わず笑ってしまう。
そんなにひとりの人のことを観察したり、考えたりできるのは、
ずばり愛でしかないじゃん!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


人のなかには、たまに「わからない」ものにかかわりたい症候群の人たちがいる。
「わからないもの」に関わることが嬉しい人たち。
わからないなりに一緒にいようとする、
そういう「無理」に無上の喜びを見出して、
自分の世界がたしかに広がったことを実感したい人。
「わからない」ものに対してこそ、
「思いやり」と「想像力」は試されて、鍛えられる。

わたしもマダムもこの病気にかかっている。

続・備忘録(8月7日)

2009年08月12日 01時03分12秒 | life
以前カミュの「異邦人」を読んだとき、
主人公のムルソーの考えが自分としっくりきたことに
面白さを感じた。

それ以後たまに考えている。
社会通念や既存の価値観から解き放たれることができたら
けっこう面白いんじゃないのか。とか、
善悪は本当に存在しているのか。とか、
人は欲望に忠実であってはいけないのか。とかとか。


このトピックについて師匠コメールとはなしたところ
わたしと同じ意見で少々びびった。
人と人が生活していく上ではもちろん必要だけど
社会通念や善悪でしか物事を見ることができないということは
それはもったいないし、不幸なことだと。
っつーか面白くない。逆に自分の感覚にもっと正直になれたら面白い。

あと話したことは、おおまかに言うと
不健全な精神は、健全な肉体にしか宿ってくれないということ。
陽の部分を成長させると、それに伴って陰の部分も成長してしまうということ。
について。

コメールが帰ってきたので
それに続いて知事も帰ってきたらいいのにと思う。
また3人でいろいろな話がしたい。
そこにさらにだざいも帰ってきてくれたら、
きっとすごく面白い話ができそうなのにと勝手に思う今日この頃。

備忘録(8月7日)

2009年08月12日 01時00分55秒 | life
思うところあり、文章の達人であるコメールに弟子入りした。
国会図書館に行き、師匠コメールと文章技術の本を片っ端から閲覧し、
適当なものを見つけ、紀伊国屋で購入。
文の構造をちゃんと勉強して、
書いた文章を師匠に添削してもらえることになった。
いやー、持つべきものは友達だね。
(ちなみにコメール塾の月謝は食べ物です。)

久しぶりの国会図書館、特に地図室が素晴らしかった。
伊能忠敬の原寸大の地図や、
16世紀大航海時代に作られた地図を閲覧することができる!


ふたば荘へようこそ

2009年08月11日 19時24分06秒 | life
鎌倉で暮らし始めて一ヶ月が経ちました。
女子2人の甘い共同生活。
お家の名前はふたば荘。
土や太陽から栄養をもらって伸びてゆく双葉のようにという願いがこもっています。

ふたば荘には、ドロシーが住んでいます。
ドロシーって知っていますか?
オズの魔法使いにでてくる女の子です。
ドロシーは、自分のしたことがどんな意味があるのかわかっていないけど何かをする。
オズの国へ着いた彼女は、
「東の魔女を倒してくれてありがとう!」と感謝されるけれど、
彼女は東の魔女を倒した覚えなどなく、
また、なぜ自分が感謝されるのかもわからないんです。
自分がどんなにすばらしい存在なのかもまだ気づいていない女の子。
(酒好きな)ドロシー、それが同居人のm子さんです。

ちなみに
脳のないかかしはやまちゃん(ごめんね、やまちゃん。でも即決定!)
で、ブリキの木こりはほしけん、ライオンはひでさんです。多分。

脱線しましたが、
とにかくふたば荘で暮らしています。
みなさん、おいでやすです~。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あと、せっかく神奈川に引っ越したので、
お金を貯めて、早くテレビを買いたいです。
テレビを買ったら、サクサクウァッチャーになります!
ビンセント君を早くみたいです。

地震前日

2009年08月11日 19時21分44秒 | life
御殿場にいました。
沖縄やミャンマーやインドやタイや中国やアフガン?
などのいろいろな狛犬、ライオンが並ぶ道を通って仏舎利に辿り着く。
仏舎利の先端のその先に虹が見えました。
なぜに仏舎利の上に、虹?
きっと色んな偶然という名の必然によって表れたのでしょう。
ちょっとよかった。