ROMANTICA

by ucchee

インフル

2008年01月28日 01時03分11秒 | books
先週はインフルエンザで5日間寝込んでいました。
その間、買い物にスーパーに行くこともできず、
友人が運んでくれる食料で食いつないでいました。
私が寝ていた布団の脇にある小さな机の上に
リンゴやらバナナやら置いておいたのですが、
それを見て、友人が「御仏殿にお供えしてるみたい。チーン。」
って拝まれた時は、何だか複雑な心境でした。

今日は、私の命綱だった2人をうちに招待して鍋をしていました。

でも鍋の話ではなくて今回は本の話です。
熱が下がってきて余裕が出てから、借りてきてあった図書館の本を読んでいました。内田也哉子さんの本です。

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体調を崩す前に「東京タワー」という映画を借りて見て、
久しぶりに内田也哉子さんを見ました。
内田也哉子さんは希樹きりんの娘でもっくんの奥さんです。
レンジの低い落ち着いた声。
私が彼女を知ったのは大学生の時で、
当時たまに本屋で立ち読みしていた雑誌があったのですが、
そこに書かれた彼女の童話とも小説ともくくれない、
言ってみれば"散文詩"でしょうか、
それに出会って私は凪の湖に足を浸すような、
静かだけれども深く沁み入る感動に心を打たれて
理由も解らず涙をこぼしたのを覚えています。

彼女はヴィトンでもグッチでもエルメスでもない、
でもそれらのどれよりも素晴らしく、
おおげさでもなく、でも独特で、
ぴったりと形の馴染んだ一生ものの鞄を持っているように見えました。
私はとても彼女のようになりたいと思いました。
彼女のような鞄を持ちたいと思ったと言っても語弊はないかも。

そういえば最近、彼女を遠くから眺めることを止めていたなと、
久々にあのくぐもった声を聞いて思ったわけなのです。

そんなわけで図書館で借りて
でもやっぱり読まずにそのままになっていたのですが、
インフルエンザのおかげでやっと頁をめくることができました。
やっぱり当時と同じ感想を持ちました。
当時と同じく胸がじんと熱くなりました。

何か漠然と、信じることをおろそかにしないようにしようと思いました。

ドグマ95/しあわせな孤独

2008年01月14日 19時41分51秒 | cinema
最近、映画の感じ方の違いについてよく考えます。
人によってここまで感想が変わるものなんだなーと、
本当に興味深いです。
(前にも言った気がしますが)映画も人生も1つの物語だから
現実と虚像を隔てる垣根は案外おぼろげなものです。
同じ流れとして混在して考えやすい。
今までに実感した生の記憶から、
スクリーン上の出来事を連結させて繋げていって、
それが無意識下で感性のスイッチとなるのだと思います。
そしてハリウッド映画やSFファンタジーのように
過剰な映像操作や過剰な音楽の演出で、
見ている人の感情を強制操作することのない映画になればなるほど、
スクリーンの中で自分らしく感動できるのだと思います。
それって無意識に
スクリーンの中に自分の人生を見ていることだとも思います。
そういった意味で、私はドグマ95の映画が好きです。
あとドグマの映画って、写真と共通している部分が多い気がします。

ドグマの誓いに基づいた手持ちカメラ独特の空気感が、
身体じゅうの穴という穴から入り込んでくるように迫ってきて、
淡泊な演出が逆に人間の仕草を浮き彫りにしてしまうのです。
素敵な魔法です。

今回はこれ。


物語は、結婚を目前に控えたとあるカップルに突然訪れた、悲しい事件で幕をあけます。
彼はある日、車内の彼女にキスしている最中に車に轢かれて、
首から下の感覚を失います。
彼を轢いた車の女は既婚者で、その夫は偶然にも
彼が担ぎ込まれた病院の医師であったりするのです。
加害者の夫と被害者の彼女。
初めは彼女を精神的に支える意味で逢う約束をするのですが、
その関係は次第に常軌を外れて行きます。

合間に挟み込まれる、登場人物の願望としての映像が、
とても切なくて息が詰まりそうになります。

人生何が起こるか判らないとよく言いますが、
その言葉を突き立てて血を流す人は、マイノリティーだと思います。
より多くの人々が、理性で理解する反面、
自分は大丈夫だろうとどこかで思っている。
でも、その刃に傷ついている人だっているんです。
そう、刃は突然にやってくる。

人間はとても脆い生き物ですが、
同時にとても強い生き物とも言えるのです。
あんなに愛していた彼が不能になった悲しみの渦中にいても、
自分の幸せを感じて笑うことができるのです。

それは決して嘘ではないのです。
生きるということは、そういうことだと思います。

荷物を

2008年01月06日 23時46分31秒 | travel
積み上げ続けられていますか。

なりたいものになるのは難しい。
なりたい自分になるのは難しい。

なりたかった自分に今なれていますか?

「なれているかも!」と自負すると、
決まって次に「なれていない」と感じる瞬間が訪れます。私は。



今年は、年末年始、八ヶ岳の山小屋のお手伝いをしていました。
その時のことを、うまく言葉に残したいのですが、何だかうまくいきません。



きっと楽しかろうと軽いのりで行ったのでですが、
仕事は体力勝負でハードだし、全てが段取り。
レスキューが出動して遭難者が担ぎ込まれることがあったり
怪我人が出たり・・・。
それに対応する山小屋の人たちは冷静沈着。
おしなべてみんなまじめでした。



そして
自分の選んだ荷物をちゃんと積み上げている人がいて、
なんだか勇気をもらいました。
「山が好きだから!」
わたしも「これがおもしろい」「これが好きだ」って胸をはって言えるようになりたい。
人の魅力って、立場とか地位とかお金とか全然関係ない。



あんなふうに感覚を方位磁針にして生きていると、
いろんな煌めきを無意識に掴めるのかなと思いました。

それって決してナンセンスなことではないのですね。
理性を方位磁針にしようとしていた人間からすると、
ややメカラウロコ的な価値判断に思えますが。


本当に来てよかった。



何だか支離滅裂でごめんなさい。


(先程友人からもらった鯛)