
ありきたりだが、前回述べた「4スタンス理論」を知ってから、スイングの森の風景がガラリと変わった。
新しい道標に、少しだけ森が拓けたという感じだろうか。
だが実は、今月から自分は“学人”となっている。
生まれて初めて、ちゃんとした人からゴルフを学ぼうとしているのだ。
そしてまた廣戸聡一氏の言う通り、“よきまなびと”であろうと心に決めている。
ただ、頭を真っ白にしてふりだしに戻り、一から始めるというのは正直少々苦痛でもある。
基本の反復練習。
一生学ぶべきことはあり、そういったスタンスで生きていくことが大切であることは分かっていても、面と向かって教師と学人という立場に分かれ教えられるというのは、四十も過ぎた男に続けられるのかという不安もある。
長い間、ひとりで考え、研究し振り続けてきた。
思わず、自分の意見を言ってしまいそうにもなる。
そこで自戒。
そう、自分は一から学ぶのだと。
たとえこれまでに独力で見つけてきたスイングの道標とは違っていたとしても、それはここでは必要ないこと。
言えばせっかく引き出せるはずのその他多くの気付きのチャンスを失うことにもなる。
少なくとも、レッスンプロともなれば、スイングの引き出しは自分より格段に多いはずである。
また、当たり前に知っている知識でも、忘れてしまっていることがいかに多いことか。
ただ、それでも、仕事帰りの毎日の打ち込みは止めていない。
自分流の試行錯誤。
これは良き学人の精神に反するだろうか。
いや、元々これはゴルフのためだけではなく、自分自身のライフワーク、日々の心の洗濯、精神の安定のためにやっている部分も大きい。
以前にも述べたが、自分にとってその時間は一日の心の整理をする場所でもある。
これを止めてしまえば、仕事も生活も耐えられなくなってしまうしまうような気がする。
そこでのスイングに集中する時間は、自分自身のための一日の鎮魂歌のようなものなのである。
愚直に基本を反復する学人としてのスイングは上達のためのもの。
こちらのスイングは、ひとりきりになり、心のバランスをとるためのもの。
そう割り切っていこうと思っている。
いつかどこかでそのふたつが巡り合うようなことがあるならば、とは願うが、あえて意図的なことは考えないようにしている。
四十過ぎの男にとって、スイングの森は、ひっそりと静かな方が良い。
スイングの森で、新たに発見があった。
もしかしたらこれは「4スタンス理論」を知ったことから来ているものかも知れない。
インパクト。
インパクトの瞬間に意識すること。
それは右ヒジの位置である。
自分の一番しっくりくる右ヒジの位置を発見し、それをインパクトの瞬間のアタマで意識する。
今スイングの森で考えていることは、グリップの再確認とアドレス時のボールの位置、そしてインパクトの瞬間の右ヒジの位置である。
それらを固定し、トップの位置を探している、というところだろうか。
スイングの森は深い。
「4スタンス理論」という道標をもらって、少し拓けた感じはするものの、森の深さに何ら変わりはないのだと改めて思う。
当然、レッスンの時は、こんなこと微塵も頭には考えてはいない。。。
最近の森田理香子プロの躍進はめざましいものがある。
ただ気になっていることもある。
服部真夕プロのときにも述べたが、なぜかコメントを求められたときに師匠岡本綾子プロに関する発言が目立つ。
悪いと言っている訳ではない。
あれほどの師である。
学人であり続けることは大切なことであるし財産でもあるだろう。
当然、一生師と仰ぎついていくべきであると思う。
ただあれを聞いて、やはりまだ彼女は半人前だと感じてしまうところでもある。
「師匠のおかげ」とか「師匠に見せたい」とか「師匠に褒めてもらいたい」とかは、ある意味子供じみた発言だ。
たとえそうであったとしても、自分の言葉で自分の表現ができるようにならなければ、いつまで経っても精神的に大きく崩れる不安はつきまとうだろう。
人はいつしか一人になる。
大きな舞台になればなるほど、自分しかどうにもできないことにぶち当たる。
そうなった時に、まだ一人前のトッププロというには、不安なのである。
まあ誰でも、否が応でもそういった時期は来るものであるが。
最近何かと人気な「アヤコさん」。
マスコミが求めているという中での、彼女なりのリップサービスもあるのだろうけれど。。。
自分自身が悩んだ末に見つけた答えは、きっと一番強い武器になる。
まあ、こんなことはプロゴルファーに向かって余計なお世話なのだろうが。(笑)
マタちゃんを含め、ファンとして、さらなる活躍を期待したい。
新しい道標に、少しだけ森が拓けたという感じだろうか。
だが実は、今月から自分は“学人”となっている。
生まれて初めて、ちゃんとした人からゴルフを学ぼうとしているのだ。
そしてまた廣戸聡一氏の言う通り、“よきまなびと”であろうと心に決めている。
ただ、頭を真っ白にしてふりだしに戻り、一から始めるというのは正直少々苦痛でもある。
基本の反復練習。
一生学ぶべきことはあり、そういったスタンスで生きていくことが大切であることは分かっていても、面と向かって教師と学人という立場に分かれ教えられるというのは、四十も過ぎた男に続けられるのかという不安もある。
長い間、ひとりで考え、研究し振り続けてきた。
思わず、自分の意見を言ってしまいそうにもなる。
そこで自戒。
そう、自分は一から学ぶのだと。
たとえこれまでに独力で見つけてきたスイングの道標とは違っていたとしても、それはここでは必要ないこと。
言えばせっかく引き出せるはずのその他多くの気付きのチャンスを失うことにもなる。
少なくとも、レッスンプロともなれば、スイングの引き出しは自分より格段に多いはずである。
また、当たり前に知っている知識でも、忘れてしまっていることがいかに多いことか。
ただ、それでも、仕事帰りの毎日の打ち込みは止めていない。
自分流の試行錯誤。
これは良き学人の精神に反するだろうか。
いや、元々これはゴルフのためだけではなく、自分自身のライフワーク、日々の心の洗濯、精神の安定のためにやっている部分も大きい。
以前にも述べたが、自分にとってその時間は一日の心の整理をする場所でもある。
これを止めてしまえば、仕事も生活も耐えられなくなってしまうしまうような気がする。
そこでのスイングに集中する時間は、自分自身のための一日の鎮魂歌のようなものなのである。
愚直に基本を反復する学人としてのスイングは上達のためのもの。
こちらのスイングは、ひとりきりになり、心のバランスをとるためのもの。
そう割り切っていこうと思っている。
いつかどこかでそのふたつが巡り合うようなことがあるならば、とは願うが、あえて意図的なことは考えないようにしている。
四十過ぎの男にとって、スイングの森は、ひっそりと静かな方が良い。
スイングの森で、新たに発見があった。
もしかしたらこれは「4スタンス理論」を知ったことから来ているものかも知れない。
インパクト。
インパクトの瞬間に意識すること。
それは右ヒジの位置である。
自分の一番しっくりくる右ヒジの位置を発見し、それをインパクトの瞬間のアタマで意識する。
今スイングの森で考えていることは、グリップの再確認とアドレス時のボールの位置、そしてインパクトの瞬間の右ヒジの位置である。
それらを固定し、トップの位置を探している、というところだろうか。
スイングの森は深い。
「4スタンス理論」という道標をもらって、少し拓けた感じはするものの、森の深さに何ら変わりはないのだと改めて思う。
当然、レッスンの時は、こんなこと微塵も頭には考えてはいない。。。
最近の森田理香子プロの躍進はめざましいものがある。
ただ気になっていることもある。
服部真夕プロのときにも述べたが、なぜかコメントを求められたときに師匠岡本綾子プロに関する発言が目立つ。
悪いと言っている訳ではない。
あれほどの師である。
学人であり続けることは大切なことであるし財産でもあるだろう。
当然、一生師と仰ぎついていくべきであると思う。
ただあれを聞いて、やはりまだ彼女は半人前だと感じてしまうところでもある。
「師匠のおかげ」とか「師匠に見せたい」とか「師匠に褒めてもらいたい」とかは、ある意味子供じみた発言だ。
たとえそうであったとしても、自分の言葉で自分の表現ができるようにならなければ、いつまで経っても精神的に大きく崩れる不安はつきまとうだろう。
人はいつしか一人になる。
大きな舞台になればなるほど、自分しかどうにもできないことにぶち当たる。
そうなった時に、まだ一人前のトッププロというには、不安なのである。
まあ誰でも、否が応でもそういった時期は来るものであるが。
最近何かと人気な「アヤコさん」。
マスコミが求めているという中での、彼女なりのリップサービスもあるのだろうけれど。。。
自分自身が悩んだ末に見つけた答えは、きっと一番強い武器になる。
まあ、こんなことはプロゴルファーに向かって余計なお世話なのだろうが。(笑)
マタちゃんを含め、ファンとして、さらなる活躍を期待したい。