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もうすぐ ブログを始めて 900日になります。
はじめは 日曜日を除く 毎日書いていました。しょうもない 日々の思いや 感じたこと ボランティアの活動 昔書いていた童話や創作を書き直してみたり・・・
最近は 週2,3回 不定期に。
それで 思いついた創作もどきのものを書いて 自己満足のために・・・ 将来 孫が 大きくなって パソコンを使えるようになったら ”変な おばあちゃんやってんなぁ”という記憶を呼び覚ますために・・・ そして 毎日 どなたかが読んでくださっているという喜びで・・・
それで ふと思いついて カテゴリーの創作としていたものを おこがましくも”小説”に変更してみました。汗顔の至りですが どうせ 自己満足の心が大半ですから。まぁ いいかっていう感じです。
孫は 今月でやっと 一歳半・・・ パソコンを使って しょうもない私のブログに興味持ってアクセスしてくれるようになったときは・・・ 私は この世に存在しなくなっているか 自分自身の心も体も コントロールできなくなっている公算が大だと 覚悟しています。
私自身が 娘を産んだのが33歳 娘にやっと子供が生まれたのが 娘33歳・・・従って 私は 66歳で やっと 初ばあちゃんになったわけですから。
孫が パソコンを使って 私のブログを読んでみようと思う気持ちになるのは・・・まだまだ 気の遠くなるような歳月が必要です。
それで まったく ずうずうしくも いままで 創作としていたものを いちおう小説!として カテゴリーに入れておこうと 唐突に考えたわけです。
あくまで 自己満足で書き込んでいるブログです。誰に 迷惑をかけるわけでもなく 恥も外聞も気にすることも無く ”仮想 小説家”になってみようかと・・・
とんだ お笑い種ですが・・・
づっと若い頃 いつか 自費出版で本を出したいという 途方も無く無謀な夢を持ったことがありました。
しかし よく考えてみれば 自費出版して 本を作り上げ ちょっとした知り合いも含めて 誰彼なく手渡したり 郵送したりして 押し付けても それこそ 迷惑そのものをかけることになるでしょう。
捨てるわけもいかず・・・ さりとて読みもせずに ほっておくのも悪いと 老眼鏡をとりだして いちおう読んでおかねばという 負担をしいることになるでしょう。
そして それなりに 過大評価しての 褒めるための言葉を捜させ 手紙のひとつも書かねば・・・という 無理強いをさせてしまうことになることは 充分予想できることです。
そういう点で ブログだったら ほんとうに 興味を持った方だけが読んでくださっているのですから ありがたいことだと思って続けています。従って {創作}というカテゴリーを{小説}にしても いいかなって ふと思いついたわけです。
そんな私の しょうもないブログを 訪問してくださっている方が どこのどなたかわかりませんが いてくださっていることに 私は パソコンを開いて アクセス数をみて 感謝しているのです。
膨大なブログの投稿数に 呆然と唖然としながらも なんの絵も写真もない 文字だけの羅列している私の ブログにアクセスしてくださっていること事態に 私自身が驚いているわけですから。
もうすぐ 私は 68歳です。
パソコンの講習に 一度も通ったことも無く インターネットのやりかたと ブログ立ち上げのときだけ 娘にしてもらいましたが 後は 自分流でやっているのです。
以前にも書きましたが 私らの世代では このパソコンの出現は 驚嘆!以外の何者でもありません。
このIT社会は 私の想像を超えて 日々進化 発展していきます。脅威の社会です。
そして なんと 面白い時代でしょう。そういう面では・・・
一般的 日常的社会は どんどん 人と人とのつながりが薄くなってきています。こうした電気機器の発達は 人と会うこともせずに 言葉を交わすことなくつながることが出来ます。便利で わずらわしくもなく・・・
しかし 一面からいうと 凶器になると警告する人もいます。
事実 私にはわかりませんが メールで中傷するイジメもあると聞いていますし 現実的に 私の携帯電話のメールに ”なになにのことで 裁判所に訴えられていますので 下記の電話に 至急連絡ください云々・・・”の オレオレ詐欺的なメールが 2度入りました。無視して ほっておきましたが けっこうわかりにくくしてある私の メール名が どうして知られているのか 不気味です。
しかし・・・
この インターネットという摩訶不思議なシステムは 私の老後を面白くしてくれていることは まぎれもない事実です。
今は ツィツター?・・・つぶやき?とかいうものが 流行っていると聞いています。面白そうです。興味深々です。娘に聞いて 参加して見たいと思っています。新しい 挑戦です。
あと しれた人生です。
興味津々の心を持ち続け エセ小説家気取りで 私は 指が動く限り 何か書いて残しておきたいと思っています。
右手の 中指一本で キーを打っています。
それでも パソコンを正式に習っていない私でも 毎回 1800字前後の文字を打っているのです・・・
さぁ 次の小説の!?テーマを かんがえなければなりません。
とんだ お笑い種ですが・・・
23日に行われた (沖縄慰霊の日 平和の詩)を 朗読する名嘉さんの詩の一部の放映を見て 涙がこぼれました。
おびただしい戦没者の名前が記された石碑に 手を合わす人々と 当時幼い子供たちが むごい戦場を逃げまどい 肉親と死に別れ その後の悲惨な生活体験と 学ぶこともままならなかった 今は 高齢者になった人たちが 夜間中学で学ぶ姿に 胸をえぐられるような気持ちになりました。
普天間問題で 見てみぬフリをしてきた沖縄の現状を 今更ながら 日本人の多くは さも訳知り顔で 沖縄の置かれた状況を 批判しています。
私も そうです。
恥ずかしいと思いました。
一部しか放映されなかった 名嘉さんの詩の 全文を知りたいとインターネットで探してみたら 西日本新聞の記事が掲載されていましたので 印刷し 何度も読み返し 涙と共に 私は 未来への希望を見出した気がしています。
いつもの日常の中にある基地の現実・・・ その日常を普通のこととしてしまっていいのだろうかと 名嘉さんの詩は訴えているように思います。
黒いたくさんの礎/刻まれるたくさんの名前/そこで思い知る/戦争が残した傷跡の大きさ深さ/何もしあわせなど生まれなかった/何も手に入れたものなど無かった/すべて失ったものばかりだった/忘れてはならない/この島であった悲しい記憶/目を背けてはならない/悲しい負の遺産/それを負から正に変えてゆく/それがこの遺産を背負い生きていく/私たちにできること・・・・・
「一度会ったことは二度ある」/そんな言葉を聞いたことがある/しかし こんな悲惨な出来事は/もう繰り返してはならない/だから・・・/「一度あった事は二度とない」に/変えていこう 平和で塗りつぶしていこう
その想いはきっと届いているはずだから
沖縄が地獄と化して65年
その後は 日本中の都市や軍事基地のある街に あめあられのように 焼夷弾が投下され 人々は逃げ惑い 数え切れないほどの人たちの命が失われ 広島で 長崎で 原爆が落とされ 地獄絵のような状況になっていった。
私は 当時 3歳になる ほんの少し前で 父方の田舎に疎開していたこともあって 当時の戦況のありさまには なんの記憶もありません。
小学校に通うようになって 同級生に ”父親が戦死した”という子供も珍しいことではなかった時代です。
私は 無口で行動ものろく あまりにも貧しい自分の一家を ひどく卑下していましたから いつもオドオドして イジメの対象になっていましたが (作文)だけは大好きで しかも 小学生の頃から ”反戦”の作文ばかりを書く 変わった子供でしたが 当時の先生は ガリバン印刷で 私の作品を刷りクラスの仲間に紹介してくれました。
名嘉さんの詩を 何度も読み返し 平和は 人から与えられるのを待っているのでは無く
一人ひとりが 自覚し なんらかの形で目指すものだということを あらためて 私は 胸に刻みました。
今日 参議院議員の選挙が公示されました。
前回のマニフェストに踊らされて 風が吹き荒れ 民主党が政権を奪取しました。
どの党も ”おいしいこと”を 並べ立てます。
マニフェストの いい加減さを見せ付けられた今 私は 賢明な目で 投票しなければならないと思っています。
名嘉さんの詩に
普通なら受け入れられない現実を/当たり前に受け入れてしまっていた/これで 本当にいいのだろうか・・・という一節があります。
今 混沌とした 先行き不明な暗澹たる社会に生きるものとして ”現実”を あまりにも 簡単に容認するというか あきらめてしまっているのではないかと思っています。
今回の選挙は この先の日本の方向性を左右するという思いで 私は 充分見極めたいと思っています。
明日の ティーズニング(高齢者と新聞を読む)の ボランティアの際 この名嘉さんの詩をコピーして 参加者の皆さんにお渡ししようと思っています。
毎回 このボランティアに参加される方たちも その多くは 戦火の中を逃げ惑い 挺身隊として その青春を送った方ばかりです。
戦争を語れる人たちが 少なくなってきています。
”辛すぎて 語れない”という方も 少なくありません。
沖縄の追悼式・広島 長崎の原爆の日・終戦・・・
その 前後だけに思い出すようなことでは 本当の平和ではない・・・と 私は 名嘉さんの詩を読み返しながら思っています。
I区で ティーズニング(高齢者と新聞を読む)のボランティアを始めて ほぼ3年近くになると思います。
市立図書館の館外図書ボランティアの中の 一環として デイ施設などの利用者と 主に新聞記事やコラムなどを 話題に中心として 懇談するというものです。
私の今住むH区でも このボランティア活動をしたいと ボランティアピューロを通して ある施設に働きかけて なかば強引に 押し売り状態のボランティアを 2月からはじめました。
その施設で 今日 10回目のティーズニングをしました。
今日の 朝刊のトップ記事は 「雅山も野球賭博」という記事で その話題から入りました。相撲界の話になり 相撲の話題になると いつものように 昔の相撲の方が はるかに面白かった・・・貴乃花・大鵬・先代の朝潮などの話になり 今は ほとんど外国人が 相撲界を占めているので 楽しめなくなったという話題になります。賭博というイメージから 花札の話になり 7月場所は どうなるか・・・ということになりましたが 結論的にいうならば いわゆる高齢者という 昔は相撲フアン層の方たちでさえ 相撲に興味を失っておられます。
それからは 今 話題の中心であるワールド カップの話題を取り上げましたが 世界地図をだして オランダ・デンマーク・南アフリカの位置を確認しあいましたが みなさん 世界地図には とっても 興味を示され ロシアや中国の広大な国土を確認し 私の持っている世界地図では サハリンの地が 白塗りになっていたので ”なぜか”・・・という話題になり サハリンには 日本人の墓がたくさん残されているという話題になり ちょうど 昨日NHKで 放映されていた朝鮮人でありながら 特攻隊としてなくなった方の家族らの苦悩の話になり・・・ 私も 見ていましたが 参加者の方から話題を提供され また ちょうど 戦前 戦中 戦後を若くして経験されてきた話になり ”今 生きていることに 感謝・・・”ということになりました。
サッカーの話から 野球の話になり タイガースの話・甲子園の話へと広がりました。
これが ティズニングのボランティアの目的です。
そのほか たくさん話をしていただきましたが 毎回 目のご不自由な方が 参加してくださるので ”何か いい話題はないか・・・”と 考え 昔の子供の遊びの場面の コピーを 持っていき そのコピーに出てくる お手玉・おはじき・紙風船をお持ちして 手で触っていただいて 昔を思い出して その方だけではなく 皆さんに喜んでいただきました。
子供の頃の そうした思い出話は つきることがありません。
今 思うと 私もそうですが 昔の子供たちの方が 貧しくて 何も無い時代に はるかに 創意工夫をして 心の底から笑って 遊びまわったものだと思います。
お手玉も ”お金持ちの子は 中に小豆をいれ 貧乏な子は砂利を入れて作ったものだった”という 思い出話に花が咲きました。
友人が作ってくれた 布ぞうりに みなさん大喜びで 目のご不自由な方も その手触りを楽しんでおられました。
”藁で作ったぞうり”・・・ これは この年代のものでないとわからないでしょう。
私も おばあちゃんが作ってくれたわらぞうりが ふだんのはきものでした。ぞうりも履かず はだしで 走り回っていた時代・・・ 物はないけど・・・心が 豊かであった時代を 共有できることは 幸せなことです。
おやつも サツマイモのふかしたの 時としては 生のにんじん 正月からは 餅を細かくした ぼうろやおかきを 炭火でころころ転がして焼いて食べたこと・・・ ほんの時々に キャラメルがあれば・・・遠足のときだけ・・・ もう 充分に幸せを感じていた子供時代だったのです。
私は 村でも屈指の?貧乏でしたが 母親は 例えようもないほどの愛情を 注いでくれました。寝る時間も無いほど働き通しだった母が あれほどの愛情を注げる 心のゆとりを持っていてくれたことを 今の私は 尊敬しています。
参加者の方の 共通の思いは”今の世の中に 感謝 感謝”でした。
今の世相を見ていると 虐待・DV・無差別殺人・親族間の殺人・・・ 格差社会が生んだ犯罪という識者もいますが 私たちが生きてきた 子供時代も 若い時代も 子育て時代も 高齢者に分類されている今も 格差社会は 存在していました。
確かに 私たちの世代は格差社会でしたが ”一生懸命がんばれば・・・”という目的観が持てる時代ではありました。
今は その目的間が消失している・・・不安感に満ちた時代であることは・・・たしかでしょう。
何にも無い 食べるものさえ満足に無い時代から 子供の頃には 想像もつかないほど発達 発展してきた時代まで生きてきて・・・ 面白い時代を 見聞きすることが出来ました。
これからも このティーズニングをはじめとするボランティアを 自身が楽しみながら 勉強しながら・・・ 参加者の皆さんに ほんのひととき 楽しんで笑っていただけたらと思っています。
6月10日に 夫の叔母が亡くなりました。85歳です。
この4年近く イロウで食事を取り 認知も進み 指一本も自身で動かせない状態でした。
それでも 私が行くと 私の動きに応じて目を動かしていましたから 私という認識はなくても ”だれかが きている”という認識は あったのだと思います。
若い頃 2度結婚し 2度離婚し まだ生まれたての赤子を 夫側に渡しての離婚だったとかで その後は一人で 働き生きてきました。
なかなかの美人で 身だしなみをかかしたことはなく 年齢よりははるかに若く見えました。自分に子供が無いこともあり 夫とは気が合い 私たちの子供を 孫のように可愛がってくれたものです。今ある娘や息子の 幼い頃の写真の大部分は 叔母が撮ってくれたものです。
叔母の60代くらいからの入退院の際も・・・繰り返し入退院していました・・・あの 大震災のとき 入居していたアパートが使用不能になり その世話からモロモロ 私が面倒を見てきました。正月の お節も 小さな三段重に詰め合わせ 毎年持っていったものです。新年のお祝い膳も もう 私が結婚したときには うちに来ていましたから 何十年も続いていたものです。
一人で市営住宅に住んでいましたが それなりに 乏しい年金と それまでの蓄えを使い ”おかみの世話になりたくない”・・・国には 頼ってはいけないという一念生きてきました。
認知症が進んできて もともと 気が強くて我慢するということのキライな叔母は 入院した病院のお医者さん 看護師さん 介護士さんらを怒鳴ったり 在宅になって 来てもらうようになったヘルパーさんらに 罵詈雑言を浴びせるようになりました。
病院では 隣のベットの人が ”時計を 夜中に盗もうとした・・・””ヘルパーが お金をごまかしている・・・””頼んだパンと違うパンだった・・・”など等 妄想によるものではあったとしても 私は 一生分の(すみません)を使い果たすほど 頭を下げたものです。
しかしなんといっても 食事が飲み込めなくなったということで ある病院からイロウを勧められ ”イロウでないと 転院しても 受け入れてくれる病院が無い!”といわれ 承諾せざるを得ず イロウ状態になりました。
胃に穴を開けて そこから 朝昼晩と ドロッとした液体を入れるのです。その頃には 認知度は かなり 進んではいましたが イロウにして 一気に認知症が進みました。
私には 胸の痛むことでしたが・・・
それ以後 私は イロウを選択したことが是か非かと悩みました。
どんどん 認知症が進み 体が硬直状態になり 体位変換をしてもらわねばならない状態になり 出る言葉が あっという間に少なくなり・・ました。
イロウをしていると 栄養たっぷりで いつも艶やかな顔色で見た目には 健康そのものにみえました。
数年前に 乳がんをしていた叔母は そのときは完治したはずでしたが 一年ほど前から 肺に ガンが発症していると 主治医から告げられて いつ 命が尽きるかわからないといわれていましたから 覚悟はしていましたが 叔母の生命力は すざましく 危篤状態になりICUを行き来しながら 命を保っていました。
入院費は 叔母の年金収入のほぼ倍でしたから 叔母の蓄えはみるみる減ってきていましたから 私たちが負担するのには無理があり 最終的には生活保護の手続きをしなければと 考えていた矢先 叔母は旅たちました。
遺言にあったとおり 最低限の葬式をし その代金や 納骨の費用を引くと 叔母の残した財産は ほぼゼロになりました。
”お国の世話になりたくない”・・・ 生活保護を受けてまで 生きたくないという 叔母の信念を貫き通したような・・・死でした。
生活保護を受けている方を 云々しているわけではありません。
爪に火をともすようにして生きて 貯蓄し 老後に備えて生きてきた叔母は そうとうな偏屈で わがままではありましたが ある種 立派だと・・・私は思います。
その死に顔は 驚くほど美しく 20歳は 若返ったのではないかと思えるほどでした。
イロウで むりやり生きさせてきたことが 良かったか 悪かったか・・・ 延命治療のさい 各種の議論が出てきますが 一概には結論はだせません。
人工呼吸で生きさせることを 医師から問われましたが 叔母の弟である叔父と相談して それは 拒否しました。それに関しては 私は 悔いはありません。
私個人の問題として受け取る場合 叔母の状態であるならば (イロウを拒否して そのまま自然に 逝かしてほしい。苦痛がなくなるようにさえしてくれればいい)と 夫にも 子供にも言っています。
もちろん イロウ状態であっても ほぼ日常生活のかたもおられると聞いたことがありますから イロウの是非を云々しているわけではありません。
延命治療に関して 叔母を通して知ったことを心に留めて あらためて”生きる”という意味を これからも考えていかなければならないと思います。
叔母は 私たちが立てた墓に 納骨することにしました。
桜の木が 春には爛漫と咲き誇る地に 墓はあります。
いつか 私たち夫婦も その墓に入りますが 叔母は そのときは イロウで生きる悲しみも 認知症になったしまった辛さも忘れて 私たちがいったら 昔 行った旅行のことや お正月や 私の子供たちの誕生日や節句で ワイワイ楽しんだことを話してくれると思います。
ちなみに 夫の母は再婚して苗字が違いますので 相思相愛の二人の墓は 京都にあります。だから 私たちは 別に墓をつくったわけです。
今日は もう 2年余続けているティーズニング(高齢者と新聞を読む)のボランティアでした。
新聞の記事を中心にして デイ施設に来ている方の5,6人に参加していただき その記事に対する 思い出や 思いを アレコレ話していただいたり 私を含めたボランティア仲間の話を聞いていただいたりする ボランティアです。
今日は 4人の方が参加してくださいました。
私たちが行くのを ”とっても 心待ちしている”という言葉を 最初にいっていただき嬉しかったです。
毎日 新聞に目を通し 一週間に一度ほど 皆さんが興味を持たれるかなぁ・・・と思われる記事や コラムを切り抜き ティーズニングの前日に 広告紙のウラ(白い方)に貼り付けます。
それを 話の順序をシュミレーションしてファイルします。
今日は いつものように 今朝の朝刊のトップ記事の 高島屋とエッチツゥオーの統合断念の記事からはじめました。その記事の内容を云々するわけではなく その記事を通して ”百貨店”に対して 思い出などを話していただくためです。
「先日 近鉄百貨店で 孫の結婚式に着るために 娘といった」と話してくださいました。その方は 始めてティーズニングに参加していただきましたが 目がご不自由で ほとんど目がみえないと 嘆いておられましたが {お孫さんの 結婚式に出られるなんて 素敵ですね}と話を進めました。もう ひ孫さんも大きいとのことで 44歳で ”おばあちゃん”になられたとのこと・・・ 66歳で やっと おばあちゃんになった私には うらやましい限りです。皆さん 若い頃は”百貨店に行く”ということを 一大イベントのように思っていた時代にいた方たちです。「インターネットで ものが買える時代になったけど それで買って 思ったものと違うものだった・・・ やはり 目で見て買うほうが確か」という話もでました。
神戸コレクションのファッションショーでの記事には 「若い人のファッションは まるで 下着のよう」という話になり 身勝手な若者が多くなったという話にとび それは 今は”修身”を 学校で教えていないからという話になりました。それから 「歳を取ったら どっこもいけない。若いうちに 行けるところはいっといたほうがいい」という話に広がりました。これが ティーズニングです。話の内容は 取り留めの無いものになりますが それによって 話の輪に 皆さんが 参加し易くなるのです。
他にも 先日の新聞記事の中で ”目薬を差してから 目をパチパチしたり 一滴以上さしても無駄”という記事を読みました。よく ご存知の方もありましたが 私もそうですが 目をパチパチ派のかたもおられました。
山下清展覧会の記事は コピーして 皆さんにお渡しして その繊細な貼り絵に驚嘆し 芦屋雁之助のテレビドラマの思い出話になり ”兵隊さんの位でいうと・・・”や”ボクはおにぎりが好きなんだなぁ・・・”という フレーズを 思い出されて 私も そのシーンを思い出しました。目の前で 絵を描いたり 貼り絵を作るのではなく ”記憶”で 描いたというはなしに その特殊な才能に みなさん 思いを深くされたようです。
金子みすず(ずは 間違いですが あの テンテンのような字を 私は パソコンで出せません)展の記事になり 有名な詩 二編を朗読しました。
私と小鳥と鈴と
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を早くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あのなる鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
積もった雪
上の雪
さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪
重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪
さみしかろな。
空も地面もみえないで。
この詩を読みましたら ある方が
恋するゆえに 月影寒く 身にぞしる
身をうたかたとならじ わが思い~~~~
の歌を 暗誦してくださいました。素敵なことです。
若い頃 たくさん詩を書いたけど そのノートを処分してしまってことを とっても 残念そうに話してくださいました。
こうして 今日のティーズニングの ボランティアを終わりました。
とっても 楽しい一時間でした。
とっても たくさんのお話を聞くことができました。
とっても いい一日を過ごせました。
今日は 市立図書館 館外活動の図書ボランティアの日でした。かなりの雨の中 自転車でいきました。途中 咲き始めの桜が あちこちに見られ雨に濡れて 少し 嬉しい気分でした。
ここ1年ほど電動自転車を使っていますが 電動自転車に乗りなれた途端・・・ あきらかに 脚の筋力が衰えたことを自覚し 最近は 急ぐとき以外は 電源を入れないで走るようにしています。
ボランティアでは 紙芝居・クイズ・マジック・・・などしていて 私は マジックの係りです。そのため 月3回のマジック教室に行っていますが ひとつ覚えたと思ったら ひとつ出て行くので レパートリーは そんなに増えません・・・
まぁ その一時間ほどの間 デイ施設に通っておられるかたが ”ハッハッハッ~~”と 笑ってくださったら それでいいのです。
他には ティーズニング (高齢者と新聞を読む)というボランティアは 主に新聞の記事を中心に 5,6名の方と 最近のニュースや話題を中心に いろいろ話し合ったりしています。けっこう 私自身が ”えっ!”と驚く話題で 私自身の知識を増やすことができますし 参加してくださっている方たちも 楽しそうに 話題が膨らんでいきます。この ティーズニングは 2年余続けてきています。月二回です。
紙芝居・・・などのボランティアは Z苑では もう 4年余 これも月二回のペースで行ってきています。K施設では 私ひとりで 紙芝居もマジックも 時には ニュースの話題や 子供向きの落語の本を読んだり・・・で行い これも3年ほど 月一回 続いています。
新しく S施設で 先月から 私一人で ティーズニングをはじめました。今までで 4回ほど それぞれ違う方々に参加していただき 新聞記事の話題が どんどん広がり楽しんでいただいているように思いますが・・・ こればかりは 独りよがりの 自己満足かもしれませんので 次回 終了後 施設の職員さんに”本音の感想”を聞きたいと思っています。
ボランティアに慣れてくると 自分の気がつかないうちに ”自己顕示・自己満足・上から目線・・・”などに 私自身が 無感覚になっている可能性が 大きいからです。
それ以外に 認知症の方の家庭訪問を 月2回していますが これは どちらかというと 介護されている家族の方との コミュニケーションになっていると思います。
どの ボランティアのときも そうですが 私は 帰りの自転車をこぎながら 必ず 自己嫌悪になっています。”仲間の中で でしゃばりすぎたのではないか・・・ ちょっと エラそう過ぎたのではないか・・・ みなさんに楽しんでいただけなかったのではないか・・・”と 反省をします。
その反省をしながらも・・・ また 次回も 同じ思いで帰ります・・・
私は 現在 67歳で 8月には68歳です。
自身が 高齢者になり いつまで体力・気力が続くかと思いますが ブログを書くこと・ボランティアは 今の私の活力源であり楽しみであり 生きがいです。
もうひとつ・・・ ボランティアとは 関係ありませんが 韓国歴史ドラマのDVDをみること・・・ほとんど 中毒状態です。
{テ・ジョヨン}{ワン・ゴン}{雪の国}を見終わり 今は{女人天下}・・・です。 膨大な量のDVDを 見続けています。”面白い・・・” これ以外の表現力はいりません。
おかげで 朝鮮半島の歴史に とっても好奇心をかきたてられています。
明日は マジック教室です。
明後日は Z苑でのティーズニングです。新聞の切抜きと どの話題が 一番 皆さんの興味をもたれるか・・・を 試行錯誤して 頭の中で シュミレーションします。
前回は 星野富広さんの記事の 絵と詩の切抜きをコピーして 皆さんにお渡ししました。その絵が 口でくわえた筆で描かれていることと その繊細な絵のタッチと 詩の優しさに みなさん喜んでいただいたように思います。
明日 マジック教室の帰りに 金子みすず(ず・の あの字のだしかたわかりません)展に行ってきます。私自身好きですが それを Z苑の金曜日と S施設の火曜日のティーズニングの 話題のひとつにしたいと思います。
それも ボランティアをしているおかげです。
好奇心旺盛・興味津々で 出歩く私の活力源でもありますから。
ブログを始めて 2年と2ヶ月たちました。
書き込みは 557回です。
いつも 時々書いているように 他のブログはカラフルで 写真などを使い面白そうで 楽しそうで 美味しいそうで・・・ 感嘆し 時々読ませてもらっています。
私は ”字”ばっかりの ほとんど自己満足の趣味で書き込んでいますが・・・ 私自身は楽しい 生きがいのひとつになっています。
ブログというものが 実際には私には その仕組みがよくわかりませんが 瞬時に書き込んだものが 飛んでいって? 他の方が 読もうと思えば読める!という”カラクリ?”が なんとも 私にとっては 不思議そのものです。
そして ブログを書き込んでいる人は 天文学的な 膨大な数ですから・・・ それが いつまで 保存されているのか・・・ということ事態が・・・わかりません。
単純に いずれか ”パンク”状態になるのではという”疑問”が 私にはあります。
ただ・・・ 私は 66歳でおばあちゃんになり やっとやっと”孫”を得ました。
孫が ある程度 文章を読み ”ふ~~ん・・・おばあちゃんは 変わった趣味を持ってたんだ。面白くも無いけど 読んでみてあげようかな”と 思ってくれるまで 生きていられるか・それを ニコニコ笑ってみている状態を保っていられるか はなはだ難しいと思います。
それで ブログというものが どれほど長く保存されているのだろうかという 基本的な疑問になるのです・・・
その孫が 10日ほど前から 夜だけ高熱を出すという病気になりました。昼間は平熱で 熱が出ても けっこう食欲もあり 体調もそれほど悪そうにも見えませんが (尿に 白血球が 異常に増えているが 原因がわからない)と 近所の小児科医いわれ・・・ おまけに たまたま 娘が孫の歯を磨いていたら出血したと知らせてきて 仰天しました。
”白血病?”・・・ もう 恐怖でした。
大きな病院に行きましたが(もう 少し様子を見ないとなんとも・・・だけど 白血病ではないでしょう)といわれましたが ”原因が不明”という状態は 悪い方向へと想像を膨らまし・・・ なんとも 辛い数日でした。
結局 大きな病院で 血液検査・尿検査・超音波検査をし・・・1歳と2ヶ月の孫には 恐怖と痛い目にあわせましたが 発熱の原因は アデノウイルスの感染と判明しました。
自然治癒を待つ・・・ということで 薬も無く 今は とっても元気になっています。幼児の場合 たいていは食欲が無くなり 入院ということになる場合があるらしいですが 孫の体力が ウイルスをやっつけ 入院せずに治癒しました。
感謝・感謝です。
私の感謝としてのあらわし方は よりボランティアに力をいれ デイ施設に来られている方たちに ひと時の安らぎと 笑いを届けることです。
自身楽しみながら また 参加してくださっているデイ施設の利用者の方々から 多くを学び ブログを楽しみ 韓国歴史ドラマのDVDにはまり・・・ボランティアのために マジック教室に通い・・・が 最近の私の あれこれです。
ティーズニング(高齢者と新聞を読む)の ボランティア活動も もう2年余続けている施設以外に 近所のデイ施設でも受け入れてくださることになり 先日 始めて実施し けっこう 喜んでいただきました。
昨日で 結婚40年を迎えました。
お祝いに ちょっとしたところに 夫婦で出かけるつもりでしたが 孫の病気と重なり・・・キャンセルしました。
何よりも 孫の原因不明といわれて焦って 心配した孫の病気が完治し 元気になったこと・・・ これ以上の ”お祝い”はありません。
2回目は 違う施設でティーズニング(高齢者と新聞を読む)を 行いましたが やはりイチローの偉業に みなさん喜んでおられ感動をされていました。
民主党が政権をとったことに関しては 1回目と同じく ”変わるかなぁ?””老人に優しい政治を””前回と同じように 日給115万円の話は 納得されていませんでした。
今回 もっとも違ったことは お二人の方が 読書好きの方がおられその話で 盛り上がりました。赤川次郎・内田康夫さんの小説がお好きだとのことで 職員の方に 図書館から借りてきてもらっておられるそうで 正直 いままで ボランティア活動のなかで 読書好きな方たちにお会いしたことは初めてで 読書好きの私には とても嬉しいことでした。ある方が”要潤”が大好きで テレビ番組に名前が出ていると 全部見る”とおっしゃり ”沢村一樹も すごく好きで ドキドキする気持ちがある”と とても嬉しそうに 話してくださいました。私は(要潤)という俳優の顔を知りませんでしたので インターネットで調べてみて ”あぁ この子 見たことある・・・ と思いました。そういった方は ”ちょっと 憂いを含んだような男性に引かれる”と おっしゃっていました。素敵な言葉ですね。おかげで 私は 要潤の顔を覚えることが出来ました。ラッキーです。
3回目は 一回目と同じデイ施設で 違う方が参加されて行いました。
その日の朝刊に 「核なき世界」を安保理で決議されたという記事に ”子供や孫の時代に そうなって欲しい”という話とともに”難しくて わからん”という方も 居られました。
米粉から パンの記事に ”この間 買ってきて食べたけど 皮が堅くて食べにくかった。美味しくなかった”との話が出て どんなパンの種類が好きか・・・という話になり みなさんそれぞれお好きなパンの種類を言っていただきました。
長寿日本一112歳の男性の記事には 「ご自分だったら あと 何年?」と 心の中で 計算していただき 男性のお一人が あと30年・・・とのことで 頑張ってくださいというと ”そんなに 生きたくないわ”と おっしゃっていました。
季節の話題の中から 御堂筋のギンナンの写真を見て ”家の近所で ギンナンの実が落ちていた”と話され そばの花の写真から (そばとうどんと どちらがお好きですか?)の質問に そば派とうどん派が 半々でした。彼岸花の写真の記事には ”彼岸花は 赤しかないと思っていたら 白や黄色などもあって驚いた”という話から ♪赤い花なら 万寿しゃげ・・・ ♪という歌を 少し皆さんと 口ずさみました。秋の七草の記事から お月見だんごの話になり それぞれみなさん お月見だんごのイメージが違うこともわかり 面白かったです。地方により 母から教えられたことにより いろいろあるのですね。
一番 感動したのは94歳の方が 毎日 庭の植木を手入れされており サツキは65年になるそうです。私の歳と ほぼ同じ・・・ 長い年月 大切に育ててこられたのですね。すごいです。94歳の方の 生命力に感動しました。学ばねばなりません。双子のパンだの写真の記事は みなさん見入られ”かわいい”を繰り返しておられました。
参考資料の「インフルエンザの記事」のコピーを お渡しし その症状・注意点・予防接種の時期など 私が読んで 体調の悪いときは 身近な人に 早めに相談しましょうと話しておきました。
ガリレオが望遠鏡を発明して 400年の話題の記事に ガリレオの国 イタリアと 日本の宇宙船を発射する種子島を それぞれ世界地図 日本地図で探し 日本地図から それぞれ参加者の出身地を地図上で探し 息子さんが住むという五島列島を探しました。
私も こうしたことで けっこう日本地図で 知らないことの多さに気づかされます。ボランティアのおかげです。
また 明日から なにか・・・ 創作を書き込んでいきます。
おわり
”ちょっと 創作”は かなりいい加減なストーリーで書いています。でも それなりに 私としては 頭を使っています。
前回は 最後に 四字熟語を書き込まなかったことを”投稿”キーを 押してからも気づいていましたが このシルバーウィーク・・・ アクシデントがあり 訂正するのをしませんでした。
四字熟語がこんなにあり その大半を知らないことを この”ちょっと 創作”で知ることになり・・・ 興味もあり 楽しんでいきたいいと思っています。前回のとき 四字熟語を書き入れるのを忘れていました。追加で書き入れました。
今月は 3回ティーズニングのボランティアをしました。ティーズニングに対して 何ヶ月か 書き込みをしていませんでしたが このボランティアに興味を持って コメントを送ってくださる方もいてくださいますので 今月は 少し書き込みをしてみたいと思います。
一回目は 天皇陛下が和船えお漕がれた記事で これはみなさん テレビでみてご存知でした。
イチロー 9年連続200安打の記事は それより先に2000安打達成の記事と共に コピーしてお渡ししましたが さすがにイチローのことは 皆さんご存知で”天才的な人だが 何よりも努力している人”との声が多かったですね。もっとも”野球には まったく関心ない”というかたもおられましたが。
鳩山政権誕生には”変わるかなぁ?””子供手当てが出るらしいけど 老人手当ても ほしいなぁ”とのことで 法律に決められているとはいえ 30日31日 議員になっただけで給料全額・・・ 日給115万円貰えるという記事には みなさんお怒りで ”佐用町の災害などにつかってほしい”とのことでした。
お米粉で作ったパンの記事のは みなさんとても興味をお持ちで ”食べたことがない”というかたばかりでした。それから どんなパンの種類が好きか・・・という話になり ”やはり 値段の高いパンは 味が違うという話になり”でも ”お腹に入れば みんな同じ”という意見で一致しました。”腹持ちは やっぱりお米やね”という 現実的なはなしになりました。
中原淳一の絵画展の記事には 女性の方は ”懐かしい・・・腰が細くて憧れだった””自分らも若かった。貧しい時代に 夢を与えてくれたものだった”など 話が広がりました。私も 懐かしかったです。貧しい私は 友達の家に見せてもらいに通ったものです。目の大きな 夢見る瞳の少女の絵は 当事の 不細工な私には 空想家になり宝物のような「それいゆ」という雑誌に見入ったものです。時々貸してもらって帰ると 何時間も何日も見入っていました。本当に 夢見る少女に変身し わらばん紙という紙に まねっこして描いたものでした。
チンドン屋さんの記事には ”サンドイッチマンという仕事の人もいた””そういえば サンドイッチマンの歌を歌っていたのは 鶴田浩二だった””この写真のチンドン屋さんは 長谷川一夫に似ている”という話になり 長谷川一夫のエピソードで盛り上がりました。こうして 記事から離れて みなさんの思い出話になることが ティーズニングのボランティアの楽しさです。
その他 マグドナルドにお相撲さんが寄付した お相撲さん用イスの記事・季節の話題で盛り上がり イチローのシアトル・マリナーズの シアトルを世界地図で探しました。シアトルって カナダの国境の近くにあるのですね。こうしたことを知ることができるのも ボランティアをさせてもらっているおかげです。
本当に ボランティアは 楽しいです・・・
つづく
前回は 最後に 四字熟語を書き込まなかったことを”投稿”キーを 押してからも気づいていましたが このシルバーウィーク・・・ アクシデントがあり 訂正するのをしませんでした。
四字熟語がこんなにあり その大半を知らないことを この”ちょっと 創作”で知ることになり・・・ 興味もあり 楽しんでいきたいいと思っています。前回のとき 四字熟語を書き入れるのを忘れていました。追加で書き入れました。
今月は 3回ティーズニングのボランティアをしました。ティーズニングに対して 何ヶ月か 書き込みをしていませんでしたが このボランティアに興味を持って コメントを送ってくださる方もいてくださいますので 今月は 少し書き込みをしてみたいと思います。
一回目は 天皇陛下が和船えお漕がれた記事で これはみなさん テレビでみてご存知でした。
イチロー 9年連続200安打の記事は それより先に2000安打達成の記事と共に コピーしてお渡ししましたが さすがにイチローのことは 皆さんご存知で”天才的な人だが 何よりも努力している人”との声が多かったですね。もっとも”野球には まったく関心ない”というかたもおられましたが。
鳩山政権誕生には”変わるかなぁ?””子供手当てが出るらしいけど 老人手当ても ほしいなぁ”とのことで 法律に決められているとはいえ 30日31日 議員になっただけで給料全額・・・ 日給115万円貰えるという記事には みなさんお怒りで ”佐用町の災害などにつかってほしい”とのことでした。
お米粉で作ったパンの記事のは みなさんとても興味をお持ちで ”食べたことがない”というかたばかりでした。それから どんなパンの種類が好きか・・・という話になり ”やはり 値段の高いパンは 味が違うという話になり”でも ”お腹に入れば みんな同じ”という意見で一致しました。”腹持ちは やっぱりお米やね”という 現実的なはなしになりました。
中原淳一の絵画展の記事には 女性の方は ”懐かしい・・・腰が細くて憧れだった””自分らも若かった。貧しい時代に 夢を与えてくれたものだった”など 話が広がりました。私も 懐かしかったです。貧しい私は 友達の家に見せてもらいに通ったものです。目の大きな 夢見る瞳の少女の絵は 当事の 不細工な私には 空想家になり宝物のような「それいゆ」という雑誌に見入ったものです。時々貸してもらって帰ると 何時間も何日も見入っていました。本当に 夢見る少女に変身し わらばん紙という紙に まねっこして描いたものでした。
チンドン屋さんの記事には ”サンドイッチマンという仕事の人もいた””そういえば サンドイッチマンの歌を歌っていたのは 鶴田浩二だった””この写真のチンドン屋さんは 長谷川一夫に似ている”という話になり 長谷川一夫のエピソードで盛り上がりました。こうして 記事から離れて みなさんの思い出話になることが ティーズニングのボランティアの楽しさです。
その他 マグドナルドにお相撲さんが寄付した お相撲さん用イスの記事・季節の話題で盛り上がり イチローのシアトル・マリナーズの シアトルを世界地図で探しました。シアトルって カナダの国境の近くにあるのですね。こうしたことを知ることができるのも ボランティアをさせてもらっているおかげです。
本当に ボランティアは 楽しいです・・・
つづく