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支流からの眺め

コロナ禍における森発言問題(2)―どうして今、一様に批判が

 先のブログで述べたように、森発言の内容自体は辞任に値するか微妙であったにもかかわらず、世間から一様な批判に晒された。この一様性の理由を考えたい。

 理由①:森氏が世間の皆から嫌われた。元総理の威光を笠に着て、会議でも威圧的な言動で女性の委員を黙らせていたのかもしれない。しかし、そこまでではなさそうである。ご老体で透析が必要な病身となれば、スポーツの祭典の象徴には見た目ふさわしくないかもしれない。しかし、五輪精神では年齢や障がいでの差別は排除すべきことである。むしろ被差別側の代表者とみることもできる。既得権を持つ連中が閉鎖社会の中で「なあなあ」でやっている、そんな悪玉の骨頂にみえたかもしれない。確かに、川淵氏を後任に頼んだやり方も、少なくとも心理的には五輪を私物化しており、委員会は自分の思うままと信じていた証拠になる。挨拶はいつも30分以上というのもお殿様である。この本音を見透かされた。

 理由②:五輪ブランドを毀損した。近代五輪の開催不調を振り返ってみよう。1916年(ベルリン)、1940年(東京)、1944年(ロンドン)が世界大戦で中止となった。黒人差別で、1968年(メキシコシティ)と1976年(モントリオール)で混乱があった。1972年(ミュンヘン)では、対イスラエルテロ事件が発生した。アフガン紛争が理由で1980年(モスクワ)は西側諸国が、その報復で1984年(ロサンゼルス)は東側諸国がボイコットした。これらの試練を経て、五輪は差別や争いのない世界を象徴するブランドとなった。そこに商品価値が生まれ、放映の視聴率も上がり、多くの企業も金を出すようになった。森氏の言動は、この世界ブランドの好感度を損なった。

 理由③:時期が悪かった。コロナの流行で、世界中がほとほと嫌気がさしている。ウイルス発生に絡む疑惑、死に至る悲惨な病状、感染への不安と恐怖、神経をすり減らす波状攻撃、病院での医療崩壊、変異ウイルスの発生、ワクチンの副作用の懸念、自粛や封鎖による経済の沈滞、娯楽・会話・飲食などの行動の制限、これらが鬱屈して心理的なエネルギーとして蓄積されていた。平常時の寛容さを損ない、犯人探しを誘う心理状態にあった。その折も折、五輪が開催か中止かという問題に注目が集まってきていた過敏な時期に、あの発言である。油が発火温度に達した時の火花であった。発言の時期が違えば、看過されたかもしれない。

 上記(森氏の本音が出た、五輪ブランドを損なった、時期が悪かった)が、一様に批判が起こった理由であろう。しかし、理由はともかく、意見の一様性には思想の強制という危険が潜む。大前提として、森氏が何を考えるかは自由である。女性がいると会議が長引くか否かの真偽は別として、森氏は(否定するだろうが)そう思っていたし、そう思っている男性がいることも確かである。そう思う人であれば、女性の発言者を不快に思い、差別的な考え方もするだろう。しかし、考えること自体は許されなければならない。思慮することも押し潰すというのは、思想統制、全体主義、洗脳である。もちろん、考えたことを行動に移せば、そこに責任が生じる。

 憎い人がいれば殺してやりたいと思うかもしれない。思うことは自由である。しかし、殺人はもとより、殺すぞと恐喝すれば罪になる。これらは法に裏付けられている。但し、法の適用はより慎重に、特に刑事罰では証拠を固めて抑制的に行われる。ところが、今回の発言は法的な問題ではない。倫理の問題、人格の問題と言われるだろうが、その判断には恣意性が入りこむ。法的な強制力の行使には慎重なのに、基準が曖昧な倫理違反で人格攻撃し、公職の辞職に追い込んでしまった。これは、心が傷ついたことで有罪にできるハラスメントの法理に近い。それよりも、世間様すべてがこの処分を支持したのが恐ろしい。言葉狩りや思想犯の取り締まりの様相を呈していた。

 この一様さは、コロナ流行が引き起こした特殊な心理状態が背景にあるのかもしれない。もしそうなら、今は、他人の考えに不寛容、「何々すべき」の正義論、善悪の単純化、批判の示威行動なども起こりやすい。注意が必要である。軍国主義や共産主義と紙一重である。善や正義のための暴力が正当化されれば、それらと変わるところがない。多様性と調和、平和を尊ぶ五輪とは相いれない。森発言に対する批判は、鬼の首を取ったような勢いで、弁明を一切許さない集団ヒステリーの様相を呈していた。その示し合わせたような一様さが異様であった。一色に染まることに違和感と不安感を持ったのは、私だけではあるまい。そこに魔女狩りのにおいを感じた。

 このような一様性の心理状態に世界中が陥ったことはあるのか。五輪の歴史に戻り、幻の1940年の東京大会の頃を想起してみよう。ちなみに、1939年9月にはドイツが欧州で戦端を開き、真珠湾攻撃は1941年12月である。明治の開国後わずか50年の20世紀の初頭には、有色人種国にも拘らず、日本は世界の5大国と目されていた。しかし国内政治は、明治の元勲が去り自由と民主主義が進むも、政党間対立から迷走していた。その昭和初期に世界恐慌が発生し、全世界が混乱に陥った。すでに第一次世界大戦後不況を抱えていた日本は、その混乱の中で経済的不平等と国民の分断が進んだ。そして、不況や政治不信から軍部の台頭を招き、一様に軍国主義に染まり、遂に米国と対立する羽目になってしまった。

 無理に合わせる気はないが、現在と符合する点もある。大東亜戦争敗戦後わずか50年の20世紀の終盤には、唯一の被爆国にも拘らず、日本は世界2位の経済大国に復活した。しかし国内政治は、戦後の大物が去り自由と民主主義が進むも、迷走は止むことがない。その令和初期にコロナ流行が発生し、全世界が混乱に陥った。すでにバブル崩壊後の不況を抱えていた日本は、その混乱の中で経済的不平等と国民の分断が進んだ。そして、不況や政治不信から・・今の日本には軍部はない。だから、この先の筋書きは異なる。軍部の代りに非戦憲法がある。国防意識や国家主義が低下するなか、一様な心理状態が陥りやすい思想や主義は何か。想像力を働かせておくべきである。

 森発言問題から得たことは、一様性の危険への警鐘だけではない。密室政治や差別に対する嫌悪感が公に表出できたことは貴重である。そして、五輪精神を再度見直す機会ともなった。それは「平和でよりよい世界の実現」であり、「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など」による差別の撤廃である。この精神は、来年に控えた北京での冬季五輪開催と矛盾する。香港の人権問題、ウイグルでの虐殺や性的暴行などは、五輪精神とは合致しない。北京五輪は、中共国の独裁体制や人権弾圧を正当化することになる。1936年のベルリン大会が、ナチスの国威高揚につながったように。経済効果優先で北京開催を進めるとしたら、森批判の根拠とされた五輪精神は噴飯ものである。

 森発言に対し、「沈黙は容認だ」と発言して森氏を公然と批判したアスリートがいたらしい。彼(彼女?)にとっては、女性への性的暴行は女性への蔑視発言より軽視し看過してよいことなのか。正義漢(女?)たる者、森氏と同じく自分の発言に責任を取り行動すべきである。さもなければ、尻馬に乗って売名行為に走った弱い者いじめ奴(婢?)に過ぎない。

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