
年が明けてからどうもおかしい・・・。
具体的に何がどう変わったわけもないのに、どうも妙だ。
仕事ばかりしている。。。それもある。
仕事に張り合いがあるのは、どうも奇妙な感覚だ。
マリスタに通っていた自分、雪山にのめり込んでいた自分、プールバーに入り浸っていた自分・・・、それよりもはるか昔の自分がそこにいる。
昔、学生時代に通った道を、最近久しぶりに辿ってみた。
全然景色が違う。。。
思い出の面影は、すでにそこには跡形も無かった。
ほんの二十年前。
自分の中ではそんな感覚だった。
よく考えてみれば、二十年は長い。。。
そこには、”それよりもはるか昔の自分”よりも、さらに昔の自分がいた景色であろうはずなのに、それが無いのだ。。。
いつか埃を被って心の奥底に隠れていたはずの自分が、その見慣れない目の前の景色に行き場を失くす。
時間が途切れる。
浦島太郎。
時の迷い道。
遠慮なく心の命ずるままに体を動かしていた体育会系の自分は、今一体どこにいるのだろう?
記憶の中のあの夏の空は、幻影?
あのむさ苦しい官能と共に、インカレの日の空の広さは頭の中のスクリーンの中でいつでも思い出せたはずだったのに・・・。
あの空は・・・?
もしかしたらカナダのバックカントリーで見た空だっただろうか?
それとも、夢に溢れていた頃のグアムで見た空なのだろうか?
最近不思議と馬券も当たる。
どうせコツコツ稼いだ資金も、いつか一日で素っ飛ぶだろうと高をくくっているのだが、少々怖い。
船橋競馬場を主戦場に、南関東の競馬場を毎週のように渡り歩いていた頃のただ訳もなく無性に楽しかった競馬がそこにある。
それはいつのこと?
それはいつの自分?
これは何かの間違いだ・・・。
そうに違いない。
どこかで時間の流れが、他の別のところに間違って繋がってしまったのだ。
だとしたら・・・?
あの日のあの娘もたぶんまだ近くにいるに違いない。。。
・・・・・そんなくだらない幻想に惑わされる。
官能が溢れる。
くだらないとわかっていても、思い出が繰り返す。
無意味さ。
そんなものに浸っていても仕方ない。
わかってはいるのに。
ああ、いやだいやだ。
誰かこの奇妙な日々を、早く正常に取り戻してくれ。
仕事なんて楽しくなくたっていい。
馬券なんか当たんなくたっていい。
綺麗な思い出なんか二度と出てこなくてもいい。
何かこのフワフワして落ち着かない感覚が、どうもイヤなのだ。
しっかりと地に足をつけて現実に繋がっていなければ、きっとこれから自分は何もできないような気がする。
クソったれな自分が、ますます立派に出来上がっていくだけだ。
今の自分に絡み付いている現実といえば、本当は目を逸らしたくなることばかりだけど・・・。
ただひとつ、競馬はリアルを見せてくれる場所だ。
つまらないことを忘れて、それでも現実に繋がれる場所だ。
キレイごとばかりではない。
馬も人も、金も栄誉も。
妖美な風貌の競馬オヤヂ達に囲まれて、一人、考える。
欲も、徳も、自分にはある。
この奇妙な日々は、きっと競馬が少しずつリアルを感じさせなくなっているためだ。
ギャンブルで勝っても、なぜか競馬はだんだん遠くなっている。
吉田騎手は、JRAに行けるのだろうか?
誓二さんは、このまま消えていってしまうのだろうか?
茜ちゃんは、女性という偏見を乗り越えられるだろうか?
福重騎手は、はたして現場に復帰できるのだろうか?
・・・・・・・・・・。
いろいろなことが頭を巡る。
リアルとは、本当はすごく怖いものだ。
それが自分のことなら、なおさらだ。
下衆な自分は、それを見ている。
そしてもちろん、願っている。
そこに一人一人のリアルを感じるから。
好きとか嫌いとかではなく、それは自分にとっても勇気を与えてくれるもののように思えるから。
あちこちで心の豊かさが叫ばれた時代に大人になった世代。
それは同時に、経済的には何ら苦労も感じなくなった世界観の中で育った世代ということだ。
その場所の、その時代の人々が心の豊かさを求めたのは、リアルだけでは人生が辛く悲しすぎると感じたからだろう。
でも今や、この場所の、この時代の人々は、その豊かさに溺れている。
そこに育った若い世代は、リアルを感じることすら難しくなってきてしまっているのではないか?
コロス・・・なんて言葉は、リアルを感じていたならば、きっと本来怖くて使えないものに違いない。
人を中傷する言葉とて、よほど感情的になった時以外発することを躊躇う。
感情と共に発せられた言葉に、もう後戻りの道はない。
言葉は、時に無力なものである。
でも、時に言葉は人を深く傷つけ、あるいは殺すことだってできる・・・・・。
境界線はどこにある?
そんな自分のこの奇妙な日々は、その境界線をぼやけさせるのには十分な気がする。
言葉が軽いのだ。。。
それは自分自身が、リアルを感じられなくなっている証拠のようにも思う。
でも本来、そんなことは心配無用。
たとえ何も気付かなくても、好む好まざるに係わらず現実は向こうから音も立てずにやってきて、そして誰しもの前を一瞬にして通り過ぎていくのだろうから。
思い出に浸っている暇はない。
たぶん、自分はそう思いたいのだ。
競馬場に行く。
小心者が少なからず、できる限りの小遣いを賭ける。
でも自分自身の奇妙な日々は、まだ当分終わりそうもない。
意味のない予感だ。
茜ちゃん・・・・・、
早くこれまでのように一番人気をことごとくすっ飛ばしてくれ。
とんでもない馬を3着あたりに突っ込ませてくれ。
笑っちゃうほどベタなエンディングで、一刻も早く、この奇妙な日々を終わらせてくれることを切に願う。。。(笑)

奇妙な日々。
具体的に何がどう変わったわけもないのに、どうも妙だ。
仕事ばかりしている。。。それもある。
仕事に張り合いがあるのは、どうも奇妙な感覚だ。
マリスタに通っていた自分、雪山にのめり込んでいた自分、プールバーに入り浸っていた自分・・・、それよりもはるか昔の自分がそこにいる。
昔、学生時代に通った道を、最近久しぶりに辿ってみた。
全然景色が違う。。。
思い出の面影は、すでにそこには跡形も無かった。
ほんの二十年前。
自分の中ではそんな感覚だった。
よく考えてみれば、二十年は長い。。。
そこには、”それよりもはるか昔の自分”よりも、さらに昔の自分がいた景色であろうはずなのに、それが無いのだ。。。
いつか埃を被って心の奥底に隠れていたはずの自分が、その見慣れない目の前の景色に行き場を失くす。
時間が途切れる。
浦島太郎。
時の迷い道。
遠慮なく心の命ずるままに体を動かしていた体育会系の自分は、今一体どこにいるのだろう?
記憶の中のあの夏の空は、幻影?
あのむさ苦しい官能と共に、インカレの日の空の広さは頭の中のスクリーンの中でいつでも思い出せたはずだったのに・・・。
あの空は・・・?
もしかしたらカナダのバックカントリーで見た空だっただろうか?
それとも、夢に溢れていた頃のグアムで見た空なのだろうか?
最近不思議と馬券も当たる。
どうせコツコツ稼いだ資金も、いつか一日で素っ飛ぶだろうと高をくくっているのだが、少々怖い。
船橋競馬場を主戦場に、南関東の競馬場を毎週のように渡り歩いていた頃のただ訳もなく無性に楽しかった競馬がそこにある。
それはいつのこと?
それはいつの自分?
これは何かの間違いだ・・・。
そうに違いない。
どこかで時間の流れが、他の別のところに間違って繋がってしまったのだ。
だとしたら・・・?
あの日のあの娘もたぶんまだ近くにいるに違いない。。。
・・・・・そんなくだらない幻想に惑わされる。
官能が溢れる。
くだらないとわかっていても、思い出が繰り返す。
無意味さ。
そんなものに浸っていても仕方ない。
わかってはいるのに。
ああ、いやだいやだ。
誰かこの奇妙な日々を、早く正常に取り戻してくれ。
仕事なんて楽しくなくたっていい。
馬券なんか当たんなくたっていい。
綺麗な思い出なんか二度と出てこなくてもいい。
何かこのフワフワして落ち着かない感覚が、どうもイヤなのだ。
しっかりと地に足をつけて現実に繋がっていなければ、きっとこれから自分は何もできないような気がする。
クソったれな自分が、ますます立派に出来上がっていくだけだ。
今の自分に絡み付いている現実といえば、本当は目を逸らしたくなることばかりだけど・・・。
ただひとつ、競馬はリアルを見せてくれる場所だ。
つまらないことを忘れて、それでも現実に繋がれる場所だ。
キレイごとばかりではない。
馬も人も、金も栄誉も。
妖美な風貌の競馬オヤヂ達に囲まれて、一人、考える。
欲も、徳も、自分にはある。
この奇妙な日々は、きっと競馬が少しずつリアルを感じさせなくなっているためだ。
ギャンブルで勝っても、なぜか競馬はだんだん遠くなっている。
吉田騎手は、JRAに行けるのだろうか?
誓二さんは、このまま消えていってしまうのだろうか?
茜ちゃんは、女性という偏見を乗り越えられるだろうか?
福重騎手は、はたして現場に復帰できるのだろうか?
・・・・・・・・・・。
いろいろなことが頭を巡る。
リアルとは、本当はすごく怖いものだ。
それが自分のことなら、なおさらだ。
下衆な自分は、それを見ている。
そしてもちろん、願っている。
そこに一人一人のリアルを感じるから。
好きとか嫌いとかではなく、それは自分にとっても勇気を与えてくれるもののように思えるから。
あちこちで心の豊かさが叫ばれた時代に大人になった世代。
それは同時に、経済的には何ら苦労も感じなくなった世界観の中で育った世代ということだ。
その場所の、その時代の人々が心の豊かさを求めたのは、リアルだけでは人生が辛く悲しすぎると感じたからだろう。
でも今や、この場所の、この時代の人々は、その豊かさに溺れている。
そこに育った若い世代は、リアルを感じることすら難しくなってきてしまっているのではないか?
コロス・・・なんて言葉は、リアルを感じていたならば、きっと本来怖くて使えないものに違いない。
人を中傷する言葉とて、よほど感情的になった時以外発することを躊躇う。
感情と共に発せられた言葉に、もう後戻りの道はない。
言葉は、時に無力なものである。
でも、時に言葉は人を深く傷つけ、あるいは殺すことだってできる・・・・・。
境界線はどこにある?
そんな自分のこの奇妙な日々は、その境界線をぼやけさせるのには十分な気がする。
言葉が軽いのだ。。。
それは自分自身が、リアルを感じられなくなっている証拠のようにも思う。
でも本来、そんなことは心配無用。
たとえ何も気付かなくても、好む好まざるに係わらず現実は向こうから音も立てずにやってきて、そして誰しもの前を一瞬にして通り過ぎていくのだろうから。
思い出に浸っている暇はない。
たぶん、自分はそう思いたいのだ。
競馬場に行く。
小心者が少なからず、できる限りの小遣いを賭ける。
でも自分自身の奇妙な日々は、まだ当分終わりそうもない。
意味のない予感だ。
茜ちゃん・・・・・、
早くこれまでのように一番人気をことごとくすっ飛ばしてくれ。
とんでもない馬を3着あたりに突っ込ませてくれ。
笑っちゃうほどベタなエンディングで、一刻も早く、この奇妙な日々を終わらせてくれることを切に願う。。。(笑)

奇妙な日々。