健在で居ると今年丁度100歳になっているはずの舅です。
その舅がまだ若かりし頃、荷物を運ぶのに大八車なんてものを使っていた頃の話です。姑の話によると 雑貨商を営んでいた我が家によく立ち寄った 山仕事をしていた人たち。
買い物を済ませた彼らに よく分けてもらっていたのが 山で枝を落としてきたたくさんの枝のきれっぱしだったそうです。
いったい何をしたかったのか 舅は訳がわかってか そうでなかったのか。。。
一番多かったのが「椿」その次が「つつじ」だったそうな。
今では話を聞きたくても 二人とも逝ってしまったのでハッキリしたことはわからないが 風呂のたきつけにデモしていたのか。。。
その中の何本かは いつも決まって挿し木にしていたとか。
だから、今の家に越してくるまでの古い家には 何本もの名無しの木がいっぱいあった。そして、挿し木をする癖は 痴呆症が始まってからも それだけは続いていた。(姑と私とで内緒でよく引っこ抜いたものだった)
姑がよく言った言葉に「我が家に植えられて可愛そうに・・・また父さん 枝 切ってるよ・・・」そして、挿し木。。。
やっと大きくなった椿の木も 大きくなるのに年月を必要としていたのは
言うまでも無い。なにしろ、気が付くと枝を切っては挿し木してしまっていたのだから。。。
椿の木にとっては 舅が庭のことも何もしなくなってようやく 花目を付ける事が出来るようになったのだと思う。
舅が逝ってしまって しばらくして引越し。
また、椿の木には 成長を引き止める出来事だったに違いない。
新しい土地で 庭の形はなかなか難しい、よく植え替えをした。気の本数もなるべく減らした。それくらい、同じ種類の木がいっぱいだった。
花の無い季節の 椿は葉っぱだけでは見分けが付きにくい。花が咲いて同じ種類の木だったことがわかったので また処分したものも幾本もある。
人に譲ったものの中にもっと可愛い花が咲くものがあったかもしれない、そう思うと 今さらながら 勿体無い気もするが・・・
赤い花をつける椿。せっかく、花びらを膨らませ始めたのに雪が来て やけどをしてしまったみたいだ、霜焼けみたいでちょっと可愛そう。。。
その舅がまだ若かりし頃、荷物を運ぶのに大八車なんてものを使っていた頃の話です。姑の話によると 雑貨商を営んでいた我が家によく立ち寄った 山仕事をしていた人たち。
買い物を済ませた彼らに よく分けてもらっていたのが 山で枝を落としてきたたくさんの枝のきれっぱしだったそうです。
いったい何をしたかったのか 舅は訳がわかってか そうでなかったのか。。。
一番多かったのが「椿」その次が「つつじ」だったそうな。
今では話を聞きたくても 二人とも逝ってしまったのでハッキリしたことはわからないが 風呂のたきつけにデモしていたのか。。。
その中の何本かは いつも決まって挿し木にしていたとか。
だから、今の家に越してくるまでの古い家には 何本もの名無しの木がいっぱいあった。そして、挿し木をする癖は 痴呆症が始まってからも それだけは続いていた。(姑と私とで内緒でよく引っこ抜いたものだった)
姑がよく言った言葉に「我が家に植えられて可愛そうに・・・また父さん 枝 切ってるよ・・・」そして、挿し木。。。
やっと大きくなった椿の木も 大きくなるのに年月を必要としていたのは
言うまでも無い。なにしろ、気が付くと枝を切っては挿し木してしまっていたのだから。。。
椿の木にとっては 舅が庭のことも何もしなくなってようやく 花目を付ける事が出来るようになったのだと思う。
舅が逝ってしまって しばらくして引越し。
また、椿の木には 成長を引き止める出来事だったに違いない。
新しい土地で 庭の形はなかなか難しい、よく植え替えをした。気の本数もなるべく減らした。それくらい、同じ種類の木がいっぱいだった。
花の無い季節の 椿は葉っぱだけでは見分けが付きにくい。花が咲いて同じ種類の木だったことがわかったので また処分したものも幾本もある。
人に譲ったものの中にもっと可愛い花が咲くものがあったかもしれない、そう思うと 今さらながら 勿体無い気もするが・・・
赤い花をつける椿。せっかく、花びらを膨らませ始めたのに雪が来て やけどをしてしまったみたいだ、霜焼けみたいでちょっと可愛そう。。。