劇団豊橋演劇塾~稽古場日記~

愛知県豊橋市で活動中のアマチュア劇団、劇団豊橋演劇塾の稽古の様子&公演告知&東三河演劇情報などを綴ったブログです。

公会堂まで1100m~ 公演をうつということ ~ ★「萩家の三姉妹」稽古場日誌 65★

2012年12月06日 | 2012年12月 『萩家の三姉妹』

★ 12月8・9日に、豊橋市公会堂にて、

        創団15周年記念公演「萩家の三姉妹」を上演致します ★

 

チケットを劇団員が もちろんまだまだ絶賛手売り中


  


明日は、いよいよ小屋入りです。
明日からは、厳密には「稽古場」日誌ではありません。
でも、「会場」日誌では、事務局の記録みたいだし、
「本番」日誌にすると、明日7日の「本番前日」の立場がないので、
このまま「稽古場日誌」と
名乗ります。


おそらくは、私にとって一生に一度きりのブログ経験です。
果たして、当初の目的どおり、劇団の宣伝=チケット促進につながったのかどうか。
残すところあと3日となりました。

1枚2000円。
買ってくださる方にはもちろん、売る側にとっても、高い高いチケット料金でした。
公演をうつからには、観てくれる方が必要です。
チケットを売るということは、イコール、観てくださる方を確保する、ということです。

勿論、経済的なことも大きな問題です。
「こんないい方が揃った団体さんがなぜ」・・・・
という演劇集団の解散を、いくつも目の当りにしてきました。(愛知県で、じゃありません)
ほとんどが、会計面で立ちいかなくなったことが原因です。
というか、平時なら話し合いで充分解決することが、会計上のトラブルが重なると、
不平不満が何倍にも増幅してしまい、結局もの別れになってしまうんですね。
お金のワルイ話は、どーでもいいようなことを、重大事件に肥大化させてしまう、
負のエネルギーがいっぱいです。
だから、会計上の問題は、できる限り起こらないように努めなくてはいけないのです。
       ・・・・・・・だから、団費を払わない人は団員ではありません。
             団費をきちんと払って、演劇塾を愛していれば、
             年1回きり、公演の時の手伝いにしか来なくても、大切な仲間です(断言)。


そういう意味で、「赤字決算」はなるべく避けたい。
でも、そこは置いておいても、

とにかく、観に来ていただくためには、買っていただかなくてはいけない。

これが原則です。
無料で差し上げたチケットというのは、非常にびみょーで。
確実に来ていただけるかどうか、確証がイマイチというか・・・・。
やはり、買ってくださったチケットこそ、有効に使っていただけと思うのです。

稽古が大変な中、みんな、チケット売りを、すごく頑張ってくれました。
本当に、感謝です。
あとは、来てくださった方に、気持ちよく、よい芝居を観ていただけるように頑張りたいです。

 

公会堂まで1100m ~公演をうつということ



2008年(平成20年)3月、文化会館大ホールにて、
「のめっけいのがとれた」を上演することができました。
豊橋の偉人・小渕しちを取り上げた題材ということで、市民協働推進事業としても
認定していただき、多くのお客様をお迎えすることができました。

その後、今回の公演までの間に、東田っ子夢芝居の上演、男女共同フェスティバル
へ参加しながら、2度の公演を行っています。

平成21年12月に、文化会館リハーサル室で「ワンス・アゲイン」を、
そして昨年、
平成23年11月に、駅前文化ホールににて、「堰~その先のひかり」上演しました。
観に来てくださった皆様、ありがとうございました。

  

  

「ワンス・アゲイン」は、演劇塾をもっとよく知ってもらうために、ということで、
とても気軽な、見やすい内容になっていました。


「堰~その先のひかり」は、一転、見やすい場面はほとんどなく、かなり渋めのお話でした。
完全に、大人向けの芝居となりました。
でも、お客様の中には、「今回が一番好き」と言ってくださる方も少なくなく、
それなりに、よい評価もいただけたように思いました。

余談ですが、チラシの評判が非常によかったです・

不思議なことに、画像記録がほとんど残っていません
 

両公演とも、劇団員が創作したオリジナルの作品です。
しかし、「GENKICHI」や「のめっけい」と違い、豊橋に実在した偉人を題材にしたものではなく、
完全なオリジナル(架空のお話)でした。
そのため、地元に実在した「庄屋源吉」や「小渕しち」への興味が観劇へつながる、ということが
ありません。
ですから、チケット販売には非常に苦労しました。
また、市制100周年記念事業、市民協働推進事業として、公的に応援していただいた前2作と違い、
完全に劇団単体の公演でした。

一生懸命作ったことには違いないのですが、残念ながら、両公演とも大きな赤字決算となり、

今後の公演制作をどのようにしていくか、真剣に検討しなくてはならない時期にきていると感じました。


・・・・と書いておいてなんですが。

ここで、ぜひとも主張しておきたいことがあります(笑)
私は、「演劇塾は自分たちの力で公演をしたことがない」と言われたことがあります。
公的に便宜を図ってもらったり、補助金をもらっての公演しかしていないから、ということらしいです。
でも私は、全然、そんなことはないと思っています。

演劇塾は、「GENKICHI」では市制100周年記念事業に、「のめっけい」は市民協働推進事業に
認定していただきました。
前者では会場確保など多くの便宜を図っていただき、後者ではいったん補助金をいただいています。
(「のめっけい」は最終的に黒字決算となったので、補助金は返金となりました)
でも、これらは決して、ひいきしてもらったり、コネでもらったわけでも何でもありません。
市民講座から、地元での活動をコツコツ積み上げて現在の劇団に成長したことへの評価と、
きちんと公式のプロセスを踏んで協働事業へ応募をし、公式のプレゼンの上で当選した結果です。
これらはすべて、演劇塾の 「力」 の内と思っています。

そもそも、完全に「自分たちの力だけ」でなんか、公演できるわけないと思ってますから。
最低でも、観客の皆さんがいらっしゃらなければ公演は成り立たないし、公的施設は税金で維持管理
されているから、数日間の使用料だけであんな大きな施設が使えるんだし。
誰かの世話には、必ずなっているんです。それが公的な補助金だろうと、税金で維持管理された施設
の使用だろうと、たいした違いはないと思います。
この先も、市制110周年とか120周年記念事業の募集があれば、ぜひまた、積極的に応募したいです。
そして、万万万が一、運よく認定していただけるとするならば、胸を張って補助金をいただいて、その分、
創作活動に頑張りたいと思います。


松さん  「どんな15年だった~?」
稲さん  「いっぱい勉強させてもらったねぇ。
       これだけ本を読んだこと、なかったもん。
       演劇に関することだけじゃないよ、いろんな本。
       おかげで、モノの見方とか、ほんとにいい勉強になったねえ」
松さん  「やりたい芝居とかある?」
稲さん  「あるよ。
       別役とか興味あるの。不条理とか、やってみたいねえ。
       それと、イヨネスコの『椅子』とか。装置が浮かんでくるんだよね」
松さん  「じゃ、それまたやればいいじゃん」
稲さん  「いやいや。もうダメだね、体力がないよ」
松さん  「何言っとるだん」

         元団長が、演劇塾の初代団長になったのは、
          今の現団長と同じ歳の頃。


稲さん  「いやいや。ほんとにね、楽しい15年間だったよ。
       ほんとに、ものすごく、自分が成長させてもらったね」

松さん  「やめとくれん、遺言じゃあるまいし!」 大真面目


 演劇塾団長は、75歳までが任期となっております


稲さん  「いやいやいや・・・・・」

 
  今までのように、何から何まで全部背負っていただくような無理は言いませんし・・・



松さん  「 そうそう。上手に他へ振ってさあ。

       やれることやりゃいいんだで。な~」
稲さん  「ん~そりゃねえ・・・・・・・そういうことだけどさぁ」


おふたりとも、創団期の団長・副団長コンビ時代から、
長きにわたって、演劇塾を支えてくださっています。
組織の上に立つということは、だいたいシンドイことが多いです。
今の、まあまあ安定している演劇塾には、人も来てくれます。
でも、演劇塾も、けっしていい時ばかりじゃありませんでした。
ふたりとも、団長・副団長という立場で、困ったときこそ、
決して逃げずに、いろんなことに対処してくださったと思います。
そして、若いモンが育ってきたら、「見守り係」になる場面も
作って、後進の育成にも努める、と。ほんと、大変です・・・


ベンチャー企業は、人員の年齢構成を、その国の国民の
年齢比率に合わせると、上手く発展するのだそうです。
演劇塾は、まさにそれに当てはまります。
ただの素人集団だった演劇塾が、ここまで続いて大きな理由は、
団員が一定の年齢層に偏らず、いろいろな年代の人間が
万遍なく活動していたことだと思います。それも元気に!
演劇塾の壮年期・老年期団員は強い!
若いモンも、中年も、見習って頑張ろう





というわけで、
まだ市制110周年記念事業の募集はありませんが、
このたび、豊橋公会堂で劇団単体での公演をすることになりました。
本は永井愛作「萩家の三姉妹」。
トラムの開催場所だった市民センターから車道距離1100mにある公会堂へ、いろんな所を
経由しながら、15年かけて歩きました。

この間に、多くの人が演劇塾の戸をたたき、そして、通り過ぎていきました。
その中には、今でも、いろんな状況で芝居を続けている人もいます。
創団15年を過ぎても「ちょっと興味のある人が集まってやっている」くらいの気分だったのに、
いつの間にか、ここから巣立っていった人もいる集団になっていました。

15年の間に、人も入れ替わりました。
劇団も、今後はどんどん変わっていくと思います。
でも、どんなに人が入れ替わっても、この団長と元団長の座談会にでてきたように、
「ひとりひとりが大切な劇団員」
という気持ちだけは、持ち続けていってほしいと思います。

演劇塾は、15年の間に作ってきた芝居へ込めた「想い」を背負って、
たくさんの思い出を越えて、前へ進んで参ります。

次の行先は、もう一度、市民文化会館か?
・・・それとも、新しい芸術文化劇場プラットでしょうか。
これからも、多くの皆様に、演劇塾の芝居作りを応援していただき、
成長を見守っていただければ嬉しいです。



今日は、最後の稽古です。
通算74回目。
7月に稽古がたちあがって、約5か月。
月並みですが、長いようで短い5か月でした。




チケットをお買いあげくださった方、本当にありがとうございます。

よいものを観ていただけるよう、精一杯頑張ります。
当日は、公会堂でお待ちしています。

多くの皆様のご来場を、心からお待ちしています。


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気持ちも新たに。頑張るぞ! きりっ!

★本番まで、あと2日★





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