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どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

BOHEMIAN BLUE。

2010-06-07 | Sandstorm



以前にも述べたことがあるが、自分がこれまでに泊まった旅館やホテルの数は相当なものである。
名古屋に帰ってきてからここ4年半は、いかにも色々な場所へ行っているような気はするが、考えてみれば実際は関東にいた一人暮らしの頃の方が断然多くの旅をしている。
それは毎年冬場から春先にかけて、雪山へ通い詰めていたせいもあろう。
週2回ペースの日帰りが主ではあったが、それでもカナダ、北海道、山形、新潟、群馬、長野・・・・・数え切れないほどの旅館やホテルに泊まり、温泉にも入った。
そして雪山から遠ざかった頃には、地方競馬巡りや野球場巡りの趣味も始まっていた。
基本的に同じところには泊まらない主義みたいなものが仲間内にあって、それがさらに泊まった旅館やホテルの数の多さに拍車をかけている。
はたまた、それ以前の地元愛知にいた学生の頃も含めると、宿泊した施設の数はもう数限りない。
大学の体育会に入っていたせいで、リーグ戦の時期になると毎週のように関西遠征があり宿泊が絡んでいたのだ。
大抵は天理教の詰所に御好意で団体宿泊させてもらっていたが、毎回毎回全てというわけではなかった。
主務という役柄をやっていた手前、そのたびに安く団体で泊まれる宿を新たに探すのが、自分の仕事でもあった。
また他にも、学部の仲間内で旅行サークルのようなものを主催していて、毎月のようにメンバーを募って旅行もした。






ちゃんと数えたことはないが、生まれてからトータルすればこれまでに自分が泊まった旅館やホテルの数は、とうに300は超えているだろう。
もしかしたら、500に近いかも知れない。
単に旅好きとかそういうことではなく、これはもう性分である。
じっとしていられない性質であるのと、飽きっぽくて同じところにと留まることが苦手な性格が大きく影響しているように思う。
普段の生活の中では、仕事がどうの、家事がどうの、睡眠時間がどうのと、時々妙にグチっぽくなることもあるが、もしかしたらそれはただ単に自分自身の性分の問題に過ぎないのかも知れない。
ボヘミアンとでも言うべきか、あるいは愚かなワンダラーか。













ふと最近になって、自分自身の変化に気付いたことがふたつある。
ひとつは、だんだんと値段重視の安宿から快適重視の宿に泊まるようになったこと。
もちろん安いに越したことはないが、値段は二の次で、まず自分好みの温泉や浴場があるかなどが最優先項目だ。
そしてもうひとつは、近年だんだん旅の同伴者がいなくなってきたということだ。
子供の頃は当然、団体旅行ばかり。
それがグループになり、そして仲間同士になり、2人になり、そして40を過ぎた今はほとんどが一人旅である。
関東圏の場合は誰かに会うことはあっても、基本はひとりなのである。
そして今では、それが思いのほか快適だ。
もともと旅慣れているというのもあるのかも知れない。
行動の自由が利くことが、現在の逃避行の必須条件でもある。
目新しいもの、珍しいものの発見への欲求は、年々深まるばかりだ。
たとえ300や400の宿に泊まろうと、さらに新しい宿に泊まりたい。
今まだ見たことのない世界を知りたい。
その場限りの知らない人と出会いたい。
そう思い続けている。
これはあくなきボヘミアンへの欲求か。
それとも単なる閉塞した日常からの逃避行動に過ぎないのか。
それは正直、自分にもよくわからない。













車の運転席の前にある吸殻入れの上の段。
そこにカムフラージュされた小さなスペースの隠し扉の棚がある。
その中に、たった1本の懐かしいミュージックテープを発見した。
そのケースには、「30歳の日々なる直感」と書かれていた。
自分が約10年前に作った”HEAT WAVE”のベスト曲集だ。
その頃、HEATWAVEのアルバムは、メジャーで発表されたものは全て持っていた。
活動を無期限に休止しメジャーから一時退くまでの全ての曲の中から、その頃自分なりに選りすぐったモノだけを入れた力作だ。
今の車が、まだ新車だった頃の話。
我ながらあまりにもそのテープのデキが良かったので、たったひとつだけ大事にそこに入れておいたと記憶している。
「30歳の日々なる直感」。
とうに忘れていたが、約10年ぶりの再会である。
その頃HEATWAVEは自分が一番好きだったアーチストで、毎日のように車の中に流れていたように思う。
ソウルフルで内向的な、一人で聴くにはぴったりのアーチストだった。
悲しいくらいに。
とんがって、ひとりよがりで、それでいて許容しようとする葛藤。
いま聴くと、余計にそう感じた。
もしかしたら、このマイベストを作ったときすでに、この10年後の今の自分を予感していたのかも知れない。
そんな風にも思えた。
行き着く場所は、どこだったのだろう。
「BOHEMIAN BLUE」という曲が、妙に心に残った。
彼らが自分に合っていたのか、それとも自分が彼らに洗脳されたのか。
それくらいその曲の歌詞が、今の自分の思考回路にシンクロしているような気がした。













母が緊急入院した。
特に緊急事態だったわけではない。
たまたま訪問看護の方に診てもらっていた日に微熱があり、一度病院で診てもらおうということになったら、結局そのままその日から検査入院と相成ったらしい。
その日の午後、私が東京から戻ってくると、自宅には誰もいなかった。
父には、その日に戻ると話してあったはずだったのだが。。。
自宅は「もぬけの殻」で、父も母もいない。
イヤな予感がしたが、何かあったら私のケータイに連絡があるはず。
そんなことはない・・・と思いながらも、不安は募る。
こちらから連絡を取ろうにも、父のケータイは自宅に置きっぱなし。
メモもない。
こんなこと自分が言えた義理でもないが、オイオイ。。。てな感じ。
連絡くらいは取れるようにして欲しい。
前日の晩にこちらからケータイした時には、昼頃に訪問看護の人が来ると普通に話していた。
それがこの状態なのだ。
それから数時間、不安な時間だけが流れた。
病院だろうかとは思ったが、定かではない以上電話するわけにもいかない。
父から連絡があったのは、午後9時すぎ。
ことの経緯は述べたとおりなのだが、ただこんなことが何度もあったらたまったものではない。
父によれば、ケータイを持っていくの忘れて私のケータイ番号もわからなかったとのこと。
父の都合は分かるが、思わぬすれ違いでこちらはため息。
知らぬが仏、とはよく言ったものだが、こんなことならもっとゆっくり遊んでくるべきだった・・・・・なんてことは口が裂けても言えない。






どこにいてもいつでも飛んで帰ってくる所存でございますから、せめてケータイくらい持ち歩くクセにして下さいな、父上様。。。






自分としても、これから少し考えなくてはならない。
これまで以上に。
よくよく考えてみれば、いま自分にはいつでも帰るべき場所がある。
それはたぶん、幸せなことなのだろうと思う。
ただ、・・・・・何かが少しずつ変わり始めている。
それだけは確実なことだ。













約束もない。
見返りもない。
知恵のない勇気なら、
君は要らない。
勇気のない知恵なら、
俺は要らない。












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