あのころ大学2年生で、「台湾近現代史」という授業を取っていて、台湾近現代史の講義をされていた又吉先生率いる歴史学習の一環としてのツアーに応募したんです。
ちなみに今年2011年は中華民国建国100周年になります。
1日目
桃園中正国際空港へ。機内のアナウンスではたしか「桃園蒋介石国際空港」って言ってた。でも今は「中正(蒋介石)」の名前ははずされて「桃園国際空港」に変わってるのかな。
バスで基隆に向かう途中、軍事訓練のため通行止めになり、足止めを食らった。そのとき、昼食の時間で弁当が配られた。
基隆、金瓜石、九份を回った。急な坂道が多かった。金瓜石は昔日本人が開いた鉱山だったはず。
夕方は、お寺でお祈りした。たぶん道教のお寺だったと思う。その後、電車で泊まり先の花蓮へ
車窓から見えた宜蘭の町の夜景はギランギランに輝いていた(なんちゃって・・・)
2日目
花蓮を出発し、北回帰線の石碑で降りた。
その後、池上、台東を回り、東海岸から西海岸へ横断。この日泊まった墾丁は台湾のド南部。
3日目
最初に向かったのは、台湾最南端に近い海岸の公園。次に、牡丹郷。「台湾魂」と書かれた石碑を見た。琉球人墓にも行った。墓を行き来した草村には私の苦手なセンダン草が生えていた(台湾にもあるのね)。あれは触れるのも嫌。ちょっと怖かった
台湾第二の都市高雄へ。「『高雄』とは『犬を殴る』という意味」とバスガイドさん。昔は「打狗」と書いて「タカオ」と読んだと言うことを後から知った。日本時代に「高雄」の字が当てられ、今はそれを中国語読みにして「ガオシュオン」と呼ばれている。まあそっちの方がいいだろう。
高雄では市場(デパート?)も見学した。そこで日本語で「カラスミ」と書かれた看板があり、高級食材のカラスミというものを初めて知った。
台南では孔子廟とレンガ作りのお城(オランダ領だった時代の?)みたいな所を見学。
台中泊。
4日目
午前中台中市役所、市内の公園を回った。公園で太極拳をしていた人たちを見た。台北へ移動し、バーベキュー(店の名前は「鐵木真(テムジン)」で、モンゴリアンバーベキューみたいな感じ)のお店で昼食。ガイドさんがバーベキューのことをどうも「バビキュー」って言ってるように聞こえたけど、店の看板にもカタカナで「バビキュー」って書かれていた。台湾ではバーベキューのことをバビキューって発音してるのかな。
昼食後、新光三越へ。前と後ろの両方にドアがあるエレベーター(はじめて見た)に乗ったよ!三越を出てから外で待ってると、セールスの人に中国語で話をされて、何を言ってるかとてもわからなかったので、私は英語で「I don't understand.」と言った。
その後、キリスト教会、中正紀念堂(「記念」は中国語では糸へんで「紀念」と書く)を見学。中正紀念堂も今は名前が変わっているのかな。それから、二二八紀念公園へ。公園内にコーヒーショップがあり、私はカプチーノにココナツがトッピングされた「椰子拿鐡(イェーズナーティエ)」を飲んだ蒋介石の時代は二二八事件のことはタブーとされていて、二二八事件を語ると逮捕されたそうだ。それが今では記念公園もできて、その公園内でああやっておいしいコーヒーもいただけるまでになって、台湾はだいぶ民主化したなということを実感した。
台北泊。
5日目
台湾旅行最終日。故宮博物館を見学。一番印象に残った展示品が、「璧(へき)」(玉璧とも)というもので、「完全な形で残っている璧」から「完璧」という言葉ができたと又吉先生は言っていた。でも「完璧」という言葉日本でできたんだってね。宮崎県で出土した璧が無傷だったことから、「完璧」という言葉ができたって、最近『ゴーゴー語源』っていう番組で聞いた。
故宮博物館の物って国民党が台湾に逃れる際に北京から持ち込んで来たものだから、台湾独立のネックの一つかもね。かといって魅力の観光地の一つがなくなると経済的に打撃を受けるはずだから、「二つの中国」というビミョーなバランスを維持せざるを得ない。そういうことも考えさせられる。
昼食時にハプニング。つけだれの中に入っていた赤いやつ、パプリカと思って口に運んだらなんと舌がしびれるような激辛コーレーグス(唐辛子)だった昼食後、茶芸を体験。免税店でお土産を買って、帰国へ。
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ケンシロウ
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