黒猫のつぶやきで「法科大学院を訴えてみませんか?」というエントリがありました
以下がその記事です
http://blog.goo.ne.jp/9605-sak/e/b7b7b80a0061f79e5df1ea16f799b51d
また、東京大学教授が法科大学院の態勢は「詐欺的」である、と公の場で発言したことも記憶に新しいです
以下がその資料です(第5回法曹養成制度検討会議の議事録、27~28頁参照)
http://www.moj.go.jp/content/000105971.pdf
これらの記事の様に、法科大学院についての不信感は現在急速に拡がりを見せています
しかしだからと言って、これらの法科大学院の問題を「訴訟」という形で顕在化させるのは、
少なくとも現在では大変困難な状況だといえます
法科大学院生等(卒業生や退学者含む)が現実にローで酷い待遇を受けた人が100人いたとしても、
泣き寝入りせずにそれに立ち向かおうと思える人はおそらく一人いるかいないかでしょう。
少なくとも現在では・・・
なぜなら、法科大学院生等は泣き寝入りせざるを得ない「特殊な環境」に置かれているからに他なりません
では、その「特殊な環境」とは何か?
以下「特殊な環境」について説明します
まず、これらを考察する不可欠の前提要素として、法科大学院生等の中で潜在的な訴訟原告となりうる人の属性に注目する必要があります
1:法科大学院を卒業し、司法試験に合格した人
2:法科大学院を卒業し、司法試験に合格できなかった人
3:法科大学院を退学し、別な道へ進んだ人
4:法科大学院を退学し、他の法科大学院へ再入学・転学した人又は予備試験へ移った人
5:現在、法科大学院生
大雑把にこの5つに分類できます
そして、この5つの属性の中で潜在的訴訟原告者となっている人の現状を考えます
<1:法科大学院を卒業し、司法試験に合格した人>
・合格に伴う「すべてを許せる」という感覚に芽生える。
・法科大学院と二度と関わりたくないと思う
・訴訟しても労力に見合った実入りが見込めない(損害額の算定が不確実、訴訟の長期化、立証の困難性等が理由)
<2:法科大学院を卒業し、司法試験に合格できなかった人>
・裁判は公開が原則なので、未だ司法試験に合格していない人間が訴訟するのを世間に知らしめるのは躊躇する(これは日本特有の恥の文化自己責任の文化に由来する)
・法科大学院とは二度と関わりたくないと思う。
・訴訟しても労力に見合った実入りが見込めない。(損害額の算定が不確実、訴訟の長期化、立証の困難性等が理由)
・不法行為であれば、時効期間経過している蓋然性が高い(加害者及び損害を知ってから3年)
<3:法科大学院を退学し、別な道へ進んだ人>
・2と概ね同様
<4:法科大学院を退学し、他の法科大学院へ再入学・転学した人又は予備試験へ移った人>
・学校の授業や課題、司法試験の勉強等が多忙で、訴訟に気が回わらない
・その法科大学院とは二度と関わりたくないと思う
・訴訟しても労力に見合った実入りが見込めない(損害額の算定が不確実、訴訟の長期化、立証の困難性等が理由)
・裁判は公開が原則なので、未だ司法試験に合格していない人間が訴訟するのを世間に知らしめるのは躊躇する(これは日本特有の恥の文化自己責任の文化に由来する)
・不法行為であれば、時効期間経過している蓋然性が高い(加害者及び損害を知ってから3年)
<5:現在、法科大学院生>
・学校の授業や課題、司法試験の勉強等で多忙で、訴訟に気が回わらない
・在学中にそのような訴訟を起こせば、村八分や魔女狩り等の対象となる蓋然性が高い
・訴訟しても労力に見合った実入りが見込めない(損害額の算定が不確実、訴訟の長期化、立証の困難性等が理由)
・裁判は公開が原則なので、未だ司法試験に合格していない人間が訴訟するのを世間に知らしめるのは躊躇する(これは日本特有の恥の文化自己責任の文化に由来する)
以上のような法科大学院関係者固有の「特殊な環境」が、
法科大学院での問題を「訴訟」という形で顕在化し難い状況にさせているのです
(私はこれを「法科大学院生泣き寝入りシステム」と呼ぶ)
・裁判は公開が原則なので、未だ司法試験に合格していない人間が訴訟するのを世間に知らしめるのは躊躇する(これは日本特有の恥の文化や自己責任の文化に由来する)
↑
個人的にはこれが最大の障壁だと考えます
アメリカ人はロースクールに訴訟を起こしても、日本人が訴訟沙汰にしていないのは、日本特有の国民性(恥の文化や自己責任の文化)にも起因しているのだと思います
では、このまま「法科大学院生泣き寝入りシステム」を放置しておいてよいのかというと、そうは思いません
一人が勇気ある一歩を踏み出せば、まるでドミノ倒しのよう訴えでる人が多くなる、そう考えます