
母の微熱が下がらない。
もう1週間近くになる。
どうやら口からの食事が気管から肺へ入ってしまっており、細菌感染している可能性があるとのことで肺炎に近い状態だそうだ。
これまで先生から話を聞いていたことが、またひとつ現実になった。
多系統萎縮症は、それが直接命を奪う病気ではないが、今回のように二次的な症状による生命への危険度が非常に高いという。
口からの食事による肺炎も、聞いていた症状のひとつだった。
実際に、在宅で介護していた時、すでに食事もままならなくなっていた。
口から食べ物を入れても、思うように入っていかず量を食べられない。
ただ、それよりもむしろ喉を通っても直ぐにむせてしまうのである。
特にサラサラの水分は駄目で、何かを飲ませる時はゼラチン質にする粉を混ぜて飲ませていた。
ただ母本人にしてみれば、美味しくないということは間違いない。
それでは余計に食べられない。
栄養が摂れなくては、体力が奪われ痩せていく一方である。
病院では、入院直後から流動食。
それでも無理ということで、3日前から食事は出ず高カロリーの点滴だけになった。
それでも熱は下がらない。
主治医の先生からは「そろそろ・・・」という話が出た。
”胃ろう”。
胃に穴を開けて、外から直接栄養を胃に流し込む方法だ。
肺の炎症を抑えるだけでなく、口からの食事を止めれば、喉に溜まる「痰」も少なくて済むらしい。
最近では、自宅で父が痰を取り除く作業の回数も極端に増えていた。
自分自身で喉に溜まった痰を排除できなければ、睡眠中に窒息することもあるのだ。
”胃ろう”をしても、口からの食事はまだ可能とのこと。
治療という観点から見れば、この”胃ろう”は最善の方法かも知れない。
喉に穴を開け直接痰を取り除く方法もあるそうだが、それだともう二度と何も口から食べられなくなってしまうらしい。
それではあまりにも母が可哀想である。
しかし実際に、母が今後口から好きなものを食べる意欲があるかは疑問だが。
ただベストではないにしろ、ベターな選択には違いないだろう。
母は、これまで同様、当然のようにそれを拒否した。
一番の問題は、コミュニケーションが著しくとれなくなっていること。
喋ることはもちろん、手も思うように動かない。
拒否しているのはわかるのだが、その理由が誰にもわからない。
わからなければ説得も難しい。
「もういい・・・。」
それだけが辛うじてわかることだった。
「もういい。」とは、点滴だけで十分だということだ。
ただ点滴だけでは、母の体力は失われてゆく一方だ。
それを説明しても、「もういい。」の一点張り。
考えたくはないが、「もういい。」とは命を捨てる覚悟があるということか。
「もう十分」ということなのか。
確かに母の病気は、現代の医療では良くなることはありえない。
このままどんどん動かなくなっていくしかない。
頭の思考はしっかりしているのに、身体の動きだけが奪われて無くなっていく。
今以上に、つらい思いを強いることになるのかも知れない。
・・・・・そう思ったら、私はそれ以上言葉が出なくなった。
何となく母の顔を見ていたら、私は悲しいのか情けないのか、何も言えなくなって泣けてきた。
でもね。
私にはわかったんだ。
母はそれだけではない。
母はとても賢い人だったから。
いつも自分を見ていてくれた人だから。
母はいづれ、自分で何も意志すら伝えられなくなることを知っている。
ただベッドの上で横たわるだけの状態になる。
そうなった時に、悲しい決断を、他人に迫ることになること。
父か、それとも、高い確率で私かも知れないということを。
母は自分自身で一番つらい決断をしたかったのだ。
人に迷惑をかけることを、極端に嫌う人だったから。
自ら、心の底からこの世から去りたいと思う人なんていやしない。
これは母の最大の思いやりだ。
そんな風に思った。
・・・・・彼女は、私が到底追いつけない位に強い人。
ただそれは、単なる私の思い過ごしかも知れない。
わからない。
でも、知らないふりをすることにする。
それしか私にはできないから。
父は、先生から説明されたことを母に一生懸命くり返しくり返し話していた。
「かあさん、もう少し頑張ろうよ。」と。
それでも母は、決して了承しない。
それで、私も声を振り絞って言った。
「かあさんがいなくなったら、オヤジが悲しがるよ。」
「オヤジがショックでポックリ逝っちゃうかもよ。」
何ともつまらなく品のないジョークだろうかと、自分でも思った。
言ってから、自分自身でそれがどんなにこの場ではKYなのか後悔した。
それは、母のために何かを言わなければならないという義務感だけであった。
ただそれも、さして大きく間違っていることも言っていないようにも思う。
私にとって母を大切に思うのと同じくらいに、父のことも考えてあげたい。
母がいなくなったら、父はどうなるだろう。
一歩下がってみれば、それはたぶん重要なことなのだ。
母にも、まだ父のことをも考えてもらいたい。
お互いはお互いが支えあっている。
父が一方的に母を支えているように見えても、実は必ずしもそうではないはずだ。
少なくとも、私には今の状況がそんな風に見える。
またそれが、母自身「生きている」証のようにも思うから。
今考えていること。
”やるべきことはやりたい。”
これは、父や私の自己満足でしかないのだろうか。
まだ母は、私のつまらないジョークに笑うし、父の世話を焼こうと必死に話そうとしている。
今回のようにイヤなものはイヤと主張するし、好きなものは食べたい意思を表す。
そんな「生きている」母を、このまま終わりにすることなんて自分にはできない。
このまま、母を自ら終わりの方向に歩かせてはいけないと思う。
たとえ結末はどうであれ。
たとえいつかその日が来るにしても、今はまだその時ではないと思う。
ちなみに”胃ろう”の手術は、30分程度で終わる簡単なもの。
普通にどこの病院でも頻繁に行われている。
問題は、「母の気持ち」だけなのだ。
手術は母の病気を治すためのものではなく延命治療に近いもの。
母もそれは知っている。
だから、余計に説得は難しい。
今回の入院後、母の希望で親戚縁者への連絡はしなかったが、そうとばかりは言っていられない状況だ。
不謹慎だろうか。
ふと、春先に見た山田洋次監督の映画を思い出した。
「おとうと」という映画の中で、鶴瓶さんが演じる鉄郎という役の最後のシーン。
「みどりのいえ」というホスピスで、最期を看取られる鉄郎。
不治の病でつらい延命治療を選ぶか、幸せな最期を看取る準備をしてあげるかという周りの人の苦悩と決断。
また、マザーテレサがインドに作ったという「死を待つ人の家」の話などが、頭の中をぐるぐる回っている。
最期に自ら幸せな死に方を選ぶ権利の尊重。
それは決して自殺幇助とは異なるものであろう。
今週は、父と対話の毎日である。
きっと間違いではない。

しばらくブログは休みたい。
いろいろなことをじっくり考える。
確かに、言葉で書き綴ることによって自ら気付くこともある。
でも自分の残した言葉に、その場その場の必要な判断が影響されてしまうことも良くないことのように思う。
ここのところ、事態が予断を許さないことも多い。
その時の自分の判断力を迷うことなく信じたい。
それが今は一番のように思う。
言葉は時に嘘つきで、自分すらも惑わされてしまうから。
それでも母を説得したら、競馬はやるし、映画は観るし、父と撮影旅行もするつもりだ。
そして母に色々話す。
ずっと一緒にいて、介護をするだけが全てではないと思う。
もちろん必要だが。
楽しい気持ちで、楽しい話をしてあげたい。
それが一番してあげられることのように思う。
この血は、たぶん母譲りのものだろう。
阪神競馬場、甲子園球場、抽選で当たった武豊のディナーショーなど、元気なころ父を残して嬉々として出かけていった母の子だからね。
退屈は、たぶん人生で最悪のことだ。

楽しい記事が書けるようになったら、またいつかひっそりと再開します。
お姉たまに騎 乗 位でヌポヌポやられちゃった!!
リードしてくれたから、童 帝のオレでも緊張しなかったぜ!!笑
てか初エッチ+5万もらえるとか、まじサイコーっすよ!!ヽ(*゜∀゜*)ノ
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