メーメーおばさんのひとり言

おこしやす
チクチク大好きおばさんです

2月のタペストリー

2007年01月31日 16時32分10秒 | パッチワーク
早いものでもう1月も終わっちゃいますね。
こうやって知らず知らずの内に 歳食っちまうんだろうなぁ。。。

お正月でもいいのだけれど、三月桃の節句には、やっぱ、和服でしょ。。。(家で着てる訳にも行かないけど) だもんで、こんなのがいいかなぁって。。。
 
三月になったら飾って・・・って、三日になったらはずして・・・
そんなせわしないこと ようしませんわ。。。
いっそのこと 今から掛けときますわ。。。

二十数年前 初めて作った その頃の私にとっての大作ですわ。
着物の部分は 母が作ってくれた私の着物。
今は箪笥の奥のほうで お寝んねしてはります。かわいそうに・・・
もう、娘かってよう着てくれませんし、着ることも無くなりましたわ。

勿体無い思うて 子供の式には すべて、着物着ていきましたが あの頃でも着物の人はちらほらで・・・

寒い頃には着物って 暖かいんですが 北陸での天候には向いてないし。。。
今頃そんなかっこうしてたら 
『今日は 何か ありますの~~~~』って問われそう。
いや、
私が着てたら 『とうとう、そろそろ、痴呆???』って、言われそうだからやめときますわ。

香りも ??

2007年01月29日 20時44分28秒 | ひとり言
 鉢植えの水仙を買ったのは
 お風呂帰りの夕暮れ時です
 このゆかしさがお前に似てると 
 あなたに言われて嬉しかった
 新妻みたいにエプロンかけて 
 あなたを世話した愛の明け暮れ
 一年の短い暮らしを懐かしみ 
 水をあげてるわたしです

水仙の花って 何処と無く寂しくて
でも、香りだけは人一倍主張してて
『お前に似てる・・・』
なんて言われたら 何と反応したらいいんでしょう。

『エエッ????おトイレ?』

  ?ン・・・・モゥ~~~

岩がころがってました

2007年01月28日 20時45分35秒 | ひとり言
だいぶ前の事になります。。。
呼鳥門あたりの崖が崩れました。
子供がまだ幼かった頃 この下を歩いて通りましたし、国道が走ってました。
でも今はここまでしか近寄れません。
自然って怖いですね。。。
この岩のずっと ずっと上の方に母(姑)の故郷があります。
今はもう何代か前のお墓があるだけですが・・・

いつまで ここも眺めることが出来るのでしょうか。

水仙祭り

2007年01月28日 16時49分28秒 | ひとり言
越前の河野村 水仙祭りに行ってきました。
亡くなった姑の故郷でもあるので 年に何度か訪れるのですが いつも水仙祭りのときは 駐車場に四苦八苦、やはり何にも無い季節、何にも無いところ、ほんの小さなイベントにも 観光客もいっぱいでした。
で、人が集まるところは ・・・・・遠慮して・・・
高台から 日本海を見下ろします。
下から冬の凍てつくような風が 吹き上げてきます。
波が海岸の大きな岩にしぶきを上げていました。
こんな景色は TVでも良く見かけるのですが、海岸ではなく 山側のくねくねとした 滑り止めのごつごつの山道を登ります。
山の中腹に何やらコマーシャル用の建物。これも私には興味なし。
そして、越前灯台。(ぜんぜん興味なし ごめん)
それより、帰りは膝が笑っちゃうかなって感じの坂道の傍らにびっしりと咲いてる水仙。ほほに当たる風はめっちゃ冷たいけど いいにおい!!!

国道沿いに無人の水仙の花販売所。
観光客の入ってこない山の上のほうで 在所のおばちゃんたちが育てた水仙の花、木枯らしの吹きすさぶこの季節 釜を片手に はかまをこわさないように丁寧に切り 少しづつ束ねて 町では考えられないくらいの価格でわけてくれます。
おばちゃんたちに会うと
『今日は こんで終わりやけ~ これも持ってきね~』って。。。
柄の割烹着にもんぺ、あねさんかぶりの 少~し腰の曲がりかけたおばちゃん。
『今年は 雪 ふらんでいいねぇ・・・』
『ほやって、助かるんにゃわ。さびぃけどなぁ。』

山の斜面 ずうぅっと水仙が咲いてました。 

ねずみ色の空

2007年01月25日 11時34分46秒 | ひとり言

年末に一回降っただけで 今年はまだ雪降ってないんです。
そう、まだ、降ってない。。。
なにかしら 不気味。。。
ここ北陸といっても だいぶはじっこなんですが、12月の末に一回、お正月はしばらく良いお天気でも 半ば過ぎたら降ってきちゃうんです。
そして、てくてく歩く日が2.3日。
それが月曜日なんて事に成ったら大変です、毎日の時間になれてくる頃に土.日曜日が来てくれる。
二月に入ったら 少々ドカンと雪が降っても なんとなくとけてくれるのも早い。
もうすぐそこに春が来てくれてるって感じで そんなに億劫でもないんです。
三月に一回くらいはびっくりさせられる雪もあるんですが もう ぜんぜんなぁんとも思わなくなってて。。。

それが毎年のパターンなんですが 今年は少し違ってる。
楽は楽なんですが 何か落ち着かない。(贅沢ですね)

窓の外が真っ白な雪で・・・
「あと、ここまでしたら、玄関のところ雪かきして・・・」とか、
「夕飯のしたく前に すこし消しておこうかな?」とか、
段取りってものが 全く無い。
コタツに入って いやしんぼして・・・
オイオイ 身体動かせよ~~~。

ここ何日か青空見せてくれません。
朝は車の天井が霜で真っ白。
明るくなってしばらくして やっと・・・でも、ねずみ色の空

毎朝の親子の会話
「今日は 傘 いるかなぁ・・・」
「そんなん、空に聞き。。。」
折り畳み傘 持ってく日に限って ザーザー降るんですよねぇ。。。



急ピッチ

2007年01月22日 17時20分30秒 | パッチワーク
長い長い 鍋底落ち込み。。。
正月疲れとか何とか 理由つけて ようは何にもしたくないだけ。
お天気のせいにして お天気良くても 寒さのせいにして。。。

なんだか抜け出られそう。。。
なんかしなきゃ。何か作らなきゃ。

オゥオゥやる気とやらが 何処からかご訪問くださった~~~。
でも、休日となると大きな大きなオオドモ様がドデェェンと転がってらっしゃる。
横目でチラチラ・・・
『何処か行くところ 無いノン???』
エエィ見なきゃいいんだ。。。賛成!!!

チクチクごそごそ・・・・・
やる気様の居られる間に。
そこでやっぱり 根暗色!少しは脱出 出来たかな?
どうやったて ワンパターンまでは脱出すんのに時間かかりそうだけど ま、こんなもんでしょう。
途中にしてたの仕上がりました。

アッ、仕上げちゃうと 又何にもしなくなるぅ。。。。

マヒ???

2007年01月21日 09時54分08秒 | ひとり言
毎日々々こわ~~~いニュースばかり続いてますが・・・

今朝、何事も無く新聞を開いて・・・
何を探すでもなく 斜め読み・・・
ふぅぅぅ~~ん。どうってことないね。。。

で、気づいたこと!
いったい私 何を期待して新聞を開いたんでしょう???

人が殺されて・・・子供がケガさせられて・・・バラバラで・・・
段々マヒしちゃってます。何もかもに。。。
新聞で何に期待してたんだろうって、『なぁんも ニュースないなぁ』
無くて当たり前なんですよねぇ。
これが一番良いのですよねぇ。
地方のイベントや ○○祭りが記事になってる、それを端から端までゆっくり読む、そんな日曜の朝。『平和』なんて どでかいこと言いません、なぁんもないのが一番。ただそれだけ。。。

毎日のあまりの情報の多さに少し麻痺して来ちゃってます。
何も感じない私がいるようになってしまってるぅ。。。
時になんだか怖そうなこと探してるぅ。。。

サスペンス多すぎません。平凡な話題を流しても視聴率上がらないのかもしれないけど、もっと、家庭のゆったりとした時間の流れていくのを感じたいですね。。。

今日一日は
『今入ってきたニュースです・・・』
って、アナウンサーの声聞かなくても良い休日だったらいいなぁ。。。

気晴らし

2007年01月19日 17時40分14秒 | ひとり言
この所少し落ち込んでいましたが 今日は良い気晴らしになりました。

先日友達が来たときに 着物の着付けを習いたいという話が持ち上がり 色々調べたのですが 結構なお値段。。。
今さら それほどのこともないし・・・
でも、この年になると 一人で着たいし・・・
黙っていたのですが とうとうばれちゃって 私が教えるということになっちゃいました。
もう何年の前になるのですが 呉服屋にほんの少しお手伝いに行っていたので 私は一人で着ることは出来るので教えて欲しいと。。。

何の知識もお持ちでないってのは 結構疲れるものですが 私もこのところの気晴らしをしたくって はちゃめちゃ くっちゃべってきました。。。

着物を着たり脱いだり 脱いだり着たり。。。
暖房なんて 途中で切っちゃって・・・それでも・・・暑い!!!
(少しはダイエット出来たかも・・・)
 
友達が後ろを見ている間に パチリ。
着付けの練習と言うことで 帯はコーディネート出来てませんが。。。
初めてにしては 結構いけてるでしょ。。。
もっと上手くなったら 見返り美人なんて格好もいいかもね。。。

何年経っても・・・・

2007年01月17日 20時32分00秒 | ひとり言
またまた17日がやってきましたね。思い出すだけで 震えてきます。。。
こんなに遠くにいたのに・・・・朝、ドスンと今までに無い感触を感じてたのに、朝いち、テレビではそんなに大きくは報道されてなかったような・・・
時間が経つに従って段々 不安になってきてテレビにかじり付いていました。
災害の当事者でなかった私たちでさえ あれほどの悲しみを否応なしに押し付けられていたのですから 淡路の人々 それに神戸の人々 言い表せないくらいの悲しみだったと思います。

関西に親戚の多い私にとって その後の連絡の取れなかった時間の あのイライラしたもどかしさ。
連絡は取れたものの 取れた本人が周りのことが全く解かっていないという事、案外事件事故の当事者には何も知らされないということ。
遠く離れた者に知らされても 何の手助けも出来ないという事。
色々思い出されます。

それから何ヶ月かして 娘が大阪へ行きたい、大阪の学校へ進学したいと言い出し 大阪へ行ったとき 伊丹の駅前がまだまだ傷跡を残したままだったこと。近くの町のすぅっと道の開けた所に 真っ黒な建物だったらしきものの残骸が山のように積まれていて とても娘を一人で出せないと感じたこと。
いっぱいいっぱい思い出します。
何か胸の辺りが キュゥンと傷みます。
私のようにガイヤのガイヤの その又遠くにいる者でも感じるところはいっぱいです。
二度と起きてくれては成らない事、でも、人間の力なんて微々たる物、今度又あのようなことが起きてしまったら・・・・・・・
考えたくないことではありますが、忘れた頃にやってくるのが天災です。
びくびくしてもしょうがないですが、心積もりだけは・・・・・・・・

私、何か起こってしまったら きっとパニクッてしまって おろおろしてしまうと思います。
語り継いでいかなければならない事だとは思いますが 思い出したくないことでもあります。
あの日の悲しみ 苦しみをお持ちの方々 少しでもその悲しみが癒されますように
お祈りいたします。
私ごときの願いでは どうともならないでしょうが・・・