感染者が減らない。今日も6人だそうだ。細心の注意を払っていても感染してしまう。他県で緊急事態宣言を一部解除とのこと。少し早いように思える。ここでもう一踏ん張りしてみてはどうだろうか。
この解除で拡大しなければと心配である。
感染者が減らない。今日も6人だそうだ。細心の注意を払っていても感染してしまう。他県で緊急事態宣言を一部解除とのこと。少し早いように思える。ここでもう一踏ん張りしてみてはどうだろうか。
この解除で拡大しなければと心配である。
家内がラッキョを買ってきた。酢漬けにするという。台所で下処理をして、終わって昼食を食べた。
それから少ししてトイレに立ち戻ってきて寝室へ行った。
少したっても寝室から出てこない。どうしたのだろうと思い寝室へ行くと。
ベッドに横になっている。「どうした」と訊くと「具合いが悪い」という。
「食べ過ぎた様だ」という。
「戻したら困るので、その準備をしてくれ」という。
紙屑かごにビニール袋を入れ、そこへ新聞紙を入れて枕元に置いた。
朝早くから玄関先の草むっしりをしていた。家に入ったのは2時間ほどしてからだ。日射病ではと思ったが、太陽は出ていない。
それにしても、食べ過ぎではない。どうも、ラッキョの臭いに中ったようだ。
台所で下処理をした。家内はニンニクが大の苦手である。ラッキョはニンニクの親戚みたいなものだ。「アリシン」の臭いだ。
これに中ったようだ。
本来なら、風通しの良い屋外で下処理をすべきところ台所でしてしまった。換気扇は回っていたが十分でなかったようだ。
「病院へ行こうか」と訊くと「大丈夫だ」という。
今はベッドで眠っている。
愛犬の日があることを知らなかった。ペットで好きな動物はと訊かれたら即座に犬だと答える。
好きなのはいいがその扱い方である。本当に愛情を込めて飼っているのだろうか。疑問である。この疑問は、私自身にである。
犬は、中学生の終わりまで飼っていたと思う。名前は「ジョン」「ラッキー」と犬が変わるたびに名前を交互に変えていた。
玄関先に犬小屋がある。その小屋に鎖で括りつけて置く。学校から帰って来ると嬉しいのかダッシュして飛びついてくる。
鎖が短いので私に飛びつく前にその場にひっくり帰る。それでも尻尾をこれ以上振れないというほど振って、何度も「ワン、ワン」と吠えながら私に飛びつこうとする。
「遊んでくれ」ということだ。シェパードだった。雑種で小型犬だった。今から60年以上前のことだ。
その犬の顔が思い出される。最後は、手に余し父にお願いして保健所へ持って行ってもらった。実に残酷である。申し訳ない事をしたと今でも思っている。
ジョンが生きていたなら手を着き頭を下げて謝りたい。「許して下さい」と。それ以来、ペットは飼わないことにしている。
家内の定期検診日である。一緒に行って欲しいという。病院は、歩いて行ける距離だが、年齢のせいか最近は歩くの難しくなった。バスで行くと一停留所である。
タクシーを使うことにした。タクシーを呼ぶと直ぐに来た。直ぐ近くで申し訳ないと謝りながら乗車する。5分もしないうちに到着。朝の9時前なのに院内には、15名ほどの患者がいた。整形である。中には、リハビリーの患者もいるのだろう。家内は診察である。骨粗しょう症だ。
同じビルに内科もある。そこにも寄る予定だ。
小生は、1階のエレベータ横の椅子に座って待つことにした。調度、清掃のおばさんが廊下を掃除している。小型の掃除機をウイウイと鳴らしながら掃除をしている。
その音に耐えかねて、ビルを出る。さて、何処で待とうかと思いつつ、ふと目の前を見ると大型量販店が立っている。朝の9時から開店のはずだ。
「そうだ、あそこへ行こう」と思い、交差点を渡り小躍りしながら玄関口まで行くとまだ空いていない。
「コロナ対策で開店時間を10時からとなっております。誠に申し訳ありません」と書いた紙が貼ってある。時計を見ると1時間ほどある。
「どうしようか」折角ここまで歩いてきたのに、戻るわけにも行かない。「待つか、戻るか」時計を何度も見る。
何度見ても時計の針は、1分も進んでいないように思える。
建物のを長い軒の下に長椅子が置いてある。そこへ腰かけたが、風が冷たい。太陽は出ている。腰を上げ、陽光の当たる所まで行き、そこへ立ってみた。「暖かい」
私のほかに、大きな駐車場へ車がどんどん入って来る。車から降りて玄関先へ来て張り紙を見て残念そうに帰る人、車に戻る人。ベンチに腰掛ける人
様々である。その様子を眺めているうちに9時45分になった。店員が出てきて「開店します」いった。自動ドアが静かに音を立てて鳴った。
「空いたか」その足で直ぐにトイレに向かった。
親戚の叔母が亡くなった。葬儀は既に終わっており亡くなった旨の通知がきた。
叔母である。香典を送ろうと思い郵便局へ出かけた。現金書留封筒を買い記入して郵便局を出てすぐに家内に電話を入れようと思いショルダーバックを開けると携帯電話がない。
「うんっ、どこだ」と思い探したがない。家内に電話を入れようとしたが携帯がないのだ。
さて、どうしようかと思案に暮れていると「そうだ、角の銀行ならあるか」そう思って銀行へ行くがない。入り口を出るときに清掃の叔母さんがいたので「この辺に公衆電話がないでしょうか」と聞くと「向かいの西友にあるかもしれない」とう。礼を言ってすぐに西友へ行ってみた。
「あった」普段、買い物をしていて目にしているが、いざ我が身となると慌てて何が何だか分からなくなる。頭の中は、早くドコモへ通知して対処方法を教えてもらわなければとそのことばかりだ。
電話を入れようと思ったら10円玉一個だ。家内に電話を入れて電話が無い。探してみてくれというと「ちょっと待って」といって電話口から離れた。10円玉一つしかない。
直ぐに電話は切れた。
10円玉に崩そうと思い1000円札を握り「さて、これをどうやって崩すのか」と考える。
西友の中に入ったら買い物をしなければならない。携帯のことが気になって買い物どころでない。
そうだ、二階の薬屋で滅菌ガーゼを買おうと思って行ってみると「ありません」という。
仕方なく、切り傷の薬を二本書く。釣銭に10円玉が多くなるように値段を見て買い物をした。
直ぐに先ほどの公衆電話まで行き電話を入れる。探したがないという。
電話を切って考えた。「先ほどの郵便居に忘れたか」そう思いながら戻る。
しかし、現金書留の封書を書き終わったときにその場を確認したはずだ。
そう思いながらも窓口の女性に「先ほど来たものですが、携帯電話の忘れ物がなかったでしょうか」と訊くと首を傾げながら頷いた。
そうだろうなと思い郵便局の玄関を出てショウルダーバックを左の脇から腹を持ってきて
開くがない。口は二つある。小さめの口を開けると中に携帯電話が入っていた。
「あった」
早速、家内に電話を入れた。
コロナウイルスで3か月ほど家に閉じ籠りであった。相当、ボケた様だ。