忘れな草と蒼い空

好きなものはどんな時でも ただ馬鹿みたいに大事にすること(「すみわたる夜空のような」/銀色夏生)

寂しさだって 怒りだって 君の表情つかさどってるんだ

2019-03-07 09:18:00 | ゜+.*コブクロ*.+゜
ツアー前によく見かけるようになる“ネタバレ”という言葉。
わたしは、これはもう自己責任だし、自衛するしかないと思っている。
見たくないのなら、聞きたくないのなら、そんな場から距離を置くしかない。

ツアー初日の様子はテレビでも流れることがあるし、SNSなんかそこらじゅうにネタバレトークはあふれてる。「書かないで!」とか「載せないで!」というのは、そりゃ違うんじゃないの?と思う。まずは自分で見ない聞かない努力をしようよ。それは周りに強いることではない、と思う。“反対側”を考えると、まだ参加してない、今回は参加できない、という人たちは、ライブの話がとてもとても聞きたい(だからネタバレの場を作る)。

わたし自身、ここ最近は、ツアー初日のライブにも参加できることが多い。それまでは中盤に参加、が多かったから、「ネタバレしないでー!!」と言う方たちの気持ちもよくわかる。だからこそ言いたい。自衛しようよ。情報の取捨選択は、自分でできるし、すべき。




話は変わるけれど、わたしはメルカリ というものを利用したことがない。自分の欲しいものが安く手に入るのなら、そりゃ好都合だけれども、(たとえ未使用でも)誰かが持っていた、ということに抵抗がある。さらに、本やDVDは、それを作ることに関わった人たちに1円も入らないと気づいてから、古本屋さんでもめったに買うことがなくなった。好きな人、好きなもの、には、きちんと対価を支払いたいと思う。(だからと言ってそれらを否定するわけではありません。ほんとに必要としている人たち、大切にしてくれる人たちのもとへ届くこともあるし、“好き”の入り口はハードルが低くあってほしい。わたしだって、彼らのCDや、好きな漫画や本は、中古で購入していたことがある。だからこそ、その次はきちとんと対価を、と思う)

で。以前コブクロのライブチケットが、オークションで出回ってることが続いていたあの頃。わたしは、転売も「買う人がいるから売る人がいる」と思ってるので、オークションのサイトはほとんど見ていなかった。買わないし。必要ない。そんなところへ、掲示板に「オークションにたくさん出てます!違反!!」みたいな言葉がたくさん出ていた。しょーーーーーじき、そういうことも知りたくない。だって、わたしたちがすることは「買わない」ことでしょう?なんというか……“反応しなきゃいいのに”と思っていた。

最近その頃とおんなじようなことを、タイムラインで見かけて、すこーーし、モヤっとしている。「なんで売るの?」、、、「買う人がいるから」でしょう。買う人も、見る人も、興味を持つ人がいなくなったら、売る人もいなくなるんじゃないかなぁと、思う。そんな簡単じゃないかもしれないけど。わたしたちがわーわー言わなくたって、オフィスに「こんなのありますよ〜」って言うだけでいいんじゃないかな〜〜。転売をなくすのはあちら側のお仕事。転売をしない、転売をさせない(つまり買わない)、それらを許さないのが、わたしたちのできること。


前置きが長くなった。ほんとはこれを書きたかった。SAKURAの件。
曲に対して、どうこう思うのは、“その人”の自由。それに対して、周りが、外野が、あーだこーだ言うのは変でしょう。好きや嫌いは自分だけの気持ち。なんで周りにとやかく言われなきゃならないの。なんでわたしの気持ちを周りが決めるの。文句を言うの。わたしも最初は「なんで桜を?????」と思って、これは聴けないな〜と思っていた。そして小渕くんや黒ちゃんの言葉を読んで、整理させていった。“距離をとる”ことは、あの頃より少しはうまくなったと思う。
Mステで聴いて、実際「あ〜これは受け入れられない。かも」と思った。そりゃそうだ。コブクロの『桜』を真ん中にして聴いてるもの。親戚の子の桜ちゃんが、ある日突然「わたし今日からSAKURAよ!」とか言って、へっ!?と思ってるおばちゃんの気持ち。
でもね〜『SAKURA』として聴くと、意外と…といえば失礼になるかもしれないけど、好きなんですよ。もともと韻を踏む言葉が好きだし、あの低音リズム隊バリッバリ。気持ちいい。歌詞はまだ読み込めてないからなんとも言えない。1番サビと2番サビの違いも、ふぉー!!!すごっ!と思ったし。

ただこれは、“わたしの感想”。なんだよ。

ついったにもちらりと書いたけど、わたしは、「それはやだなぁ」があってもいいと思う。全部を受け入れられなくても。ただ、あたまっから否定するんじゃなくて、1回受け止めてみて、「わたしは違うな」と思ったら、距離を置く。そういう“距離”は必要だと思う(経験上)。時間が経って、「あ、大丈夫かも」って思うこともあるし。

そして「やだーなんでーー」を、きちんと伝える。ただただ「やだ」じゃなくて、「わたしはこう思ってるよ」って。だって受け止めっぱなしはきついやん。こちらも思ったことは言わないと。言い方を考えてね。(2月号はそんな話)
好き“だから”、好き“だけど”。両方あっていいやーん。と、思ってる。

投げられたものをぜーんぶ受け取るなんて無理やん。無理、というか、受け取るのも避けるのも自由だよ。

🕶️🎸⇔☺️ のことなんだから、いろいろ思うことがある人に対して、外野があーだこーだ言うのはお門違いじゃないのかなぁ。好き“だから”、ファン“だから”、その後に続く言葉は人それぞれ。

どの場面でもだけど、“距離を置く”、“避(よ)ける”という術を持つと、楽になるよ〜と言いたい。好きだから、全部を好きになる必要ないし、受け入れる必要もない。無理なものは無理。嫌なものは嫌。で、いいんだよ。ただ、それを本人や周りへ伝えるときにだけは、注意したいよね。だって、自分が苦手なもの、嫌いなものが、好きな人だっているんだから。(お兄さんたちだって、「これだいっきらい!」なんて言われたら………と思うと、言葉選ぶよね…)

まぁ何が言いたいかというと、自分の気持ちは正直でいいんだよ〜。これは、数年前の“わたし”へも言ってる。“好き”とうまく付き合えなくて、コントロールできなくて、モヤモヤしてたあの頃。約13年間、ずっと100%の大好きな気持ちだったわけではない。いろんなことがあった中で、「それでも大好き」な今がある。それで、いい。




最近、あちらこちらで、“好き”を免罪符にした言葉や行動を見るのが息苦しい。(そっとシャッターを降ろす。自衛)

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