とらのひとり言

とら猫とクラフトの記録のつもりがほとんど日記

腰抜かしました

2008-08-29 10:15:36 | Weblog
おはようございますです。
今週はじめよりキットで腰抜かす、仕事で追い詰められる、大変でした。

月曜にきく師匠よりプロジェクト第二段の一部ということで膨大な量の花びらおよびコテ、染料等受け取りました。「びっくりこきました!」これらを染めてコテあてるんか!すんごい量です。
いつもながらおまけつき梱包も心遣いいただき、何も持たない無知な弟子のため親切な対応に涙、涙。ありがたいこっちゃ。

さて、今回は何ヶ月かかるでしょうか?さぁ、どんな失敗をするか? 苦笑 自分の中では、アホさかげんを自覚する良い機会なのであります。



耳なしとら~こわくないってか~

2008-08-25 09:47:33 | とら
おはようです。
涼しい朝で家事もはかどる。
一服してたら膝に乗りにくる猛獣が。

夏バテ知らずで夏を過ごし、このまま涼しい秋になったら、食欲増進の季節到来。
あ~どうしよう。。。
《食欲不振》なんて四字熟語わてには書き言葉であって口語体では死語に分類されてる。
現在、主人の体重にあと数キロと迫ってます。身長差は16センチぐらいもあるのにさ。徐々に増加の一途をたどってきました。

先週のテレビで「大きなストレスは食欲がわかなくなるが、小さなストレスは食欲が湧く」との内容であった。
この京都市立病院の先生はええこと言う。そのとおりや。
かなり問診重視の消化器系の先生みたい。
わて京都市立病院行行った方がいいのかも。わてのストレス解消してくれるってか?自分ではどうにもできまへん。
キャベツって美味しくないから10分も食べてらんない。トホホ。

参考文献

2008-08-19 19:47:45 | Weblog
これはわての持ってる杉本健吉画伯の絵です。といっても版画なのですが。
表装しなければと思いながらなおし込んでいました。うちの天才画伯の参考になればと思い出してきたのですが、参考にはならないようです。

10年ほど前に当時のD仏殿副主任のM本師よりお礼にということで頂戴したものです。(わての友人たちと10人ぐらいが頂いた。)なので本物です。

うちの画伯は墨の濃淡以前のところでつまずいている。


すごすぎる!

2008-08-19 19:36:25 | Weblog
これ、何に見えます?
一応お急須だそうです。どこからお茶を注げばいいのでしょうか?
先生のお手本を見て描いたそうです。他の方々の話もお聞きしましたが、クラスじゅうこんな絵ばかりだそうです。皆様嘆いておられました。わてらの理解できない感覚がいけないのでしょうか。

そこで我が家の画伯は現在夏休みの宿題の水墨画で題材に困っております。
このようなすんごい腕前の画伯は富士山にしようか?とか、魚にしようか?と申されます。

一学期に春夏秋冬の山の描き方は習ったそうです。
画伯曰く、「夏の山は乾いた季節感を出すために墨をたっぷりつけてはいけない。秋の山は空に月を描いて空の色をうっすらつけたらよい。」
今、画伯の手元にはありませんが、春夏秋冬の切り立った中国風の山を描いたそうです。

あまりに腕前がすごすぎて何がなにやらわからないのですが、画伯たちの指導されてる先生は雑誌にも取り上げられていて、「かつてはS水公照師も指導されていた」と取材記事にはありました。そういうレベルの高い先生に指導を受けているにもかかわらず、このすんごい絵が完成するのです。

おばあさんのリネン

2008-08-18 11:16:58 | 手芸
お盆休みも終わり、本日より日常生活が開始する。ギャー。
昨日今日はちょっと涼しいです。過ごしやすいですわ。

須賀さんの本の中にレオパルディの《シルヴィア》の引用があった。
  
  余念無く機にむかっていたあなた、
  胸にえがいた美しい未来に、あなたの心は
  やわらかく満たされていた。

「機」と訳すには悩んだ話があった。「おんな仕事」:《laviori femminili》とあって、最初は針仕事と思っていたとある。
須賀さんの友人のルイーザの家に行った時、おばあさんのリネンがあった。
白い麻布に白い糸でイニシャルを刺繍してあり、ベッドに使われ、洗面に使われ大きなものを何度も何度も小さくして使い切るそうである。
わてら現代人は花嫁修業に刺繍でもして持っていくのかと思いがちである。
しかしおばあさんのリネンは糸を紡ぎ、機を織り、その生地に刺繍して何らかの布物に仕上げてこそ完成するは花嫁道具なのである。

わての家にも曾祖母の長持ちから発見したものがある。
絹なので機織は業者がしたのであろうが、綺麗な帯締めや袱紗類で金糸銀糸を使い刺繍がしてあった。和装小物や生地に詳しくないので詳細な説明ができないが、日本の昔も花嫁道具に自分で刺繍して作ったものがあったのかなあ。そうだ、現代でも日本刺繍を鏡台のカバー(正式な日本語の名称がわからない)にしてあったり、桐の箪笥のカバー(これもなんていうのかな?)にたいていは家紋を染め抜いてあるが自分で作ったのをかけてあるのを見たことがある。

ルイーザのおばあさまはなかなか嫁に行かなかったので、長持ちがいくつもいっぱいになるくらいリネンがあったそうだ。爆。

わてなら、その反対で何年かかっても長持ちが空っぽで埋まることがないであろう!多分、糸を紡ぐところで挫折しそう!刺繍するところにはたどり着けないと思う。爆、爆、爆。


霧のむこうに住みたい:須賀敦子

2008-08-13 22:21:25 | Weblog
昨日よりわての盆休みに入りました。家事はなるべく手抜きをして自分の時間を多く取るつもりです。(いつもと同じやんか?てか。)以前に読んだ本を読み返したり、積んだままの本を読んだりでだらりんと過ごしてみるのも時にはええもんです。
手芸のキットや遣り残してるのがあるのですが、あまりの暑さにごろんとしてできる読書に浸っております。

「心に残る荒れた風景の中に、ときどき帰って住んでみるのも、わるくない。」
須賀敦子さんの著書『霧のむこうに住みたい』のなかの一節。

また「芦屋のころ」の章が妙に心に残る。翠ヶ丘に住んでいらしたらしい。打出あたりから阪急の夙川に向かってお散歩していたら教会の塔が光って見えたそうである。わては夙川の教会を思うとき、プルーストにとってのイリエドゥコンブレーの教会の尖塔を思い浮かべる。
わてもそのへんの風景は大変好みである。

夜行列車のところでは《「時間」が駅で待っていて、夜行列車はそれを集めてひとつにつなげるために、駅から駅へ旅をつづけている。》
また、「線路に沿ってつなげる」という縦糸は、ものがたる人間にとっては不可欠だ。だが同時にそれだけではいい物語は成立しない。~~~~縦糸の論理を、具体性、あるいは人間の世界という横糸につなげることが大切なのだ。とある。

須賀さんの文を読んでいるとお話を聞いている感じがする。
最近別の読み物で知りえた言葉に純文章という言葉がある。
とても気にいっているのですが、須賀さんの文章も当てはまると思う。
美しい日本語。
場面は日本のことよりヨーロッパが中心になっているが、文章の中に見える美しい日本語。
それと仄暗さが漂う風景描写。
夏の暑さの中にあって、少し涼しさを感じられる。
現在、全部の著作は持っていないが数冊の本を所有している。何度読み返しても飽きることがない。

鉄おとめ:とらの報告5

2008-08-11 11:29:00 | Weblog
本日の読売の朝刊「顔」に載ってる人です!!!
びっくりしたぁ~、今日コレにアップしようと思ったら、新聞にもこの人が載っていた。左手に持ってはるのはハーモニカよ。車内放送もオモロすぎ。7両の車両をハーモニカ吹きーの、歌歌いーの、しょべりも入れーの、大忙し。
あまりにオモロイのでパチリ。
あっという間に3日間の電車の旅は終りました。