
誰もが何千円もかけても取れなかったUFOキャッチャーのぬいぐるみを2回で取った。
発想の転換。
より正確な操作だけではどうにもならないこともある。
掴むのか、ずらすのか、引っ掛けるのか。
時には押さえつけることも必要だ。
形状、重さ、重心位置。
叩いたり揺すったりしなければ、反則などと言われる筋合いはない。
コロンブスの卵。
時に中途半端な経験や知識があるがゆえに、難しくなってしまう。
ほどほどに優秀であるがゆえに、どうしても一番になれないこともある。
万人が理解するために、理論や方程式は必要だ。
万人が生きてゆくために、法律やルールが必要なのと同じことだ。
ただ成功する者には、それらが通用しない、あるいはそれを超越した何かを必ずどこかに持っているものである。
ただ、それを認めがらない種類の人もいる。
当然だ。
そこには物理の法則のように絶対的な論理があってしかるべき。
ただそれを未だ解明できない以上、それは天才的な神の力と同等である。
世の中には、説明するよりも、やってのけることの方がたやすいことがいかに多いことか。
そんな人間の能力を磨くこと。
時代の先頭に立つ者に共通の高いスキルは、そこにある。
すべて理論から答えに辿り着こうとする凡人には、生きる時間は短すぎる。
だから世のため人のために生きる愛すべき大衆意識の凡人は、いつの時代も、伝え、受け継ぎ、紡いでゆこうとするのかも知れない。
人はいつでも平等でなければならない。
ただそれは、全ての者が個性を失い、同じ論理での考え方を強制するものではないだろう。
発想の転換。
それは、異端とも呼ばれるであろうコロンブスの卵。
スイングの森で、ふと空を見上げる。
私は愛されるべき凡人である。
ただ生きているうちに、ひとつくらいコロンブスの卵を心に持ちあわせていたいと願う。
コロンブスの卵は、自分自身で見つけなければ、きっとそれはコンビニで売っているゆで卵と何ら変わらない価値のものでしかないに違いない。