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支流からの眺め

医療崩壊の虚実―疑問に答える(2)




 武漢ウイルス感染症(Wuhan acute respiratory syndrome: WARS)の医療崩壊に関する前のブログで、病院の「一部」をWARSに振り分けるだけで病院全体に多大な影響を与えてしまうと記した。この事情を詳しく述べたい。

 WARS診療の特性を述べる。WARSは無症状や軽症のこともあるが、入院を要する患者が特に問題である。人工呼吸器を必要とするような重症患者、重症になりうる中等症患者(酸素が必要)である。WARSは急に悪化することもあるので、酸素が不要な患者でも安心できず、観察が欠かせない。特に高齢者や合併疾患を持つ人は危険である。そのような患者では介護度も高いことが多い。看護師には、医学的な知識や対応能力、感染症に立ち向かう精神力、感染防御(防備具の着脱など)を正確に行う集中力などが要求される。加えて、移動や摂食、排泄の介護も行なう必要が生じてくる。看護力は通常診療の3倍くらいは必要となる。

 必要なのは看護力だけではない。例えば、食事の提供方法や食器の処理、WARS患者の病室のシーツ交換や清掃などの業務でも、感染対策に追加の手間がかかる。隔離のための病室調整、入院中の他の患者と動線分離、不幸にも亡くなる患者の家族への寄添い(臨終の際も家族は患者の傍に行くことができない)なども生じる。かくて、WARS患者1人に必要な人的資源は、大まかに言えば一般患者の3倍かそれ以上に匹敵する。通常は30人が入院する病棟ならば、WARS患者は10人までしか対応できない。しかも、そこに配属する人員は熟練度が求められる。これらの業務に対応するために、他の病棟を(一部)閉鎖して人員を動員することになる。

 重症の患者は、ICU(集中治療室)で診療が必要となる。看護師は24時間つきっきりで、患者の容態や医療機器の作動を確認しつつ記録を残し、必要な看護を実施しなくてはならない。人工呼吸器やECMO(人工肺装置)を管理することもある。患者は自力では動けないので、介護の手間も大きい。ICU勤務ができる能力をもった看護師が、やはり通常の3倍かそれ以上必要となるのである。また、ICUは他の病棟と違って、病床数は10床程度が一般的で、院内に1か所しかないことが多い。ICUにWARS患者が1人でも入院すれば、院内感染を恐れて、他疾患の重症患者のICU受け入れを断らざるを得ない。

 このような特性のWARS診療に対応できる医療機関は、ICUを有する急性期病院に限られる。世間で言う、いわゆる大病院である。中小病院がWARS診療を行なっていないという批判もあるが、人員も設備も不十分な病院で診療すれば、院内感染を招いてしまうだけである。そのような大病院では、400床から1000床ほどの病床を有し、一般病棟は7対1看護体制(患者7名に対して看護師1名を配属)、ICUでは2対1看護体制(患者2名に対して看護師1名を配属)を敷いている。それだけ多数の看護師や他の医療職を雇用しているのである。急性期病院の病床と人員が十分であれば、WARSへの対応も可能のはずである。

 病床数は他の先進国と比べて非常に多い。人口当たりで2倍から5倍もある。一方、人口当たりの医師数や看護師数は平均的かやや低い。そのため、病床あたりの人員数は少ない。つまり、確かに病床数は多いが、WARSに対応が可能な程度に人員が配されている病床数は少ないのである。全体の1/4程度であろう。従って、WARS患者が占めているという全病床の3%とは、WARS診療が可能な病床(全病床の1/4程度)でみれば、その4倍、つまり12%に当たる。そして、上述のようにWARS患者の影響力は一般患者の3倍であるから、実質的には36%となる。つまり、大病院では3分の1の機能がWARSに取られ、残りの3分の2の力で診療しているとなる。これが現場感覚に近い。

 ICUについては、事態はより深刻である。まずICU病床数が諸外国に比べて少ない。人口当たりでは、20から50%程度しかない。ICUで勤務可能な看護師の数も、これに連動して少ない。しかも、日本のICUの看護師配置は、外国の半数である(諸外国は1対1看護が要求されるところ、日本では2対1看護で認可される)。ということは、ICUの看護師数は諸外国の10から25%になる。しかも、ICUの殆どが10床以下と小規模であり、各病院で抱えるICU勤務可能な看護師の総数も小さい。ここに3倍の看護力を要求されるWARSの重症者が入院すれば、2、3例で手一杯である。加えて、看護師は休暇も許されない日々が続く。こうして「悲惨な」医療崩壊の現場が出現している。

 つまりわが国は、急性期医療、特に急性期の集中医療の力が乏しいのである。このことは、日本の医療制度の弱点として指摘されていた。今回のWARS流行によって、それが暴かれた形となった。諸外国と比べ医療従事者数はほぼ同等であるが、病院や病床が多いため人員が分散し、一病院当たりの人員に余裕がない。その中で各病院がWARS患者を少しずつ診療し、しかもその少しのWARS診療が病院全体の機能を大きく損なっている。欧米諸国であれだけの流行があっても医療が耐えられるのは、少数の急性期病院に人員と設備が集中しているからであろう。わが国の医療は分散医療であり、慢性疾患を近隣の医療機関で管理するには適当であるが、感染症の大流行に対峙するには極めて非効率である。

 今後とも急性期病院に感染症対応を期待するなら、平時から医療費を優先配分し、人員の余裕を持たせることが必要である。急性期病院は、最新の設備を揃えて整備し、給与水準の高い専門職を多数雇用している。そのため固定費が高くなり、一時的にでも診療が停止するとたちまち赤字が膨らむ。経営的に厳しければ、人員を最小限に制限せざるをえない。経営的に余裕を持たせ、かつ総医療費を抑えるのであれば、黒字体質の診療所診療報酬からの移転が適当であろう。もしくは、分散医療を廃して急性期病院を統廃合し人員を集中させておく、流行時は感染症専門病院にする病院を事前に特定しておく、なども一法である。何にせよ次のPandemicに備えておくべきであろう。

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