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敬語、敬称を使わなくなった北欧

去年8月、ノルウェー人の兄弟ユニット、イルヴィスが来日し、イルヴィスの曲『The Fox』に合わせて踊る「きつねダンス」がブームになった。

さて、イルヴィスの出身国ノルウェーを含む北欧諸国の言語事情に関して興味深い点がある。

北欧のノルウェー、デンマーク、スウェーデン、フィンランドに共通して言えるのは、敬語、敬称の類を使わなくなったこと。

二人称代名詞は英語では「you」一択で相手との関係にかかわらず誰に対しても「you」を用い、また単数/複数の区別もないが、英語以外の欧米の言語では家族や友人など親しい人などに用いる砕けた二人称(親称)と初対面の人や目上の人などに用いる二人称(敬称)の区別があるものが多い。たとえばスペイン語では「tú」(親称)と「usted」(敬称、動詞活用は三人称単数扱い)、フランス語では「tu」(親称)と「vous」(敬称、二人称複数からの転用で動詞活用は二人称複数)という具合に。親称と敬称では動詞活用が異なる言語が多く、敬称では動詞活用が三人称になったり、一人でも複数形になったりする。動詞活用の違いから、敬称の二人称を用いると敬語で話しているという感覚を感じられる。

北欧諸国の言語の二人称代名詞は下記の通り。
ノルウェー語
単数:du、De(敬称、三人称複数からの転用)
複数:dere、De(敬称、三人称複数からの転用)
デンマーク語
単数:du、De(敬称、三人称複数からの転用)
複数:I、De(敬称、三人称複数からの転用)
スウェーデン語
単数:du、ni(敬称、二人称複数からの転用)
複数:ni
フィンランド語
単数:sinä、te(敬称、二人称複数からの転用)
複数:te

敬称はかつては使われたが現在はほとんど使われなくなり、本来親称だったのが汎用二人称として使われる。

英語のMr./Mrs./Missにあたる敬称は、ノルウェー語「Herr/Fru/Frøken」、スウェーデン語「Herr/Fru/Fröken」、デンマーク語「Herr/Fru/Frøken」、フィンランド語「Herra/Rouva/Neiti」で、かつてはこれらを苗字またはフルネームの前に付けて使われたが、現在はほとんど使われず、基本的に誰に対してもファーストネームで呼ぶ。ファーストネームには敬称は付かない。つまり、誰に対しても呼び捨てでOK。場合によっては苗字で呼ぶこともあるが、苗字で呼ぶ時も呼び捨てだ。また、「苗字で呼んでほしい」と言うと「お高く止まっている」と受け取られる。

英語圏(アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドなど)では他の欧米諸国と比べてファーストネームで呼ぶことが多く、初対面でもファーストネームで名乗ってファーストネームで呼び合うことが非常に多い。二人称代名詞が親称/敬称の区別がなくyouだけだからそうなりやすいのだろう。
しかし、「Mr./Ms.+苗字」が使われることも普通にある。目上の人の場合、例えば学校の先生(大学教授を含む)や上司をファーストネームで呼ぶことも珍しくないが、ファーストネームで呼んでいいのは本人が「ファーストネームで呼んで」と言った場合のみで、そうでなければ「Mr./Ms./Dr.~」と呼ぶのが礼儀とされている(しかし、アメリカではファーストネームで呼ぶのは自然なことだという感覚が若者を中心にあるようで、勝手にファーストネームで呼んじゃう人もいる)。北欧ではそれすらなく、先生であれ社長であれ最初からファーストネームで呼ぶのが前提になっている。

手紙の宛名も英語圏ではMr./Ms.を付ける(親しい友人などには付けないのが普通)が、北欧では敬称を付けずフルネームのみを書く。
英語圏でも近年、性別が不明の場合は敬称を書かないことが多くなっている(間違うよりは付けない方がいいという考え方から)。

北欧で敬称を使わなくなった経緯については、まずスウェーデンで1960年代、平等意識の高まりから(単数の敬称としての)niの使用をやめて相手の地位や親疎に関係なくすべての人にduを使おうという運動が大々的に行われた(「Du-reformen」と呼ばれる)。同時に「Herr/Fru/Fröken+苗字」で呼ぶのもやめて誰に対してもファーストネームで呼ぶようになった。ノルウェー、フィンランド、デンマークでもスウェーデンの影響を受けて70年代ないし80年代を境に敬称を使わなくなった。
スウェーデン語は昔、西洋の言語では珍しく「Herr/Fru/Fröken+苗字」や「肩書き(+苗字)」は二人称の主語や目的語としても用いられ、20世紀初頭までは(敬称の二人称代名詞としてniはあるものの)目上の人にはなるべくこれを使うのが礼儀とされていた。肩書きのある人には肩書きで呼ばないと気分を害することもあって、複雑だった。「Du-reformen」が起こったのはそういった不便さの反動でもあるかもしれない。

学生運動の影響が大きい。学生運動はフランスで始まり各国に広まった。フランスは1960年代の学生運動を最初に起こした国だが、現在も二人称敬称「vous」や「Monsieur/Madame/Mademoiselle」といった名前に付ける敬称は普通に使われていて、北欧のような誰に対してもtu(親称)を使い誰に対してもファーストネームで呼ぶというまでには至っていない。
北欧のように敬称を全くと言っていいほど使われない、特に誰に対しても名前を呼び捨てでOKというのは世界的に見ても珍しい。

北欧諸国で二人称や名前に付ける敬称を使わないような社会になれた要因はいくつか考えられる。
スウェーデン語、ノルウェー語、デンマーク語の動詞活用は人称によって変化しないため、もともと二人称で親称を使おうが敬称を使おうが敬語調とため口調のような差が感じられなかったからだろう。一方、フィンランド語は動詞は人称によって6通りに活用し、敬称としてteを使った場合は動詞活用は二人称複数形を取る。
北欧の地形や地理的条件も関係しているだろう。一つは、フィンランドとロシアとの国境を除いて北欧以外の(敬称を普通に使っている)周辺国との国境を接している範囲が小さく、影響を受けにくいこと。もう一つは、国の人口が数百万人程度と多くないため、敬称の使用をやめようといった改革がやりやすかったこと。

英語圏でMr./Ms.を一切使わず誰に対してもファーストネームで呼ぶようになる可能性はそれほど高くないだろう。一口に英語圏と言っても複数の国があって、アメリカだと国土が広く人口が多い点が北欧諸国と大きく異なる。英語は世界の共通語としての性格を持っていて英語が母語でない人も多く使用することからも、Mr./Ms.は簡単にはなくならないだろう。また、「Mr./Ms.~」は人の特徴を表したり「◯◯で活躍した人」を表す使い方もある(例えば台湾の李登輝総統は「Mr.Democracy(ミスター・デモクラシー)」と呼ばれている)点から考えてもMr./Ms.はなくならないだろう。

北欧と言えばスウェーデン(平和賞はノルウェー)でノーベル賞授賞式が行われる。ノーベル賞授賞式の会場では「Professor ~」、「Dr.~」といった(受賞者の多くは学位を持っているので学位による)敬称を付けた呼び掛けが多く聞かれる。会場では主に英語が使用される。

一部では敬称の使用の復活も見られる。スウェーデンでは1990年代から年配者、特に高齢者にはniを使う若者も出始め(外国語では二人称の敬称を使っているという事情を知って、年配者にはniを使った方がいいと考えたためらしい)、一人の相手には常にduを使う言語習慣を広めようと頑張った世代がniで呼ばれるという皮肉なことが起きている。フィンランドでは顧客の名前を呼ぶ際「Herra/Rouva/Neiti」を付けることも出てきている。
流入した移民の影響でも敬称の使用が復活する可能性もないとは言えないだろう。

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